「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑫

 ◇◇◇



 5月。ゴールデンウィークに突入し、明日からは麗女も少しばかりの連休が入る。

クラスメイトの中には数日とは言え帰省や旅行に行く人もいるようだった。

 「ウチは実家帰るよ。帰って来いって親がうるさくてね」

 「あたしもー。しょーちゃんが泊まりに来るんだよー」

 新藤さんと戸鞠さんは実家に帰るようだった。私も帰ろうと思えば帰れなくもないけれど、勉強やトレーニングをしたいということや、お父さんが帰ってこないのもあって麗女に残る事にした。まぁ、私は実家に帰っても特にやることが無いんだけど。

 「わたしも最初の二日間は実家なの」

 そして、愛染さんも二日間留守になる。つまり、少なくとも二日間はぼっちだ。

 「そっか、残るのは私だけなんだね…」

 「お土産買ってくるから期待してくれたまえー!」

 「ウチも買ってくるよ。まぁ、東京だから大したバリエーションは無いけれどもね」

 この一ヶ月で、私はだいぶ話せるようになってきていた。普段話すのは愛染さん、新藤さん、戸鞠さん、あと中江さんくらいのものだけど。クラスメイトとも朝の挨拶を交わしたり、軽く世間話をするくらいはできるようになってきた。

 まだ全員と仲良く、なんて所までは行けていないけれど、だいぶ進歩したんじゃないかなと思う。

 「ありがと。実家でゆっくり休んできてね」

 そんな話をして、新藤さんはジムに。戸鞠さんは中江さんと共に寮に戻っていく。

 残っているのは愛染さんと私だけだ。

 「昨日一昨日と練習したし、明日からお出かけなら今日は練習休みにしておこうか」

 怪我とかしたりしたら危ないし、今日はおしゃべりか勉強なんかがいいかなと思っての提案だった。

 「…うん」

 「…愛染さん?」

 ちょっと元気のない返答に心配になる。練習、したかったのかな。

 「その、皐月ちゃんと会えないの、寂しいなぁって」

 「それは…私もだよ」

 愛染さんは月に一度、時渡さんと共に出かけている。そして今回はどうやら時渡さんとの予定ではないらしい。つまり、今月は4日会えないかもしれないという事だ。普通に考えればたったの4日。けれども、それは私にとってとてつもない時間だ。たとえ分割されていようとも。少なくとも、2日会えないというだけで私は割と寂しいなと思うようになっているのだ。

 「…その、練習はしないけど、もうちょっと一緒にいたいな」

 「もちろん。というか、おしゃべりか勉強でもどうかなって思ってた」

 「やった…ふふっ」

 結局この日は1時間ほど愛染さんから勉強を教わり、その後はおしゃべりをしながら寮へ戻る。

 明日からの二日間は愛染さんがいない。ジムに行っても新藤さんと会う事もない。戸鞠さんや中江さんと食堂で会う事もない。かつての日常でもあった一人の世界。ちょっと不安というか、正直寂しい。

 やることと言ったら勉強してジムで走りこむくらいだろう。寂しいけれど、やれることはしっかりとやる。頑張ろうと決めた以上はやり遂げたい。

 「皐月ちゃん」

 「ん、何?」

 「帰ってきたら、練習しようね」

 愛染さんが帰ってくるのはゴールデンウィークの二日目夜らしい。三日目からは会えるという事だろうか。

 「うん。でも大丈夫? 実家に行って疲れが残ったりとか…」

 「あるかもだけど、皐月ちゃんに会えればぜんぶ吹き飛ぶよ。それに、身体を動かした方がすっきりするかも」

 愛染さんは冗談っぽく笑う。半月ほど二人三脚の練習をするようになって、私たちの二人三脚はだいぶ上達しつつある。学業をおろそかにはできないから毎日練習するということはできないけれど、時間があるときはちょくちょく練習している。愛染さんが帰ってきたらいよいよ走る練習だ。着実に私たちの努力は成果となって表れてきているからだろうか、愛染さんも運動へ前向きな気持ちになってきているようだ。

 「あはは、確かに。じゃあ、楽しみにしてる」

 「わたしも。身体を動かすのってすごく苦手だけど、皐月ちゃんと一緒だと楽しい」

 あんなに運動後この世の終わりみたいな表情をしていた愛染さんとは思えない。それでも、私と一緒で楽しいと言ってもらえて、胸が熱くなる。

 「あ、ありがと。えっと、う、嬉しい」

 「ふふっ、皐月ちゃんと照れてるー」

 「て、照れてな…くはないけどぉ」

 最近愛染さんは私にいらずらっぽくそんな事を言う事が増えた。毎回照れて反応してしまう私も私だけど。

 「じゃあ…また、ね?」

 「うん、また」

 私たちは名残惜しそうにしながらも、それぞれの寮に戻る。

 早く会いたいな。ついさっきまで一緒にいた愛染さんの事を考え、そんな事を思っていた。

 私にとっての愛染さんは、それだけ大きな存在だ。きっと、誰よりも。




 ◇◇◇



 ゴールデンウィーク。私にとっては最初の二日は虚無ウィークだ。とはいってもやるべきことはこなしていく。

 麗女には中間試験というものがない。進学校では割とある話らしいけれど、麗女は期末試験一本だ。そのため、中間対策というものはしなくてもいい。ただ、期末のみという事は、より幅広い範囲をしっかり把握しなければならない。2年の授業も相変わらずハイレベルだ。私はついていくのがやっとで、毎日のように愛染さんに授業の事を聞いている。たとえそれが二人三脚の練習やジムに行く日であっても。そのおかげで何とかついていけているという状態だ。

 戸鞠さんは得手不得手がはっきりしているけれど、それでも私より全然成績はいい。意外だなと思ったのは、戸鞠さんは外国語が得意だ。英語だけではなく、フランス語と中国語も話すことができる。逆に理数系は苦手のようだった。

 新藤さんに至っては地味にクラスで3位の成績だ。運動も出来て頭もいいのは割とずるい。いや、それだけ勉強も頑張っているという事なのだから新藤さんは悪くないんだけど。普段は筋肉オタクな所があるけれど、何だかんだで真面目だなと思う。本人は勉強する筋肉を鍛えているからねとか言っていた。そんなものがあったら私も毎日筋トレしたいくらいだ。

 私はハッキリ言って恵まれている。愛染さんという大切な親友がいて、何だかんだで軽口を叩きあえる新藤さんがいて、見ているだけで元気を貰える戸鞠さんがいる。愛染さんには勉強を教えてもらっているし、そのおかげで成績も上がってきている。孤独だった一年の頃と比べて、あまりにも私をとりまく環境は良くなった。

 だからこそ、不安に思う時もある。この幸せが崩れ去ったらどうなってしまうのだろうか。この環境に私は甘えているんじゃないだろうか。一人になると、そんな事を考えてしまう。

 それでも、私はこの幸せを手放したくない。これを傲慢と言うんだろうか。きっと、私はワガママだ。そうなってしまったのだ。それだけ、皆といる時間は、私にとってかけがえのないものになったのだと思う。


 ゴールデンウィーク初日のジム。ここには今、誰もいない。私だけの空間だ。まるでこの世界で私だけが生きているかのように静か。普段も数人しかいないようなジムだけど、ゴールデンウイークになるとこんなにも人がいないものなのか、と思ってしまう。

 準備運動をして、軽くマシンの筋トレを行う。新藤さんにやり方を教わったので、習った通りに筋トレをしていた。ただやればいいわけではなく、やり方によって筋肉のつき方も変わるらしい。ジムに行くたびに力説されたので結構覚えてしまった。でも筋肉フェチにはならなかった。

 「あら。先客がいたようね」

 そんな中で、一人の女の子がジムに入ってくる。

 美しい、という形容詞がぴったりとあてはまる整った顔立ち。愛染さんが可愛らしさもある美しさなら、この人は純然たる美という言葉が似合う。ぱっと見では日本人と西洋人のハーフ、あるいはクオーターのよう。煌びやかな金髪に、自信に満ち溢れたような碧眼。体つきはややスレンダー寄り。

 「貴女…確か天ヶ瀬皐月さんだったかしら?」

 私の事を知っているのか。

 私も彼女を知っている。いや、一方的に知っているだけだ。

 財前麗香(ざいぜん・れいか)、2年1組。現財務大臣の孫娘。麗女の現2年生において、愛染さんに次ぐ序列の生徒だ。

 「えっと…財前さん、だよね。私の事知ってるの?」

 私と財前さんに認識はもちろん無い。放課後のカフェテリアで歓談という名の舌戦をしてるくらいの認識しかない。話したことなんて一度もなかった。そもそも、クラスが同じになった事も無いし。

 「もちろんよ。麗女の生徒は全員覚えているわ」

 「すご…で、何で話しかけてきたの…?」

 全員の顔と名前を一致させているのは凄い。まぁ、中等部はそのままエスカレーター式に高等部に上がっているから、入学後に覚えるのは外部入学生だけなのかもしれないけど。それでも数人という訳ではない。話したこともない、別クラスの人間の顔と名前も覚えるのは凄いというか、真面目というか。

 「…愛染美乃梨のお気に入りだからよ」

 「…愛染さん?」

 お気に入り、という言葉はちょっと引っかかる。私と愛染さんは周囲からは友達だと思われていないのだろうか。

 「私を負かしたあの女のお気に入りが偶然ここにいたのよ。それなら戯れに話してみるのも一興でしょう?」

 言葉遣いが仰々しいというか、棘があるというか。どちらにしても、あまり好意的には思われていなさそうな感じがした。

 「貴女、体育祭は何に出るの?」

 「え、1000mと二人三脚とスウェーデンリレーだけど…」

 「へぇ、1000m…私と同じね」

 財前さんも1000mに出るという事は、私たちは一緒に走る可能性がある。というか人数的に間違いなく走る。財前さんが運動できるのかどうかは分からないけれど、少なくともトラック競技に関しては各クラスで運動ができる人が優先して参加する事が多い。その上1000mは体育祭の最長距離だ。財前さんは運動ができないという事はないだろうし、むしろ1組ではトップクラスなのだろう。

 「そうなんだ。当日はお手柔らかにね」

 私は当たり障りのないというか、月並みな言葉を返す。下手に挑発はしないように心掛けた。というのも、財前さんは以前は1年2組、今は2年1組のボス格だ。財務大臣の孫娘ということもあり序列2位。下手に喧嘩を売って争いになったり、愛染さんに被害が行くのは避けたい。

 「せっかくここで出会ったのだし、少しばかり腕試しでもしない?」

 財前さんは得意気に私を見て提案してくる。別に手の内を隠したい訳ではない。財前さんの実力を知れるし、もし私が負けているのなら、その差がどのくらいなのかも知れる。

 「…別にいいけど」

 私はその挑発に乗り、財前さんと対決をすることになった。

 ランニングマシンを使用して、先に5km分走った方の勝ちという勝負の提案をされた。1000m走に出場するはずなのに、何故かマラソン対決になっている。

 「…私たち、1000mの勝負をするんじゃないの? 何で5km?」

 「あら、5kmも走れないの? 別に減らしてもいいわよ」

 やっすい挑発だ。でも、そんな事を言われると私もちょっとむかーっと来てしまう。私はジムに通うようになって、何だかんだで毎回30分から1時間は走っている。なので5kmは普通に走っていることになる。

 「…む、5kmでいいよ」

 「ふふ、負けたら泣き言くらいは聞いてあげるわ」

 むかつくー、絶対負けたくない。そんな事を思いながら、私はマシンの上に立つ。

 「じゃあ、準備は良いかしら?」

 「いつでもどーぞ」

 お互い走る距離を5kmに設定する。財前さんはスマホのアラーム機能を30秒後にセットした。つまり、30秒後がスタート。

 ランニングマシンの速度は自由に変更していい。なので、この勝負はいかに5kmを適切な速度で走るための速度に合わせるかが大事となる。普段は3、40分ちょっと走る上で余力が残るくらいの速度にしているので、今回はそれより少し早い程度で調整する必要があるだろうなと思う。

 アラームの音が鳴ると共に私たちはマシンを動かし始める。

 オーディエンスのいない、二人だけの勝負の火蓋が今、切って落とされた。

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