第5話 助けてくれたお礼に、私を……
家に帰った幸雄と遊希は、とりあえず床に座った。ソファーなんていうおしゃれなものは、幸雄の狭い部屋にはない。
「普通ならお風呂を勧める状況だと思う」自分から誘ったとはいえ、さっき知りあったばかりの若い女の子とふたりきりになっている状況に少し動揺しながら、幸雄は話し始めた。「君は雪山で遭難してたんだから。でも、無理だよね?」
「どうしてですか」
「体が溶けるんじゃないのか」
遊希は屈託のない微笑みを浮かべて幸雄を見つめた。幸雄はなぜか目をそらした。
「たぶん、誤解されてると思うんですけど。雪女は普通の人間とほとんど変わりません。冷気を操れる、ということ以外は」
「そうなのか」
「ええ。雪女は独立した生物種ではなくて、ちょっと変わった特徴があるだけの人類なんです。寒さには強いですが、それ以外の点では同じです。中には特殊能力を持った者も少数、存在しますけど。風邪をひくこともあるし、怪我をすれば赤い血が出ます。日サロに行く人もいるんですよ。夏にはみんなで海水浴を楽しみます」
「それじゃあ、凍らせる息を吐けない君は、ほぼ普通の人間じゃないか」
「う……確かに」
ずっとイメージしていた雪女とはずいぶん違う。でも、冷気を吐こうとしたときの遊希の様子は、どう見ても普通の女の子ではなかった。それに、極寒の雪山で半袖姿でいたのにまったくダメージを受けた様子はない。本物だ、と判断するべきだろう。
「それじゃあ、お風呂、入る? といっても、すぐに湯を溜めることはできないから、シャワーだけど」
「はい、お風呂大好きです」
細かい水滴が降り注ぐ音に混じって、遊希の鼻歌が聞こえてきた。本当に風呂が好きなんだ。幸雄は口もとが自然に笑みを浮かべるのを感じた。
だが、遊希がシャワーを浴びる姿を想像してしまった幸雄は、少し落ち着かない気分になった。いくらなんでも、いきなりそれはないだろうけれど。助けてくれたお礼に、私をどうぞ。そんな展開はありえない。いや、もしかしたら。
一糸まとわぬ姿で風呂場から出てきた遊希は潤んだ瞳で幸雄を見つめ、手を握る。それを自分の胸に押し当てて、好きにして、と呟いてうつむく。幸雄は遊希の肩を抱き寄せ……。
「あの」一糸まとわぬ、というわけではないが、タオルを巻いただけの遊希が風呂場から顔を覗かせている。「なにか、着るものありませんか」
幸雄は慌てて押し入れを探り、目をつぶってスウェットの上下を手渡した。さすがに女性用の下着は持っていない。少し前まではあったが。
スウェット姿の遊希が部屋にもどってきた。袖も裾も長すぎる。ざっくり羽織っている感じだ。しかし、胸の所だけは余裕なく張り詰めていた。ファスナーの隙間からは、雪のように白いしっとりとなめらかな胸もとが覗いている。遊希の体から
「もう遅い時間だから寝ようと思うんだけど」
「はい」
「これ、使って」
幸雄は、ひと組しかない布団を視線で示した。
「幸雄さんはどうするんですか」
「毛布がある」
「いけません、布団で寝てください」
「いや、君はお客さんだから」
「あなたは部屋の
「いやいや、女の子が」
「男女差別ですか」
「なんでそういう話になるんだ」
遊希はおだやかな笑顔を見せている。お風呂で温まった効果もあるのだろうけれど、幸雄の部屋で安心してくつろいでくれているようだ。
「私は寒くても平気ですから」
「雪女だから? そうかもしれないけど。背中が痛くなるよ」
少し考えるそぶりを見せてから、遊希はゆっくりとうなずいた。
「それじゃあ、一緒に」
さっき知りあったばかりの女の子と、たとえそれが雪女であろうと、ひとつの布団に入るだなんて……悪くない。
手短にシャワーをすませて出てくると、遊希は先に床に着いていた。幸雄は掛け布団を捲って隣に体を滑り込ませた。布団はシングルサイズだ。少し動いただけで触れ合ってしまいそうだった。
「もし、差し支えなかったら、君の普段の暮らしについて聞かせてくれないか」
黙っているのは、あまりにも気づまりだった。
「幸雄さんにはもう、雪女だと知られてしまいました。だから、なにを話しても同じことですよね」
遊希は体を回して幸雄の方を向いた。幸雄は体を引いたが、すぐ目の前に遊希の顔がある。文字どおり、息がかかりそうなぐらいに近い。実際、ニンニク臭い息が漂ってくる。
「私の村には女しかいません」
「それだと滅びるんじゃないの?」
「男の人を
「ワイルドだな。用事が済んだ男はどうなるんだ?」
「聞きたいですか」
遊希は視線をそらした。
「いや、やめておくよ」
「冗談です。ちゃんと元の生活に返しますよ。ただし、ひとことでも誰かに雪女の話をしたら……」
そのあたりは伝説のとおり、というわけか。
「雪男と交際したりしないの?」
「雪男はお
「それじゃあ、普通の人間の男と交わって子孫を残すんだね」
「そうです」
遊希に見つめられ、幸雄は目を泳がせた。雪女は、普通の人間の男と、交わる。
「む、村はどこにあるんだ」
「地図を貸してください」
幸雄はスマホを渡した。遊希はしばらくスクロールさせたあと、画面を示した。
「たとえばこのあたりに激しく雪が降って積もったとします。すると、本来の地面とは別の平地が現れますよね。そこに雪女の村はあります」
「つまり、現実世界と重なりあった、存在しないはずのもうひとつの世界か」
「そういう解釈も可能でしょう」
いよいよ本物っぽい。
「修行って、そんなに辛いの?」
「うちの場合は、特に厳しいんです。村長の家なもので」
「跡を継がなきゃいけないんだね」
「いえ、三姉妹の末っ子なので、たぶん回ってきません」
B級だし、と遊希は呟いた。
「お姉さんたちは冷気を吐けるのか」
「普通に吐けますよ。特に下の姉はS級認定を受けていて、かなりの実力です」
「さっき、ランクがどうとか言ってたけど」
「A級以上が凍らせる冷気を吐けます。S級になると、吹雪を起こしてまとめて凍らせるなど、とても強力な技を使えます。その上にU級、アルティメットがあるらしいんですけど、よく分かりません」
「優秀な姉たちに囲まれた生活、か」
口を閉じてうつむいた遊希の目から氷の涙が零れ落ちて、布団の上を転がった。
「帰りたくない」
幸雄は遊希の洗いたての髪をそっとなでた。魅惑的な甘い匂いがした。普段自分が使っているシャンプーなのに、遊希の髪から漂うと、なぜこうも胸をざわめかせるのだろう。
「ここにいればいいよ。好きなだけ」
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