第9話 事件は突然に

 午後の労働。初っ端からリタイアする筋肉男を尻目に、まずは残りのメンバーたちでノルマを達成する展開が1時間ほど続いた。ほかのみんなも、食事込みの1時間休憩でそれなりに体力が回復したものと見える。一安心しながら仕事を続けていると、事件は起こった。


 予兆はあった。


 だんだん、ノルマ達成のために込めなければいけない量が増えていて、メンバーたちのうち2人の数値がその分低くなっていた。

 それでも食らいついてくれるものかと思っていたが、あっけなく、そのうちの一人、たばこを吸っていたおじさんが、がしゃんと機械に頭を打ち付けながら倒れてしまう。


 おじさんの位置は機械を挟んで反対側なので、僕は駆け寄る事もできず、ただ目の前の仕事をこなすしかなかった。


 と、その時、さらにガタンと音が鳴り、僕の隣でノルマに食らいついていた陰気な女が倒れる。


 残るは3名。通常の倍の魔力が必要な作業を、午前の疲労があった上でこなす事になり、僕も疲労が隠せなくなってくる。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 荒い息を吐きながら、必死に魔力を込めて、なんとかノルマを達成する。


 だがそこで、さらなる苦難が襲う。


「ねぇダーリン、わたしももう限界っぽー」


「そ、そうか……ちょっと休んでいていいよ、マイハニー」


 そんな会話を対面で勝手にされて、とうとう作業者が2名になってしまう。


「いや……これ……流石に……無理……」


 とうとうそこで、僕たちは規定量の魔力を込めきる事ができず、ノルマ未達成の判定が下ってしまう。


 さすがの先輩男も、それで僕を叱る事はできないようだ。なにせ、先輩男も1人分の2倍ちょっとの魔力しか込められていない。疲労も色濃いようで、やや足がふらついている。


 これは……まずいかもしれないな……


 30秒ごとに無慈悲に現れるキューブ。


 鳴りやまない未達成の音。


 先輩男は未達成のキューブを運ぶ気力もないようなので、それを運ぶ作業も僕に追加される。


 やばい……やばいぞ……


 戦線は既に崩壊している。


 あとはサンドバッグのようにただ殴られ続けるのみ。


 無情にも減っていく数値を眺めながら、僕はこれが本物の地獄か、と諦めの境地に達していた。


 だがその時、予想だにしない事が起きる。


「ダーリン、キスしてー。キスしてくれたら頑張れるかもー」


「いいさハニー。ハニーがいないとそもそも成功しようがないみたいだから、1分くらいキスし続けようじゃないか」


 バカップルがそんな会話をして仕事放棄の構えを見せたのが、その事件のきっかけだった。


 そんな二人が本当にキスを始めて、30秒ほどが経った頃――


 ――突然、天井から真っ赤な炎の柱が走った。

 その炎は、キスをしながら抱き合う二人ごと、目の前の作業機械を爆炎で吹き飛ばした。


「……へ?」


 正直、何が起こったのかまるで分からなかった。


 重い魔法機械が軽々と宙を舞い、魔法工場の壁に衝突し、風穴を空けてそのままどこかに消えていく。天井にも炎の柱のせいで大きな穴が空いていた。


 振り返ると、消えた炎の柱の中からは、一人の少女が姿を現した。


 まるで炎という概念の精霊のような、メラメラと燃える髪に、手足の一部が炎に揺らめいているような、同じ人とは思えない姿。


 背中が大きく開いた紅いドレスのような恰好をしており、ドレスもまた燃えている。そしてその背中には、魔法語で炎の入れ墨のようなものが成されており、【火の運命に呪われし物語】と書かれているのが読み取れた。


「な……なんだこいつ……」


 僕はその危険の塊のような少女を前に、仕事の事は完全に頭から吹き飛び、そんな呟きを漏らしながら後ずさる……


 紡詩は淡々とした表情で、ただ空から少女を睥睨していた。


 周囲の作業員は、みな一様に作業を放棄し、呆然と突如現れた少女を見つめている。


 その少女は、ゆらゆらと定まらない瞳で、不安定そうな表情でぼうっと立ち尽くしていたが――


………………失ってしまった……また失ってしまった……を……を、失ってしまったっ……!」


 少女は錯乱したように頭で燃え盛る髪の毛をかきむしりながら、イヤイヤをするように顔を激しく左右に振りしゃがみ込む。


「うう……うう……うううううう……! どうしてわたしは! どうしてわたしはこんな馬鹿なんだ! ちょっと考えればわかるのに! こんな事をしたって何にもならないって! なのに、わたしは、わたしの大好きな人達を、こんな目に遭わせてしまった! うああ……! うああああああ……!」


 少女はそんな風に、辺りの様子がすっかり視界に入っていないような感じで、ただ泣き叫ぶようにそんな悲痛な声をあげる。


 僕は泣き叫んだことで勢いを増す少女の身体から発される炎が熱くて、自然と顔を手で隠すような体勢になる。


 そこで、フリーズ状態から解けた作業員の一人が、こう叫んだ。


「か、階層主だあああああああああ! 逃げろおおおおおおおおおお!」


 どうやらこの少女は「階層主」なる呼び名があるらしく、見かけ通り危険な存在であるらしい。


 周囲の作業員たちは、一目散に金属の上を走る足音を立てながら逃げていく。


 僕はそこで紡詩を見る。


 いつの間にか、紡詩も僕を見つめていた。


「綴。あなたには見える? あの本」


「ほ、本?」


 一体何を言っているのだろう、と思った。


 どう見ても目の前でうずくまっているのは、炎の魔人とでも呼ぶべき少女であり、そこに本なるものが登場する要素はどこにも……


 ――いや。


 そこで僕は気づいた。


 少女の炎で透き通る左胸、心臓のあたりを中心に、大きな魔力の核のようなものがある。


 なぜか僕にはその核は、はっきり古文書のような分厚い本の形をして見えた。


「あ、み、見えるよ紡詩。心臓のあたりが本になってる、あの子」


「そう……そして綴なら、綴だけは、あの本を読み解く事ができるのかもしれない」


 またしても意味が分からない事を言われて戸惑うが、僕は遅れてその意味を理解した。


 僕の魔法の名前は「物語魔法」であるらしい、と工場の前の会話で判明した事を思い出す。


 物語の代表的な形といえば、やはり本という形式であろう。


 そんな僕の前に、本の形をした心臓を持つ魔人の少女が現れた。


 これは、どこか運命じみたものを感じる展開だな、と僕は危険も忘れてそう感じていた。


「そう。これは運命。今日この日、綴はこの本を読むために、このトウキョウダンジョンに来て、わたしと出会い、この工場で働きに来た」


 紡詩がなにか意味不明な呟きをするのを聞き流しながら、僕は、そろそろと、何かに操られるように、一歩一歩、少女の元へと近づいていく。


 そして十分近づいた僕は、僕を動かす本能のような何か、あるいは運命のようなものが命じるがままに、右手を少女の本へと伸ばしこう唱えた。


「【物語魔法〈読書リーディング〉】」


 うずくまっていた少女は、顔をあげて、僕の事を上目遣いで見つめる。


 よく見ると、とんでもない美少女だった。


 それこそ、紡詩にも匹敵するほどの美少女は、美少女というものは行き着くと一つの正解に至るものなのか、どこか紡詩に似た顔つきをしていた気がした。


 そして、僕の意識は赤い光に包まれ――


 その物語は始まった――

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