第二一章 従魔契約
「ま、魔物……じゃないわよね?」
「獣語を使ってるから、もしかして魔族じゃないかな」
荒い息を吐きながらこちらを見上げる少女に、ラシェルとフィーが小声でそんなことを囁き合っている。
どうやら少女の横に浮かび上がった表示については俺にしか見えていないらしい。
ひとまずこの少女がライカントロープという種族であるらしいことを伝えると、フィーが驚いたように声を上げた。
「ライカントロープ! 魔狼系の魔物が突然変異的に亜人化した魔族の一種だね! まさかこんなところで実物を目にすることができるなんて……!」
「……ていうか、なんで分かるの?」
いや、なんかそういうスキルを獲得したみたいでね……。
ともあれ、フィーは興味津々とばかりに俺の横をすり抜けて少女の前に歩み出ていく。
もともと彼女は旅暮らしをはじめるまでどこかの学会に属してこの世界の理について研究をしていたという話だから、その頃の血が騒いだのだろうか。
[お願い! 助けて! もうじきあいつらが出る!]
少女は近づいてくるフィーに向かってそんなことを訴えかけてきている。
そんな少女の鬼気迫る態度に危険を感じたようで、ラシェルがフィーの服を掴んで無理やり後ろに引き戻した。
「危ないわよ! 敵意は感じないけど、明らかに普通の状態じゃないわ」
「うっ……でも、ライカントロープに遭遇できるだけでも珍しいのに、見たところ、この子はまだ幼体だよ。できれば上手く手なづけて村に連れて帰れないかものかな……」
いやいや、村に連れて帰ってどうしようって言うんですかねぇ……。
というか、そもそもこの子は助けを求めているわけで――いや、待て。もしかして二人はこの少女の言葉が聞き取れていないのか……?
——と、そこで俺はあることを思い出した。
俺にはこの世界のあらゆる言語を理解できる【言語理解】スキルがあったではないか。
フィーも獣語がどうとか言っていた気がするし、この少女が口にしている言語自体がこの大陸で一般的に使われている言語とは異なるものなのかもしれない。
ひとまず俺は、改めて二人にこの少女が助けを求めていることを伝えた。
「えっ、そうなの!? それって、つまり……」
ラシェルが驚いたように目を見開き、それから困惑したようにフィーと顔を見合わせる。
フィーも腕組みをしながら小難しそうな顔をしていた。
「……そうだね。この結界、ひょっとしたら……」
言いながら、焦燥した表情でこちらを見つめる少女の顔をフィーがじっと見やる。
「そもそも、この子を捕獲するためのものなのかも……」
な、なんだと……? つまり、この大がかりな結界も、今にも不死者が出てきそうなこの環境も、すべてはこの少女を捕まえるために用意されたものだと……?
――いや、あり得ない話ではないか。
ライカントロープの少女にどれほどの価値があるかは分からないが、フィーの反応を見るかぎり希少性が高いことは間違いなさそうだ。
捕獲の目的までは分からないが、こんな物騒な方法を使うくらいだから、場合によっては素材などが獲れれば殺してしまってもかまわないと考えている可能性だってある。
「ど、どうしよう? この子を助けたら、結果的に誰かの獲物を横取りするってことになるんじゃない?」
――と、ラシェルが困ったように訊いてくる。
むう、それもそうか……安易に考えていたが、確かにそういうことになってくるよな。
そもそもライカントロープが魔族の一種であるというなら、本来的にはこの少女を捕らえようとしている狩猟者側にこそ道理があるのだ。
魔族は魔王の加護を受けしもの――つまり、ヒトに仇なす存在だ。
彼女だって今は身の危険を感じているから大人しくしているだけで、実はその可愛らしい見た目の裏に凶悪な本性を隠している可能性もなくはない。
でも、可愛いは正義だからな……。
本当は倒すべき相手だとしても、このまま見殺しにするのは後味が悪いと言うか……。
「ボクたちは何も知らなかった……というのはどうだろう?」
不意に、フィーが何かを思いついたように顔を上げた。
その顔は、少し悪い顔をしていた。
「……どういう意味?」
ラシェルが露骨に訝しげな表情で訊き返す。
「簡単なことだよ」
フィーはニヤリと口の端を歪め、疲れ切った顔でこちらを見つめる少女に歩み寄った。
「ボクたちは森に異常がないか調べにきた。そこで、様子のおかしな魔物と出会った」
「魔物じゃなくて、魔族なんじゃないの?」
「知らなかったことにするって言っただろう?」
フィーがしたり顔で人差し指を立てる。
「様子のおかしな魔物は助けを求めてるようだったけど、意思の疎通ができないので、従魔契約を結んでみることにしました……」
そう言いながら、フィーが立てた人差し指をそっと少女の額に触れさせた。
瞬間、フィーの指先がほのかに光り、少女の額に紋様状の痣のようなものが現れる。
[な、なに!? なにをしたの!?]
少女は驚いたように両手で自分の額を触っているが、フィーに害意がないことは分かっているのか、少なくとも反射的に襲いかかってくるような素振りは見せなかった。
というか、フィーもフィーで何をするつもりなのかは知らないが、少しくらいは警戒してくれないと見ていて心配になるな。
「フィー、従魔契約なんてできるの?」
二人のやりとりを見ながら、ラシェルが驚いたように目を丸くしている。
というか、そもそも従魔契約ってなんだ……?
「そんなことも知らないの? 従魔契約ってのは、ヒトと魔物の間で主従関係を結ぶ儀式みたいなやつよ。魔物使いって聞いたことない?」
むう、魔物使いか……。
この世界では初めて耳にするが、そういうものについてはなんとなく想像はつく。
要はこの少女を魔物に見立てた上でその従魔契約とやらを結んでしまおうということなのだろうが、はたしてそんなにうまくいくものなのか……?
「召喚術を学ぶ過程で従魔関連の知識も一通りおさえているからね。魔族だって基本的には魔物の上位存在というだけで本質が大きく変わるものではないし、理屈の上ではうまくいくはずさ。まあ、ボクも魔族を従魔にした例は聞いたことがないけど……」
言いながら、今度は何故かフィーが俺の手を取ってくる。
そして、彼女の人差し指が俺の掌に触れるや否や、先ほど少女の額に現れた痣と同じ紋様が今度は俺の掌に浮かび上がってきた。
「えっ、キョウスケにやらせるの……?」
ラシェルが露骨に嫌そうな顔でこちらを見やってくる。
そうか。この流れ、仮に従魔契約がうまくいったとしたら俺が主人になるパターンか。
別にフィーやラシェルが代わりにやってくれても俺はかまわないんだが……。
「従魔契約は相手を屈服させるか双方が納得の上に行うのが基本だからね。言葉が通じるキョウスケが適任だよ」
ええっ? それって、俺に従魔契約についてこの子と交渉しろってコト……?
「大丈夫だよ。この子は助けを欲しているわけだし、従魔契約が結べればボクたちも大手を振ってこの子を助けてあげられる。お互いにウィンウィンのはずさ」
「なるほど。何も知らないことにするって、要するにそういうことね……」
得意げに言うフィーの言葉に、いくらかゲンナリとラシェルが嘆息した。
うむ。いまひとつよく分からんのだが……。
「つまりね、あたしたちは牧場の依頼でこの森に来て、たまたまちょっとヘンテコな魔物と出会って、なんか懐かれたんで従魔にすることにしました。この子が魔族だってことも誰かの狩猟対象だったなんてことも、最初から知りませんでした……ってことにするのよ」
おお、分かりやすい説明をありがとう。
というか、わざわざそんな回りくどいことをしても、仮にこの少女を狙っている者が本当にいたとしたら、絶対に納得なんてしてくれないと思うが……。
「今のボクたちに必要なのは大義名分だよ。ただの正義感でやりましたというよりは、まだ自分たちを納得させやすいだろう?」
まあ、それは確かにそうかもしれんが……。
「もうなんでもいいわよ。陽が落ち切る前にやっちゃいましょ。なんだかわたしも嫌な感じがしてきたわ」
そう言って、ラシェルが辺りを見回しながら身震いする。
いよいよ日暮れが近づいてきたこともあって、彼女の【探知】スキルも不死者の気配を感知しはじめたのかもしれない。
まあ、ここは成り行きに任せるか。
俺はフィーに促されるままに少女の前まで歩み出ると、相変わらずその場にへたり込んでいる彼女の前にしゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
[た、助けてくれないの?]
少女は懇願するような顔でじっと俺の顔を見つめ返してくる。
うむ。助けてやりたいのは山々なんだが、そのためには君に俺の従魔になってもらわなければならないみたいなんだ。
[従魔? シモベになれってこと?]
まあ、そういうことになるのかな。
[そ、それって、無理やり交尾とかさせられちゃうやつだよね……!?]
ん……? いや、何やら誤解がある気がするが……。
「なんか変なこと言ってないかい?」
フィーが訝しむように横から俺の顔を睨んできた。
ラシェルも少女の表情から何かを察したらしく、背後で殺気を立ち上らせはじめている。
「訛りが酷くて聞き取りづらいけど、交尾って単語が出てきたような……」
「なんでこのタイミングでそんな単語が出てくるの?」
な、なんででしょうねえ……?
[ううん……ワタシ、助けてもらえるなら従魔にでもなんでもなる! 従魔になって元気な子どもをたくさん作る!]
少女はほんのりと頬を染めながら、決意を固めるように強く拳を握りしめながら言った。
い、いや、そんな一大決心をしてもらう必要まではないんだが……。
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