第8話 初めての労働はゼリー味
その後行われた研修の内容はシンプルだった。
僕たち4人は、先輩2人と組んで6人班を作り、ミスリル加工装置に対して機械の合図があったタイミングで一斉に魔力を込める。6人分の魔力が規定値に足りれば加工は成功で、ノルマ達成の基準に使われる値(以下ノルマ値と呼ぶ)がプラス1される。逆に魔力が足りなければ、ミスリルの加工が失敗なので、その場合は出てきたミスリルを〈力学魔法の指輪〉という魔道具を使って溶鉱炉に通じるラインに運ぶ。ミスリルの再加工にはコストがかかるので、この場合、ノルマ値をマイナス5する罰則が与えられる。
一日の労働時間は7時間で、一分に三回魔力を込める事になるらしく、その間の合計でノルマ値が600に達していない場合、給料は支払われないそうだ。
僕は算数は苦手ではないので、この場合に何回成功すればいいのかをまず計算で求めておく。7時間、つまり420分間の仕事が仮にすべて成功すればノルマ値は1260溜まる。一つ失敗するたびに、ノルマ値は6減少する。つまり失敗していいのは、620÷6の結果より、103回までと分かる。
ノルマ値が600と聞くと楽そうに聞こえるが、実質的に9割以上の成功率を求められている詐欺ノルマとなっており、サボっている隙はあまりなさそうだ。
魔力を込めるなんて仕事は当然したことがないので、僕の魔力量には極めて不安が残るし、この仕事がどれくらいキツいのかも未知数。早くも不安に駆られてくるが――
ふと視線の合った紡詩が、なにやらリラックスしたムードでイヤフォンを耳に差して音楽を聴いているのを見て、意外と大丈夫なのかもしれないと、すこしだけ楽観視する事ができた。
だが、結論から言うと、この感覚は根本的に誤りであった。
僕を待ち受けていたのは、正しくこの世の地獄であったのだから――
*****
最初に、僕たち4人は、工場の片隅にある仕事場、ミスリル加工装置のラインの前で、先輩と顔合わせを行った。
先輩として現れた二人は、20代前半くらいの茶髪の男女であったが、どうやら2人はカップルか何からしく、非常に苛立たしいいちゃつき方をしていた。
「ねぇハニー、今回の新人は美というものが欠けていると思わないか? 加工光を浴びて輝く僕たちの愛を、見せつけてあげないとだ」
「ダーリン、そんな奴らどうでもいいわ。それより終業後にどこのホテルで休憩するか、相談しましょ」
二人ははなから僕たちに仕事を教えるつもりはないらしく、僕たちは研修で練習した魔力の込め方を、初回からいきなり実戦で試す事になった。
「おいそこのガキ、お前どう思うよあの先輩ども? 何か教えてくれるのかと思えば何もしねーの。あんなので本当に仕事になるのかよ、なあ?」
タバコを室内で吸っていたおじさんが、不満をありありと表情に出しながら、僕に早速愚痴ってくる。
「まあ、最低限練習はさせてもらってますし、ぶっつけ本番で行くしかなさそうですね」
僕はつかず離れずの距離感を保ち穏当に返事をしておく。なんだか僕の方が大人な対応をしている気がするのは気のせいだろうか。
と、やがてブオオオオオー、とけたたましいブザーの音が鳴り、僕たちの仕事時間がいよいよ始まる。マジックフォンにインストールさせられたアプリケーションが、それぞれの位置を指定するように床に光を放ち、僕たちはそこから通じる魔力孔へと両手を構えた。
「ダーリン、ちゅっちゅー」
「んーハニー、むちゅちゅー」
隣同士の配置になっている先輩二人が、暇な間にキスをしている。控えめにいっても苛立たしい光景だ。バカップルとはこの事か。もし僕の夢である理想の恋がかなったとしても、あんなカップルにはなるまい、と僕は一人心に決める。
と、そこでいよいよ最初のミスリルが運ばれてきた。
ミスリルは一辺が10センチメートルの立方体型に裁断されており、これを僕たちの加工機械で中央に直径1センチメートルの穴を通すらしい。
この穴の開いた立方体は、魔導力エンジンなんかでコア部分に使われる重要なパーツらしく、適切な魔力量がないと、加工装置の動作が正確さを保てなくなり、歪んだ穴が開いてしまうとか。
僕たちは合図の光と音が機械から出るのに合わせて、一斉に魔力を込める。
魔力孔の横には6人の合計魔力量とそれぞれの込めた魔力量を表示する計器がついており、6人がそれぞれ魔力を込めた結果、全員がちゃんと規定値をクリアして合計量を満たしていた事が見て取れた。
加工装置からは綺麗に穴の開いたミスリルの立方体が出てきて、ラインの上を流れていく。
なんだ、ちょろいじゃないか。
僕はそうして油断してしまった。
これから始まる本当の地獄が、口を開けて僕らを待ち構えている事に、気づかないまま――
*****
「はぁ……はぁ……はぁ……」
最初に疑問を持ったのは、開始から1時間が経った頃だ。
最初は6人全員が満たしていた規定量を、いつの間にか満たしていない2人がいる事に気がついた。
筋肉自慢の金髪男と、先輩カップルの女の方だ。
「ダーリン、わたしつかれたー。ちょっと頑張っといてー」
「ははっ、おやすい御用さ。まああの新人どもも意外と頑丈なようだし、全然大丈夫だよ、ハニー」
勝手にそのような決定をチームの了承もなく行っている事に正直呆れたが、位置が離れているので注意する事も出来ない。
また、筋肉自慢の男は、すでにだいぶ魔力を使い過ぎているようで、
「ははっ、序盤で見栄を張りすぎてしまった。僕は筋肉だけが自慢だから、魔力は苦手なんだ……」
と魔導師たちが集まるこのトウキョウダンジョンでは役立たず同然の発言をしながら、僕たちに了承もとらず堂々と休憩している。
必然、僕も含めた残りの4人は、ノルマを満たすために今まで以上に多くの魔力を込める事になり、否が応でも負担は増していく。僕は比較的魔力量には余裕があるみたいだったが、それでもだんだん額に汗がにじんでいく。
それからもう1時間が経ったとき、最初の事件が起きた。
「ぜぇ……はぁ……ああぁ!」
研修の時にマジックフォンでゲームをしていた陰気な女性が、突然倒れてしまった。
「ちょ、ちょ! 大丈夫ですか! 誰かー!」
慌てて僕は駆け寄り叫んだが、驚くべき事に誰も倒れた彼女に見向きもしない。彼女は頭を装置で打ったらしく、側頭部から血が垂れている。普通に病院に連れて行かないとまずいはずだが……
そうこうしている間に次のミスリルが運ばれてきてしまい、僕は慌てて所定位置に戻ろうとするも――
「ブブー、失敗です! ノルマ値がマイナス5されます」
機械に搭載された魔法知能の音声が響き、僕と倒れた女性が原因でノルマが失敗したという判定が下されてしまう。
「何をやってるんだ使えないなぁ! 僕に魔法が使えたら、そのなよっちい顔に雷を叩きこんでやるというのに」
先輩男は苛立ちながら〈力学魔法の指輪〉を器用に扱い失敗したミスリルを溶鉱炉行きのラインに乗せる。
「だ、だって! だって人が倒れてるんですよ!」
「そんなの日常茶飯事さ! この仕事はここからが本番なんだ! 序盤は体力温存しておいて当たり前、2人くらいリタイアしてから真面目に仕事をするくらいでちょうどいい。どうせ新人なんて半分以上ゴミなんだから」
男のあまりの言葉に、何も返す事ができずにいるうちに、次のミスリルが近づいてくる。
「……ああ、もう!」
僕もそのあたりで魔力量を節約していたのをやめて、ちゃんと力を込めて魔力を入れ出す。
僕は規定値の2倍以上の魔力を注ぎ込み、見事その回は成功となった。
それにしても……
ここに来たばかりの僕にこんなに魔力があるのは、僕に才能があるという事なのか、それとも――
僕の右横で誰にも注目されずのんびり詩集か何かを読んでいる紡詩の顔を見つめる。
――あの魔法語を覚えた時の激痛、僕の魔力量にも作用してたんじゃないか?
心に浮かべたそんな疑問に、彼女が応える事はなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
次第に息が荒くなってくる。
これでどのくらいだ?
最初の3時間半が終わったら、1時間の昼休憩が取れるらしい。
それからもう3時間半働いて、やっとこの労働が終わる。
そろそろ3時間半だと思うのだが――
「す、すみません、倒れちゃって……わたし、まだいけます」
と、そこで黒髪の女が驚くべき事に立ち上がり、戦線に復帰した。
「え、ちょ、大丈夫ですか?」
「さすがにこれ以上迷惑はかけられないので……」
陰気な女だと思っていたが、良い人じゃないか! この工場では一番の良心といってもいいくらいだ、なんて思うが、運ばれるミスリルに思考を中断させられる。
次のミスリル、先ほどより軽い負担で成功し、僕は「まだ戦える」と希望を感じた。
それから十何回かの魔力充填作業を経て――
ついに、業務が休憩に入る事を示すブザーが鳴る。
「――昼休憩だ。坊主、やるじゃないか」
近づいてきたカップルの男の方が、僕にそんな声をかけてきた。
「有望な新入りにいいことを教えてやろう」
「いいこと?」
「……昼飯は5千円のマジックゼリーにしろ。あれは地獄のようにくそ不味いが強い魔力回復効果があるから、コスパを考えるならあれ一択だ」
僕は昼飯まで地獄のような味を共にするのかと思うとげんなりするが、一応は運命共同体であるこの男がわざわざ言うからには、意味のあるアドバイスなのだろうと判断する。
「ありがとうございます」
「それに比べてあの筋肉だるまはゴミクズ以下だな。即刻上司に首にするよう勧告しておくよ」
先輩たちが班に混ざっていたのは、新人の見極めをして上司に報告するためでもあったのか、と僕はそんなところに社会というものを感じた。
そうして食堂でくそ不味いゼリーを容器から吸っていると……
「ちゅーちゅー」
横で紡詩も、なぜか同じゼリーを吸っていた。
「紡詩、そんなの口に合うわけ? 無理に合わせなくても……」
僕の疑問にも構わず、紡詩は「ちゅーちゅー」ともう一度ゼリーを吸ってから、こんな答えを返した。
「……懐かしの味。子供の頃は、よくこんなの飲んでた」
紡詩の子供時代、か……
僕は考えてみれば、紡詩の事を何も知らないな、とあらためて実感してしまった。
果たして聞いても教えてくれるものかは、自信がないが。
「――わたしに興味があるの?」
僕の心を読み取ったらしく、紡詩はきょとんと首をかしげてそんな事を聞いてくる。
その可愛すぎる顔立ちと、惹きつけられてしまう虹色の瞳の魔力も相まって、思わず見惚れてしまう。
勝手に動いた視線の先で、瑞々しく桃色に輝く唇が、ゼリーのぬるぬるを塗られて妖しく色香を放っていたが――
「わたしは暗黒龍だよ?」
そこで紡詩は、いつかも聞いたセリフをもう一度繰り返した。
「……わたしを好きになっちゃダメ……ダメだよ?」
僕はそんな紡詩に対し、急にわけのわからない感情が高まってくるのを感じた。
――な、なんだ、この感情……胸が、熱い……
僕は何を言っていいのか分からなくなり、ゼリーを吸い終わったところで、容器をゴミ箱に捨てるためと言い訳して、逃げるようにその場を離れたのだった。
「はぁ……はぁ……」
心臓の鼓動はまだドキドキとしていた。まるで既にその臓器は恋を知っているかのように――
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