「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑥

 4月、春期講習が終わり遂に新学期が到来した。

 新入生の入学式も終わり、いよいよ今日は新学年、新学期。ここしばらく卒業した3年生達が登校していなかったこともあり、今日はいつも以上に人が多く感じられた。

 2年になって気づいたけど、あぁこの子は1年生だなーというのがすぐに分かる。何というか、子供っぽさが残っていたり、いくら中高一貫とはいえ初めて向かう高校の校舎に緊張していたり、浮足立っている生徒も多く見られる。

 そんな中で、私も新入生と同じくらい緊張している。何故なら今日はクラス分けの発表があるからだ。昇降口付近、立て看板に群がる生徒たちがいる。新2年生だ。1年生の時のクラスメイトも複数人いることから、ここが新2年生のクラス分けが貼り出されているのだろう。

 愛染さんと同じクラスになれるだろうか。なれなかったらどうしよう。そんな不安ばかりが私の脳内を駆け巡っていく。

 ゆっくりと立て看板に近づく。前の生徒たちがクラス分けに一喜一憂している。もうすぐ私の番だ。

 入学の時は外部入学生であることや、そもそも誰とも関わるつもりが無かったからクラス分けもどうでもよかった。

 でも今回は違う。愛染さんと一緒のクラスになりたいという想いがある。この1年で大きく変わった考えだ。

 私の前にいた人がクラスを確認したのか移動する。私は一歩前に出てクラス分けを確認する。

 1組。愛染さんの名前はない。そして、私の名前も無かった。私は内心安堵していた。少なくとも、同じクラスになる可能性はまだある。

 2組。愛染さんの名前は…あった。あいうえお順なので一番最初だった。私の名前はあるだろうか。今年一番心臓が高鳴っている。私は愛染さんの次の名前を見る。

 天ヶ瀬皐月。あった。あった! あった!!

 私の心臓がものすごい勢いで鼓動しているのが分かる。それと同時に、身体が熱い。私はしばらく、愛染さんと私の名前が並んでいるのを見続けた。

 これは夢じゃない。現実だ。前日は正直、悪い方向にばかり考えてしまって吐き気が出たり、胃が痛くなった。クラスが別になってしまったら、この1年は苦しいかもしれないと考えてしまって、泣いたりもしてしまった。

 でも、その心配はもうしなくていい。これから1年も、私は愛染さんと一緒のクラスで、たくさん話ができる。

 他のクラスメイトと馴染めるかという不安はあるけれど、その不安よりも愛染さんと同じクラスになれたという事実が勝っている。

 正直嬉しすぎて泣き出しそうだ。最近の私はちょっと涙もろい気がする。でも、以前と違って嬉し泣きする頻度が増えているので、そこは改善されているかもしれない。


 その後、冷静になった私はそそくさと教室へ向かう。

 教室に入り、一番右の列、前から2番目の席へ歩く。そこが私の席だ。出席番号2番。そして、私の一つ前の席。そこに愛染さんが座っていた。後ろ姿でさえ、一目見て愛染さんだと分かる。綺麗な栗色の瞳。美しい座り方。その一つ一つがただひたすらに綺麗だ。

 「愛染さん、おはよ」

 愛染さんと私は出席番号が1番と2番だ。1年の時は愛染さんの後ろに青井さんと秋山さんがいたので私は出席番号4番だった。なので3つ離れていて席は近くなかった。でも今回は前後の席だ。すごく近い。

 「皐月ちゃん、おはよう。ふふっ、同じクラスになれてすごく嬉しい」

 愛染さんは振り向くと、とても可愛らしい笑顔で答えてくれる。今日も可愛い。

 「うん、私もだよ。嬉しいし、クラス分け見たときすごくホッとした」

 「えへへ、これから1年またよろしくね」

 「こちらこそ」

 私はカバンを置き、席に座る。愛染さんは座る向きを90度ずらして私に顔を向ける。

 友達と教室で話す。私がかつて諦めて、でも心のどこかで渇望していた光景が、ここにある。

 「ふふっ」

 「ん、どうしたの?」

 「ううん。皐月ちゃんと同じクラスで本当に嬉しいなぁーって」

 その言葉が本当に嬉しい。そして、私も同じ気持ちだ。同じクラスになったという事象一つが、こんなにも私の心をあたたかくしてくれるなんて、一年前では想像もしていなかった。

 それから少し私たちは会話をし、その後ホームルームとなった。担任は1年の時と同じ須藤先生。50代の女性で、朗らかな感じの人だ。新しいクラスメイトは半数以上が以前とは違う顔ぶれだ。

 ホームルーム後、始業式のため体育館へ移動となる。

 「みのりーん! 同じクラスだね!」

 体育館に向かい、私と愛染さんは並んで歩いていた。そんな中、元気のいい声と共に、愛染さんの後ろから抱き着く人が突然現れた。

 「戸鞠さん。今年もよろしくね」

 戸鞠彩さん。去年も同じクラスだった、元気のいい子だ。愛染さんから聞いたところによると、愛染ホールディングス傘下の習志野建設株式会社会長のお孫さんだとか。そして、愛染さんのご機嫌取り的な立ち位置らしい。

 戸鞠さんはいつも元気で、何というか、あんまりご機嫌取りみたいな立ち振る舞いをしている訳ではない。

 見た目はやや小柄で、小動物みたいな可愛さがある。明るくて誰とでも仲良くできそうなイメージだ。

 あと愛染さんをみのりんって呼んでいる。あだ名か、ちょっとうらやましい。でも私は流石に愛染さんの事をみのりんって呼ぶのは恥ずかしいのでできそうにない。あと距離が近くないかな。愛染さんに抱き着くなんてずるい。あ、いや違う。

 「よろしくー!あと、君は…天ヶ瀬皐月さんだよね?」

 「え、あ、うん…」

 愛染さんから離れると、戸鞠さんは私の顔を覗き込むようにしながら尋ねる。顔が近い。

 「みのりんと仲いいんだね!いつの間にー?」

 もしかして、探られているのだろうか。でも顔を見た感じそんな風ではない。純粋に私に興味を示しているかのようにも見える。

 「え、えと…」

 「皐月ちゃんはね、春期講習で隣の席になったときにお話して仲良くなったの」

 ぐいぐい来られて返答に困っている私を見て助け舟を出してくれたのか、愛染さんが答える。

 「へぇー、さっちん、1年の時全然話さないから意外かも」

 さっちんって。いきなりあだ名で呼ばれてしまった。何というか、人懐っこい性格なんだろうか。距離の詰め方が尋常じゃない。

 「ま、まぁ、確かに…」

 「えー、じゃああたしとも仲良くしてほしいなー!」

 「え、あ、うん…」

 …うん。何となく想像はしていたけど、愛染さん以外の人と話すのが難しい。どう話せばいいのか、どんな距離感でいればいいのか分からない。愛染さんに情けない所を見せてしまっている気がする。

 「戸鞠さん、皐月ちゃん困ってるよ」

 「あちゃー、ごめんねさっちん」

 「あ、いや、大丈夫…」

 少なくとも、戸鞠さんは悪い人ではないと思う。むしろ、愛染さんのご機嫌取りという立場というのが疑わしい程だ。それとも、これはあくまで表の顔なのだろうか。駆け引きというものを要求されている可能性があって正直、疲れる。愛染さんをはじめ、麗女の上位層はこんな気苦労を毎日のようにしているのだろうか。だとしたら凄いなと思う。

 「じゃあ、すこしずつ仲良くなろうね、さっちん!」

 「え、あ、うん」

 そう答えると戸鞠さんはにっこりと笑い、友達が先行ってるからと告げて駆け足で体育館へと向かっていく。嵐のような存在だ。

 「…愛染さん以外の人と話すの、つかれる…」

 「あ、あはは…えっとね、戸鞠さんは悪い子じゃないよ。すごく元気いっぱいでムードメーカーな感じ」

 「それは何となくわかるかも」

 私は昔から元気いっぱいという感じの立ち位置ではなかった。とはいえ、いわゆるスクールカーストと呼ばれるものでは上の方にはいた。ちょっと自意識過剰な感じではあるけれど、中学時代の私はバスケ部でレギュラーになっていて、成績は学年最上位。まぁスクールカーストの下位になる理由は無かったのだ。

 中学3年の夏以降はスクールカーストという概念から外れた存在になってしまったけど。端的に言えば、私は中学3年の夏休み明け以降はクラスに顔を出していない。いわゆる保健室登校というやつだ。それでも死に物狂いで勉強して、何とか麗女に合格をした。麗女に入ってからは死に物狂いでの勉強はしていなかったので、一番勉強した期間はこの高校受験期だったのかもしれない。

 「でもなんかあれだね。愛染さんのご機嫌取りって聞いてたけど、あんまりそんな感じしなくない?」

 「そうだね。そのあたりはちょっと複雑というか…元々戸鞠さんは麗女の中等部から一緒だったんだけど、習志野建設が愛染ホールディングスに入ったのは中学2年の終わりだったの」

 少し予想外だった。もっと長い付き合いなのだと思っていた。

 「で、3年で同じクラスになった事で私のご機嫌取りという立場にしたって善一郎お兄様…あぁ、善一郎お兄様は私のお兄様で、愛染家の長男ね。その善一郎お兄様が仰っていたの」

 愛染さんのお兄さん。何かご両親が厳しい人っぽいから、お兄さんも厳しそうだ。

 「その割にはフランクというか、それにご機嫌取りっていうなら普段から一緒にいるものかと思ってた」

 実際、戸鞠さんは他の友達の所へ向かった。ご機嫌取りというのならば、それこそ四六時中一緒にいるものだと思っていた。

 「わたしがね、あんまりご機嫌取りって立場を気にしなくていいよって言ったの。戸鞠さんは今回も同じクラスになった中江祥子さんと昔から仲良しなんだ。だから、わたしにばかり構って二人の距離が離れることはさせたくなくて」

 「なるほど…」

 中江さん、私とも去年から同じクラスにいる子で、話したことは無いけれどおっとりとした子だった記憶はある。元気はつらつな戸鞠さんとおっとりした中江さん。何かミスマッチな様にも感じるけど、正反対だからこそ逆に相性がいいのかもしれない。

 私と愛染さんもそうだ。愛染さんは社交的で優しい。運動はちょっと苦手。私は全然社交的でもないしあんまり優しいとは思わない。運動はそこそこできる方だと思う。まぁ似ていないなと思う。でも一緒にいて楽しいし、安心する。そういう意味では私と愛染さんも相性はいいのだろう。私の一方通行でなければだけど。

 「戸鞠さんは、私の見る感じでは表裏のない性格だから、普通にお話したら仲良くなれると思うよ」

 「ん…ど、努力はしてみる」

 「あ、でも…わたし以外の人とたくさん仲良くなったら、一緒にお話しできる時間減っちゃうかな」

 「いや、それは大丈夫。私は愛染さん最優先だよ」

 そう、私は愛染さんが最優先だ。こうやって、学校が嫌にならなくしてくれた、そして一緒にいて安心する愛染さんをないがしろにはしたくないのだ。

 「あ…ありがとう」

 はにかむように愛染さんは笑う。私の周囲の人は言いたいことを割とストレートに言うせいか、私も影響されているのかもしれない。言った後に恥ずかしくなってくる。


 始業式は校長と理事長のありがたーい話が延々と続く。いくら育ちのいいお嬢様が集う麗女とはいえ、年頃の女の子にはあまり響く話でもなく、まだ終わらないのかと表情で語るかのような人が多い。

 実際、私も話の半分くらいは入って来ない。長話というものは、お互いのやりとりがあるから続くもので、一方的に話されるとどうも集中力が続かない。前にいる戸鞠さんなんか身体が周期的に揺れている。多分寝ているんだろう。隣の中江さんがたまに肘を当てて起こそうとしている。

 隣にいる愛染さんはと言えば、めちゃくちゃしっかり話を聞いている。何なら相槌を打つかのように頷いたりしている。この長話をしっかり聞いて反応まで返す愛染さんは聖人か何かだろうか。聖人だな。いや、女神様かもしれない。

 結局、校長と理事長の話はよく分からないまま終わった。覚えている事といったら、先日のお弁当を奥さんが間違えて、白米しか無かったので塩をかけて食べたと言っていたことくらいだ。麗女の理事長が奥さんのお弁当を食べているという事実には正直驚いた。麗女の関係者は皆お手伝いさんがいて、何もかもお手伝いさんがやってくれるのだと思っていた。案外愛妻家なのかもしれない。

 「愛染さん、ちゃんと話聞いてたんだね」

 教室へと戻る道中、私は愛染さんに尋ねる。愛染さんに限ってパフォーマンスで相槌を打っていたとは思わないけど。

 「もちろんだよ。結構楽しい話多かったよ」

 「そうかなぁ…私、全然頭に入って来なかった」

 「校長先生が同窓会に行って、何十年ぶりに会った友人の事をすぐに思い出せたって話とか。すごいよね。何十年も会ってなくて、思い出すこともなかった友人と、高校時代にバカ騒ぎをしたことを顔を見て思い出せるんだもん。それだけ、歳を重ねても色あせない思い出って眠っているんだなぁって」

 そんな事を言っていたのか。しっかり聞いているなんて愛染さんはえらい。

 「わたしも、皐月ちゃんとの思い出をずっと忘れないでいたいなぁって思う」

 「ん…それは私もだなぁ」

 愛染さんとの思い出。まだ友達になって2ヶ月くらいしか経っていないけれど、既にたくさんの思い出が私にはある。それだけ濃い2ヶ月を送ってきたという事だ。

 卒業して、時渡さんと結婚したら私との関係は終わってしまうかもしれない。続くとしても、きっと数ヶ月から数年に一度会うくらいになってしまうのかもしれない。

 それは、ちょっと嫌だなぁ。嫌というか、寂しい。

 それでも、もしそうなったとしても、麗女で過ごす日々が無かったことにはならない。ならせめて、私と愛染さん、どちらにとっても素敵な高校生活だったと思えるように、たくさんの思い出を作っていこう。

 「麗女の中じゃやれる事は限られてるし、私の体質の問題で外には行けないけどさ」

 そう、私自身と麗女の環境では、放課後に遊びに行くという事はできない。私たちが作れる思い出は、この麗女の中だけかもしれない。それでも。

 「この学校で、たくさん思い出を作っていこう。私たち二人の」

 それでも、この麗女でかけがえのない日々を過ごして、何気ない一日すらも思い出にしてしまおう。それはきっと、たくさんのトクベツな思い出になるから。

 「…うん!二人だけの、トクベツな思い出だよ」

 「…ははっ、私も同じこと考えてた」

 こうして私たちの新しい1年は幕を開ける。

 きっと慌ただしい1年になる。でも、それも悪くない。むしろ望むところだ。

 困難もあるだろう。でも、私たちならきっと乗り越えていけるから。




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