第3話 雪山になにが

「なんで君には耐冷スーツが関係ないの?」

「あー、いえいえ。他にはなにを作ったんですか?」

「そうだな、たとえば。人間に害をなす大型動物を捕獲するための檻も作った。特殊合金製でね、クマでも逃げられないぐらい頑丈なんだ。高圧電流を流してあるしね」

「お仕事、好きだったんですね。楽しそうなのが伝わってきますよ」

「好きだった。仕事自体は」

「それなら、他のところに就職しなおせばいいじゃないですか。技術は持ってるんだから」

「そのとおりだ。就活はした。でも、ぜんぜんうまくいかなかった。大学を出て新卒で職に就いた二年前とは、まったく状況が違ってたんだ。中途半端に経験があるより、真っ白な状態の人材を求めているのかもしれない」

「そのうちどこか見つかりますよ」

 遊希の瞳には暖かな光があった。幸雄は、凍り付いていた気持ちがほぐれていくのを感じた。でも。

「それだけじゃないんだ。恋人に別れを告げられた。経済力のない人とはお付き合いできません、てね」

「他人の私が、なにを言えばいいのか分かりませんけど」遊希は気づかうような目で幸雄の顔を窺い見た。「……辛いですね」

「我ながら深刻に考えすぎなんじゃないかとは思う。恋人はまたできるかもしれないし、選り好みしすぎなければ、職はあるだろうからね」

「そうですよ」

 優しく微笑む遊希を見た幸雄の胸の奥に、むず痒いようなさざなみが起きた。この感覚はおそらく……でも、今となっては無意味に思えた。

「だけど、なんだかもう、どうでもよくなってしまった。だから」

「はい」

「凍らせてくれ」

「いや、それは……」

 目を泳がせながら、遊希は箸をもてあそんでいる。

「頼むよ」

 幸雄は、すがるように遊希を見つめた。

「ご家族が悲しみませんか」

 遊希の言葉に対して、幸雄は苦笑いのような表情を浮かべた。

「俺に家族はいない。育ててくれた両親はもう、亡くなってしまった。交通事故だ。いや、殺されたと言っていいだろう。散々、あおられた上に目の前でブレーキを踏まれた。父はけようとして信号機の支柱に激突した。乗っていた両親は病院に運ばれたけど、どちらも助からなかった。犯人は逃げた。未だに捕まっていない。俺が就職してすぐの頃だった」

「たいへんな思いをしたんですね」

 幸雄の苦悩を共有しようとするかのように、遊希は唇を強く結んだ。

「息を引き取るとき、母は俺にささやいた。あなたの本当の両親は別にいる、決心がついたら雪山に行きなさい、と」

「だから、育ててくれた両親、なんですね」

「雪山に行け、は意味不明だけどね。まさか、今夜のような行為を勧めるとは思えないし」

「なにかの暗号かもしれませんよ」

「そうだな」幸雄は薄く笑みを浮かべた。「父は妊娠中の母を置いて雪山登山に行ってしまうようなところもあったらしいけど、夫婦仲はよかったし、なにより俺を愛してくれた。感謝は尽きない」

 幸雄は顔を上げて窓の外を見た。雪はまだ降り続いていた。

「あの、訊いていいかどうか、なんですけど」遊希は遠慮気味に言葉を継いだ。「実のご両親には、会いに行きましたか?」

「雪山か? 母は死の床で混乱していただろうから、本当に雪山に答があるかどうかは分からない。それに、亡くなった両親がどういう経緯で俺を育てることになったのかまでは聞けなかった。だから、実の親がどこの誰なのかはまったく不明だ。公式には育ての親の実子になっているから、おそらく調べてもなんの記録も出てこないと思う。俺は自分が何者なのか知らないんだ」

「無責任なことを言うつもりはないんですが」遊希は真剣な顔を幸雄に向けた。「自分が何者かなんて、分かる人はいないと思いますよ」

「どういう、こと?」

「生まれは確かに重要です。人物の基礎となるものだと言っていいでしょう。でも、そこにどのような経験を積み上げ行動をするか。それが自分を作るんじゃないでしょうか」

 幸雄は瞬きをして遊希の顔を見つめた。頼りないように見えて、なかなかしっかりと芯のある子だと思えた。

「そうだね。そうかもしれない」

「あなたはあなたですよ。何者でもいいじゃないですか」

「だとしても」幸雄は頭を抱えた。「俺はもう疲れたよ。楽にさせてくれ」

「あー、いや、えっとですね……」

「とりあえず、外にでよう」

「あの」

 遊希は、幸雄から視線をはずした。

「なに?」

「もう少し食べてもいいですか」

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