第2話 訊いてはいけない

 結城ゆうき遊希ゆき、と名乗った女の子は、運ばれてきた餃子にむしゃぶりついた。あっという間に五人前の皿が積みあがった。幸雄の前に置かれたラーメンとハーフサイズの炒飯は、まだほとんど手がつけられていない。

「ねえ、君。大丈夫なのか?」

「なにがですか」

 話す間も惜しむかのごとく、遊希はなおも餃子を口に詰め込んでいく。

 しばらく遊希の食べっぷりを眺めていた幸雄は、遠慮がちに話しかけた。

「誰かに追われてたんじゃないの?」

「ええ、まあ、そうですけど」

 餃子をつまむ箸の動きは止まらない。

「警察、呼ぼうか?」

「それには及びません。ていうか、警察ではどうにもできないと思います」

 そんなにヤバい組織に追われているというのか。

 二十人前の餃子を平らげたところで遊希はようやくひと息ついて、オレンジ色のビニール製ベンチシートに背をあずけた。

「救急車はどうする?」

「必要ありません。もう元気いっぱいです。ありがとうございます」

 遊希は勢いよく頭を下げた。積みあがった皿で豪快に額を打つ。派手な音に驚いて店中の人がふり返った。こんなお約束なことをする子が本当にいるとは思わなかった。

 散らばった皿を一緒に片づけながら、幸雄は訊いてみた。

「もしかして、お腹が空いて力が出なかっただけ、とか?」

「ええ、そうです」

 明るくハリのある声でそう言ってにっこり笑う遊希を見て、なんだそれ、と思いながらも、大事に至らなくてよかったと幸雄は息をついた。しかし、疑問は残る。

「なんであんなところにいたのか教えてくれないか。言える範囲でいいから」

 さっきまでの元気いっぱいの様子が嘘だったかのように、遊希はどんよりとうつむいた。

「家業の修行が辛くて逃げだしたんです」

 唇を強く結び、遊希は空になった皿を見つめた。

「逃げだしたくなるほどの家業って、なに?」

「それは……」遊希は神妙な顔をしてうつむいた。「話してしまうと、あなたの命に関わるので、訊かないでください」

 ずいぶん恐ろしいことを言う。敢えてチャレンジするというのも面白いが、ここは当たり障りのない話題を振るのが無難だろう。そう考えた幸雄は、何気ないように尋ねた。

「それにしても、そんな恰好で雪の中に逃げ出すなんて。寒くないのか」

「大丈夫です、私、雪女なので」

 にこやかに答えた遊希の顔が、笑った状態のまま硬直した。幸雄も口を閉じた。ふたりは向かいあったまま、彫像のように動かない。

 陶器の皿とレンゲが触れあう乾いた硬い音、笑いあう客、店員の威勢のいい外国語風のかけ声。そして、さっきまで気にならなかった、業務用の大型エアコンが発するノイズなどが、いやにはっきりと聞こえてくる。

 子供が走り回って母親が名を叫び、電子音のメロディーに続いて、いらっしゃいませー、の声がいくつも飛んだ。

「……あのさ」

「はい」

 遊希は下を向いてボソリ、と返事をした。

「俺、もしかして正解引いちゃった?」

「はい」

 小さくうなずく遊希の顔を、幸雄が覗き込んだ。

「だとしたら、俺は殺されるんじゃないのか、君に。だって、雪女は正体を知った男を凍らせるんだろ?」

「そう、なんですけど」

 遊希は上目づかいに幸雄を見た。

「凍らされると、苦しいのか?」

「いえ、一瞬で脳まで凍るので、なにも感じないはずです」

 幸雄は笑いが込み上げてくるのを感じた。なんてタイムリーな出会いなんだ。本当に遊希が雪女だとしたら、だけれど。

「ちょうどいい。俺を凍らせてくれ」

「は?」

 遊希は、目を見開いた。箸が、うずうずと動き始めている。

「あの山で俺は、雪に埋もれて春を迎えようと思ってたんだ。でも、いろんな記憶が蘇って決心が揺らぎそうだった。もし、君が今すぐ凍らせてくれるなら、その方がいい」

 けがれを感じさせない大きな瞳で、遊希は幸雄を見つめた。

「余計なお世話だとは思いますけど。どうして、そんなことをしようとしたんですか」

 幸雄は口もとに皮肉な笑みを浮かべた。

「失業したんだ。仕事上のミスで。いや、本当は俺のせいじゃない。でもなすりつけられた」

「失敗を押しつけるなんて、酷い人がいるんですね」

「社長の息子なんだ。修行のために現場に配属されているらしい。射矢見いやみ謙介けんすけという名前なんだけどね、陰では密かに嫌味いやみ嫌介いやすけと呼ばれてた。母方の姓を名乗っていたけど、経営者一族の者だとほのめかすようなことをわざと言うから、公然の秘密だった。だから理不尽なことをしても誰も強く言えない。そんな職場にも嫌気がさして辞めた」

「どういうお仕事だったんですか」

「国から依頼されて、いろんなものを開発していた、といえば聞こえはいいかもしれないけど、いわゆる天下り企業だ。でも、作っていたものの品質に関しては胸を張れるよ」

「よく分からないんですけど。例えばどんなものを作ってたんですか?」

「やめる直前までは、寒冷地で様々な活動をするための耐冷スーツを開発していた。極地域の観測隊とかで使うやつだ。かなりの低温まで耐えられる。それこそ、雪山で一晩、寝転がっていても平気で生きていられるだろう」

「それはまた、なんともやっかいな」

「ああそうか、君にとっては脅威かもしれないね」

「ええ、雪女としての能力を無効化されてしまいますから」

 まあ、私には関係ないですけど、と遊希は呟いた。

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