第二十章 森に潜むもの

「森に行くならボクも行くよ。店を閉めるから少し待ってて」


 雑貨屋に立ち寄ってフィーに声をかけると、フィーはそう言ってまだ閉店時間まで間があるにも関わらず店じまいをはじめてしまった。

 別に森の探索くらいなら俺たちだけでも大丈夫だと伝えたのだが、フィーは万が一のことがあってはいけないと頑なに着いてくる姿勢を崩さなかった。


「キミたちは油断してたら場所を選ばずイケナイことをはじめてしまいそうだからね。もし村のヒトにでも見つかったら大変だし、ちゃんとボクが見張っておかないと……」


 表に出していた看板をしまったり入口の扉に閉店の札をかけたりしながら、フィーが小声でそんなことを呟いている。

 ラシェルがギョッとしたような顔で俺の顔を見てくるが、俺は敢えてそちらは見ないようにしながら沈黙を守った。

 すでに俺たちには前科があると言っても過言ではなく、誠に遺憾ではあるがフィーの心配はごもっともであると言わざるを得ない。


「あたしたちがついさっきヤっちゃったことも、バレてたり……?」


 せっかく黙ってやりすごそうとしてるんだから、訊いてくるんじゃないよ……。


「これからの生活でいろいろと用意しなきゃいけないものもあると思うけど、まずキミたちはカーテンを買ったほうがいいだろうね」


 ――と、そんなことを言いながら、フィーが店の奥にあるカウンターのほうを見やる。

 普段はフィーが座っているのであろうその奥には店内で唯一の窓があり――そして、そこから見える景色に俺は衝撃を受けた。

 そこからは俺たちが借りている家が見えるのだが——それだけではなく、借家の窓を通してちょうどベッドのある一角が見えていたのだ。

 こ、コレ、ひょっとして丸見えだったのでは……!?


「……なんでこんなところに双眼鏡が置いてあるの?」


 ふと、ラシェルはラシェルでカウンターの上に放置されているソレに気づいたようだ。

 その一言に、今度はフィーがビクッと肩を震わせる。


「ちょ、ちょっと商品に傷がないか確認したくなってね。そんなことより、こっちの準備はできたからさっそく出発しようか」


 ラシェルに半眼で見つめられながら、焦ったようにフィーが入口の扉へと駆けていく。

 体のサイズに似合わない大きな鞄を肩から提げていて、森に行くついでに薬草の採取でもするつもりらしい。

 双眼鏡が本当に状態のチェックだけのために持ち出されたのかどうかは疑念の残るところではあったが、あまり深く言及しないほうが良さそうだった。


《スキル派生の条件を達成しました。【絆・観察】を獲得しました》


 ああっ!? こっちはまったく自重しないのね!?


     ※


「あまりのんびりしているとすぐ日が暮れてしまいそうね」


 枝葉の天蓋から溢れる西陽に目を細めながら、ラシェルが言った。

 東門から村を出てすぐの街道沿いに広がる森は、敷地面積だけで言えばほぼゴールジ村と同じくらいの広さがある。

 そのすべてを調査するとなれば相応に時間もかかるだろう。

 ここはラシェルの【探知】スキルを頼りにある程度は的を絞って探索したほうが良いかもしれない。


「……ていうか、なんか変な感じね。不気味なほど気配を感じないっていうか……」


 しかし、森に入ってそれほど経たぬうちに、ラシェルはそう言って足をとめてしまった。

 薬草を採取しながら少し後ろをついてきていたフィーも、前方のほうへ首を伸ばしながら首を傾げている。


「何やらこの先のマナが少しおかしいみたいだね」


 ふむ、マナとな……。

 それが魔術や法術を行使する上で媒体となるエネルギーのようなものというくらいはさすがに俺も理解している。

 ただ、俺はそもそも魔術に関してそこまで明るいわけではないし、あまりそういった感性にも優れていないので、おかしいと言われてもあまりピンとはこなかった。

 最近は【絆】スキルのおかげでいくつかの魔術が使えるようになっているようだが……。


 ——と、そのとき、何かに気づいたようにラシェルが少しだけ先のほうへ歩き出し、その場にしゃがみ込んで地面の様子を調べはじめる。


「結界だわ……」


 見やると、足元にピンと張られたロープのようなものが見えた。

 ロープは穴の空いた杭に通される形で左右に長く張られているようだが、その先端がどこまで続いているかまでは分からない。

 結界自体は俺たちも野営の際に利用しているが、それにしてもこれは少し規模が大きすぎるような気がした。


「へええ……随分と高度なものみたいだね。マナの動きを完全に隔絶してしまっている。街の外壁に使われているような強固な魔物避けと同等か、あるいはそれ以上のものだよ」


 フィーがラシェルの傍らまで歩み寄り、指先でロープに触れながら告げる。

 ロープはよく見ると薄らと燐光を放っているようで、俺たちが旅先で使っているものとは明らかにその質が違うことを感じさせた。


「これ、ひょっとして追い込み猟かしら……逃げ足の早い魔物を結界の中に閉じ込めて、少しずつ結界の範囲を狭くしながら逃げ場をなくしていく魔物用の狩猟法なんだけど」


 ラシェルが思案するように俯きながら、ぽつりと呟く。

 追い込み猟——漁業でなら俺の世界でもあったな。

 魔物の素材の中にはその希少性から非常に高価で取引されるものもあるというし、そういった魔物を狩猟するための策として結界を用いた方法があるのだろう。

 しかし、もしこれがそのための結界なのだとしたら、今まさにその狩猟対象となる魔物がこの森にいるということになる。


「そうね、確かに何かいる感じがするわ。結界の中は探知スキルがちゃんと働くみたい」


 はるか前方を見やりながら、ラシェルが告げる。

 どうやら結界の中と外では気配の感じかたが違うらしい。

 俺にはよく分からないが、結界が目には見えない壁のような役目を果たしているのかもしれないな。


「うえ……この結界の中、どうにも嫌な感じがするね……」


 ――と、ロープを跨いで結界の内側に入るなり、フィーが眉を顰めながら身震いをした。


「そう? わたしはそこまで変な感じはしないけど……」

「マナが随分と澱んでいるよ。獣の血でも撒かれたのかな。今にも不死者が地の底から這い出てきそうだ……」


 遅ればせながら結界の中に入った俺の腕に、フィーが縋りついてくる。

 俺もラシェルと同様、そこまでおかしな気配は感じないが、召喚術なんてものを使えるフィーのことだから、俺たちには感じられない何かを察知しているのかもしれない。

 

「……とか言って、キョウスケとベタベタしたいだけじゃないでしょうね?」

「ち、違うよ! キミと一緒にしないでくれ。本当に気持ち悪い感じがするんだよ」

「ちょっ……あたしは別にそんなことしないわよ!」


 痛いところでも突かれたのか、ラシェルが顔を赤らめながら顔を背けて歩き出す。

 思ったより素直なその態度自体は可愛らしいが、今は喧嘩してる場合じゃないと思うのでホドホドにしてくださいね……。

 一方、フィーのほうは本当に嫌な気配を感じ取っているらしく、俺の腕をギュッと握りしめたまま青い顔であたりを警戒していた。


「そろそろ陽が落ちる。そうなってきたら不死者の時間だ。このマナの感じだと、本当に何が出てきてもおかしくないよ」


 ふうむ——? そうは言ってもいちおうここは結界の中なのだし、魔物が発生するなんてことが起こり得るのか?


「そりゃ、結界の中がきちんと浄化されてれば話は別だけどね。でも、この場所は明らかに穢されているよ。ボクが最後に森に入ってからしばらく経つけど、少なくともそのときはここまでおかしな感じはしなかった。誰かが意図的にやったのかな」

「それって、結界の中に敢えて不死者が発生しやすい環境を作ってるってこと?」

「そうなるのかな? なんのためにそんなことするのかまでは分からないけど」

「ひょっとして、魔物同士で同士討ちさせて弱らせるためかしら」


 なるほど。狡猾な狩猟者であれば考えそうなことではあるな。

 不死者のような知能の低い魔物はヒトや獣、魔物の区別をせず、生あるものであれば何でも反応して襲いかかる習性がある。

 今回のケースで考えてみると、本来の標的である魔物を疲弊させるために、敢えて不死者系の魔物が発生しやすい環境を作っているという可能性は考えられるか。


「……となると、ここは今まさに誰かさんの狩猟場ってことになるわけよね。あたしたち、実はとんだオジャマ虫かも……」


 ——と、そこまで言いかけて、急にラシェルが黙り込んだ。

 前方の一点を見つめたまま、ピクリとも動かなくなる。

 いつの間にかその手は腰に差したウーツ鋼の短剣に伸びており、何か得体のしれないものが迫ってくる気配を感じさせた。

 俺は腕にくっついていたフィーを後ろに庇うと、背中に背負っていた盾を手に構えながらラシェルの横に並んだ。

 やがて、俺の耳にも何者かがこちらに向けて駆けてくる足音が聞こえてくる。


[誰かいる!? ワタシの言葉、分かるヒト!?]


 少しずつ近づいてくる足音ともに、そんな声も聞こえてきた。

 助けを求めている——のか?


「獣の声……?」

「獣語かな。訛りが酷くてうまく聞き取れない」


 む……? 何やら二人の反応がおかしい気もするが……。


 次の瞬間、目の前の茂みを掻き分けて勢いよく何者かの影が飛び出してきた。

 魔物か、あるいは不死者か——そう思いながら見やったその影は、あろうことか獣のような体毛にその身を包んた半人半獣の少女だった。

 初めて見るタイプの種族である。

 歳のころは人間でいうところの十代半ばほどだろうか。

 顔も体つきも、パッと見は他の人型の種族と大きく変わるところはないように見える。

 髪の毛をはじめ、手足や胸許、腰回りを覆っている体毛は明るいグレーで、頭部には三角形の耳が、臀部からはイヌ科の動物を思わせるフサフサの尻尾が生えている。


 ――と、俺が興味の赴くままに目の前の少女を観察していると、その顔の横あたりに何故かステータスボードによく似た表示が浮かび上がってきた。


種族: ライカントロープ

状態: 警戒

危険度: 低


 これはひょっとして、先ほど獲得したスキルによるものか……?


     ※


:絆・観察 【あなたは今や注目の的です(スキル【観察】を獲得)】

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