「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑬
「…えー…っと」
私の圧勝だった。え、圧勝してしまった。
財前さんの名誉の為に言っておくと、財前さんは全然遅くはない。むしろ麗女の中でなら上位だろう。
うちのクラスで運動ができるのは、私や新藤さん、戸鞠さん、バドミントン部の加瀬さんだ。体力測定における1000mの走りを見ている感じだと、戸鞠さんと加瀬さんくらいの速さはありそうだと思う。更に言えば、私はここしばらく走りこんできた事もあり大分感覚を取り戻しつつある。
それと、財前さんは走り方と呼吸があんまりよくないというか、習っていないんだろうなと思う。そこで無駄に体力を消費しているんじゃないかと感じた。
「……」
財前さんは息を荒げながら膝をついて苦しそうにしている。綺麗な顔が台無しだ。
「……い」
「え、何?」
財前さんは何かを呟いた気がした。けれど、息を切らしながら小声だったこともあり聞き取れず、私は聞き返す。
「…しい」
「…何て?」
「く…っやしいーーーーーーーーー!!!!」
と、大声で叫び、床をドンドンと叩き始める。とてもさっきまでの冷静というか、品のあるたたずまいをしていた人と同じようには見えないくらい感情的だ。
「え? …えぇ?」
「悔しい悔しい悔しい! 愛染美乃梨に序列も勉強も負けて! そのお気に入りには運動でボロ負けして! なんなのよぉーーーーー!」
周囲に私だけでよかったと思う。他に誰かいたら割と大事件になっていると思う。
少なくとも、私がカフェテリアを素通りする時の財前さんはすましたというか、気品と自信に満ち溢れた表情をしていたと思う。カフェテリアの外から見ても、この人がボス格なんだろうと一発で分かるほどに。それくらいに存在感がある。
なんだけど、今の財前さんは何というか、子供だ。駄々をこねているような、そんな感じ。
「えぇ…」
そんな感じで財前さんはしばらく喚いた後、急に何も言わなくなる。そして、動きも止まった。完全に停止したという例えが正しいのかもしれない。
「…えっと、財前さん?」
呼びかけてみると、財前さんはすっと立ち上がり私の方を見る。その表情は普段通りの気品と自信に満ち溢れた表情だった。
「ふっ、天ヶ瀬皐月。思ったよりもやるわね。見直してあげるわ」
「…えぇ、割とボロ負けだったじゃん…」
「…う、うるさいわね! まさかこんなに体力お化けだなんて思ってなかったのよ!」
財前さんは顔を赤くして、むきーという効果音が出そうな感じで悔しそうな表情を見せる。
「…は、はぁ」
「…まぁ、侮っていた私が悪いわ。言っておくけど、本番の1000mは負けないから」
ビシッと人差し指を私に突き付けてくる。何というか、かませ犬みたいだと思ってしまった。言ったら多分本気で怒られそうなので言わないけど。
「私も別に、負けるつもりはないけど」
「ふん、本番が楽しみね」
結局1000mに関しての財前さんの実力は分からずじまいだ。ただ、5kmの走り方をみる感じ、私もちゃんとトレーニングをしたら負けることはなさそうだ。
「…それと、今回の事は他言無用よ」
「…そうなの?」
「当たり前でしょう」
「…もしかして、周囲にさっきの言動隠してるの?」
私が見たり聞いたりした財前さんはプライドが高く、そしてそのプライドの高さに納得できるだけの気品や地位、そして成績がある。そんな感じだった。
まさかあんな駄々っ子みたいな姿があるとは思っていなかったけど。
「…あ、当たり前でしょう! こんなの今まで見せてしまった事も無かったんだから!」
つまり、財前さんの本性は今の所私しか知らないのか。まぁ確かにあの駄々っ子ぶりは隠した方がいいかもしれないね、うん。
「…はぁ、まぁ言わないけど」
「絶対よ。特に愛染美乃梨には! 貴女が愛染美乃梨のお気に入りだからって、周囲にバラしたら容赦しないから」
さっきからお気に入りを連呼されている。確かに私と愛染さんは立場が違う。でも、大切な友達だ。いい気分には当然ならない。
「…あのさ、私と愛染さんは友達だから。そのお気に入りってやつはやめてほしい」
「…はぁ? 貴女が愛染美乃梨の友達? 外部入学生が?」
む、かなり見下されている気がする。ボロ負けしたのに。
とは言え、挑発に乗りすぎると後が怖い。一応穏便には行きたいところだ。
「友達だよ。外部入学生とか関係ない」
「…ふぅん。ノブレス・オブリージュのつもり?」
「…違うよ。私と愛染さんは、対等な友達」
正直、こんなことを言っても信じてはもらえない気はする。愛染さんと私では育ちが違いすぎるからだ。でも、別に否定されても構わない。私は愛染さんを大切な友達だと、一番の親友だと思っている。そして愛染さんは私の事を対等だと言ってくれた。他の誰でもない、愛染さんが。それだけで私は、たとえ誰から何と言われようと胸を張って友達だと言える。
「そう。ま、いいんじゃない。私には関係ないし」
「…え」
予想外の返答に、私は少し素っ頓狂な声を出してしまった感がある。てっきり馬鹿にされるなり、笑われるなりするのだと思っていた。
「何よ。別に貴女と愛染美乃梨が友人関係にあったとして、私に何の影響があるのよ」
「…いや、てっきり立場が違うとか、見る目がないとか言い出すのかと」
「…ふん。確かに、私の周囲の人間が下す貴女と愛染美乃梨への評価はそんな感じよ。外部入学生を取り込もうとしているってね。それも学年の落ちこぼれを」
「……」
私の周りにはそんな声は無かった。愛染さんが同じクラスにいるから表立ってそういう話を出すことができないからなのかもしれない。それに、私の周りには愛染さんだけでなく新藤さんや戸鞠さんといった、クラスの中心人物的存在がいる。その二人とそれなりに友好的な関係を築けている以上、2組ではそういった事は言えないからだろうか。
でも、他のクラスはそんなことは関係ない。私の成績はある程度改善傾向にあるとはいえ、それでも平均前後。1年時は確かに落ちこぼれだった。否定できる材料がない。
「…その、財前さんは違うの?」
「私? そうね…正直どうでもよかったわ。私は愛染美乃梨に序列も成績も負けている。はっきり言って腸が煮えくり返るほどに悔しいわよ。でも成績に関しては私の学力が及ばなかっただけで、愛染美乃梨がコネで学力を騙した訳じゃない。私は愛染美乃梨を蹴落としたい訳じゃないわ。ただ実力でねじ伏せたいだけ」
「……」
何というか、財前さんは割とストイックだ。少なくともこの麗女において、財前さんに序列で勝てるのは愛染さんだけだ。愛染さんに聞いた話だと学力は学年2位だとか。そんな財前さんが、単純に自分の実力で愛染さんに勝ちたいと闘志をむき出しにしている。
「何ていうか、意外だね。財前さんって言い方は失礼かもだけど、結構頭脳戦というか、政治めいた事しているのかと思ってた」
「…本当に失礼ね。まぁ…麗女っていうのはそういう学校よ。私は財務大臣、財前昭雄の孫娘。おじいさまに泥を塗る訳にはいかない。だからこそ、私はこの麗女でトップに君臨しなければならない」
「だから私は、私にすり寄ってくる子達に隙を見せてはいけないし、逆に取り込まなければならない。そしてあの子達には私に近づくメリットを与えなければならないわ」
何だか、難しい話になってきた気がする。でも、その話をする財前さんは、少しばかり苦々しいような表情だ。
「まぁ、要するに私はクラスの頂点にいなければならないのよ。そのためには、腹の探り合いは必要。でも、別に派閥を作って愛染美乃梨と戦うつもりはないわ」
「…そうなんだ」
「戦う理由もメリットもない。私はあくまで私の実力で愛染美乃梨に勝ちたいだけで、愛染美乃梨対して優位に立ちまわりたい訳じゃないわ」
思っていたより、財前さんは良い人…なのだろうか。ただ、少なくとも気苦労は色々ありそうだけど芯の通った人だとは思う。
「それと、天ヶ瀬皐月。貴女はさっき私に勝った。私に勝った人間なら、外部入学生だろうが関係ないわ。私に勝った人を見下すなんて、私自身が許せない」
「…財前さん。何というか…私、財前さんの事誤解してたかも。なんというか、思ってたよりいい人だね」
そう。愛染さんに次ぐ家柄であることや、カフェテリアでの立ち振る舞いから、私は財前さんを誤解していた。
プライドが高くて高慢な人なのかと思っていた。でも実際の財前さんはプライドは高いけれど、ひたむきに努力ができる人だ。そして卑怯を嫌うまっすぐな人なんだなという事が伝わってくる。
「…べ、別にいい人なんかじゃないわよ。と、とりあえず私は帰るわ」
ちょっとツンデレっぽさがあるなこの人。
「あ、待って」
「…何?」
帰るといったところで、私は一度財前さんを呼び止める。
「走るとき、フォームが崩れてる。ちょっと力みすぎかな。もう少しまっすぐ、リラックスした姿勢の方がいいよ。あと力任せに腕を振るんじゃなくて、自然な感じがいいかも」
「……」
「力んで走るんじゃなくて、股関節と肩関節を動かして走るイメージっていうのかな。とにかく、腕と足がある程度リラックスしているような、力まないフォームをイメージしてみたらいいと思う。きっと、もっと走れるようになるよ」
財前さんのフォームはちょっと力任せだ。腕も無理やり振っている。ランニングというものはそういった力んだフォームだとすぐに疲れてしまう。財前さんはそれなりに運動はできるんだなと一緒に走って分かった。ただ、少なくとも陸上競技をやっているわけではなさそうだ。いわゆる我流というものだろう。だからこそ、的確なフォーム等を知らないのかもしれない。そこを変えるだけでも、きっと財前さんは速くなる。敵に塩を送るみたいな感じになっている気もするけれど、せっかくの勝負だ。楽に勝ちたい訳ではない。
「それと、呼吸も大事だよ。財前さんは走るときは口呼吸だけど鼻呼吸を意識してみるのはどうかな。呼吸をするタイミングとかも、たくさん酸素を補給できるようにしっかりとね。財前さん、結構身体動かせるから、あとはこういった知識があれば一気に伸びると思うよ」
もちろん、体育祭本番では負けるつもりはない。もしかしたら財前さんは一気に成長してくるかもしれないけれど、そっちの方が張り合い甲斐がある。
「…な、なによ」
「べ、別にそんな優しくされたからって、私は絆されないんだから! でもありがとう!」
財前さんは何故か照れたように、そしてツンツンしながらそんな事を言って走り去っていった。ツンデレかな?
嵐が去ったように、再びジムの中は静寂が広がる。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。喧騒って言葉はちょっと響きが悪いかもしれないけど。
ゴールデンウィーク初日は波乱の幕開けだ。いや、こんな波乱が毎日続いても困るけど。
ただ、財前さんは思っていたような恐ろしい人ではないんだな、という事は分かった。同じクラスだったら、何だかんだで仲良くなっていたのかもしれない。
麗女は色々と複雑な事はあるけど、それでもこうやって話してみるといい人はいるということが分かっただけでも、今日は収穫があったのだろう。
結局、二日目は特に何事も無かった。昨日と同じように勉強とジム。ジムは誰も来ることがなく、ほとんど会話もないまま一日が過ぎた。
夜寝る前に帰ってきたよと愛染さんからメッセージが来て、おかえりと返しただけ。
愛染さんと会えない日は、やっぱり寂しい。そんな風に思いながら、ゴールデンウィークの二日間は終わりを迎えた。
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