第16話 保健室で

 ガラリとドアを開けると、保健室の独特な匂いが漂ってきた。

 無菌を徹底した無臭が、鼻をツンとさせる消毒液の匂いを引き立たせる。


 ベッドは2台設置されており、そのどちらもカーテンで仕切られている。

 養護教諭が使うであろう机には誰もおらず、ここにいるのは俺たちだけなのだろう。

 ゆかをベットで寝かせ、打った箇所を包帯で巻いて俺もベッドで寝て過ごそう……そう思った時だった。


「ねぇ、ちょっといいかしら」


 どこにいたのだろうか、保健室の教員が俺に声を掛けてきた。

 前川燈子まえかわとうこ、くるぶしまで伸びた長い白衣を身に纏い、常に椅子に腰掛けてはパソコンと向かい合っているミディアムヘアーの女教師。

 黒縁眼鏡と、ぽってりと潤った唇がとても蠱惑的な印象を受ける。


「デートのお誘いですか」

「バ~カ、そこのお姫様はどうしたの」

「えっ、そこで倒れてたので拾ってきました。嫉妬ですか?」

「アンタに嫉妬なんてないわよ、アタシはガキには興味ないの」


 前川先生とはいつもこうだ。

 ふざけたやり取りのできる、数少ない相手である。


 何故かは分からないが、よく俺にカウンセリングをしてくれる。

 必要ないとは思っているのだが、しょっちゅう絡んでくるからついお願いしてしまう。


「で、なんで血を流してるの」


 だけど、今回は話が別だ。

 俺は加害者の疑惑を掛けられている。


「間谷先生に引っ張られて頭を打ちました」

「間谷が? どうして」


 正直に言うとマズいので、嘘を交えて正直に話した。


「俺が身だしなみを崩して間谷に近づけって命令したんだ」

「は? 何言ってんのアンタ、まぁいいや。ていうかアンタってこの子のカレシよね? 少しだけ噂になっているわよ」

「え」


 何故知っているんだと思った。

 罰ゲームなのだから、あまり周囲には認知はされていなかったハズなのだが……もしかすると、佳乃か歌乃がバラしたのか?

 となれば、佳乃だろうか。よく保健室へサボりに来る奴だったし。


「まぁ、そんな感じですかね」

「煮え切らない返事をする男嫌いよ」


 大人の言う『嫌い』は少しだけ心にくるものがあるが、やせ我慢。


「や、そういうの知られると恥ずかしいんで」

「ふぅーん」


 まるで俺を、好奇心が先走ってしまい『ミスってブスと付き合ってしまったので、隠したがっている恋愛初心者』を見るような、薄白い目で俺を見ていた。


「まぁ、別にいいんだけどね」


 そういいながら先生は血を拭い、包帯を巻き始める。


「まぁ、顔に傷がなくて良かったわ。でも頭を打ってるからしばらく安静にしておきましょう」

「そうですか」

「もう少し心配そうな顔をしたらどうなの」


 そんな素っ気ない態度だっただろうか、と頭を傾げる。

 すると、前川教諭が尋ねてきた。


「アンタも変わってるけど……この子って変よね?」


 ゆかが気絶しているのを良いことに、こんな事を言う。

『変』と『変わっている』の言い方の違いはとても大きい。


「そうだな、だいぶ変だな」


 変わっているという言い方なら、周囲とは上手く溶け込めないでいても、まだ許せる部分はあるといった、希望があるようなニュアンス。


 だけど、前川の言った言葉は『変』。

 教員が生徒にいうことではないだろうけど。


「なのに、貴方がこの子と付き合っている……もしかして、身体?」

「そうそうー、なのに先生が朝から保健室に常駐しているなんて」

「確かに私って邪魔そう、ここは保健室だものねぇ」


 上手く本題から逸らす為に、棒読みや冗談でかわす。

 ゆかがイジメを受けている事は、とっくに認知しているかもしれないからだ。


「この子って良い身体つきしているものね。小さくとも全てを包み込めそうなこの幼児体型は、乱暴に襲い掛かっても好き放題出来る〝器〟なわけで、男の欲棒を吐き出すのに適している。そして、程良く肉付きの良く、張り・潤いのある肌は胸にも——」

「性に敏感な年頃の高校生にはキツいからやめろ」


 前川もかなり『変』だ。

 唐突に話を逸らしてくるので少しペースが乱されてしまう。


「で、この子って普段から何されているの?」


 ここで不意を突いてくる。

 俺の油断を誘って核心を突こうとしたのだろう。だけど、冷静に答えた。


「陰で女子から悪口言われたりしているみたいですね」

「へぇ」


 あくまで、それっぽい事を言っておけば良い。


「多分、嫉妬しているんだろうよ。ちょっと可愛いから男子が気を引くのも無理はない。それに加えて、天然なところがあるから、そこが女子の癪に障るんだろ」


 と、俺の慧眼を語ってやった。

 少しだけ納得のいかないような表情で無理矢理、理解しようとしている前川。


「まぁ、そういう事にしておきましょう」


 やっぱり、納得はしていなかった。


「ちゃんとこの子を守ってあげなさいよ、彼氏なんでしょう?」


 罰ゲームでの、だけどな。

 真っ黒な感情を押し殺して、理想の生徒を演じてみせた。


「もちろん、俺はコイツの彼氏だからな」


 そして、玩具でもある。

 俺の言葉に感化されたのか、前川は目を丸くしていた。


「……貴方って、少し変わったわね。一体どうかしたの?」

「変わったって、いつも通りだろ?」

「なんか違うのよね、この子と付き合っているから? そもそも、貴方って女の子を保健室に運ぶような性格タチじゃないでしょう。どういう風の吹き回し?」


 ラブコメ主人公のような運命に恵まれてしまったのか、それとも俺の正義感が放っておけないとか、色々言い方はあるけれど——


「さぁ、なんか気まぐれが過ぎただけかな」


 一番、これが自分に合っている気がした。


「まぁ、そういう事にしておきましょう」


 口角を緩め、唇に人差し指を添えながら言った。

 それに安堵していていると、前川はこうも続ける。


「どうでもいいけれど、あんまり悪さしすぎないようにね。人の道を逸れるような」

「別に人の道逸れているつもりはないんですけど」


 失礼な、俺のどこが人の道を逸れようとしているのか。

 すると、前川は少し溜め息をついて


「まぁ、この話はこのくらいにしておきましょうか」

 とりあえず、この子は大事にしてあげなさいよ。アンタの彼女なんだから」

「……うす」


 言われなくても分かっている、という目付きで返事をする。

 そして、予鈴が鳴った。


「先生、俺もベッドで寝ていっていいですかね」

「アンタはどこも悪くないでしょ、さっさと授業を受けておいで」

「でもコイツが心配で」

「サボりたいのバレバレだから。はぁ、可哀想に……サボる為の理由に使われて、こんな奴の何が良いんだか……」


 ゆかの頭を撫でて、同情し始める前川。

 少し居心地が悪くなってきたので、俺は教室に戻ることにした。

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