二話 空の器に注がれるのは

 名無しの発言「殴り合いすっか」に驚いているのは僕だけでなく藍もだった。


「師匠、目覚めたからってアオキはさっきまでぶっ倒れてたんだぜ。いきなりそんなことしたら死ぬんじゃねえの?」


 名無しは笑みを浮かべていた。


「いやあアオキの回復は思ったより早くてな、起きたのは今日だが体はもう動くんじゃあないかな?」


 名無しに催促されて体を動かした。鉛の様に重いがしっかりと動かすことができた。


「ちゃんと動きます。本調子じゃないみたいですが」


 藍が動揺していた。


「そんなこと有り得んのか!?師匠がアオキを連れて来た時虫の息だっただろ!?」


 名無しは煙草を持ち、左手をポッケに突っ込み何かを探しているみたいだ。


「まあアオキの異能が身体に影響を与える能力か、相当強いのどっちかじゃねえかな、強い異能持ちは頑丈だからなあ。アオキ、煙草吸っていいか?」


 名無しは左手にライターを持って僕の返事を待っていた。


「どうぞ」


 名無しはにやりと笑った。


「いいよな藍」


 藍は少し不機嫌そうな顔をして目を逸らした。

 部屋中に煙草の臭いが広がる。この体は煙草を吸っていたのだろうか。あまり嫌悪感はしなかった。名無しが深く息を吐く。


 「まあ本題だが、アオキ、お前がどのくらい動けんのか知りたいんだ。異能持ちってのは狙われる運命にあるからな、どのくらい自衛できるのかってのは大事なんだ。まあ弱っちくても鍛えてやるから存分に殴られていいぞ」


 力試しで殴り合いって少し暴力的じゃないかな…? けど自分が何者か知るにはいい機会かもしれない。


「わかりました」


 僕は多少の痛みを覚悟して返事をした。


「そんじゃあ、部屋変えるか」


 僕は名無しについて行った。途中廊下にあった鏡を見つけ自分の姿をを見た。身長は百七十センチ程だろうか? 自分の体は引き締まっていて筋肉質だった。顔は思ってたよりも若そうな顔をしていて、二十歳は超えてなさそうだった。服装は黒い長袖の服と、緩めのズボンを履いていた。

――意外と強そうだな……


「此処がいいな」


 名無しが連れて来た部屋は、さっきいた部屋から想像はできないほど大きな部屋だった。小さな体育館ぐらいはあるんじゃないんだろうか?


「大きいですね」


 名無しが軽く笑った。


「まあ、私の能力のせいだな。この家は曖昧なんだよ色々な」


 名無しにはどんな異能があるのだろうか?

 少し疑問に思ってるとそれに気づいたのか名無しが反応した。


「私の異能が気になるか?それは異能持ちには聞いちゃなんねーぜ。仲間内でも異能の内容はそうそう明かさないもんだ。異能の内容を知られてる相手と戦うのは、手札を晒してババ抜きしてる様なもんだからな。お前も自分の異能に気づいても内容は明かすなよ」


 名無しはクスッと笑って補足した。


「まあ私は手札を晒しててもババ抜き勝てるくらいには強いけどな。機会があったら話してやるよ」


 名無しの台詞は自信に満ち溢れていて嘘には到底思えなかった。


「そんじゃあ藍とアオキ殴り合あってくれや」


――貴方じゃないんですね、殴り合いするの。


「師匠、私がやるのか? 別に構わないけど、手加減できねえぞ」


 藍の声はさっきよりも殺気だって聞こえた。


「まあ死ぬ前に私が止めるさ。好きにやってくれ」


 多少の痛みは覚悟したが、思ったよりずっと痛いかもしれない。死ぬほど。


「だってよアオキよろしくな。ハンデで能力は使わないでやるよ」


 藍が少し笑った。彼女の笑顔は殺気に満ちていたが、美しかった。

 対面してみると藍は自分の体よりも一回り小さくて、なんとかなるんじゃないかと、そう思った。逆に彼女に勝つこともあるかもしれない。

 そんな考えは名無しが手を鳴らした瞬間に吹き飛んだ。

 腹に鈍い衝撃が走る。藍の拳が直撃していた。

 間髪入れずに左側から拳が飛んでくる。

 避けることが出来ず顔に直撃。反動で後ろに転がったが反動を利用してそのまま立ち上がる。

――力つっよ。

 彼女に殴られた腹と顔はまだじんじんと痛んでいた。


「反撃しねーとつまらないぜ」


 距離を詰められる。しかしその移動は直線的で見切るが出来た。

――右からくる!

 体を後ろに倒し拳を避ける。そして彼女のガラ空きの体を殴った。

 虚しくも拳は空を切る。藍は姿勢を低くしていた。彼女は軸足を中心にしコマの様に回る。回し蹴りが勢いよく僕のガラ空きの顎に入った。


 目が覚めると、僕を名無しと藍の二人が覗き込んでいた。藍が口を開く。


「アオキやっぱ頑丈だな骨の一つや二つ折ってやる気でいたんだが、どこも折れてなかったぞ」


――これは褒められたと認識していいんだろうか…?


「もう夕方だし飯でも食べに行こうか」


 どうやら名無しがご飯を食べさせてくれるらしい。自分は立ち上がって、藍に挨拶した。


「双月さん。手合わせありがとうございます」


 藍は少し驚いた表情をしていたが、それは直ぐに愛情に満ちた穏やかな表情に変わる。


「藍、でいいぜ」


 名無しからブラウンのウィンドブレイカーを渡される。


「お前が倒れた時に着てたやつだ」


 そのウィンドブレイカーからは洗剤の匂いがした。




 名無しに連れられてきたのはファミレスだった。名無しが席につくと一言。


「いっぱい食べろよ、いつ死ぬかわからないからな」


 名無しはハンバーグ、藍はステーキ、僕はオムライスを頼んだ。腹の鳴る音がする。

 出てきたオムライスはデミグラスソースとフワフワの卵とよく合っていて美味しく夢中になって食べてしまった。

 気づいたらオムライスが半分ほどなくなっていた。


「あれだな、アオキって記憶喪失なんだろ、もっと混乱したりすると思ってたんだけ淡々としてんな」


 藍が食べるのを中断し話し始めた。名無しの方にも目をやると黙々ハンバーグを食べていた。


「記憶喪失なんだけど、自分が何をしてたか、何者か、以外の一般常識とかの記憶は残ってるからかなあ。なんか客観的に自分のこと見れてる気がする。けど家族とかが僕のこと探してたら、申し訳なく思うなあ」


――自分を探してる人間はいるんだろうか? 警察に言った方がいいんだろうか?


「まあ道路に血まみれに倒れてるやつがまともな生活してたとは思えなけどな。まあそれが心配なら私がツテ使って探してやるよ。お前の家族」


 名無しがデザートを選びながらそう言った。なんだかんだで優しい人何だな。



 ご飯を食べ終えると名無しはどうやら用事があるみたいで、藍と僕の二人で先に帰ってくれとのことだった。


「アオキはなんかしたい事とかある?」


 藍に尋ねられる。


「自分がどんな人間だったか知りたいかな」


 藍はクスッと笑った。


「そっかそうだもんな。ごめんな変な事聞いて。私もアオキもアオキのこと知りたくてしょうがないな。」


 彼女の笑顔はとびきりに可愛かった。


「私の異能話してもいいぜ。いつか一緒に戦う時に役に立つかも知れないもんな」


 藍がそう言ったのと同時に雷鳴の様な轟音が轟き、歩道で歩いていた人が吹き飛ぶ。その衝撃の中心には二人の人間が立っていた。一人は金髪の大柄な男で、もう片方はナイフを持った黒髪の男だった。

 僕が彼らを正確に捉えるよりも早く藍はどこからか刀を取り出し彼らに斬り掛かっていた。

 だが刀は黒髪の男に防がれた。


「なあお嬢ちゃん俺とデートしないか?じゃないといっぱい人が死ぬぜ」


 男はそう言って距離を取り始めた。


「コイツ片付けたら直ぐ戻る。その前に死ぬなよ。お前の事気にいってんだからな」


 藍はそう言って男を追いかけた。


「俺を無視するとは不敬な女だな」


 金髪で大柄な男はただならぬ雰囲気を醸し出していた。


「そういえばまだ名乗っていなかったな。俺の名前はバーンズ・ロウ。この名前を魂に刻み込んで死んでくれ」

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