第2話 新たな体

「アドニー、エル、エルオーヒム。万物の主にかけて、速やかに現れよ」


「な、なんだ? 何を喋っているんだ……?」

 私の周りからは誰もいなくなり、広場にいた人も逃げたり遠巻きに見守ったりで、悲鳴は遠くなっていた。

 不意に空が暗くなり、処刑場の床から風が吹いた。中央付近にひびが入り、地底からはヒュウヒュウと不気味な音が流れている。


「契約に基づき、この体と魂を捧げる。悪魔よ来たれ!!!」

 魂といっても、アデラインのものだけどね。実は夕べのうちに契約が済んでいるので、アデラインの魂は身体から離れても天に昇るのではなく、悪魔の手にゆだねられる。

 処刑を実行しなければ、魂は体に留まっていたので、遂行すいこうされない契約だった。最後の幕を落としたのは、アイツらだ。


 突如として床が崩れ、アデラインの体が飲み込まれる。頭はひび割れた床に転がったままだ。

「うわあああぁ!!!」

「悪魔だって……、なんてことを」

「神への冒涜だ!」

 叫んだり手を合わせて、祈りを捧げる人々。まだ会場に残っていた者も、我先にと逃げ始める。思い思いの方向へ走るので、ぶつかったり混乱が起きていた。立ち尽くして動けないのもいるね。


 突如、裂けた穴から若い男性が飛び出した。肩につくくらいの長さの焦げ茶色の髪で、背が高く上品な紳士といった風体の男性だ。腕にはアデラインの体を抱いて。

「契約成立。思い切ったやり方をするね」

「グラーシャ・ラボラス! 顔を起こしてよ、頬が擦れるわ」

 地獄の伯爵、グラーシャ・ラボラスは私の横に降りると、体を置いた。頭のない体は、不思議と支えがないのにまっすぐに立っている。彼は足元に転がる私の頭を持ち上げ、体に乗せて首をつなげた。


「どうかな、契約者どの」

「あ、動く。でも油断すると首がズレるわね」

「仮だからね。緩やかだが腐敗するし、この世界に留まるのなら新しい体を探さなければならないよ」

「あー、無実を証明しないといけないのよ。体も探さないとなあ……」

 元婚約者たちは早々に避難している。皆が恐怖に震えていて、私の言葉を聞く者もいない。もうこの広場に用はないな。

 まずは早急に体を用意しなきゃ。

「……お前は、本当に……誰なんだ? レッドラッシャー侯爵令嬢は悪魔召喚の儀など知らないし、もっと気の弱い性格だった。やはりお前は……違う。彼女はもう死んだ、とはどういう意味だ?」


 牢まで様子を確認にきた、ラファティ・ケンドリックだ。どうせ周りの人間には聞こえない。なんとなく、教えてやろうという気になった。

「……そうねえ、無念を晴らすために彼女に呼ばれ、地獄から蘇った女だよ。生前は少し、殺しすぎてね」

「地獄から……」

「グラーシャは地獄での知己ちきだから、アンタが心配する必要もないよ。それより、なんで私に構うの?」

 記憶を辿っても、そこまで親しい間柄じゃないのに。ただ、王子側の人間にしてはアデラインに同情的というか、心配するような眼差しの時があったような。


「……君の、その容姿は……俺の、行方不明の妹に似ているんだ。幼い頃に誘拐され、身の代金を払っても帰ってこなかった、妹に……」

 いつに間にか、目に見える範囲には、ほとんど人影がなくなっていた。静まり返った空間を、私たちの言葉だけが行き交う。

 空は澄んだ水色を取り戻し、割れたはずの床まで元に戻っている。

「それは残念だけど、私とは関係ないね」

 ラファティを残して、グラーシャの魔力を借りて空を飛ぶ。一気にこの場を離れた。

 復讐のため、下準備をしないといけないわね。それと、新しい体が欲しい。魂が離れた直後で、できれば無傷で病気もない体が良いわ。


 王城のある首都から離れた小さな町で宿を取り、行動に移すまでの間、しばらく潜伏した。道で売られている新聞を買い、情報を仕入れながら。


『アデライン・レッドラッシャー侯爵令嬢はえん罪か』『宝剣はどうやって持ち出された?』『エイドリアン殿下とメイベル・ライト子爵令嬢の関係は!?』

 今回の出来事が、連日一面で報道されている。ただし悪魔に言及する記事はなく、アデラインの首が取れても喋っていたことは、一紙に小さく書かれていただけだった。報道規制がされているのね。


 一週間ほど宿で過ごし、ようやく復讐作戦を開始する。

 行き先は、ライト子爵の領地。馬車を手配してグラーシャと乗り込み、領主の館への道を進んだ。ほんの小さな領地の村は、メイベルの噂で持ちきりになっている。

「……メイベルは評判が良くないねえ」

「前子爵の一人娘で、甘やかされてワガママに育ったそうだよ。子爵夫妻が事故死した後、ライト子爵の弟である現在の子爵が後を継ぎ、メイベルを引き取った……というか、彼女が住む領主館に引っ越した」

 領民にはメイベルのせいで災いがあるんじゃないか、との不安が広がっている。報道を規制しても、どこからともなく噂は広がるものだ。


 話を聞いているうちに、領主の館に到着した。子爵家なのでそこまで広いものではなく、しんと静まり返っている。

 私は顔を見られないように、フードを深く被った。死んだはずのアデラインが来た、なんてバレたら大変だわ。執事に取り次いでもらい、子爵夫妻と面会する。現在メイベルは高熱が続き、館の自室でずっと寝込んでいるのだ。

「……ようこそお越しくださいました」

 挨拶をする子爵は、疲れきった表情をしていた。続いて夫人が説明する。

「ご存じの通りメイベルは王都で大問題を起こし、あれから伏せったままなのです。何人もの医師が原因を突き止められず、王子殿下が派遣してくださった医師も同じでした。薬も効果がありません。高熱が続き、毎晩うなされています」


 グラーシャは話を聞き終えてから、静かに口を開いた。

「……これは病ではなく、呪いの類いでしょう。もしや悪霊の仕業かも知れません」

「ああ! だから“出すぎた真似をしてはいけない”と、何度も注意したのに!」

 夫人は顔を覆う。子爵の顔色も一段と青くなった。

「ですが心配はご無用です、私は呪いの専門家ですから。必ずや治療してみせましょう。ただ、約束していただきたい」

「……なんでしょうか」

 息を呑んで、夫妻の視線がグラーシャをまっすぐに見据える。彼は優しく笑ってみせた。


「治療中に奇声を上げたり、暴れる場合があります。しかし患者がどう叫んでも、私が許可するまで絶対に扉を開けないでください。途中で途切れてしまえば、今以上に悪い状況になるのです。それこそ、他の方にまで被害が及ぶような……」

 夫妻の視線が、壁へ向けられる。

 夫妻には男の子と女の子、二人の子供がいる。己の家族の安全のためだといえば、メイベルが泣き叫んでも簡単に邪魔をしないだろう。

「お約束します。メイベルの治療をお願いします……」

 子爵が夫人の震える手を握り、メイベルの治療を私たちに託した。


 執事にメイベルの部屋へ案内してもらい、ついに患者とご対面だ。

 窓にはカーテンが引かれていて薄暗く、部屋は館内に比べて豪華な内装になっていた。猫足テーブルはネックレスやブレスレットなど、下位貴族では買えない高価な品が、無造作に置かれている。王子からのプレゼントかな。

「……誰よ……、医者なの? 早くなんとかしてちょうだい……! 悪夢も止めて、もうイヤよ……」

 メイベルには、毎晩アデラインの夢を見せている。ベッドの中で己の肩を抱き、うずくまっていた。

「メイベル・ライト子爵令嬢。遺言はそれでいいのですか?」

 配慮も感じないグラーシャの言葉に、メイベルは身を起こして勢いよく振り返り、グラーシャを睨みつけた。


「あなた、医者じゃないの!??? 治療する気がないなら早く出ていってよ!!!」

 枕を投げ飛ばして、壁にぶつける。気が立ってるわねえ。

「病気じゃないのよ、治療なんて無意味ね」

「…………ッ! ……そ、そんな、そんなはずないわ……」

 私の言葉に、メイベルが息を呑みガタガタと震えだした。声で分かったか。

「お久しぶり、メイベル・ライト。貴女に会いたくて、地獄の底から面会に来たの」

「ア、ア、アデライン……!!!! いやああぁ、誰か、誰か!!!」

 半狂乱で泣き叫ぶ。逃げようとしてベッドから落ち、慌てて身を起こした。


「お嬢様? どうされました!??」

 扉の向こうでバタバタと音がしたけど、執事が入らないよう止めていた。

「体は元気なようですね、安心しました。これから使うんですから、傷をつけないでいただきたい」

 カツン、カツン。靴音がメイベルに近づく。

 グラーシャは変わらない笑顔で彼女に手を伸ばした。震えながら後ずさるしかできないメイベルは、壁まで追い詰められた。

「来ないで、来ないで! やめてええええええ!!!!!」

「もう少し弱った方が楽なんですが……」

「いろいろ制約があるのね。あっと」

 覗き込んだ弾みで、私の頭が首からずれる。落ちないよう手で押さえて、脇に抱えた。わりと不便だわ、この体。


「ひいいいぃぃ……!」

 金切り声が途切れた。恐怖で意識を失ったのだ。自分たちがおとしいれて首を切断したのに、気の弱いこと。

「ちょうどいいね」

 力なく床に倒れている体から、グラーシャが魂を抜き取る。

 これで完全な体が手に入る!

 私はアデラインの体から抜け出し、メイベルの体へ入った。魂のなくなった入れものを入れ換えたわけだ。脱け殻になったアデラインの体は倒れ、首が転がった。


「うん、動かしやすいわ」

「こっちは小悪魔にでも動かしてもらおう」

 急遽グラーシャの配下の小悪魔を実体抜きで召喚して、アデラインの体に入ってもらった。うまく首を繋げ、準備完了。いきなり首なし死体があったんじゃ、不審に思われちゃう。

 私はメイベルの体でベッドに入って、おでこや耳たぶに触れた。熱はもう下がっている。汗をかいていて、ベタベタするわ。

「治療は終了しました」

「子爵様にお伝えします」

 グラーシャが伝えると、執事が礼をして廊下を急ぐ。すぐにメイドが部屋に入り、私に調子はどうか、など尋ねた。


 まずはメイベルの体を手に入れる。これなら王子に近づくのなんて簡単よ、学園に登校するのが待ち遠しいわ。

 アデラインの無実を証明しないといけないからね、まずは王子にメイベルが完治したと思ってもらわないと。

 その女の魂は、悪魔の手の内だけどね。

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