第十九章 顔色の悪い男
それから俺たちはソフィアに別れを告げると、予定どおり『水蝶』に向かい、一階の食堂エリアで少し遅めの昼食をいただくことにした。
『水蝶』はこの村で唯一の宿屋であり、一泊向けの客というよりも、かつての俺のように連泊をする客向けの宿といった趣が強い。
というのも、一泊での利用の場合、少し足を伸ばしてノティラスに向かったほうがさまざまな点において便が良いからである。
それもあってか、この街の住人にとって『水蝶』は宿というよりも大衆食堂といった印象のほうが強いようだった。
「この村に戻ってきとったんなら、まずはウチに挨拶にくるのが礼儀とちゃうかなァ?」
俺たちが注文したメニューを運んで来ながらそう声をかけてきたのは、『水蝶』を営んでいる夫婦の一人娘、シンシアだった。
ホビット族の多いこの村では珍しい人間族の女性で、歳は二十代半ばほどだったと記憶している。
もともと両親がこの村で『水蝶』を営むようになる前は東方の地で暮らしていたらしく、言葉に独特な訛があるのもそのためだ。
赤毛のショートカットに気の強そうな琥珀色の瞳、麻のシャツに綾織のショートパンツという服装の上に臙脂色のエプロンをつけており、どうやら一年前と変わらず今も店の手伝いをしているようだった。
というか、俺の記憶では、旅に出る少し前くらいにノティラスで仕事を探すつもりだと言っていた気もするが……。
「それは、あくまでつもりやったってだけやし……それに、けっきょくノティラスに行く理由もなくなってもうたしね。それより、この子が噂のおヨメさん?」
ムスッとした顔で俺を睨みつけているラシェルを見下ろしながら、シンシアが言う。
さすがに耳が早い。まあ、『水蝶』は大衆食堂であると同時に村中の酒呑みたちが集まる酒場でもあるので、一昼夜もあればそう言った話を耳にすることもあるか。
「まさか、AでもBでもなくCを選んでくるなんてなァ。まあ、これで何処にでもいそうな普通の娘やったらどないしようかと思っとったけど、ちゃんと可愛い子で良かったわ。あんた、名前は?」
シンシアがテーブルの上に鶏の香草焼きのプレートとサーモンのクリームパスタの皿を並べながら、妙に不遜な態度でラシェルの顔を覗き込む。
その態度が示す意味も発せられた言葉の内容もいまいち理解できなかったが、少なくともラシェルは自分の容姿が誉められていることについては察したようだった。
「ラシェルって言います。不束者ですが、よろしくお願いします」
先ほどとは打って変わってキラキラと瞳を輝かせながら応じる。
相変わらず誉められるとチョロいんだよなぁ……。
というか、シンシアは別に俺の保護者でもなんでもないんだが。
「ウチはシンシアって言うねん。よろしくね。ここはお酒もいろいろ揃えとるから、お昼だけやなくて夜も遊びに来てくれると嬉しいわ」
「お酒は大好きです! 今度、二人で呑みにきます!」
ラシェルがさらに表情を輝かせ、その勢いに逆に気圧されるようにシンシアが苦笑する。
まあ、どうせなら二人も仲良くなってくれれば俺としても嬉しい。
——と、そんなシンシアの背後に、いつの間にか上背のある男性が立っていた。
それまでまるで気配を感じさせなかったその存在に、シンシアはもちろん俺やラシェルもギョッとしてしまう。
「お話中、すみません」
あまり生気を感じさせない色白な面持ちのその男性は、そう言いながら落ち窪んだ目で俺とラシェルの顔を眺め、それからシンシアのほうに顔を向けた。
「少し外出します。明け方まで戻る予定はないので、一言告げておこうと思いまして」
どうやらその男性はこの宿の泊まり客のようだった。
鍔広の帽子を目深に被り、真っ黒な外套にすっぽりと身を包んだその格好はいかにも旅の魔術師といった風体である。
「ほんなら、先に今日までの料金だけでも預からせてもらってもええかなァ? 信用してないわけやないけど、ウチも商売やからね」
「ええ、構いません。いくらになりますか?」
「計算するわ。あっちのカウンターまで来てもらえる?」
シンシアがそう言って男性と一緒にその場を去っていく。
ラシェルが何やらいつにも増して真剣な面持ちでその後ろ姿を見つめているが、気になることでもあるのだろうか。
「……あの男、びっくりするほど気配を感じなかったわ。たまにいるのよね、探知スキルに引っかからないやつ。たぶん、そういうスキルがあるんだと思うけど」
なるほど。たとえば【潜伏】とかそんな感じだろうか。
確かに、俺もあの男性には声をかけられる直前までまったくその存在に気がつかなった。
あの位置であればすでに視界には入っていたと思うのだが、あそこまで完璧に気配を感じさせないというのはさすがに少し奇妙な気もする。
「それに、あのシンシアってヒトだけど……」
――と、今度はパスタにフォークを突き立てながら、ラシェルが唇を尖らせる。
「あんた、実はフィー以外にも手を出してたんじゃないでしょうね? あのヒトがあんたを見る目、明らかに昔のオトコを見る目だったわよ」
い、いやいや、さすがにそれは思い込みも甚だしいですよ。
確かにフィーとの間に関してはちょっと爛れた関係だった時期もあったが、シンシアとはあくまで良い友人関係だったにすぎない。
これについては、神に誓ってもいいくらいだ。
「ふーん……なるほど。あんた、けっこうヒドいオトコなのね」
うえっ!? な、なんで!?
「神に誓ってだなんて……シンシアさんがかわいそう。あたし、あのヒトともきっと仲良くなれる気がするわ」
そう言いながら、ラシェルは一人で勝手に納得したようにうんうんと頷きながらパスタを食べはじめた。
まったく意味が分からなかったが、まあ、俺にはよく分からない女性ならではの感性が働いたのかもしれない。
とりあえず深く突っ込んでも怖い気がしたので、俺は目の前で湯気を立てる鶏の香草焼きにフォークを突き立てた。
ラシェルがシンシアとも仲良くしてくれるというなら、それ自体は良いことではないか。
良いこと——だよな? なんで嫌な予感がするんだろう……。
《スキル派生の条件を達成しました。【絆・WSS】を獲得しました》
ええっ!? なにこれ……?
※
:絆・WSS 【わたしのほうが先だったんだけどな……(不意打ちに対して強くなります)】
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