黎明の約束 下

「一ヶ月前、いよいよその問題が解決される見込みが無くなったどころか、僕には余り……時間が残されていない事が分かった」


硬直するファジルをよそにウマルは淡々と語り続ける。時間が残されていない。その言葉にファジルの目が見開かれた。それは、ファジルの予測を裏付けてしまうものだった。予測が当たっていて欲しくはない。どうか、事実にならないで。呼吸が浅くなり、問いかけようとする唇が震える。


「時間が……無いと言うのは……?」


「死ぬ、ってことだ」


肺に残った僅かな空気が抜けると同時にファジルの体から力が抜けた。ここまでとは、思っていなかった。何か問題を抱えているとは言っても、もっと小さな事を想像していた。いくらウマルがひた隠しにしていたとはいえ、ここまでの問題を抱えていた彼の苦悩に今まで気付きもしていなかったとは!


自身への怒り、ウマルの言葉を信じたくない思い、とめどなく心から溢れる濁流に突き動かされ、ファジルは叫んだ。


「一体何故ッ!」


落ち着き払った様子でウマルは答える。


「僕はね、幼い頃から不治の病を患っているんだ。……病とは言うけど、原因は全くの不明で根治の方法も手がかりさえ掴めてはいない。先生によれば、なんらかの呪いであるのかもしれないらしい。徐々に、身体の機能が失われていくという症状だ。最初に動かなくなり始めたのは……手足の筋肉だった」


細った腕を上げて見せるウマル。それに導かれる様に、ファジルの目がウマルの背後で一礼したままの彫像に向かった。そして理解する。


「……あなたの魔術はその為のものだったのですか。以前、私が何故彫像の魔術の研究を始めたのかと問うた時に言っていましたよね。病や怪我で歩けなくなった人の為だと。私は、あなたの身近にそう言った人物が居るのだと思っていましたが……あなた自身の為だったのですね? 本当に動かしたいのは、あなた自身の身体だった」


ウマルは頷いた。


「そうだ。そして今、既に僕の体の動きの大半は魔術によって補われている。今こうして普通に生活できている様に、ここまでなら僕も諦めはしなかった。だけど、先生が同じ症例の末路を教えてくれてね……この先に待っているのは内臓の停止だ。僕の魔術では内臓の動きまでは補えない。新しい魔術を作り直すにしても、一体、どれだけの年月を費やさなければいけないのか……アイモス先生も最大限の協力をしてくれているけど、それでも手足を動かすなんていう単純な動きすらまだ完全ではないんだ。きっと、間に合わないだろう」


ウマルが言葉を紡ぐ毎に、これが真実であるのだという実感がファジルに刻み込まれていった。振り払いたい、真実ではないのだと喚きたてたい。だが、そんな事をすればウマルは確実に自身から遠ざかるだろう。ファジルは一度きつく目を瞑り、向き合う覚悟を決めると目を開き、しっかりとウマルを見据えた。


「尚更、何故私に教えてくれなかったのかと信じられない気持ちで一杯です。私だけでなく、円卓の皆にも。頭数は多い方が研究が早まった筈」


「僕の事情で君達の研究の邪魔をしたくはなかった。皆、自分の人生をかけて研究を行っている。その点で言えば僕も君達も立場は変わらない」


その語り口は本音と言うより、自身に言い聞かせるものであるとファジルは直感した。


「今になってまだ私に方便を使うのですか? その秘密主義をまだ私に適用するのですか? そんなに私が信用なりませんか?」


詰めよるファジルにウマルは両手を上げて降参する。


「そう言わないでくれ。分かった。どうも身に染み付いた行動が離れてくれなくてね……」


ウマルは自嘲して力無く笑った。


「さっきの言葉も嘘ではないよ。だけど一番の理由は……怖かったんだ。この病を知られて良い結果になった試しがほとんど無くてね。両親は病が発覚した時、僕を見限った。家を継ぐのは弟になった。君に出会う前の友人達は気味悪がって一人も残っていない。病の話は僕にとって、ジンクスのようなものなんだ。知られれば人が離れていく。今のところ、この病を知って側に居るのはアイモス先生だけだ」


「一人目が先生であるのが少々癪ではありますが二人目が私になりますね……あなたの秘密主義の理由が少し分かったような気がします。分かりました、少なくとも今は私の心に留めるとしましょう。それで、残されている時間は?」


「決して長くは無い……とだけ」


具体的な年月は不明、もしかするとそれは明日かもしれない。だがそれでも、何もしない理由にはならない。ファジルは心を決めた。


「ウマル、私の言葉を聴いてください」


ファジルは椅子から降り、床へと落とされているウマルの視線の先にしゃがむと、ウマルと無理やり目を合わせた。ウマルは視線を僅かに惑わせたが、最後にはファジルの目を遠慮がちに見据えた。


「あなたが何と言おうと私はあなたの側に居座りますし、あなたの為に行動し続けます。私は許せないのですよ、あなたが一人で抱え込んでいた事も、抱え込ませていた私も。もう拒ませはしません。私にも背負わせなさい」


想いを重ねて言葉にすると、ウマルは顔を隠す様に更に顔を俯かせた。それを追いかけてウマルの懐に潜りこめば、その目尻に光るものが浮かんでいるのが見える。


「もう一度言いますが……私の想いを甘く見ないでください。あなたを一人にはしない、絶対に」


ウマルは遂に顔を手で覆った。指の隙間から嗚咽が洩れ、暫くの間、噛み締める様に声にならない言葉を呟き続ける。震える身体を落ち着かせようとファジルはウマルを抱きしめ、背を撫でた。


「僕が死んだらどうする?」


漸く顔を上げたウマルが涙混じりに言った。


「あなただけを想って一生を終えます。父には申し訳ありませんが我が家は滅亡ですね」


「ああ……最悪の結末だね。でも、それをどこか嬉しく思ってしまう自分に反吐が出るよ。君の不幸を望んでしまうような男はやっぱり辞めておいた方がいいんじゃないかい? ただでさえ問題が多いと言うのに」


「一長一短、陰に日向には人の常、悪い部分だけを見て全てを棄ててしまえば、人を愛することなど永遠に出来ません。私はあなたの善い部分に惚れて、悪い部分を受け入れる、ただそれだけです」


「善い部分……か……あまり覚えがないな」


まさに他人事であるように呟かれたウマルに思い出させようと、ファジルは彼との過去を振り返った。それは五年前の事、ファジルの母が殺害された日に送られた言葉――――


「ウマル、覚えていますか? 母が殺された日の事を。目の前で殺される母を前に何も出来なかった不甲斐無さとあの男への憎悪で狂いかけた私に掛けてくれた言葉を」


「全てを僕に吐き出すといい、全て受け入れる。確か、そう言った」


「ええ、そうです。その言葉に甘え、醜い内心を吐き出し続ける私を、あなたはただ抱き締めてくれていた。その寛容さに私がどれ程救われた事か」


「今の、僕のように? ……なるほど、これは……しょうがないな」


そう言ってウマルはファジルを抱きしめ返した。場違いにも心臓の鼓動が高まるファジル。


「私の想いは伝わりましたか?」


「ああ……夢じゃないのかと怖くなる程にね。……君が望んでくれるなら、僕は君に側にいて欲しい、最期まで」


「約束します、女神イホウンデーに誓って」


陽光に包まれた二人の影は暫くの間、二つに別れる事は無かった。





◇◆◇





夜明けが朝になった頃、ファジルは漸く自身の椅子に戻っていた。頬は僅かに上気し、それを冷ますように手で扇いでいる。


「さて……これからどうしましょう。早速、病の研究を始めましょうか?」


ファジルが言った。ウマルは首を振る。


「いや、僕も君も徹夜だ、帰って休もう。夜にはパーティーにも出なければいけないし、何より例の儀式がある」


「正直どちらも辞退したいくらいなのですが……」


ファジルは時間を無駄にしたくない思いで堪らなかったが、ウマルは尚も首を振った。


「そう言うわけにはいかない、特に儀式の方はね。あれは、僕に残された最後の希望だ。――――君を除いてはね? 霧の中から見る太陽のような、朧気で本当に存在しているのかを訝しんでしまうものだけど」


ファジルの頭に疑問符が浮かぶ。儀式が最後の希望?


「ヨク=ゾトースの招来が病の根治の糸口になると? 彼のものがどんな存在かも分かっていないのに」


ファジルの疑問はウマルの堂々たる返答によって打ち消された。


「ヨク=ゾトースは古来より一部の魔術師の間から魔術師の神と呼ばれ、招来された際には生け贄と引き替えにあらゆる質問に答えてくれる存在だそうだよ。もしその通りであるのなら、僕の病についても何か聞けるかもしれない」


「……そうなのですか?」


新たな疑問がファジルを襲う。あのゴットラムですら知らない事を何故ウマルは知っているのだろう? アイモスから聞いたのだろうか? ファジルのそんな疑問は当然お見通しだったのか、ウマルは口を開いた。


「あのヨク=ゾトースの祈祷文は実を言うと、僕がアイモス先生に渡したものだ」


「え…?」


予想を越える事実に開いた口がふさがらないファジル。ますます疑問が重なる。


「ほんの数日前だよ。病への手がかりを求めて古物商を巡っていた時、路地裏に黒いローブの怪しい人物が蓙を広げているのを見つけてね。その人物が執拗に奨めてきたのが、あの祈祷文と儀式の手順が書かれた紙束だった」


「買ったのですか……? そんな怪しい物を」


「僕も半ば自暴自棄になってたところだったからね……今でもあの紙束の内容には半信半疑だ。だけど、単なる偽物と言い切るには文章にかけられた呪いが強かったから、先生に見せる事にした」


ファジルは昨夜解読した祈祷文を思い出す。そもそもアクロ語で書かれている時点で一般人が書けるものでは無いが、それ以上に呪いの厳重さを思えば確かに買う価値くらいはあるのかもしれない。


「先生はなんと……?」


「随分な自信をもって本物だと断定したよ。とても喜んでいたな……いっそ狂喜と表現しても良いくらいだった。長い間、探し求めていたものらしい」


アイモスは膨大な蔵書の通り、魔導書の類いの鑑定にかけては右に出る者はいない。


「なら、期待しても良いのではないですか?先程の言い分だと、ウマルはあまり期待していないように聞こえましたが」


「そうだね……どうも、全幅の信頼を置く気にはなれないんだ。怪しい人物から受け取った物だからかな、良い予感はしていないんだよ」


「でも、今はそれにすがるしかない……ですか?」


「ああ」


ウマルは深刻に頷いた。


「駄目なら今度こそ私の出番というだけです。あまり気負わずにいきましょう」


「……そうだね、ありがとう。さて、帰ろうか」


そう言って帰り支度をするウマルにファジルはふと思いついた疑問を投げた。


「そう言えば、何故あの祈祷文は自分の見つけた物だと円卓の皆に言わなかったんですか?」


ファジルの問いに、ウマルは冗談めかした風に返す。


「僕が見つけた物だと言えば、エウフォリオンなんかは儀式に協力してくれなかっただろうからね」

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