第4話 川味麻婆豆腐(四川風麻婆豆腐)
楽々でメニュー表を広げた俺とユキさんは、またしても「これは何なのか」問題に頭を悩ませていた。とはいえ、今回はかなり穏やかである。いや、ピータンだって不穏ではなかったのだが。俺は気を抜くと、ピータンに無礼を働いてしまうのが良くない所だ。
今回は、「四川風と広東風は何が違うのか」ってことだ。麻婆豆腐の話である。
「すごいよね、四川と広東どっちも揃えてるなんてさあ」
「マイコーがこの店気に入るのも分かるな」
俺もマイコー呼びが染み着いてしまった。ユキさんがスマホで検索すると、あっさり答えが出てしまった。
「えっとね、四川風は花山椒が効いてて舌が痺れるような風味、広東風はオイスターソースでコクを出していて辛みは抑えめ、らしいよ。たまにあるねぇビリビリ来る麻婆豆腐。あれ美味しいんだけどね」
山椒、と来たか。俺は、ウナギを食べる時山椒はかけないし、日常生活で山椒に遭遇することがほぼない。麻婆豆腐を食べて舌が痺れた経験もないから、多分俺は「四川風麻婆豆腐」は食べたことが無いのだ。
「ミライくん、どっちがいい? やっぱ広東?」
やっぱって何だよ、と思うが、俺の食歴からしてもまぁそれが順当なんだろう、とは思う。ユキさんは分かっている。
「いや、四川で」
「えっ、大丈夫? 結構辛いし、唐辛子系の辛さとちょっと違うよ?」
「大丈夫」
俺は、ビリビリ来る山椒の辛さを選択した。
「ユキさん、今日は検索したな。また隣のテーブルの人に声掛けたらどうしようかと思った。メニューに疑問ある時いっつもあんなことしてんのか」
「流石にそんなことないよ? あの日は普通の精神状態じゃなかったからさ!」
確かに二人とも追い込まれてはいたけれど、同じ状況でも俺はそんなことはしない。
「ユキさんは初めて会った時もいきなり話し掛けてきたからな」
「いやいや、お客さんに『いらっしゃいませ』とか『ご注文は』とか話し掛けるのは普通でしょうよ!」
やっぱり、覚えてない。ユキさんは多分、俺と初めて出会った場所はユキさんのカフェだと思っているだろう。でも、それは違う。俺達が初めて出会ったのは――
俺が高校に入学した四年前の四月一日は、それまでの誕生日とは全く様子が違った。一番分かりやすい違いは、ケーキがなかった、ということだ。当時の実家の近所には、小さいが美味しく評判のいいケーキ屋があり、誕生日は毎年、そこの苺のタルトを買ってもらうのが楽しみだった。
だが、あの年は、ケーキ屋は休業していた。ケーキ屋だけじゃない。居酒屋もレストランも、色んな飲食店が休業していた。客が来ない、ということもあるし、「営業している」こと自体白い目で見られるような、そんな時期だった。母さんが俺に
「残念ね。でもお店開いたらさ、また買お! ってその頃まだ苺出回ってるといいけどなぁ」
と言うと、父さんはこっちを振り返り、
「誕生日ケーキだ何だ、って、未来はもうそんな歳でもないだろ」
と言った。
父さんは、俺が未だに甘党だって知らないんだな、という驚きがあった。俺の誕生日も、何歳になるのかもちゃんと知っているけれど、俺が未だに、十五歳になってもあのタルトが大好きで楽しみにしていることを、父さんは知らなかったのだ。
俺の誕生日に父さんが家にいる。これもまた、例年と違うことだった。旅行会社に勤めている父さんが、ゴールデンウィークを控えた四月の平日にゆっくり家に居るなんて、ありえないことだった。そもそも「ゆっくり家にいる」こと自体レアだったんだけれども。
あの頃、外で「旅行に行こうと思ってる」なんて言ったら、大バッシングを受けていただろう。未知のウイルスに対して、俺達、いや人類が出来ることなんて、ただじっとしていることしかない、と皆が思っていた。父さんの会社でも、予約は軒並みキャンセルになったし、何年もかけて進めていた企画もどんどん頓挫していった。父さんが下見で海外に行った時に買ってきた置き時計が、リビングで存在を主張している。陶器の人形も、キノコのようなステンドグラスのランプも。母さんはこっそり「趣味が合わない」とぶつぶつ言いながらも、それらを、目立たない所に飾るなんてことはしなかった。
入学式は挙行された。第一志望の高校の、すかすかの体育館に、同じ服を着て同じようなマスク姿の同級生たちが並んでいた。俺は一瞬で、誰が誰かを覚えることを諦めた。母さんが
「未来は髪くるくるだから分かりやすくて助かるわ!」
と言って笑った。うるせぇな、と言ったし、うぜぇな、と思ったけれど、一方で、マスクをしても隠れないものを持っているという安心感はあった。その場に、父さんは居なかった。参列できる保護者の人数は二名までだから、来ようと思えば来れた。でも、父さんはスーパーに行くことすら躊躇うようになっていたから、入学式なんて人の多い場所に行くことに難色を示していた。
「未来も、もう両親揃って入学式観に来て欲しい、なんて歳じゃないだろ」
これに関しては、その通りだ。看板の前で親子三人で記念写真、なんて勘弁してほしい。ただそれは、俺が俺だからそう感じるのか、俺が十五歳だからそう感じるのかは、分からないけれど。
「山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、 頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。今は最早、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かった」
井伏鱒二の「山椒魚」の冒頭を、同じクラスの木村さんが、PC画面の向こうで読み上げた。ろくに登校する機会もないまま、オンライン授業ばかりの日々に突入していた。木村さんが木村さんだと分かるのは、画面上に「木村穂乃果」と表示されているからだ。俺は、クラスメイトの性格とか身長は知らないけれど、フルネームの漢字はかつてない早さで覚えることが出来た。
クラスの四十人が、四角い枠に表示されている。それは、俺達が箱に入れられ積み上げられているみたいに見えた。線一本隔てた隣に藤元大翔くんの顔があるが、俺達はこの箱から出て、宿題を写し合ったり、単語帳を渡して小テストの勉強に付き合ってもらうことはない。それは、俺達が十五歳あるいは十六歳になって、身体がデカくなったからでも、頭でっかちになりつつあるからでもない。山椒魚は悲しんでいるが、俺は、その状況が悲しいのかすらよく分からなかった。胡坐組んで授業受けられるのは悪くないし、私服は肩が凝らないから。
授業のあと、担任の先生が
「ホームルームをしよう」
と言った。随分会えていないし、お互いのこともよく知らないから、改めて自己紹介や近況報告をしていこう、という趣旨のことを言われ、だる、と思った。教室だったら、興味ない時は「興味ねぇな」という顔で聞いたり、窓の外を眺めてやり過ごしたり、あくびを噛み殺したり出来る。だがこの、リモート配信の全員平等の大きさで顔が表示されている状況だと、誰に目撃されているか分からない。名前と、粗い画質の顔くらいしか知らない間柄で、下手なことはしたくない。
そしてこういうものは、得てして盛り上がらない。出席番号順に淡々と「バスケ部なので早く先輩たちと練習したい」とか、「配信で連続ドラマを観ています」とか話していく。聞いている三十九人が「へぇそうなんだ」という顔をしている。
俺の番になり、
「四月が誕生日だったんですが、ケーキ屋が閉まっててケーキを食べられなかったので、営業再開したらケーキ食べたいです」
と言った。言ったそばから、自分で苦笑してしまった。昔読んだ、戦時中の子どもたちを描いた漫画を思い出してしまった。平和になったらケーキが食べたい。俺は、いつの時代に生きているんだよ。一年前に変わった元号は、もうすっかり馴染んでいるというのに。
いつも快活だった母さんが、だんだん参ってきていた。母さんは葬儀場のスタッフをしていて、外出が制限されている時期も、普段より多少出勤の回数は減ったものの、父さんや俺よりはずっと日常的に外出していた。
「長い闘病の最後の時期にさ、誰もお見舞いできないまま亡くなって、お葬式も、遠くの親戚は来られないから、ほんと限られた人たちで挙げるんだよ。そんなことばっかり」
そもそもが、人の悲しみに接し続ける仕事だから、気持ちを強く持たなきゃやっていられないだろう。気を張って、気を配って作り上げる葬儀が、遺族にとっても、多分亡くなった本人にとっても不本意なものだったとしたら。それが毎日続くとしたら、俺は母さん以上に落ち込んでいくと思う。
父さんも母さんも俺も、家の中でもマスクをしていたし、母さんは帰宅すると即シャワーを浴びていた。仕事柄とか、世間体とか、あとは父さんがどんどん神経質になっていったことで、俺達三人とも「絶対に罹ってはならない」と強く思うようになっていた。
いや、少なくとも俺は、思っていたわけじゃない。思わされていた。俺と母さんが斜めにテーブルにつき、父さんはキッチンカウンターで夕食をとる。父さんが背中を向けながら、
「昼間コンビニに行く途中、県外ナンバーの車が停まっててさ」
と腹立たし気に言ったことがあった。母さんも、参列者が少なくても亡くなる方が極端に減ることは無いわけで、むしろ少ないスタッフで回さなければならず毎日疲れ果てていた。もし俺が今罹ったとしたら、真っ先に両親が抱く感情が「心配」であるか、分からないと思っていた。
秋になり、俺は毎日登校するようになっていた。起きる時間は早くなるし、ソーシャルディスタンスだの言われるけど結局電車は混んでいるし、良いことあんまないなと思ってはいたけれど、日常的に冗談を言い合える場所があるのは悪くなかった。木村穂乃果さんは少し猫背で、藤元大翔はいちいち声がデカかった。あくびを噛み殺したら、
「辻未来、眠そうだから次解いて」
と板書を促された。先生は俺の想像の数倍目が利いた。
そんなある日、夕食時に父さんがこっちを振り返って、口元を押さえながら
「今度、四国に行ってこようと思ってる」
と言った。
「何よ、旅行? しばらく休めそうにないけど」
「いや、俺一人で行く。下見をしたいんだ」
何それ、どういうこと? と、母さんがちょっと笑いながら聞いた。笑ってはいるが、苛立ちが垣間見える。
「会社辞めて、移住したいと思ってる」
アイボリーが純白に変わるみたいに、俺の頭が空っぽになった。
その後、急に勝手なこと言わないでよ、とか、まだ決めたわけじゃない検討段階だ、とか、父さんと母さんがそれぞれの苛立ちをどんどんテーブルに並べていくのを、俺は見ていた。俺と違って母さんが即座に反応を返したのは、どこかで父さんの考えを察していたのだろう。
父さんが出立した日、母さんが
「未来、今日外食しよ。何がいい? イタリアン? お寿司? 焼肉?」
「寿司」
即答した。父さんが「寿司を握る」という文化に難色を示し始めていたからだ。母さんは
「毎回こんなことはしないからね、今日は特別だからね?」
と、職場の人に教えてもらったという、カウンターしかない寿司屋に俺を連れて出した。行きの電車に揺られ
「未来、トロばっかり頼まないでよ、ダサいから」
「寿司ネタにダサいも何もないだろ」
「コハダとか光りモノ食べなさい、江戸前なんだから」
「惹かれねーな」
「じゃ、煮蛤とか煮アナゴ。ツナコーン軍艦あんのか? とか絶対聞かないでよ」
「無いのか、ツナコーン軍艦」
二人とも、テンション高かった。それは、久々の外食だから、しかもいい寿司屋だから、ってだけじゃなかった、と思う。申し訳ないけれど。
母さんがビール片手に、江戸前はネタにひと手間かけるんだとかいう講釈を垂れる。それを聞き流しながら食べた煮蛤は抜群に旨かった。俺は煮蛤を三回注文した。
「未来、ネタ選びはダサくないけど、おかわり三回はほんとダサいよ」
「旨いもん食って何が悪い」
俺達は久しく、食事をしながら、必要のない軽口を叩き合っていなかったな、と思った。
数週間後、リビングに集められ、父さんの決意表明を聞かされた。そして、
「未来は、ここと、四国と、どっちに住みたい?」
と尋ねられた。お前は、会社の人事部に同じ事されたらどう思う? と、生まれて初めて、父さんにはっきりとした怒りを覚えた。
「考えさせて」
とだけ言って籠った自室の中で、「山椒魚」の結末を思い出した。山椒魚に、道連れのように閉じ込められた蛙は、最後
「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」
と言う。一方的に閉じ込められて弱って、そんなこと、俺だったら言えない。絶対に、言わない。その姿を「奇妙な友情」なんて纏めたくない。
俺は、何も許せない。選択肢も選択権もない時間を生きてきた後、こうして、一方的に大きすぎる選択を迫られている、この状況を許せない。この状況を構成しているすべての物事を、許せないと思った。
翌日の昼休みに、スマホで母さんに
「俺はここにいる」
とだけ送った。母さんにも、父さんにも、直接顔見て言いたくはなかった。「そう言うと思った」みたいな表情をされたら、ムカつくし、罪悪感を覚えただろうから。
二ヶ月後、父さんは家を出た。その頃には俺も母さんも、行ってらっしゃい、と言えるようになっていた。父さんがどんどんピリピリしていく姿を見ていたから、もうそんな状況から解放されて欲しい、という気持ちもあったかもしれない。あの日突然選択を迫ったことを俺は許さないが、一方で父さんの「移住」という選択を、完全に否定したくはなかった。子どもも居るのに急に移住するなんて、という考え方もできるけれど、俺はもう、父さんの選択に巻き込まれるしかない、なんて歳でもない。少なくとも、そう思いたかった。
父さんは時々「リモート家族団らん」をしたり、お土産持って帰って来たり、鮎や牛肉を送ってきたりしながら、ゆるやかに、辻家を離脱していった。
高二の冬、父さんが、きちんと俺達の元から離れた。最後に三人で天ぷら屋に行き、カウンターに横並びで、同じコースを旨い旨いと言って食べた。天ぷら職人のおじいさんに父さんが向ける眼差しは、尊敬、以外なかった、と思う。
俺と母さんは、俺が小学生の頃から住んでいたマンションを出た。これまでは、父さんの職場と母さんの職場の中間地点に住んでいたのだが、この際、母さんの職場と俺の高校の中間地点に住もう、という話になったのだ。そう、俺と母さんの間で、夕食の途中に何気なく、そういう話になって、食後のデザートを食べながら、不動産情報サイトをああだこうだ言いながら見た。
新しい部屋に移った日の夜、俺はなかなか寝付けなかった。新しい地元は、意外と飛行機の音が大きく響くからじゃない。春の嵐が窓に打ち付けたからじゃない。何故だか、涙が止まらなかったのだ。避けられなかった出来事と、その時にそれぞれが取った選択と、その結果が連なって、今俺は、知らない匂いの部屋で眠ろうとしている。もう、あの家には戻ることはない。ようやく俺は、あらゆる出来事とは「取り返しがつかない出来事」なのだということに気が付いた。外に出る選択肢を封じられ、山椒魚の元で死んでいく蛙は、ひとりではなかったということにも気付いたが、
「それでも俺は、絶対に許さない」
と思った。
翌日は日曜日で、新しい予備校に初めて行く日だったが、寝坊した上に顔はむくんでいた。コンタクトを入れる時間も髪を整える時間もなく、ニット帽を被って眼鏡をかけ、マスクをして家を出た。時間を読み間違えたのか、随分早く予備校の最寄り駅についてしまった。駅前のコンビニでゆっくり昼食やおやつを選んでいたら、背後から急に
「ねえ見て! クレームブリュレ味と白玉ぜんざい味だって!」
と馬鹿でかい声で話し掛けられた。
え、と言いながら振り返ると、あっ、と言って笑顔のままフリーズする、若い男の人が立っていた。俺より、頭一個分くらい背が高いその人は、マスクはしていなかった。明らかに連れの人と俺を勘違いしたんだろうな、という雰囲気だったが、
「ねぇ、君どっちがいいと思う? 俺は僅差で白玉かな!」
と、人間違いしてませんよというていで押し通そうとしてきた。何やかんや楽しそうなその顔を見て、俺は、物凄く久しぶりに、大人の笑顔や朗らかすぎる声を聞いた気がした。口元に、笑窪か笑い皺か分からない、小さな窪み。
「テンチョー何やってるんですか……誘拐犯みたい」
通路の角から、俺と同じくらいの背丈の、ニット帽を被ったショートヘアの女性が歩いてきた。性別から間違えてんじゃねーよ、と思ったけれど、
「ブリュレ」
と言った。
よく分からないけれど男の人は「そっかぁありがとう!」と言いながら白玉ぜんざい味を買い、ニット帽の女性と店を出て行った。
方角一緒だったら微妙だな、と思って、少しおいて俺もコンビニを出たら、案の定同じ方角だった。何なら、俺の予備校の正面の店に二人は入って行った。予備校に入る前にちらっと中を覗くと、女性の方は帽子を脱いでテーブルを拭き、男の人はカウンターの中に居た。テンチョー=店長、なんだろう。辻未来に向けた笑顔ではなかったけれど、素顔の笑顔を見る、という体験は、悪くなかった。週明け月曜日、俺は二年ぶりにマスクを外して外出した。
予備校の窓から、度々あの店を眺めた。いつ見ても、あの笑顔を観測できた。それをもっと近くで観測してみてもいいか、と思った日、俺は十五分早く予備校のある駅に着く電車に飛び乗った。
空きっ腹にコーヒーは胃を傷める、と思って、駅前のコンビニで肉まんをひとつ買った。
ユキさんは麻婆豆腐を食べながら、
「ミライくんが初めてうちの店来たときのことは忘れられないねぇ」
とか笑いながら言っているが、その半年前のことをすっかり忘れている。まぁ、今後も教える気はないが。
四川風麻婆豆腐は、俺が想定するよりも随分黒く、さわやかな香りがした。しかし、俺は知っている。本当に辛い物は、赤通り越して黒いのだ、ということを。案の定、口に入れると、舌の「カレーを食べた時痛くなる部分」とは違う箇所がビリビリとしてくる。そしてベースがちゃんと唐辛子で辛い。全体的な痛さと、局所的な痛さが同時に襲ってきて、口の下や目の周りにじわじわ汗が出てくるのが分かる。
「おーすごい、本格派! めちゃくちゃ美味しいなぁ。ミライくん大丈夫? 無理しないでよ?」
「舐めんな、麻婆豆腐くらい食べられるわ。なんか、すげー変な辛さだな」
「やっぱり辛いんじゃん」
一口ごとに舌を出している俺を尻目に、ユキさんは美味しい美味しいとニコニコしている。ユキさんは多分、広東じゃなくて四川派だ。注文する前からそんな気がしていた。だから、辛いことは分かっていたけれど、四川を選んだ。ブリュレか白玉か聞いといて、俺の意見無視して白玉を買うユキさんは、選ぶのも選ばせるのも上手だった。
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