処刑前日の婚約破棄令嬢に憑依しました

神泉せい

第1話 憑依したら斬首前日!

『私は無実なの……誰か、誰か助けて……!』


 暗く沈んだ意識の中に、女性の切実な声が響いた。夢から覚める直前のように、頭の中がふわふわとしたまま耳を傾けると、急激に引っ張られて目が覚めた。


「え……あれ? 私、どうしたっけ……」

 灰色の四角い天井、背中の下は冷たく硬い。ベッドではなく、布の上に寝ているのかな。身を起こすと、髪が床につくほど長いのに気付く。

 ショートヘアだったはず……? 服は自分のものではない薄汚れた赤いドレスで、高価な品なのだろうが、ところどころ破れていた。

 立ち上がって、薄暗い周囲に目をこらした。三方が壁で小さな窓しかなく、目の前には鉄格子。


 ここは……牢屋?

 なんだか頭が重い。いや、重いのは髪か。腰まである長い髪は、ドレスと同じ赤い色。どうしてこんな場所にいるんだろう……?

 思い出そうと集中すると、覚えのない記憶が流れてくる。

 名前はアデライン・レッドラッシャー。侯爵家の令嬢で、弟がいる。婚約者で第二王子の、エイドリアン・グリーンハルシュ殿下に先日婚約を破棄され、濡れ衣を着せられて、処刑を言い渡された。

 殿下はメイベル・ライト子爵令嬢に夢中で、私が邪魔だったのだ。


 あの日、殿下に呼ばれて部屋へ行くと、そこには誰もいなかった。代わりになぜか、剣が一振りテーブルの上に置かれていたのだ。アデラインは不思議に思い、飾りものらしいごてごてした装飾の、豪華な剣を手に取った。

 それは王室が儀式用に使う宝剣で、宝物庫に保管されているはずのものだった。

「どうしてここに……? 戻しておいた方がいいのかしら」

 鞘も柄も宝石や細工で飾られてきらびやかな剣は、ずっしりと重い。それにしても、今日は兵が小走りで移動し、女官たちまで騒いでいる。

 騒々しい足音が続く壁の向こうへ、視線を向けた時だった。

 重厚な扉が突然バンッと開かれた。

「……アデライン! よもや宝剣を盗もうとは……!!!」


 部屋の主であるエイドリアン王子が、怒りの形相で扉に手をかけていた。普段なら侍従が開く扉を、自ら開けて飛び込んできたのだ。

「え……? こ、これは元からここに」

「アデライン様! 私たちが憎いからって、こんな大それた事件を起こしてまで、エイドリアン様を困らせようなんて……」

 王子のすぐ後ろにはメイベル子爵令嬢、そして侍従や騎士も連れている。誰もがアデラインを疑っていた。

「もう我慢できない。君との婚約は破棄だ! 罪人を捕らえろ!」

 騎士はすぐにアデラインを拘束して投獄、取り調べもなく、その日のうちに処刑が決定された。


 ハメられたな。

 処刑を回避するのは……難しいわね。絶望したアデラインの慟哭が、どういうわけか私に届いて呼び寄せ、彼女に憑依した。彼女の意識は感じない。私が憑依したことで完全に壊れたのか、押し込められたのか、はたまた押し出されてしまったのか。

 ……とにかく現在のこの体の持ち主は私。

 せっかく得た体なら、使わせてもらいたい。以前の私の体は、ずっと昔に失ってしまった。しかし濡れ衣を晴らすのも、処刑の回避も難しいな……。

 グッと胸に鋭い痛みが走った。

 もしかして、無実を認めさせないといけないの?

 狭い牢の中で考えを巡らせる。今がいつかも分からない。時間の経過もあいまいだ。

 うっすらと小さな窓が白くなり、朝の訪れを感じた。光は射し込まない。


 お腹がいたな。ご飯はどうなるんだろう。手でさすった腹部は、思いの外へこんでいる。痩せてるなあ。

 不意にカツカツと足音が近づく。看守かな? 話ができるかしら。

 牢の前に現れたのはくたびれた老兵でも、押し付けられたなりたての若い兵でもなく、赤茶色の髪をした、同年代の若い男性だった。牢に似つかわしくない貴族だわ。

「……ねえ、どうなってるの? 私はやってないわ、本当は分かってるでしょ?」

 なるべくアデラインっぽく喋らなきゃ。意識しても、そんなに似ている気もしない。

「……本日、君の処刑が決定した」

「家族は? 侯爵令嬢を、裁判も国王陛下の裁定もなしに殺すわけ?」

「陛下は外遊にお出かけだ。君の家族は“我が家とは関わりがない”とのことだ……」


 婚約を勝手に結んで、危なくなったら切り捨てたわね。

 貴族野郎にはヘドが出る。前世の私も、貴族には色々と苦い思い出があった。

「じゃあ今日の朝食は?」

「ない。処刑はすぐに執行されるだろう」

 男性は顔を反らした。イヤな仕事は部下に任せればいいのに、とんだ貧乏くじね。

 兵が整列してやってくる。タイムアウトか。

「バーイ、ラファティ・ケンドリック。殿下に伝えて。“お前を許すことはない、絶対に私よりも不幸にする”ってね」

「……いつもと感じが違うな、レッドラッシャー侯爵令嬢」

「その女はもういない。昨日死んだわ」


 正確には、現時点で本当に死んでいるかは判断できない。しかし、夕べ一晩一切のコンタクトが取れなかったもの、もう死んだも同然と考えていいでしょう。身体の主導権は全て私にあるし。

 兵に連れて行かれた先は窓のない灰色の小部屋で、室内には女性の兵と下級侍女が控えていた。

「髪を切ります。こちらにお座りください」

 この世界でも、処刑の前は髪を切るのね。侍女の顔は青白く、かなり緊張している。

 部屋には女性だけになって髪を切り、衣服も粗末なものへと着替えさせられる。地面に散らばる赤い髪の束。切り離された髪の分だけ、頭が軽くなった。この方が私らしい。


「……ありがとう、さっぱりしたわ」

「ひ……、いえ……」

 恨み節でも聞かされると身構えていたのか、侍女は一瞬声を詰まらせた。

 腰回りがぴったりした赤いドレスを脱いで、ゆったりした黒いワンピースに着替え、ヒールの折れた靴は布製の柔らかい靴にする。

 お貴族様には屈辱かも知れないけど、楽だわ。この先が処刑場でなければ、もっといいのにな。

 部屋を出ると後ろ手に縛られ、城を出て馬車で移動させられる。


 処刑場になる広場にはギロチンが用意され、急な発表だったのに集まった人々が幾重にも層を作っていた。

 ご大層に王族や貴族の観覧席まで作られている。エイドリアン王子は特等席に座り、浮気相手のメイベル・ライト子爵令嬢まで連れていた。元婚約者の処刑に笑みまで浮かべて、なんて醜悪な男。

 殿下が隣にいる側近に何やら話しかけると、側近は近くの文官から紙を受け取って広げ、声高々と読み上げた。


「被告、アデライン・レッドラッシャー侯爵令嬢! 被告はエイドリアン・グリーンハルシュ殿下のお心が離れたことに憤慨し、メイベル・ライト子爵令嬢に嫉妬して、数々の嫌がらせ行為に及んだ。ついには王室の秘宝である儀式用の宝剣を奪おうとした。王室の宝物を盗んだ者には、王室法により理由を問わず死が宣告される。よって、被告を極刑に処す! これより、被告の処刑を実行する!」


 広場に集まった人々が思い思いに騒いでいる。ここで飲まれてはいけない。

「私は誓って、そのような罪は犯しておりません。宝剣は元から部屋に置いてありました。私が持ち出したのではありません!」

 必死に訴えても、ざわめきに掻き消されて届いたのやら。殿下が苦い表情をしたので、聞こえてはいるのだろう。

「私は無実です! 正しい調査をしていただければ分かるはずです。私は無実です!」

「ええい、さっさと執行しろ!」

 殿下が声を荒らげた。無実と開廷を訴える私を、兵がギロチン台へと強引に引っ張った。

「例えこの命を失おうと、私は無実です。無実を訴え続けるでしょう!」


 ギロチンの刃が下ろされる。ガシャンと大きな音がして、血が飛び散った。

 コロリと首が転がり、歓声や悲鳴が口々にのぼる。

 目の前が暗いじゃん、地面側に顔が向いてるわ。このままでは喋れないので、観衆が見えるように首を転がした。立てたいが、無理そう。体を動かしたいけど、頭しか動かないなあ。


「これでもう、全て終わったな」

 早くも殿下が立ち去ろうとしている。遅くなったらマズい、えん罪を晴らすという、アデラインの願いを叶えなければいけないみたいだし。

「信じてください、私は無実です」

 最初の言葉は人々の声に潰された。一番近くにいる刑の執行役や、観衆との間に立っている兵には聞こえていて、恐怖に歪んだ表情で振り返った。


「体を失おうとも、何度でも訴えます。私は罪を犯しておりません!」


 広場にアデラインの声が響き渡り、一瞬の静寂が訪れた。続いて、悲鳴が天をく。

「きゃああ、首が喋った!」

「ひ、ひい……、呪いだ!!」

「そうだ、仕掛け……何か仕掛けがあるに違いない!!!」

 阿鼻叫喚が広がり、殿下とメイベルの目が驚愕に開かれる。横向きに倒れたままの、私の首と視線が合った。


「私に濡れ衣を着せた、お前たちを許さない……。無実の証明がされるまで、私は死なない」


「ひ、きゃ……いやああああぁあ! 誰か、あの首をどうにかして!!!」

 メイベルが脅えてしゃがみこみ、殿下が震えながら彼女の肩を抱いている。

 どうでもいいけど首を起こしてくれないかな。やっぱり体は動かせないわ、離れすぎたか……。

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