第十一章 元カノ
フィオレニア——ホビット族とエルフ族のミックスという珍しい血筋の女性である。
正確な年齢を教えてもらったことはないが、少なくとも俺の倍以上は生きているとのことだった。
昔は何処かの大きな街で学者をやっていたらしいのだが、あるときに学会に嫌気がさして出奔、以来、趣味である絵描きをしながら世界を旅するようになったのだという。
そんなフィーと出会ったのは、俺がこの世界に降り立った直後のことだ。
俺たちはこの村の宿『水蝶』に寝泊まりをしており、部屋も隣同士ということで自然と交流を深めることになった。
「最初は単純に絵のモデルとして興味があったんだよ。人間でここまで逞しい体をしている男なんて見たことがなかったしね」
カウンターに座るフィーが、何処か懐かしむような面持ちで言った。
彼女の座っているカウンターの奥にはこの店で唯一の大きな窓があり、そこからちょうど平屋のような建物が見えている。
ひょっとしたら、そこが俺たちが借りる予定の空き家なのかもしれない。
「ほら、そこに飾ってある絵を見てごらん」
そう言って、壁にかけられているデッサン画を指し示す。
そこに描かれているのは筋骨隆々な男性の絵で、よく見るとそれは俺をモデルに描かれているようだった。
もう一年前のことだから正確な回数までは覚えていないが、確かに俺は何度かフィーにヌードモデルを依頼されたことがある。
壁に飾られたデッサン画は意図的に顔の描写を曖昧にしているようだが、左胸に描かれたホクロが暗に俺をモデルにしていることを仄めかしている。
そして、驚くべきことに、ラシェルもすぐにそのことに気がついたようだ。
「このホクロ……これ、キョウスケってこと?」
「分かるんだ。そう……キミたち、もうそういう関係ってことだよね?」
フィーが光を感じさせない暗い瞳でこちらを見つめてくる。
いや、ほら、一年も一緒に旅をしてれば着替えを見られることもあるし、別にホクロの位置くらい……ねぇ?
「夫婦なんだから、それくらい当然でしょ?」
しかし、ラシェルは思いの外あっさりとそれを肯定した。
容赦なく宣言していくスタイル——!
ついさっきまで頭から湯気を出していたとは思えないぜ……。
「ふうん……まあ、キョウスケの初めてをもらったのはボクだけどね」
こっちもこっちで斬り込んでいくスタイル!?
ま、マズい。フィーはフィーでまったく引く気はないらしい。
このままでは、俺の身と心が保たぬ……。
「絵描きとモデルの関係から一線超えちゃったってこと? ……ていうか、キョウスケ、この体を抱いたの?」
ラシェルもラシェルで暗く澱んだ視線をこちらに向けてきていた。
し、仕方なかったんです!
当時は俺もちょっとまだ他人との距離感の測りかたがよく分からなくて、なんかこう誘われるままホイホイと……。
「お互いに初めてだったからね。それはもう猿のように求め合ったものだよ」
や、やめろ! 誤解を招くようなことを言うな!
「……まあ、分かるわよ。キョウスケ、昔っから上手だったのね……」
なんか別の意味で誤解されてる……!?
「あんた、なんでキョウスケと別れたの? ……ていうか、別れたのよね?」
——と、何か思うところでもあったのか、それまでの剣呑さを少し引っ込めながらラシェルが訊いた。
フィーは少し戸惑うように目を瞬かせたあと、ふっとその口許に苦笑を浮かべる。
「怖くなったんだよ。それまで、自分が感情と肉欲に溺れてしまうことなんて想像したこともなかった。このままでは自分が壊されてしまう気がして、それで……逃げ出したんだ」
そう言うフィーの表情には、一抹の悔恨のようなものが浮かんでいるような気がした。
一年前、フィーは何も言わずにこの村から姿を消した。
あまりに唐突なその出来事に、さすがに当時は俺も大きなショックを受けたものだ。
今日のこの瞬間まで彼女がこの村を去った理由なんて知りもしなかったし、それもあって俺は未だに自分が他者との絆をうまく結ぶことができないのだと痛感した。
俺がこの村を出て冒険の旅に発ったきっかけの一つと言っても過言ではないかもしれない。
もっとたくさんの出会いを通じて見聞を広める必要があると思ったのだ。
「でも、情けないことだけど、すぐにまたキョウスケのことが恋しくなってしまってね。今さらどんな顔をしてとは思ったし、随分と悩んだんだけど……けっきょく、この村に戻ってきてしまったんだ。まあ、もうキョウスケは旅に出てしまっていたんだけど、それでもここにいればいつかまた出会える気がして……そして、本当にまた出会えた」
いつしか俺を見るフィーの目にはうっすらと涙が溜まっているように見えた。
そこまで再会を喜んでくれるなんて……。
いや、それ自体は確かに嬉しくはあるのだが、ちょっとなんていうか、やっぱりこう、今はいろいろと問題があると言うか……ねぇ?
「運命はボクの味方だった……」
しかし、フィーは俺の葛藤など気づいた様子もなく、自分の腕で自分の体を抱きしめながら感動に打ち震えているようだ。
うーん、こんなキャラだったっけなぁ……。
「違うわ。運命はあんたをさらなるドン底に突き落とすことにしたのよ」
——と、今度はラシェルが俺の腕を強引に引っ張り、そのまま強く抱きすくめてくる。
「キョウスケを捨てて逃げ出すような女に、明るい未来なんてないわ! あんたはこれからわたしたちがラブラブチュッチュなハッピーライフを送るさまを指を咥えて見ていることしかできないのよ!」
うおお!? めっちゃ煽るやん!?
そういうのやめて仲良くしようよォ!
「……なるほど。キミがそういう態度に出るのなら、ボクも遠慮する必要はないってことだね。キョウスケにとって本当に相応しいのは誰なのか、たっぷりと教えてあげるよ」
「やってみなさいよ。過去はいつだって未来に上書きされるってことを証明してあげるわ」
バチバチと両者の間で火花が散っている。
くそう、こんなことになるならゴールジ村に戻ろうなんて言い出すべきじゃなかった。
この展開はさすがに予想外すぎる。
——と、ここで待ってましたとばかりに脳内音声が鳴り響いた。
《スキル派生の条件を達成しました。【絆・修羅場】を獲得しました》
いやはや、【絆・恋の鞘当て】が可愛らしく思えてくるぜ……。
※
あれから俺は文字どおり一触即発の雰囲気で睨み合うラシェルを引っ張って強引に雑貨屋をあとにすると、本来の目的地である空き家に向かうことにした。
村長が教えてくれた空き家は雑貨屋のほとんどすぐ真裏に建っていて、思った以上のその近さに俺は早くもこれからの生活が不安になってしまう。
鍵を開けて中に入ってみると、中はちょっと広めのワンルームという装いで、入ってすぐ左手の壁側に釜戸や炊事場があり、右手側にはベッドが二つ設えられていた。
部屋の中央には木製のテーブルと椅子が二脚あって、どうやらもともと二人暮らしを想定された内装になっているらしい。
村長が言うほどカビ臭いとは感じなかったが、さすがに埃っぽさは感じる。
とりあえず換気を行いつつ、ベッドのマットや寝具については日の出ているうちに少し干しておいたほうがいいかもしれない。
「へええ、すぐに生活できそうね。村長さんに感謝しなきゃ」
部屋の隅に荷物を置きながら、ラシェルが言った。
俺も背負っていた盾と剣を置き、鎧も外していったん身軽になる。
これから先のことは追々考えていくとして、まずは住環境を整える必要があるだろう。
食事に関しては無理に自炊しなくとも『水蝶』に行けばこと足りるが、とはいえ、すべての食事を外食で賄うというのもいささか不健全であるような気はした。
今のところ資金にゆとりはあるが、これからは村長にこの家の家賃を払う必要だって出てくるだろうし、いつまでその状態が続くかは分からない。
多少は自炊ができる環境を整えておいたほうがよいだろう。
幸いにも前生で一人暮らしをしていたことや、ボディビルの減量末期にはとくに食事に気を遣っていたこともあり、自炊については知識も経験もある。
筋肉のためには健康的な食事が何よりも重要だからな。
「とりあえず、掃除でもする? 陽のあるうちに買い出しに行ってもいいけど」
ラシェルがベッドの寝具に積もった埃を指先で払いながら訊いてくる。
埃まみれのベッドで寝て風邪でも引いたら大変なので、とりあえずは先にそのあたりの掃除だけでも済ませておくか。
物干し台は庭先に設置されていたはずなので、ラシェルに寝具を干してもらうよう頼み、俺はマットを担いで外へ出ると、そのまま屋根の上に広げて天日干しにした。
掃除用の箒やハタキはさすがに備えられていなかったので、このあたりは雑貨屋で買う必要があるかもしれないな……。
「箒と言えば魔女……魔女と言えば『魔女のアトリエ』さ」
――と、急に視界の外から耳に覚えのある声が聞こえ、ギョッとして振り返る。
俺の心でも読んでいたのか、そこには両手に掃除用具を携えたフィーが立っていた。
※
:絆・修羅場 【激しい愛憎劇はときに貴方自身を巻き込むでしょう(【絆・恋の鞘当て】発動時、自身の全ステータスに1.1倍補正)】
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