「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑮

 ◇◇◇



 「……」

 心臓が高鳴る。まるで鼓動の音が直接耳に響いているかのよう。

 わたしは今、おかしくなっている。

 わたしのふとももの上には皐月ちゃんがいて、つい先程眠った。綺麗な黒髪が、わたしの指の隙間できらめいている。

 ほんの僅かにだけ聞こえる吐息が、皐月ちゃんの唇から漏れ出ている。

 皐月ちゃんは変わった。わたしと友達関係になったときは、わたし以外と話す事には前向きでは無かった。でも、今の皐月ちゃんは少しずつ、クラスメイトと話すようになった。わたしとの学校生活を楽しみたいからと。わたしと思い出をたくさん作りたいと言ってくれた。

 その言葉を聞くたびに私の胸は高鳴って、まぶしいくらいに綺麗だなぁと思う。

 けれど、たまに思う。皐月ちゃんはこんなにも変わったのに、わたしは全然変わっていない。愛染家の駒として生きて、わたしの意志なんて関係なく婚約者がいる。

これがわたしの意志で玲央くんを選んだのなら、きっとわたしは後悔しない。わたしが、わたしの責任で、わたしの意志で選んだ未来なら。けれどもわたしは、全て敷かれたレールの上を歩いているだけ。

 それでも、それでも唯一変わった事があるとすれば、それはきっと皐月ちゃんとの出会い。全てを諦めたわたしが、自分自身の意志で進んだ関係。今のわたしにとって、一番幸せな時間。

 「…わたしも、皐月ちゃんと出会えて幸せだよ」

 ぽつり、と言葉が漏れる。寝ている皐月ちゃんには届かない言葉。でも、口にすると心が暖かくなるような感じがする。

 わたしは、きっと皐月ちゃんに他の人にはない感情を抱いているんだと思う。けれどそれが何なのかは分からない。利用されて、裏切られてきたこの人生で、わたしは他人に対しての感情が分からくなってきている。もちろん、全員が悪い人という訳ではない。新藤さんも、戸鞠さんも、玲央くんも良い人だと思う。けれど、わたしはどうしても裏に何かあるんじゃないかと疑ってしまう。

 周囲の人はわたしを優しいと言うけれど、それはきっと、わたしが悪意を受けたくないからだ。きっとわたしはわがままで、自分勝手。

 でも、皐月ちゃんには…皐月ちゃんだけにはそう思わなかった。それはもしかしたら、わたしの一方的な思い込みなのかもしれない。けれど、皐月ちゃんは真っ直ぐな目でにわたしと友達になろうと言ってくれた。それが嬉しくて、そしてわたしの欲しかったもの。

 「…皐月ちゃん。いつかわたしの手を取って、どこか遠くに連れて行って」

 「……わたしの、一生のトクベツになって」

 わたしのこの感情に名前を付けるのなら、きっとそれは――




 ◇◇◇



 「…ん…んぅ…」

 ほんの少し肌寒い風を受けて、私の意識はゆっくりと現実に戻ってくる。

 少しまぶしい光に目が圧迫される感じを受け、光を手で遮る。しばらくして目が慣れてくると、私は現実を見る。

 「…愛染、さん」

 私の後頭部に当たるあたたかい感触。そうだ、私は愛染さんに膝枕をしてもらって、そのまま寝落ちしてしまったのだ。

 「……」

 冷静に考えて、私の今の状況は中々にアレだ。誰かに見られていないだろうか。愛染さんに膝枕をさせた生徒なんて噂になるかもしれない。

 そんな事を考えていると、視界に愛染さんの顔が映る。私を膝枕したまま寝ている。結構器用だなと思う。それ以上に、綺麗だなという感想が出てきた。

 愛染さんの寝ている姿を見るのは初めてだ。笑顔が可愛らしい普段の愛染さんと違って、とにかく綺麗だった。風に靡く髪が日差しによってきらめいているし、まつ毛は綺麗だし、唇はぷるぷるしている。ずっと見ていられそうだなと思う。

 私は目が覚めたけど、ここで愛染さんを起こすべきなのかどうか。私の頭がしばらく乗っているということは、負荷がかかっている。足が痺れているかもしれない。であるならばできる限り早めに起こした方がいい。

 けれど、愛染さんの寝顔を見ていられるのはきっと今だけだ。ちょっと勿体ないなと思ってしまう。普段の愛染さんが見せる事のない、本当の意味で自然体な表情。それがとても綺麗で、その頬に触れたいと思ってしまう程に綺麗だと思う。

 周囲に見られたら間違いなく勘違いされる状況ではあるんだけど、それでも私はこの状況が続いてほしい、なんて考えてしまうのだ。

 「……くしゅん」

 そんな事を考えている最中、少し強めの風が吹き、日陰の涼しさと相まって寒さを感じたのか私は反射的にくしゃみをしてしまった。

 「…ん……」

 私のくしゃみに反応したのか、愛染さんがゆっくりと目を開く。そして、私たちの目が合った。

 「…あ、おはよ、皐月ちゃん。よく、眠れた?」

 少しとろんとした表情で私にそう尋ねる。

 「お、おはよ。うん…その、すごく良かった」

 「ふふっ、それなら膝枕した甲斐があったかな」

 もう少しこのままでいようか考えたけど、愛染さんの脚の事を考えて私はゆっくりと起き上がる。先ほどまで後頭部に感じていたあたたかさが無くなった事に少しの寂しさを覚える。

 「その、お弁当ごちそうになって、膝枕までしてくれてありがとね」

 「どういたしまして。わたしがしたかった事だから。とっても楽しかったよ」

 「…そ、その、足大丈夫? 痺れてない?」

 正座をして、しかも私の頭が乗っていたのだ。流石にしばらく動けないのかもしれない。いや、私別に重くないけどね。重くない…はず。そうであってほしい。

 「ん、少しピリピリはするけど大丈夫だよ。わたし、長時間正座しても割と平気だから」

 正座に平気とかあるんだ。私も正座がそこまで苦手という訳ではないけど、あまりやらない座り方だ。最後にしたのは多分、愛染さんが初めて私の部屋に来た時。私は普段、女の子座り…正式には割座って言うらしいけど、そんな座り方だ。ちなみに自室で一人の時は普通に胡坐をかいていたりする。誰も見てないしね。

 「そうなんだ、長時間平気なのってすごいね…」

 「まぁ、小さい頃から色々教育されてきたからね」

 愛染さんは良い所の生まれだ。きっと座り方だったりといった作法も厳しく躾けられていたんだろう。私だったら絶対に音を上げていると思う。愛染さんも望んで教育を受けたわけではないと思うけど、それでも最後までこなしたのは凄いと思う。

 「…そっか。しっかりこなして、それを自分のものにするなんてすごいね」

 愛染さんは頑張り屋だ。使命があれば最後まで諦めずに成し遂げるだけの忍耐力がある。でも、それはきっと愛染さんの心には負荷がかかっている。それなら私は、そんな愛染さんの心の支えになりたい。愛染さんが私にしてくれたように、私も。

 「あ、ありがとう。皐月ちゃんに褒められるの、好き」

 好き。その言葉は私自身に向けられたものではなくて、あくまで私に褒められることが好きという意味だ。だというのに、私は今とんでもなく胸がドキドキしている。

 私は愛染さんが好きかと言われたら間違いなく好きだし、きっと愛染さんも私の事は好きだろう。でもそれは、お互いが大切な親友だと思っているからこその好きである。いわゆるlikeの好きだ。それは分かっているんだけど、それはそれとして愛染さんに好きって面と向かって言われたら照れる。嬉しいけどね。

 これは私の周囲だけの話かもしれないけど、女子は友達に好きとかいう人はそこそこいるんじゃないかなと思っている。もちろん、多いかどうかは分からない。実際、私の幼馴染というか、私を中学時代のバスケ部に誘ってきた友達は、私に「皐月、好きー! ずっと友達でいてよぉー」みたいなことをしょっちゅう言っていた。

 「え、えと、じゃあ、たくさん褒める…よ!」

 「えへへ、うん。じゃあわたしも、たくさん褒めてもらえるように頑張るね。二人三脚も」

 愛染さんは普段こそ大人っぽいというか、こう貫禄さえ感じる時があるんだけれど、私と二人でいる時は結構子供っぽい所がある。子供っぽいは失礼かもしれない。素の愛染さんが出ていると思う。あれ、これだと素の愛染さんが子供っぽいということになってしまう。とにかくあれだ、私の前では愛染さんは取り繕ったりせず、本当の意味で愛染さんを見れているんだと思う。

 「そうだね、まだ二週間あるから、じっくり仕上げていこう」

 「うん。あ、もし皐月ちゃんが大丈夫なら、もう少し練習したいな」

 愛染さん、随分とやる気だ。ご飯を食べてお昼寝もして、体力は十分に回復している。せっかくなのでもう少し練習できそうだ。

 「私は大丈夫。愛染さん、やる気だね」

 「うん。それに…もうちょっと皐月ちゃんと一緒にいたいな…って」

 もう何回もこんな感じのやり取りをしているんだけど、毎回私はドギマギしてしまう。嬉しくて、けど恥ずかしい。愛染さんは私の心を乱してくる。もちろん悪い意味ではなくて。

 「う、うん…その、私もだから。れ、練習がんばろう」

 「うん!」

 こうして、私たちは再び練習を再開した。


 その後の二週間も、私たちは頻繁に練習を重ねていった。最初こそぎこちない走りだったけど、日を追うごとに私たちの息はピッタリ合っていく。それがとても嬉しかった。私と愛染さんの二人で、一つの事を成し遂げる為に成長している実感が、私たちのモチベーションを高めていく。

 それとは別に、私は週に3、4回程ジムに通って走り込みを続けていた。体育祭数日前になると、だいぶ体力が戻ってきたなと実感する。新藤さんともたまにジムで鉢合い、効果的な筋トレの仕方を教わった。筋トレの仕方だけではなくて筋肉の名称やら筋肉がつくメカニズムやらも聞かされたけど。おかげで私は麗女で二番目くらいに筋肉に詳しくなってしまった感はある。一位は新藤さん。いやもう終身名誉一位でしょ。

 この二週間で、財前さんとも2回程顔を合わせた。とは言っても、周囲に人がいたこともあり一言二言挨拶を交わしたくらいだけど。その時の新藤さんの信じられないものを見たといった表情は中々に芸術的ではあったけど、それはまた別の話。

 そうして私の二週間はあっという間に過ぎ去り、いよいよ体育祭の本番を迎えるのであった。

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