第十二章 召喚術

「さっそく泥棒猫が現れたみたいね……」


 ラシェルが敵意を剥き出しにして睨みつけている。

 しかし、フィーは何処吹く風といった様子で余裕の笑みを浮かべており、このあたりは年齢による差が現れているのかもしれない。

 ハーフエルフは必ずしも見た目と年齢が一致するわけではないが、ラシェルはまだ二十歳かそこらくらいだったと記憶している。


「泥棒猫はどっちかな? まあ、今回はご近所さんとしてお節介を焼きに来ただけだよ」


 フィーはそう言って、俺たちの反応も待たずに家の中に入ってしまう。

 慌ててラシェルと一緒にあとを追うと、フィーは床の上に箒とハタキを置き、何やら不可思議な力を行使しようとしているようだった。

 両手をまっすぐに突き出し、意識を集中するように両目を伏せている。

 ――刹那、フィーの柔そうな髪が風にでも揺られるかのようになびきはじめ、箒とハタキが置かれた床の上に光の筋で描かれた陣のようなものが浮かび上がる。

 そして、その陣から光の柱のようなものが立ち上ったかと思うと、その中から純白のドレスを纏った女性が姿を現した。


「さあ、シルキー、この部屋をキレイにしておくれ」


 フィーがそう言うと、女性は箒とハタキを手にとって颯爽と部屋掃除に取りかかった。

 いったい何が起こったというのだろう。

 ぼんやりとした燐光に包まれたドレスの女性がこの世ならざる者であることくらいは理解できているつもりだが、何かこういった様式の魔術のようなものがあるのだろうか。


「召喚術ね……あたしも初めて見たわ」


 ラシェルも驚嘆を隠せないといった様子で目を見開いている。

 召喚術――なるほど、この世界にはそういった力もあるのか。

 これまでに魔術や法術といった力については何度となく目にしてきたが、召喚術については今回が初めてだった。

 というか、そもそもフィーが召喚術なんてものを使えることすら初耳なのだが……。


「まあ、お披露目する機会もなかったからね。とはいえ、女の旅暮らしほど危険なものはないし、自分の身を護る術くらいは心得ているよ」


 そう告げるフィーはいちおう声音こそ抑えてるつもりのようだったが、その横顔はだいぶ得意げだった。

 まあ、目の前でテキパキと掃除に励むドレスの女性にフィーの身を護る力があるかは甚だ疑問だったが、彼女がそう言うからには護身用の召喚術も心得ているのだろう。

 俺も前世でこういった力を攻撃手段として用いるゲームを遊んだことはあるし、思い返してみればシルキーという妖精の名前にも聞き覚えがある。


 ――うん? それってつまり、俺が前生で過ごした世界とこの世界で共通の伝承みたいなものが存在するということになるわけだよな……?

 俺が『転生者』としてこの世界に降り立ったことも含めて、召喚術って実はこの世界と俺のいた世界を繋ぐ重要事項だったりするのではなかろうか……。


 ともあれ、シルキーは瞬く間に埃まみれだった部屋を綺麗に清掃してくれると、こちらに対して恭しく頭を下げ、そのまま光の粒子となって消えていった。


「さあ、これで綺麗になった」


 フィーは満足げに手を叩き、それからくるりと踵を返して俺とラシェルの顔を交互に見上げてくる。


「このあと、何か予定はあるのかい? もし良ければ、村を案内しようかと思うんだけど」

「……どういうつもり?」


 唐突なその提案に、ラシェルが露骨に眉を潜めている。

 まあ、あれだけ火花を散らしあった相手がいきなり掌を返したかの如く親切にしてくれたら怪しみたくなる気持ちも分からなくはないが……。


「これから自炊もするつもりなら、何処でどの食材を買えるかくらい知っておいたほうがいいだろう? ボクの店では食材は取り扱っていないしね」


 なるほど、確かに。俺はこの村の地図こそ頭の中に入っているものの、何処にどんな店があるのかまで把握しているわけではない。

 それに、俺が以前にこの村の世話になっていたころはずっと宿暮らしだったため、生活に必要な物品を購入するには何処が良いのかなどといった知識には乏しかった。

 さすがに野菜は市場で、乳製品や卵は牧場で――くらいのことはなんとなく分かるが。


「……そんなこと言って、本当はキョウスケと一緒にいたいだけなんでしょ?」


 しかし、ラシェルは相変わらず半眼でフィーを睨んでいる。

 まあ、そう邪険にしなくてもさ……。


「そんなの、決まっているだろう?」


 一方、フィーはニヤリと口の端に不敵な笑みを浮かべたまま、挑発的な目でラシェルの顔を見返していた。


「君は誤解しているようだけどね、ボクは最初からキョウスケにお節介を焼いてあげてるんだよ。ボクの案内が必要ないと言うなら、君だけここで留守番していればいい」

「なっ……!」


 フィーの言葉にラシェルが言葉を飲み、そのままギリッと音が出るほど奥歯を噛み締めて目尻を吊り上げる。

 ぬおお、これはまた一触即発な感じですか……。


「……まあいいわ」


 ――と、焦る俺をよそに、急にラシェルがその矛先を納めた。


「あんた、フィーって言ったっけ」


 深々と嘆息しながら肩をすくめ、妙に生真面目な表情でフィーの顔を見つめる。

 おお、どうしたどうした……?

 この反応はさすがに予想外だったようで、フィーの瞳にも動揺の色が走った。


「そ、そうだけど……」


 明らかに様子の変わったラシェルに、さすがのフィーも戸惑いを隠せないようだ。

 ラシェルはこめかみのあたりを人差し指で掻きながら、そんなフィーに向かってぽつりと言った。


「今でも本気なのね。キョウスケのこと」


 その言葉を聞いた瞬間、フィーは目を丸くしたまま硬直する。

 そして、そのまま耳の先まで真っ赤に紅潮させたかと思うと、胸の前で指先をモジモジと弄びながら俯いてしまった。

 なんだこの可愛い反応……少なくとも一年前はこんな仕草したことなかったぞ。


「いや、まあ、その……」

「どんな理由をつけてでも、一緒にいたいわよね。あたしだってキョウスケと一緒にいたい一心でパーティを抜けて来たんだもの。きっとそれと一緒なんだわ」


 何やら感じ入るものがあったのか、やけに神妙な面持ちでラシェルが告げる。


「それに、ずっと会いたくて会いたくて仕方なかったんでしょ? 本当の泥棒猫は、やっぱりあたしのほうだったのかもしれないわね……」


 そして、急にその表情が曇り、気づけばラシェルの瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。

 あまりに唐突な展開に俺とフィーは思わず顔を見合わせるが、だからといってどうしたら良いのかも分からない。

 二人でオロオロとラシェルの様子を見守るうちに、彼女の瞳からはポタポタと涙の雫がこぼれ落ちはじめる。


「ごめん、フィーの気持ちを想像したらなんだか悲しくなって来ちゃって……でも、あたしもキョウスケのことが好きなの。キョウスケのこと誰にも渡したくないの……」


 いよいよラシェルがしゃくりあげながら泣き出してしまい、俺は慌ててその体を抱き寄せながら背中をさすった。

 フィーも焦ったようにラシェルのもとへと歩み寄ると、その手をギュッと握りしめて彼女の顔を覗き込む。


「ラシェル……」


 そして、こちらも何やら思うことができたのか、切なげな面持ちで言った。


「こちらこそ、ごめん……ボクはもともと自分の都合で逃げ出した臆病者だ。本当なら君たちのことを祝福してあげなきゃいけない立場なのに……どうしても、自分の気持ちを抑えることができなくて……」


 じっとラシェルを見上げながらそう告げるフィーの瞳からも、いつしか涙が溢れている。

 うむ。どうにも俺だけ置いてけぼりにされているような気がするんだが……。


「ボクは……いや、ボクが大人にならなければいけないんだね。これはきっと報いなんだ。あのとき、自分の気持ちから逃げてしまったボク自身への……」

「……そんなこと言わないで」


 涙をこぼしながら俯くフィーの頬を、今度はラシェルの手がそっと撫でた。

 彼女もまた涙を流したまま、しかし、その瞳に確固たる意思の光を宿してじっとフィーの顔を見つめている。


「あたし、自分と同じ気持ちを持つヒトに悲しい想いをして欲しくない。同じだけ強い想いを持ってるのに、一人しか報われないなんて、そんなのおかしいわ」

「ラシェル……?」


 フィーが再びラシェルの顔を見上げた。

 二人の視線がしばし交錯する。


「あたし、フィーとなら一緒にキョウスケを愛していけると思う。だって、こんなにも互いにキョウスケのことを必要としているんだもの。フィーは、そう思わない?」

「ボクは……うん、ボクもキミとなら一緒にやっていけるような気がするよ。ボクたちはきっと、キョウスケという男に人生を狂わされてしまったんだね……」


 そう言って、二人は互いの手を強く握り合っていた。

 ——うむ。なんかおかしなことになってないか?


「フィー、改めてになるけど、あたしたちに村のことを案内してもらってもいい?」

「うん、任せて。良かったら、夜はここで歓迎会をさせてもらえないかな? 大したものは用意できないけど、精一杯のもてなしをさせてもらうから」

「ホント? ありがとう! キョウスケも良いわよね?」


 何故かすっかり良い感じになっている二人から同時に明るい表情を魅せられて、俺はもう了承するより他になかった。

 いったい何がどうなってるんだ……?

 誰か親切な人がいたら詳細な状況の説明をお願いしたいところなのだか……。


 ともあれ、俺たちはそれからフィーに案内されるままに市場と牧場の販売所、それから村外れにある精肉店に立ち寄って、野菜や乳製品、肉類を買い込んだ。

 そして、フィーの召喚した家事妖精に手伝ってもらいながら料理を作り、彼女が自宅から持って来たという年代物の葡萄酒を飲みながらその日の晩は三人で宴を楽しんだ。

 色々あったが、ゴールジ村で過ごす最初の一日がこれほどまでに充実したものになったことは、まさにこれ以上ないほどの僥倖だった。


 少なくとも、満腹満足のままにベッドで眠りに落ちるまではそう思っていた。


     ※


 ――ベッドの軋む音が響いている。


「んあァ……おっきい……んンッ……」

「すご……ちゃんと入るのね……」

「そ、そんなに見ないで……んッ、ダメ……!」

「キョウスケ、次はあたしだからね……ん……はむ……」


 ――折り重なった影は蠢き続けている。


     ※


《スキル強化の条件を達成しました。【絆・契り】が(2)に強化されました》

《スキル派生の条件を達成しました。【絆・プライド】を獲得しました》

《スキル派生の条件を達成しました。【絆・復縁】を獲得しました》


:絆・プライド 【獅子は一頭の雄が複数の雌を従えた群れを形成する習性があり、このような集団をプライドと呼びます(自身に特定の感情を持つ仲間が複数いた場合、互いに協力関係を結びやすくなります。また、本スキルは【絆・嫉妬】【絆・独占欲】および【絆・恋の鞘当て】【絆・修羅場】の効果を抑制するものではありません)】

:絆・復縁 【強い絆は綻ぶことはあっても絶たれることはありません(法術【キュア】を獲得)】

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