第10話 火の運命に呪われし物語『灯織』 前編


【火の運命に呪われし物語『灯織』】





 もうどれだけ昔かも分からないトウキョウダンジョンで、わたし、かがり灯織ひおりは、この第一層のスラムで生まれ育ちました。

 スラムには蒼介そうすけ兄という3歳年上の男の子がいて、隣の部屋で生まれ育った事から、幼い頃からわたしの面倒を見てくれていました。


「いいか灯織、あのパンはな、こうやって盗めばばれないんだ」


 わたしは一応親はいたものの、魔法実験で身体と精神がボロボロになって、廃人のようになっていました。だから一緒に街角の屋台からパンを盗んだりして、なんとか飢えをしのいでいました。魔法実験でもらったわずかな貯金を切り崩しながらの生活。ただ、生きる事に必死でした。


「そーすけにい。このパンおいしい。ありがと」


 わたしはそれほど活発な子供ではありませんでした。だから、頼れるものは本当に蒼介兄だけでした。わたしは自然と蒼介兄に憧れを持ち、ほのかな好意のようなものを抱いていたと思います。


 わたしたちは、二人でよくスラムを走り回って遊びました。かくれんぼや鬼ごっこは、二人でもできます。ほかの子供たちがスラムにはいましたが、そうした子供たちは独自の縄張りとグループを作っていたので、わたしたちはそれに仲間入りする事はありませんでした。


「そーすけにい。そーすけにいは、わたしがいなかったら、ほかのこどもたちとあそべるの?」


「俺はお前がほっとけねぇし、なんだかんだお前が好きなんだよ。気にすんな」


 蒼介兄はぶっきらぼうな口調でそんな事を言っていましたけど、そのまなざしには確かにわたしを想う愛情のようなものが篭もっていて、わたしはその瞳が大好きでした。


 だんだんとお互いが成長する中でも、わたしと蒼介の間には、確かな絆が残り続けました。


 10歳を迎えたある日、わたしは13歳になった蒼介兄に、髪の毛を切ってもらっていました。

 わたしも蒼介兄の髪を切っていた後だったので、スラム街の廃墟の一室には、蒼介兄の青色の髪とわたしの赤色の髪が混ざり合って落ちています。

 蒼介兄がハサミで髪を切るたびに、そっと蒼介兄の指先がわたしの髪の毛に触れます。それがなんだかくすぐったくてちょっと恥ずかしいのですが、でもわたしはそこに蒼介兄の意外と繊細な手つきを感じて、この手でもっとわたしに触れてほしいな、なんて感じていました。


「最近、3番街チルドレンがクスリに手出してるらしいんだ。灯織も気をつけろよ」


「こわいですね。でも蒼介兄が守ってくれます」


「もちろん努力はするけどな。でも、そもそも巻き込まれないのが一番って話だよ」


 そのころになると、スラムの他の子供たちとも交流が生まれていましたが、彼らとはあくまでビジネスライクな一線を引いた関係を保っていました。そうした中、わたしは自然と「ですます調」で喋るようになっていました。


 スラム街は、1番街、2番街、3番街と街の区画ごとに子供たちが勢力を作っていて、1番街チルドレン、2番街チルドレン、なんて風にお互いの事を呼び合っていました。そしてそこから成長した子供たちは、運よく魔力量が足りていれば、魔法労働者として魔法工場で働けますが、働けない子供たちは、裏ギルドと呼ばれるダークな組織で犯罪まがいの稼ぎ方をしたり、金に困ったら魔法実験場で魔法実験を繰り返し受けて、実験の失敗や副作用で病気になったり怪我をしたり、運が悪いと死んでいたりします。それがこのスラム街、トウキョウダンジョン第一層のどうしようもない現実でした。


 そんな中で、わたしが親友、あるいは義理の兄弟だとすら感じているのは、相変わらず蒼介兄だけでした。蒼介兄だけがわたしの宝物で、蒼介兄がわたしの全てだったのです。蒼介兄はいつも面倒見がよくて、優しくて、わたしを愛してくれます。だから、わたしは蒼介兄が大好きだった。女の子というものは早熟なもので、10歳になったわたしは、早くも抑えがたい恋愛感情のようなものを蒼介兄に感じ始めている自分がいる事に気づきつつあった。その感情に振り回されながらも、わたしは蒼介兄と一緒にいられる事に、無性に幸せを感じていました。


「わー、キミたち髪切ってるの? こんなところで?」


 そんな二人だけの空間に、その少女はすいすいっと泳ぐように、自然な様子で突然足を踏み入れてきました。


「なんだお前? どこの子供だ?」


 蒼介が警戒するようにハサミを構えて少女に向けますが、少女は怖がった様子もなくすたすたと近づくと、蒼介に向かって右手を差し出します。


「どこでもいいじゃん。わたし空知そらち陽舞ひまい。よろしくね? 握手しよ、あくしゅー」


 その少女は、光り輝くような金髪をふわふわっと腰まで伸ばしていた。瞳の色も金。頭には踊り子のようなサークレットを身につけており、衣装も露出の強い踊り子用の服を身につけていた。胸やお尻もなんだかわたしよりずっと大きくて、セクシーな少女というのはこういう感じなのかもしれないな、なんて思いました。


 わたしは、蒼介がそんな陽舞の恰好になんだか顔を赤くしている気がして、なにか急速に取り返しのつかない事が起きているような危機感を感じました。


「蒼介兄、その女、信用ならないです。近づかないでください」


「い、いや、灯織の言う通りだと思うけど……」


 歯切れの悪い蒼介兄の様子に苛立ったわたしは、立ち上がって蒼介兄と少女の間に仁王立ちになり、こう宣言します。


「蒼介兄が格好いいからって、近づかないで! あなたみたいなの、悪い虫っていうんです! 蒼介兄には、わたしがいれば十分なんです!」


 わたしがそう真剣に叫ぶと、その少女陽舞はきょとんとした表情でしばしわたしの顔を見つめ、


「えっとキミ、蒼介くんっていうの? んでこの子、灯織ちゃん?」


 それから、にこーっと笑ってこういいました。


「蒼介くん……灯織ちゃんめっちゃカワイイじゃん!! わたしの妹にしたーい!」


 そういって少女、陽舞はぎゅっと突然わたしに抱き着いてきました。


 あまりの事にわたしは呆然となってしまいながら、陽舞にもみくちゃに頭を撫でられたり背中を撫でまわされたりして、わしゃわしゃっと全身の毛を撫でられる犬のような感じになっていました。


 な、なんだ……? なんなんだ、この女の子……?


 わたしは混乱の極致にいました。


 わたしと蒼介兄だけの空間、関係に、ずかずかと踏み込んできて、とつぜん抱き着いてくる女の子なんて、後にも先にもこの子しかいませんでした。


「いやー灯織ちゃんさいこうぅー! ふぅ! あがるぅ!」


 陽舞はどうしようもなく変わっていて、どうしようもなく頭がおかしくて――

 ――でもどうしようもなく魅力的な女の子でした。


 そう、陽舞はわたしでも認めざるをえないほどに、独特の世界と魅力を持っている女の子だったのです。

 何物も恐れておらず、光り輝く容姿と性格で、話す相手をどんどん明るくしてしまうような、そんな輝く魅力を持った女の子だったのです。


 だから、それは必然だったのかもしれません――


 蒼介兄が陽舞に惹かれて、恋に落ちていってしまう事は――


 そしてそれは終わらない悲劇の始まりでした。

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