第5話



 急いで立ち上がり、不審者の体を掴もうと思った。


 なんとかしなきゃと思った。


 相手は俺よりも身長が高い男だった。


 しおりと男の体格差は、火を見るより明らかだった。


 時間の問題だと思った。



 早く助けなきゃ——





 ザッ



 地面を蹴る音がして、途端にスカーフが揺れる。


 紺色の上着と、白い運動靴。


 空気が弾むような伸びやかな波長が、視界の中心を通り過ぎた。


 何かがぶつかったような重い振動が、手に触れられる間際まで近づいていた。


 浮き上がるような輪郭がせり立つ。



 ナイフが、視界のそばを横切る——




 「——え」




 空気が、切り裂かれる。


 千切れた風の繋ぎ目が、わずかなほつれもなく転がり落ちた。


 「音」はなかった。


 「そこ」に。


 あるのはゆらめくスカートだけで、静かな吐息でさえはためかない。


 男は覆い被さっていた。


 長い足と腕を使って、しおりの体を押し倒そうとしてた。


 力ずくで振り解こうとしていた。


 掴まれた手首を手前に引き、体勢を持ち直そうとしてた。


 明らかに不利な状況だった。



 ——しおりが。



 彼女にできることなんて何もないと思った。



 ほんのわずかな、抵抗でさえ。

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