「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑪
◇◇◇
月曜日。愛染さんと会えたのは金曜日以来だった。昨日はひたすらに勉強したり、ストレッチをしてたりするくらいしかしていなかった。要は寂しい一日を過ごしたという事になる。
今まではこれが日常だったはずなのに、私を取り巻く環境が変わるとこうも違うものなのか、と痛感する。それだけ私にとって愛染さんという存在は、私の中で大きくなっているんだなぁと思う。何か重い女みたいな感想になってしまっている気はしないでもない。
そんな虚しい一日だったせいか、寝るのも早かった。おかげで普段以上に早く起きてしまい、かといって朝から勉強する程の時間的余裕もなく、単純に早く準備をして早く登校するだけになった。
流石に登校するには少しばかり早い時間のせいか、校舎に向かう生徒の数もまばらだ。朝練をするほどにやる気の満ち溢れている部活は運動系にはない。朝練をしているのは吹奏楽部くらいなものだ。
そういえば、吹奏楽部は実質体育系の部活だと言っている人もいた。私は吹奏楽部の事を全然知らないけれど、中学時代の吹奏楽部はめちゃくちゃ上下関係が厳しかったりしたらしい。どこの学校でもそうなのだろうか。
静かな校舎に、吹奏楽部の奏でる旋律がうっすらと漂ってくる。どこか心地よい感覚だ。1年の頃の私は5分前登校だったから、吹奏楽部の朝練を聴いた事は無かった。案外いいものだなと思う。早起きは三文の徳とはよく言ったものだと思う。
そんな人の少ない校舎に入り、教室へと向かう。ドアを開けると、中にいたのは数人の生徒。仲良しグループなのか、窓際の席で固まって話している。
「おはよ」
私は朝の挨拶をして席に座る。固まっていたクラスメイト達は少し呆気にとられたような表情で「おはよう」と返してくる。私から挨拶をしてきたのがそんなに予想外だったとは。確かに今までまともに挨拶もしたことがなかった。ちょっと反省。
「おっはよーう」
私が机の上にバッグを置いたあたりで、朝から大きいボリュームで教室全体に挨拶をする生徒が入ってきた
「新藤さんか、おはよ」
新藤さんだった。朝から活力に満ち溢れているというか、この人は疲れを知らないのだろうか。いや、疲れすらも筋肉の栄養とか言い出すからなこの人。
「やぁ、天ヶ瀬さん。おはよう。今日も良い脚だね」
朝からフルスロットルな新藤さんだ。
「それ、セクハラだから。知ってる? 女同士でもセクハラって成立するんだよ」
「はっはっは。ウチは事実を述べているだけだよ」
そんな軽口を叩きあう程度には、私と新藤さんの仲は良くなっている気がする。
「おはよう」
そんな会話をしている最中、聞きなれた声がする。
「愛染さん、おはよ」
愛染さんだ。土日に会えなかっただけなのに、長い間会っていなかったかのような感じがする。愛染さんを見て、私はどこかホッとした。
「皐月ちゃん、おはよう」
私に微笑んでくれる愛染さんは今日も可愛い。まぁいつもの事だけど。
「それと、新藤さんも、おはよう」
「…うん、おはよう。愛染さん」
二人の挨拶はちょっとぎこちない。けれど、ちゃんと向き合って挨拶をしている。きっとこれは、二人にとっても大事な一歩目。
「そういえば、新藤さんって昔愛染さんの事、みーちゃんって呼んでたんでしょ?」
この間の帰りに、実は新藤さんが昔はみーちゃん呼びだったと聞いていた。愛染さん、意外とあだ名で呼ばれること多いんだなぁと思っていた。
「む…ぅ…天ヶ瀬さんや、今そんなこと言わなくていいんじゃないかなぁ?」
「えー、でもそうなんでしょ?」
「それはだねぇ…まぁ…そうだけどさぁ…」
「ふふっ、確かに昔はそうだったね。ね、新藤さん…その、またみーちゃんって呼んでほしいな」
愛染さんは少し照れくさそうに、けれども新藤さんから目を反らさずに言う。
「う…愛染さんまで…」
「…だめ?」
「ぐ…み……みー…ちゃん」
新藤さんは珍しく顔を真っ赤にして、悶えるように体を揺らして絞り出すように言う。その言葉を聞いた愛染さんは、心から嬉しそうに笑っている。
「ふふっ、懐かしいね。これからもみーちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「…うぅ…こ、これで勝ったと思うなよぉー!」
まるで何かの漫画の捨て台詞のようなものを言いながら、新藤さんはその場で腕立て伏せを始める。どうやら恥ずかしさでオーバーフローしてしまったようだ。ちょっと悪い事をしてしまっただろうか。
でも、愛染さんはどこかすっきりとしたというか、憑き物が落ちたような表情をしている。
腕立て伏せをして冷静になったのか、新藤さんも先ほどまでのぎこちなさは無くなっているように見えた。腕立て伏せすごい。
これがキッカケになったのかは分からないけれど、休み時間に私と愛染さんが話していると、ちょくちょく新藤さんもやってくるようになった。朝の挨拶を交わした時と比べると、表情も声色も自然体だと思う。
良かった。私にとって愛染さんは一番の親友だし、新藤さんも新しくできた友達だ。そして愛染さんと新藤さんのわだかまりというか、擦れ違いは完全には解消していないとはいえ、少しずつ和らいでいるのだろう。
◇◇◇
放課後。私たちは体操服に着替えグラウンドに集合していた。
やる事は単純。二人三脚の練習だ。私たちは今回勝ちに行く。二人で協力して、その努力の成果を出したい。
そのために私たちはグラウンドに集まり、端の方にある芝生の上で準備運動をしている。
愛染さんは上下ともにジャージを着ていて、髪を結んでポニーテールにしている。普段とは違う髪型は、体育の時にもつい見てしまうけれど、可愛らしいなと思う。
私も体育の時は髪を結ぶけれど、短いからかちょっと子供っぽく見えるような気がしている。もう少しかっこいい結び方は無いだろうか。今度調べてみよう。
「じゃあ、やろうか」
準備運動を終わらせ、身体を伸ばしながら私は愛染さんの方を見る。
「うん。よろしくお願いします、皐月先生」
先生、先生か。何か頼られている感じがする。ちょっと鼻が高い。
「じゃあまずは基本からなんだけど…愛染さんは足も右利き?」
「うん、そうだよ」
二人三脚は、利き腕が違う方がやりやすい。とは言っても、私も愛染さんも右利きだ。それに、右利きの方が多い以上、そう上手くはいかない。
「じゃあ、立ち位置は愛染さんが右、私が左かな」
「そうなの?」
「基本的には利き腕と逆側、つまり愛染さんは左足を縛った方がやりやすいと思う。私は左側に立って右足を縛るから」
お互い右利きであるなら、愛染さんがやりやすい方を選んだ方がいい。
二人三脚というものは、身体能力が高ければいい訳ではない。いかに二人の息を合わせるかが重要になる。そのためには、私が愛染さんに合わせる事が望ましい。
「まぁ、習うより慣れろっていうからね。一回やってみよう」
「えっと、足を縛って走ってみるって事?」
「いや、今日は走らないよ。とりあえず足を縛って、歩いてみよう。二人三脚って意外と難しいんだなぁっていうのを知ってもらいたいから」
そう、二人三脚というものは一日二日で完璧にできる訳ではない。それに運動が得意ではない愛染さんにいきなりハードにやったら楽しんでもらえなくなってしまうかもしれない。それは嫌だ。
まずは二人三脚がどういったものなのかを知ってもらうのが大事だ。
「縛るって言っても…わたし、長いタオルとか持ってないよ?」
「ん? あぁ、とりあえず練習だしこれを使おうかなって」
私はバッグから、未開封のストッキングを取り出す。
「…え? す、ストッキング?」
何でそんなものを、と思われるかもしれないけど、ストッキングはかなり便利だ。お母さんは伝線したストッキングを掃除に使う事があると言っていた。
じゃなくて、ストッキングは伸縮性があるため、足が痛くなりにくい。それに、伸縮性のおかげで足がひっぱられて怪我をするというリスクを減らせるのだ。
「うん。本番はハチマキとかなのかは分からないから今度先生に聞くなりするけど、今は最初の練習だしね」
「…し、使用済?」
「え? いや、未開封だけど」
「だ、だよね! あはははは…」
流石に使用済みのものは使わない。何というか、私の使ったストッキングを愛染さんの足に巻き付けるとか中々に恥ずかしいと思うし。
バッグからハサミを取り出し、まっすぐ切る。左右の足の部分をまっすぐ伸ばして先端で結んでいく。
本当はストッキングを二組使った方がいいんだけど、流石に未使用のストッキングを二つも駄目にするのはちょっともったいなく感じてケチっただけでもある。とはいえ、走る訳でなくとりあえず縛って歩いてみるだけなので今日は一組でいいだろう。
「んじゃ、ちょっと座って」
私に促されると、愛染さんは芝生に腰掛ける。私も隣に座り、愛染さんの足にストッキングを巻く。本当はストッキングを三つ編みのようにしてからの方がいいんだけれど、そうなるとやっぱりもう一足必要そうな気がするのでここでは省略する。
8の字になるようにクロスさせ、私の足首にも回し、私と愛染さんの足の間で結んでいく。結び目がクッション代わりとなり、くるぶしがぶつかりあって痛くなることを抑えてくれることができる結び方だ。
「まぁ、こんな感じかな。本当はもっとしっかりした結び方をするんだけど、今日は走らないし」
「へぇ…こんな感じになるんだね」
「じゃあ、やってみようか」
私はその場で立ち上がり愛染さんに手を伸ばす。愛染さんは私の手を取り、立ち上がった。
「んじゃ、ちょっと失礼」
愛染さんが隣に立った事を確認して、私は愛染さんの背中に腕を回し、右脇腹付近に手を当てる。
「ひゃ…ん!」
愛染さんからすっごい声が出た。密着していることもあり、それが耳元で響く。流石にちょっとドキッとしてしまう。
「え、なんかすごい声出てるけど」
「な、なんでもないよ! いきなりでびっくりしちゃっただけ、だよ」
「……」
もしかして愛染さん…と私の考えた悪戯心が、私の手を勝手に動かす。指を動かし脇腹を刺激してみる。
「や、だめ…だって…ぇ…!」
愛染さんの身体がぞくっとしたように震える。やっぱり、愛染さんは脇腹が弱いらしい。
もうちょっと悪戯してみたいと思いつつ、これ以上やったら怒られるかもしれないし、ちょっとアレな感じになりそうなのでやめておく。
「ごめんごめん。そんなに脇腹弱いなんて思わなくて」
「もぉ…!」
顔を真っ赤にさせて愛染さんは私のふとももをぺちぺちと叩いて反撃してくる。
流石に遊びすぎたと反省。ちゃんとやることにしよう。
「んじゃ、始めよっか。えっと…踏み出し方なんだけど、まずはお互い縛ってない足から一歩踏み出してみようか」
「う、うん」
私は左足、愛染さんは右足を一歩前に踏み出す。
「次は縛っている足ね。せーので踏み出して前進してみよう」
『せーの』
同時に私と愛染さんは縛った足を前に出す。だけど、私の方が踏み出す速度が速かったのか、愛染さんがバランスを崩す。
「わわ…っ!」
縛った足が地面に着くと同時に愛染さんは倒れそうになる。私は愛染さんを支える右手に力を入れ、倒れないように支えた。
「大丈夫?」
「う、うん。皐月ちゃんが支えてくれたから…ありがとう」
「転んで怪我とかがなくてよかったよ」
そう、二人三脚というものは、このように歩幅や踏み出すタイミングがズレるとすぐに転んだりしてしまう。想像しているよりも難しいものなのだ。
「とまぁ、こんな感じで結構難しいんだよね」
「じゃあ、わたしと皐月ちゃんがちゃんと同じタイミングで足を動かさないといけないって事だね」
「うん。それと、歩幅もね。私たち二人は、同じタイミング、同じ歩幅で進む必要があるから、ここはお互いのちょうどいいバランスを探していこう」
これに関しては一朝一夕で分かる物ではない。最初のうちは転んだりもかなりするだろうけれど、そうやって覚えていくしかないのだ。練習を芝生の上にするようにしたのも、転んだ時に砂利で怪我をしないようにするための配慮だ。
「…わたし、二人三脚をちょっと甘く見てたかも…」
「大丈夫。私たち二人ならきっと走れるようになるよ」
愛染さんは運動は苦手だけど頑張り屋さんで、私の提案やアドバイスを素直に聞いてくれる。そんな愛染さんとなら問題ないと、私は謎の自信があったりする。
「うん。がんばるよ」
「じゃ、もう一回やってみよう。歩幅はとりあえず20cmちょっとで。まず縛ってない方の足の踵が縛ってる足のつま先と同じラインに来るようにしてみよう」
私たちは、せーのという掛け声と共に、縛っていない足を前に出す。
「次は縛ってる足のつま先を、縛ってない足の踵と同じラインに。素早く動かすんじゃなくて、1秒で着地するくらい」
「は、はいっ」
掛け声と共に、私たちの足が同時に動く。さっきはお互いの歩幅も速度も合わずにバランスを崩したけれど、今回はバランスを崩すことなく歩くことができた。
「で、できたね」
「うん。愛染さん、上手だよ」
たったの一歩。それでも、私と愛染さんの共同作業の大事なはじめの一歩だ。私は愛染さんに笑顔を見せると、愛染さんも嬉しそうというか、達成感のある笑顔を見せる。
「皐月ちゃんの教え方が上手だから。すごく分かりやすい」
「それなら良かった」
「あのね、わたしも頑張りたいから、たくさん練習しようね」
「うん、もちろん」
私たちは少しずつ、今の二人三脚のように前に進んでいく。一歩一歩は遅くとも、確実に。それが私にとって、本当に幸せな事なんだと思う。
しばらく二人で歩いて、最後の方になるとそれなりにスムーズに歩けるようになりつつあった。走るのはまだ難しいかもしれないけど、初日にしてはかなり大きな成果になったと思う。
「お疲れ様。私が想像してたより遥かに上達が早いよ」
「ほんと? ふふっ、嬉しい」
実際、私は愛染さんに合わせるように動いていた事には変わりないけれど、それでもタイミングが合うのが早かった。最後の方では愛染さんに合わせるという事をそこまで考える必要もなかったし。
「…ね、皐月ちゃん。皐月ちゃんはどうして、体育祭頑張ろうって思ったの?」
練習も終わり、芝生に腰を下ろし、足を伸ばした体勢で休んでいる中、愛染さんはふとそんな事を言ってくる。足がつながったままということもあり、私たちは結構ピッタリと体を寄せ合っている。そんな至近距離で、愛染さんは私を見ている。
「…えー…っと…」
激しく動いた後ではないにしても、自然に足に力の入る運動だったこともあり、愛染さんはほのかに汗をかいている。そんな火照ったような表情が夕日に照らされ、美しさを醸し出している。チラッと愛染さんを見るけれど、その美しさが、そして近さがあって中々直視する事ができない。
「…あ、言いたくないなら全然いいからね」
「…いや、そういう訳じゃないよ」
理由はいくつかあるんだけれど、そのどれもが愛染さん絡みということもあり、恥ずかしい。でも、これは正しく私が体育祭を頑張りたい理由だ。愛染さんに直接言うのが恥ずかしいだけで、隠すようなものではない。
そもそも、できる限り愛染さんに隠し事はしたくない。私を対等だと言ってくれた愛染さんにだけは。もちろん、私は愛染さんに言えていない隠し事はある。男性恐怖症であるということ、そしてそうなった原因だ。
人間不信と、少し拡大解釈したような説明しか私は愛染さんにしていない。いつかは愛染さんに伝えなければならないことだ。でも、これは私にとって最大の心の傷であり、聞かせて気分のいい話ではない。きっと愛染さんを困らせてしまう。
何より私は、この話をすることが怖い。あの中学三年の夏の出来事を思い出さなければならないから。それでもいつか、いつかは伝えなければならないだろう。ただ、今は勇気がない。その事には罪悪感を覚える。
「…その、私は愛染さんと友達…ううん、親友になって、学校が楽しくなった」
チラッと愛染さんを見る。その目は私を捉えて離さない。
「だからさ、私はもっと愛染さんと一緒に学校を楽しみたい。私はちゃんとした意味でクラスの一員になって、学校行事を愛染さんと一緒に楽しみたい」
「だから、体育祭も…愛染さんと二人三脚に参加できるってなって嬉しかった」
麗女に入学して、誘われるのが初めてだった。初めての友達、初めての親友。そんな愛染さんが、私と一緒に体育祭の種目に参加したいと言ってくれた事が本当に嬉しかったんだ。
「私は全力で、愛染さんと体育祭を楽しみたい。それが、私の頑張る理由」
正直、本人を目の前にしてあまりにもストレートな言い方で、愛染さんを見ることが恥ずかしい。それでも、私は一緒に楽しみたい相手を、愛染さんを視界に捉える。
「…うん! わたしもだよ。皐月ちゃんと過ごしてきたこの二ヶ月は、私の人生で一番幸せ。だから、わたしはこの幸せをもっと続けていきたい」
「愛染さん…」
「だからね、これからもよろしく…ね」
そう言って微笑む愛染さんは綺麗だった。私はその笑顔に釘付けになる。
目を合わせる事が苦手になったはずなのに、私は愛染さんだけはこうやって目を合わせることができる。きっと、それは私にとってのトクベツ。
でも、この胸の高鳴りは何なのだろうか。それだけが、私の理解できない感情だった。
「…あ、もう一つあった」
「え? 何が?」
縛っていたストッキングをほどき、カバンにしまいながら、私はわざと思い出したかのように呟く。
「…その、体育祭頑張る理由だけどさ」
「…うん?」
「…愛染さんに…か、かっこいい所、見せたかったりもしたかった…から」
実際に口に出すととんでもなく恥ずかしいという事に、言った後に気付く。しばらく休んで落ち着いたはずなのに、逆に身体が熱くなる。
私はとんでもない爆弾発言をしてしまったんじゃないだろうかと思う。愛染さんもお兄ちゃんもお父さんもお母さんも、いつもこんな事言って恥ずかしくならないんだろうか。私が変なのだろうか。
全身から汗が噴き出しているような感覚がする中、私の背中に柔らかい感覚が伝わってくる。それと同時に、ふわっと甘い香りが鼻をかすめる。
「あ、愛染さん…!?」
私の背中に、愛染さんが抱き着いてきた。いきなりのことで驚いて、私は背筋をピーンと伸ばすような感じになってしまう。
「…かっこいい、よ…」
ぼそりと、愛染さんが呟くように言う。その言葉に私は、ただでさえ熱い身体が内側から沸騰するかのように熱くなっていく。蒸発しそうだ。
「あ、あああありがとう…」
「…あ、あの、いきなり抱き着いて、ご、ごめんね」
愛染さんは衝動的に抱き着いたのかは分からないけれど、どうやら我に返ったようで、パッと私から離れ、慌てふためいた様に謝罪してくる。
「う、ううん。別に嫌じゃないし、その、かっこいいって言ってくれて、う、嬉しいし」
あまりにも突然の事だったので、舌が上手く回らないような感じになってしまったような言い方になってしまった。
でも、嫌ではない。愛染さんに手を握られることも、脚を触られることも嫌とは思わない。こうやって背中から抱き着かれても嫌とは全く思わなかった。
そもそも、正面から抱きしめられたことだってある。そのどれもが、私は嫌だと思わない。
きっと、私は愛染さんにされることなら大抵の事は受け入れるだろう。
でも、どこまで?
手を繋いで、抱きしめるという事もして。その先は、何だろうか。
考えても仕方のないことだ。だって私たちは親友なのだから。
「と、とりあえず暗くなってきたし帰ろう」
「う、うん」
夕暮れの中、私たちは帰路につく。それぞれの寮に戻る分かれ道、お互いに帰るのがちょっと寂しかったのか、手を振り見つめあった。それがどこかおかしくて、二人して笑いあう。
長い人生の中のほんの一日。割合で言えば1%にも満たない時間。けれど、それが私にとって、かけがえのない時間。こんな日が、ずっと続きますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます