第九章 あのヒトは大丈夫
「へええ、長閑なところねぇ」
あれからとくにトラブルに見舞われることもなく、俺たちは無事にゴールジ村に辿り着くことができた。
ゴールジ村は森と山に囲まれたいかにも辺境の小村といった趣の村だが、大陸西端の港町とノティラスの中間に位置することもあって、意外にも人の往来は多い印象である。
門をくぐってすぐ目の前には牧場が広がっており、敷地内に養鶏場もあるためか牛だけでなく鶏の鳴く声まで響いてきていた。
ラシェルが牧草地のほうに向かってふらふらっと歩いていき、柵に手をかけながら興味深そうに中の様子を窺っている。
「放牧はしてないのかしらね?」
うむ……? 言われて気づいたが、確かに牧草地に家畜の姿が見当たらないな。
そろそろ夕刻に近い時刻ではあるが、普段ならまだ放牧をしていてもおかしくない時間帯のはずだ。
俺がこの村の世話になっていたころに何度か牧場の手伝いをしたことがあるのだが、いつもは日が傾きはじめるまでは家畜を外に出していた記憶があった。
とはいえ、あれからもう一年は経つわけだし、今はもう放牧自体をあまり行わない酪農法に変えたという可能性もある。
放牧は放牧で意外と手間もかかるからな……。
「……ひょっとして、キョウスケか?」
不意に視界の外から声をかけられた。
振り返ると、放牧地から道を挟んで向かい側にある農場のほうから、若い女性が歩いてくる姿が見えた。
見覚えのあるその女性の名は、マリーベルだ。
この牧場を経営しているホビット族の夫婦の一人娘で、年は確か二十歳かそこらだったと記憶しているが、種族的な特徴で見た目的には人間族でいう十代半ばほどに見える。
オレンジ色っぽいお下げの髪に快活そうな瞳の色は澄み切った空のような青色、綾織り生地のサロペットに麦わら帽子という格好はいかにも牧場の娘といった装いだ。
一年前と変わらぬその姿に、俺はなんだかノスタルジックな気持ちになってしまった。
「やっぱり! 久々だな! 帰ってきたのか?」
俺の顔を見たマリーベルが破顔し、泥まみれの軍手を外しながら駆け寄ってきた。
懐かしむように俺の手を取ってブンブンと振り回し、そのまま牧場の柵に背を預けて何故か唇を尖らせているラシェルのほうに顔を向ける。
「その娘は誰だ? 嫁を見つけてきたのか?」
マリーベルはニコニコと笑いながら無邪気に訊いてくる。
さっそく俺の覚悟が試されるわけか。
だが、不意打ちならいざ知らず、あらかじめ腹を括っている俺に動揺はない。
「ああ、旅先で出会ったんだ。この街でしばらく二人で暮らさせてもらおうかと思ってる」
俺がそう言って肯定すると、マリーベルはパッと表情を輝かせて、そのままドタドタッとラシェルのほうに向かって駆け寄っていった。
一方、ラシェルは何故かこちらに顔を向けたまま目を見開いて硬直しており、その顔だけでなく耳の先まで真っ赤に紅潮させている。
あ、コイツ……俺にはあんなふうに強気なこと言っておいて、実は自分のほうがちっとも腹を括れてなかったパターンだな……?
「可愛らしい子だな! わたしはマリーベルって言うんだ! 名前はなんていうんだ?」
「あ……えと、ラシェル……って、言います」
マリーベルに強引に握手をされながら、しどろもどろにラシェルが答える。
まあ、これはこれで可愛らしいから良しとするか。
どのみち、村の知り合いに挨拶をする機会はまだまだあるだろうから、いずれは彼女も慣れてくることだろう。
「この村で暮らすつもりなら、村長に挨拶してきたらどうだ? 確かちょうど二人で暮らせそうな空き家があったと思うぞ」
そう言いながら、マリーベルがこちらのほうまで戻ってくる。
そして、何故か急に俺の腕を掴んできたかと思うと、そのまま少し離れたところに無理やり引っ張っていかれた。
いったいどうしたというのだろう。
ラシェルはまだ動揺が覚めやらぬのか自分の掌を見つめたまま俯いており、マリーベルの唐突な行動に気づいた様子は見られない。
「お節介かもしれないが、雑貨屋には行かないほうがいいぞ……」
ラシェルに気づかれないようにするためか、俺の体に隠れるようにしながらマリーベルが小声で告げた。
雑貨屋……? そもそも、この村に雑貨屋なんてあっただろうか。
確かこの村では宿屋の一階にある酒場が日用品の販売なども行っていて、実質的に雑貨屋も兼ねていたような記憶があるのだが。
「半年くらい前にできたんだ。ただ、そこの店主が……な! 分かるだろ?」
いや、さっぱり分からんが……。
しかし、マリーベルはそれ以上は言及せず、そのまま農場のほうへ戻ってしまった。
俺がなんとも言えない心持ちでその後ろ姿を見送っていると、背後からようやく気持ちを落ち着けたらしいラシェルが歩み寄ってくる。
「気持ちの良いヒトだったわね。もう少しちゃんと話をしたかったわ」
まあ、この村で過ごしていればまた話す機会もあるだろう。
というか、こんなことを言うのもなんだが、別に女性相手だったら誰に対しても警戒心を抱くわけではないんだな。
「あたしだって相手くらい見るわよ。あのヒトは大丈夫。そういう感じはしないから」
そういう感じねぇ……。
俺にはその辺りの機微はいまいち分からないが、ラシェルならではの女の勘というものがあったりするのかもしれないな。
しかし、マリーベルが言い残した『雑貨屋には行かないほうがいい』という一言がどうにも気になる。
俺が覚えているかぎりでは、顔を合わすことを躊躇われるほど険悪な関係だった者なんてこの村にはいなかったと思うのだが……。
――と、そんなことを考えていると、唐突に脳内音声が鳴り響いた。
《スキル派生の条件を達成しました。【絆・郷愁】を獲得しました》
おお、絆は必ずしもヒト対ヒトにかぎらないということか。
というか、微妙にタイムラグがあるのは空気を読んでくれてるのかな。
この脳内音声さんはいったい何者なのだろう。
神の使者とかそんな感じなのかな……。
「ねえ、村を案内してよ。それとも、先に村長さんに挨拶に行く?」
ラシェルが俺の手を取って歩き出し、俺も引っ張られるように歩き出す。
女の子と手を繋いで歩くとか、よくよく思い返してみれば前生も含めて初めての経験かもしれないな……いろいろと順序が逆になってしまったが……。
門から続く道は真っ直ぐ村の中心部まで続いていて、中央にある広場のあたりで村長の家に続く道と北の岩山方面に続く道、それから海沿いに出る西門に続く道に分岐する。
中央の広場では村の住人たちによる露店が開かれていて、今日も畑で取れた野菜であったり果物だったりの売買が行わていた。
ここではたまに港町やノティラスを目指す道中で立ち寄った行商人が移動商店を開くこともあって、そういうときはちょっとしたお祭り騒ぎになるのも特徴である。
意外にも村の住人は俺のことをよく覚えてくれていて、皆一様にすれ違うたびに声をかけてくれた。
こういった長閑で親切なヒトばかりな環境だったからこそ、俺は今生で絆を大切にしようと思うことができたのだ。
やはりこの村に戻ってきてよかった。
一方、出会うヒト出会うヒトに嫁だなんだと紹介されることになったラシェルはすっかり恐縮してしまったようで、気づいたときには俺の背中に隠れて小さくなっていた。
「勢いで紹介しろなんて言わなきゃよかった……」
広場を抜けて村長の家に続く道に入るころには、ラシェルは頭から湯気が出るのではないかと言うほど完璧に茹であがっていた。
※
:絆・郷愁 【故郷の存在はあなたの心に安らぎを与えるでしょう(法術【リフレッシュ】を獲得)】
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