「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑩
◇◇◇
「皐月ちゃん、今日もお風呂から?」
土曜日の夜。私と愛染さんは通話を繋げていた。
午前中からお昼過ぎにかけては勉強をして、15時すぎくらいにジムへ行き運動、戻ってきてからは軽く掃除をして食事。そして夜となった今、私はお風呂に入りながら愛染さんと話している。
「うん。あ、聞こえにくかったらごめんね」
「ううん。大丈夫。しっかり聞こえてるよ」
昨日今日と運動をしたこともあり、それなりに疲労感がある。明日はジムにはいかずに身体を休める予定だ。
運動後のお風呂は中々気持ちがいい。中学時代は当たり前に部活で運動してお風呂だったので気が付かなかったけど。
「愛染さんは今どこにいるの?」
「赤穂市(あこうし)の銀波荘っていう温泉宿だよ」
「あこう…どこ?」
「兵庫県だよ」
兵庫県。ずいぶん遠い。放課後に関西まで行っていたのか。大変だなぁ。
「へぇ、じゃあ今その旅館の部屋?」
「うん。すごく綺麗でね、お部屋に露天風呂がついてるの」
「え、めっちゃすごいじゃん」
私はスマホを操作して旅館などについて調べてみた。結果、特別客室、いわばスイートルームだということが分かった。
「露天風呂から見える瀬戸内の海も綺麗でね、特に夕暮れがすごかったよ」
「すご…こんなところ泊まった事ないよ」
「ふふっ、お部屋からも瀬戸内が一望できるんだよ。さっき撮った写真送るね」
私のLINEにメッセージが入る。そこには夕焼けに輝く瀬戸内の海が一面に広がっていた。写真越しですら分かるこの美しさに、私は驚き、そして釘付けになる。
「すごい…こんなに綺麗なんだ。オーシャンビューってやつだよね。もしかして、露天風呂からもこんな感じで見えるの?」
「うん。夕焼けを見ながら入ったよ。朝日も綺麗らしいから、明日の朝も入ってみようかなと思ってるんだ」
「えー、いいなぁ……ん?あれ、時渡さんと会ってるんだよね?え、もしかして、同じ部屋…?」
いくら許嫁とはいえ、流石に未成年の男女が同じ部屋はいかがわしくないだろうか。それと、愛染さんと同じ部屋で男女で寝泊まりするのは…ちょっと、なんというか、胸がざわつく。
「違うよぉ。流石にお部屋は別だよ」
「だ、だよね」
「…もしかして、ちょっと心配してくれたの?」
心配してないかと言われたら、めちゃくちゃ心配はしている。ただ、何というべきか。心配というよりも、何か別の感情な気がしてしまう。
「ん、まぁ。ほら、男女で同じ部屋っていうの、なんか、ね」
「…ふふっ、心配しないで。そのあたりは私も玲央くんも弁えてるよ。それに、別室じゃないとこうやってお話もできないし」
そう言われればそうだ。ちょっと考えすぎていたのかもしれない。
「ね、皐月ちゃんは何してたの?」
「お昼過ぎまでは勉強だよ。今週のおさらい。夕方前くらいからはジムに行ってた」
「ジム?前までは行った事ないって言ってたよね?」
私は以前までは人の目などがある等の理由でジムに行くことはなかった。体力測定で本気にならなかったら、昨日から行く事もなかっただろう。
「うん。ほら、体育祭で1000m走るから、鍛えなおしておこうかなぁって」
実際、この二日間ジムに行って分かったけど結構体力は落ちている。短期間の走り込みで取り戻せるわけではないので、今からちゃんと走っておこうと思ったのだ。
「すごいね…わたし、ジムの目の前に行ったら逃げちゃうかも」
「あはは、愛染さん運動苦手だもんね」
「う…そ、そうだけど…」
愛染さんは割と運動の才能は無さそうだった。ハンドボール投げとか、センスが無い。ちょっと悪口みたいになってしまった。でもそんな所も可愛いと思う。
「そういえば、ジムに新藤さんがいたよ」
「そうなんだ。新藤さん、ジムに通ってても違和感全然なさそうだね。筋トレたくさんしてそう」
「いやもう、その通りで」
今日も新藤さんはいた。相変わらず筋トレをして、ウチの上腕二頭筋が成長したとか言っていた。
「そういえば新藤さんから聞いたんだけど、愛染さんって中等部時代に明太子にドはまりしてたんだって?」
「…えっ!?」
新藤さんと帰り際に話していたのだが、愛染さんは完全無欠に見えて意外と面白い所がある。
「食わず嫌いだったけど、修学旅行で博多に行ったときに出た明太子を食べてドはまりして、学食でも明太子パスタ食べてたらしいじゃん」
「ちょっ、ちが、えと、違わないけど、違うの。あ、違わなくなくて、もぉー!」
愛染さんは通話越しでも分かるほどにじたばたしている。慌てて言い訳しようとしているけれど、事実らしく完全否定もできていない。
「あはははは、いいじゃん。明太子美味しいんだし」
「もぉー、新藤さん、もぉー!」
「えー、でも好きなんでしょ?」
「…す、好きだけど!でもそんな、明太子にハマって夜ご飯も明太子ばっかりお願 いしてたなんてことまで知られてるなんて…!」
いや、そこまでは知らない。あくまで昼食の話をしていたんだけれど、どうやら愛染さんは墓穴を掘ったようだ。
「…いや、夜まで明太子食べてたのは初耳なんだけど」
「…あ」
「もーっ!」
「あはははは!」
愛染さんのここまで慌てふためいた声を聞けたのは何か得した気分だった。新藤さん、ナイス。
「新藤さんってば…何で皐月ちゃんに言っちゃうのかなぁ…もぉー」
「…そういえば、新藤さんと昔同じクラスだったんだっけ?」
「え、うん。2年生の時にね。3年生で別クラスで、高等部からまた同じクラスだよ」
麗女では毎年クラス替えがある。私が中学の時はクラス替えは2年生の時だけだった。高校は毎年やるのが普通なのだろうか。
「…でも、新藤さん、わたしの事避けてるのかな。あんまりお話してくれないんだ」
「…」
そのあたりの事情は新藤さんから聞いてはいる。ただ、私がその件について触れていいのかは正直分からない。色々とナイーブな話もあるだろうし。
「中2の頃は結構お話してたんだけどね。3年生で別クラスになったからかな」
「…その、愛染さんは新藤さんの事どう思ってるの?」
「どうって?」
どう聞いたものか。何か内情を知っていてこうやって聞くの、探りを入れているような、隠し事をしているような気がしてちょっと申し訳なさを感じる。
「新藤さんが苦手だとか」
「ううん、全然そんなことないよ。新藤さん、筋肉へのこだわりは凄いけど、いい人だし」
確かに筋肉フェチっぷりは凄い。他人の筋肉も、自分の筋肉も等しく愛しているような感じだ。
「なるほど。愛染さんから話しかけづらいとかも無い?」
「…んー、その、避けられてるなぁって感じてからは、嫌がるかもって思ってこっちから話しかけたりはしてないかも」
どうやらお互いに遠慮がちになっているようだった。
「じゃあ、話したくないとかは無いんだよね?」
「うん。わたしはまた前みたいにお話したいなって思うなぁ」
「そっか。私さ、何だかんだで新藤さんとも多少は仲良くなったんだよね。だから多分、学校でも普通に話すようになると思う」
「…うん」
私と新藤さんも、友達になった。もちろん一番は愛染さんだ。友達に順番をつけるのは酷くないかなと思うけど、それでも愛染さんは私のトクベツだから。
「だからさ、私と新藤さんが話す時に遠慮しないでいいからね」
「…え?」
「私と新藤さんの会話に、愛染さんも混ざっていいって事だよ」
「…うん!」
その頷く答えは、ちょっとだけ声が弾んだように思えた。愛染さんも新藤さんと話をしたいと思っていた。でも、新藤さんから距離を取られて、嫌われたと思ってしまったのかもしれないと遠慮してしまったのだ。
「それと、筋肉の話になったら助けてね」
「そ、それはわたしの方がついていけないんじゃないかなぁ?」
愛染さんと新藤さん。もしかしたら、二人はまた笑顔で話せるようになるのかもしれない。そうなるといいなと、心から思う。
「そういえば来週からなんだけど、二人三脚の練習しない?」
お風呂の中で足を延ばして前屈のような動きをしつつ、私は愛染さんに練習の提案をしてみる。二人三脚は当然一人で練習はできない。愛染さんと二人でやる必要がある。
ただ、愛染さんは運動が苦手だ。もしかしたら渋るかもしれない。そうなったらあんまり無理強いはしたくないので他の手を考えるしかない。
「うん、いいよ」
「あれ、即答するんだ」
ちょっと予想外だった。二人三脚も何だかんだで走るし、最初のうちは転ぶ回数も多くなるかもしれない。そういった理由で嫌がるかなと思っていた。
「…その、皐月ちゃんが誘ってくれるから、だよ」
「…そ、そっか。えっと、ありがとう」
私はこの二人三脚を勝ちに行きたいなと思っている。それは単純に勝負に勝ちたいからではなくて、愛染さんと一緒に結果を出したいからだ。二人で頑張って、その結果として勝ちたい。
「じゃあ、月曜日から週に何回かやろうか。毎日だと流石に疲れちゃうしね」
「うん。えへへ、皐月ちゃんと一緒に出れるの、嬉しい」
「わ、私もだよ」
何はともあれ、愛染さんも結構やる気はあるみたいだ。頑張っていこう。
その後は今週の授業の話や、体力測定の話題で少し話した後、私がお風呂から上がるタイミングで通話は終了となった。
明日は一日中勉強だ。愛染さんと一緒にできないのは残念だけど、それでも頑張ろうと決めたから、しっかりやろう。そう思いながら、今日の活動を終わらせていく。
◇◇◇
「二人三脚…」
皐月ちゃんとの通話後、わたしは枕を抱きかかえるようにして呟く。
体育祭で出る種目は借り物競争と二人三脚。借り物競争はわたしのような運動音痴でも勝てる可能性はある。でも、二人三脚はわたしが皐月ちゃんの足を引っ張ってしまうかもしれない。
それでも、二人三脚は頑張りたいなと思う。何故なら、皐月ちゃんと一緒だから。それに、練習もする。
本当はわたしから練習に誘うつもりだったけれど、皐月ちゃんから提案してくれたことが嬉しかった。放課後は皐月ちゃんと二人で練習。そう思うだけで、わたしの心はあたたかくなっていく。
そんな事を考えていたところで、チャイムが鳴る。来客だった。わたしは立ち上がり、ドアの方へと向かう。
そこに立っていたのは、玲央くんの秘書、赤羽根さんだった。スーツを身にまとう、すらっとした女性。皐月ちゃんはクール系だけど可愛さもある感じで、赤羽根さんはクールな大人、という感じ。
「赤羽根さん、どうしました?」
「玲央様がお呼びです」
珍しい。わたしと玲央くんは月に一度、こうして会っている。毎月違う旅館での一泊二日。玲央くんは夜にわたしを呼ぶことは今までしたことがなかった。
「玲央くんが?…分かりました。えっと、着替えた方がいいですか?」
「いえ、私の客室でお会いしていただきますので、そのままで大丈夫です」
赤羽根さんはわたしに一礼すると、わたしを案内する。
基本的に玲央くんとの外泊は、赤羽根さんと玲央くん、わたしの三人の事が大半だった。その赤羽根さんの部屋で会うということは、特に変なことが起きる訳ではないという事。まぁ、玲央くんは自分の部屋に呼んでもわたしに手を出したりはしないと思ってはいるけれど。
部屋をノックし
「玲央様、美乃梨様をお呼びしました」
と告げる。
「入れ」
と中から声がする。赤羽根さんは失礼します、と言ってドアを開け、わたしに入るように促す。
502号室「桔梗」、内風呂部屋付きのお部屋。その奥にある椅子に時渡玲央くんは腰掛けていた。
「いきなりの呼び出し、悪かったな。非礼を詫びよう」
玲央くんはわたしの一つ上、高校3年生。都内の帝政大学付属高等学校に通っている。整った顔立ちに鋭い目つきは、ちょっと怖さはある。実際、玲央くんは周囲から嫌われたりなどはないものの、どこか恐れられている。それはもちろんこの目つきもあると思うのだけれど、それ以上に歳不相応な話し方にもある。
「大丈夫。それにしても珍しいね。普段は夜に呼ぶなんてないのに」
「…これだ」
玲央くんはテーブルの上に置かれた和菓子を指さす。甘いものは嫌いじゃなかったと思うけれど。
「…和菓子、買ったの?」
「いいや、違う。さっき時渡商事と取引のある製薬会社社長が挨拶に来てな。それの頂き物だ」
玲央くんは次期社長となる逸材だ。玲央くんのお父様とわたしのお父様は大学時代の先輩後輩関係らしい。玲央くんにはお兄様とお姉さまがいる。末っ子だ。でも、玲央くんは兄弟の中でも一番優秀。そんな玲央くんは、この外泊の際に必ず近くの取引先の方と会談をしている。赤羽根さんが言うには、自発的に行っているらしい。
わたしは特にそういった事はしていない。しなくていい、と言われているから。
「えっと、一緒に食べるお誘い?」
「…それ以外にないだろう。嫌なら持って帰れ」
玲央くんは相変わらず鋭い目つきで言う。昔のわたしは怖いなと思っていたけれど、もう慣れた事もあり特段緊張したりはしていない。
「じゃあ、せっかくだしご一緒しようかな」
その言葉と共に、赤羽根さんはお茶をご用意しますと言って準備を始める。
わたしたちは向かい合って座る。その目つきは鋭いまま、感情を表に出さないようにしているかのようだった。
頂き物の和菓子はお饅頭で、一口食べると口の中に餡の甘さが広がる。そして、かすかに塩味を感じる。塩のしょっぱさが餡の甘みをより引き立てる上品な味だ。
「…美乃梨、何かいいことでもあったか?」
玲央くんはお茶をすすり、ゆっくりテーブルに置くとそう尋ねてくる。
「…え?」
「夕食時のお前と今のお前、表情の柔らかさが違う。ここに来る前に何かいいことでもあったのか?」
玲央くんの特技、それは人の表情から感情や内面を読み取るのが上手いという事。そういう意味で、玲央くんに隠し事は通用しない。
もちろん、ここでわたしが否定して誤魔化した所で玲央くんは追及してくることはない。玲央くんは見た目は怖いし言動も堅苦しい。けれども、余計な詮索等はしないし、わたしが嫌だと思う事はしてこない。
「…そうだね、良い事はあったよ。お友達と電話していたの」
「…ほぅ?」
なので、わたしは玲央くんにあまり隠し事はしていない。それは許嫁であるからという配慮というか、将来結婚する上でわだかまりはあまり無いようにしているから。
「電話をするほどの友人とは珍しいな。新しい友人か」
「…うん。2月から出来たお友達」
「…ふむ。随分と仲が良いようだな。美乃梨にそこまで仲の良い友ができるとは」
玲央くんもわたしの過去を知っている。中等部2年の終わりに起きた事件の事を。それ以来、わたしは表面上のお友達はいたけれど、本当の意味でのお友達はいなかった。
「うん。大切なお友達だよ」
「麗女は中高一貫だろう。それにあの学校は異質だ。そう簡単にできるものとは思えんが……成程、外部入学生か」
「…そうだよ」
外部入学生という響きは、正直あまり好きではない。中等部からの進学組でない人を表す言葉としては適切なのだろうけれど、どうしても壁を感じてしまうから。
「その生徒はどこかの会社の娘なのか?」
「…違うよ。一般のご家庭」
隠したところで無駄だろうからわたしは素直に答える。玲央くんは何て言うだろうか。一般家庭の人間とは釣り合わないと言うだろうか。
実際、わたしは実家に皐月ちゃんの事は話していない。釣り合わない等と言われて関係を断ち切れと言われることが怖いから。
「なるほどな。美乃梨の口から大切な友だと言うくらいだ。見込みのあるやつなのだろうよ」
「……」
「何だ、不服か?」
むすっとしたまま玲央くんは私を見る。特段否定をすることもなく肯定してきたことがちょっと意外だった。
「ううん。ちょっと予想外だっただけ」
「…一般家庭の人間と付き合った所で意味が無いと、俺が言うと思ったか?」
「…う」
「確かに釣り合いはせんだろうよ。何せお前は愛染ホールディングス本家の娘だ。育ちの次元が違う。王族と平民のようなものだ」
「だが、同じ学校で学ぶ者同士であることには変わらん。それにだ。真の友というものは、立場で選ぶものではない」
玲央くんはさも当然と言うかのようだった。わたしにとってもお友達はそうでありたい。一度裏切られて、心から繋がれるお友達はもうできないと思っていた。そんな中で出会った皐月ちゃんは、わたしの事を見てくれる。わたしにとって、かけがえのない存在だ。
「良い友に巡り合えたようだな」
「うん、とっても大切なお友達」
そう、お友達。そのはず。わたしにとって何よりも大切で、何よりも優先したくて、誰よりも一番知りたい人。
ふと、外を眺める。この空で、わたしたちはつながっている。今いる場所は違っても、同じ世界を生きている。
ちょっとだけ寂しさを覚える。早く会いたいな、そんな思いを抱えながら、わたしはこの土日を過ごしていくのだ。
皐月ちゃんは、どうなんだろう。寂しいって思ってくれているかな。わたしに会いたいって思ってくれているかな。
思っていてほしいな。早く月曜日になってほしい。
最近のわたしは、ちょっと変なのかもしれないなと、星空を眺めながら思った。
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