第10話 白く舞え!

 ためらいながらも、遊希は浴衣の前を開いた。下着は着けていない。雪のように白い肌が、松明の明りを受けて柔らかな陰影を浮かべた。

「さっさと脱いでしまえよ。幸雄が痛い目を見るぞ」

 謙介の言葉を聞いて、遊希は小さくうなずいた。

 浴衣が地面に落とされた。しん、と冷たい空気の中、遊希のすべてが、なにひとつ遮るものなく謙介の目の前に晒された。その体は小刻みに震えている。彼女は雪女だ。寒いから震えているのではない。

「いいざまだな、次期村長さん」

 謙介は息を荒くしている。

「どういうことだ」

「私が教えてあげるわ、幸雄くん」地面から雪の塊がむくむくと生えてきて、人の形になった。美幸だ。「お母さまはね、自分の後継者に遊希を指名したの。一番、能力のある私じゃなくて。だから、お母さまには思い知らせてあげた。邪魔をした由紀乃姉さんにもね。次は遊希の番というわけよ」

「なぜ、あんたが謙介と一緒にいる」

「ネットで知り合ったんだ」謙介は、キーボードを打つように両手の指をひらひらさせた。「『殺し屋求む、雪女』っていう書き込みを見て、おもしろそうだから連絡を取った。話を聞いてみたら、なんと利害が一致した。どちらも遊希を狙ってたんだ。雪女同士では、なかなか勝負がつかないらしい」

「ま、そういうことなの」美幸は朗らかな笑みを浮かべた。「あんたはどうでもいいんだけどね、幸雄くん。邪魔だから一緒に片づけてあげる」

「だめよ、美幸お姉ちゃん。幸雄さんにはなにもしないで。私は、なんでも言うことを聞くから」

「まあ、可愛らしい。素直な妹を持って、お姉ちゃん嬉しいな」

 謙介は彫刻でも鑑賞するように、遊希の周りを回り始めた。

「見ろ、幸雄。伝説の雪女が人間である俺の言いなりだ。そそるぞ、すごくそそる。今日だけじゃない。明日からも存分に可愛がってやる。飽きるまではな」

「幸雄さん」由紀乃が、切迫した声をかけた。「あなたの気持ちを遊希に伝えてください。それしかあの子を救う方法はありません」

「そんなことをしてなんになるんですか。ここから出られないんじゃ、助けられない」

「大丈夫です。あなたになら遊希を救える」

 幸雄は由紀乃をじっと見つめた。由紀乃は揺るぎのない目で見返してくる。ゆっくりと、幸雄はうなずいた。力を込めて立ち上がる。遊希の方にまっすぐな視線を送った。

「遊希、俺はなんのためにバイトを始めたと思ってるんだ」

「なんの話だ。おかしくなったのか、幸雄」

 謙介は唇の端を歪めている。

「おまえと暮らしたいからだ」

 遊希は顔を上げて幸雄の方を見た。

「それは残念だったな」

 謙介は耐冷手袋を嵌めた指先で遊希の顎を持ち上げた。顔を近づけていく。由紀乃が思わず冷気を吐いたが、耐冷スーツを着ている謙介には、まったく効果がなかった。

「俺はなぜ、ここまで来たと思う?」

「おい、幸雄。さっきから、なんの寝言を言ってるんだ」

 遊希の目を見つめ、謙介はおどけたような笑みを浮かべた。

「守るためだ。それなのに、肝心のおまえがそんなことでどうする」

 遊希は謙介から顔を背けた。

「こっちを向け、雪女。俺をしっかり見るんだ。おまえのご主人様をな。そうでなければ」

 電撃が再び幸雄を襲った。幸雄は呻き声を上げながらも歯を食いしばって堪えた。地に着きかけた膝を伸ばす。

 遊希は謙介の方を向いた。苦しげに歪めた唇が震えている。凍った涙が転がり落ちて、雪原にいくつもの小さな穴を開けた。

「遊希、よく聞け」静かな声で、幸雄は遊希に語りかけた。「守ると言っただろ。俺を信じろ」

「守るだと? どうやってだ。その檻から出られるとでも思っているのか」

 謙介の口もとには、薄ら笑いがへばりついている。

「俺は頼りないかもしれない」

「そのとおりだ幸雄。おまえには、なにもできはしないんだ。そこで黙って見ていろ。この女が俺の手でどんな目に遭うのかをな」

「でもこれだけは言える。おまえを守るためならなんでもする。なんでもだ」

「なにをしようが無駄だよ」

「だからおまえも、そんなやつに屈するな。遊希、雪女としての誇りを持て」

「甘いな。誇りなんかクソの役にも立つものか」

「俺がおまえの光になる」幸雄は気持ちを込めるようにうつむいた。「受け止めろ。そして……白く舞え!」

 雪は、光を受けてこそ、白く輝く。

 遊希の体の震えが止まった。スイッチを切り替えたように無表情になった。透きとおった目で謙介を見ている。

「なんだ? 急におとなしくなったな。目は怖いが」

 謙介が顔を近づけていく。唇同士が触れ合う寸前だ。遊希は目を閉じた。

「遊希」

 幸雄は顔を上げて、まっすぐに遊希を見つめた。

 ――愛してる

 遊希が瞼を開いた。その瞳が金色こんじきの輝きを放った。光が弾け、白い煌めきが世界のすべてを包み込んだ。

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