「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-⑤

 ◇◇◇



 「まぁ、まだ一日は終わってないんだけどね…」

 この日、フルで春期講習に参加している私は、初日にして既にボロボロだった。これが後5日分あると思うと憂鬱になるというものだ。

 「あ、あと1コマだから頑張ろう。古文だけど」

 「ひぃー…」

 それでも、何とか気力を振り絞って初日を乗り切ってみせた。とんでもなく疲れたけれど、達成感はあった。何より、一人じゃなかったというのが大きい。

 「皐月ちゃん、お疲れ様」

 「愛染さんもお疲れ。いやぁ、キツかった…」

 「結構がっつりやったもんね。流石にわたしも疲れちゃった」

 「んじゃ、今日はもう帰って早めに寝ようか。明日もあるからね…」

 ははは、と乾いたような笑いが出る。多分私の目は笑っていないと思うけど。

 「ん…ね、皐月ちゃん」

 「うん?どうしたの?」

 「その、疲れてるだろうから無理にとは言わないけど…夜、ちょっとだけ電話したいな」

 「うん、いいよ」

 「ほんと?良かった。寝る前に、皐月ちゃんの声が聞きたいなぁって」

 私は一体、一日に何回愛染さんを可愛いと思えばいいのだろうか。帰り際に帰った後に声が聞きたいと言われて嫌になる訳がない。

 それに、私も愛染さんの声が聞きたいという思いもある。なので即答してしまった。

 「じゃあ、電話したいときにメッセージ送って」

 「うん!」

 その後、私たちは一緒に寮に戻る。

 愛染さんが対等だと言ってくれたこともあり、もう友人関係であることを隠さなくてもいいかなと思うようになった。初めて一緒に帰る300メートルの道のりはあっという間で、もっと長く続けばいいのになとさえ思ってしまった。


 帰宅後、少しばかりテレビを観てぼーっとしていた。ニュースを見ていたけど疲労感から頭が働いていなかったので、何をやっていたのかは分からない。天気予報もマスコットがゆらゆらしているくらいしか頭に残っていなかった。その後、食堂でご飯を食べる。どこか視線を感じる。それはそうだろう。今まで友人もいなかったはずの私が愛染さんと親し気に話していたのだ。噂にでもなっていたのかもしれない。

 けれど話しかけてくる人はいなかった。まぁ、話しかけられてもうまく話せる自信はなかったので正直助かる部分ではあったけど。

 食事を終え部屋に戻り、お風呂を沸かしながら軽く部屋の掃除。正直ちょっと寝転がりたかったけど、多分寝転がったら次に目覚めるのは朝になりそうだったので耐えた。

 あと数分でお風呂が沸くといったタイミングで、愛染さんからメッセージが入る。思ったよりも早かった。もうすぐお風呂が沸いてしまう。

 私は結構お風呂に入るのが好きで、熱くない温度で大体30分は浸かっている。身体を洗ったり、髪のケア等を考えると1時間弱は入浴に時間を使っているので、結構待たせてしまうことになりそうだった。

 「うーん」

 どうしたものかと少し考える。今日はかなり疲れているので入浴しないというのは嫌だ。でも愛染さんと電話はしたい。でも待たせすぎるのは嫌だ。

 そんな私は、一つの結論に達した。

 『15分だけ待ってて』


 きっかり15分後。私は愛染さんに電話を入れる。

 「もしもし、待たせてごめん」

 「ううん、大丈夫…って、なんか皐月ちゃんの声、くぐもってるというか、反響してない?」

 「あぁ、今お風呂入ってて」

 そう、簡単な話だ。湯船に浸かりながら電話をすればいい。私はお風呂で音楽を聴いたりする事もあり、お風呂用の防水カバーを持っている。それを使って、お風呂で通話をすることにしたのだ。

 「お、おふろ…!?」

 「うん。ちょっと声聞こえにくかったらごめん」

 普段の部屋での通話とは違い、お風呂は流石に部屋より狭い。そのため声が籠ってしまう。そこは申し訳ない気はする。

 「う、ううん…その、皐月ちゃん、今お風呂なんだね」

 「そうだよー、ごくらく」

 今日の入浴剤はハーバル&フローラルの香りがする炭酸泡タイプのものにした。良い感じに心が落ち着くいい香りがする。

 「え、えっと、皐月ちゃんお風呂好きなんだね」

 「うん。まぁ長風呂ってほど長時間入る訳ではないけどね」

 「そう、なんだ」

 「愛染さんはお風呂まだなの?」

 私は一度部屋に戻って、18時くらいまではテレビを観ながらのんびりしていたので、もしかしたら愛染さんはもう入ったのかもしれない。それか、お風呂が遅いか、シャワーで済ませるタイプなのだろうか。

 「うん、まだだよ。わたしあんまり長い時間お風呂入れなくって」

 「へぇ、すぐ熱くなっちゃう感じ?」

 「そうなの。だから温泉って好きなんだけど、すぐ出ちゃうから勿体ないなぁって思っちゃう」

 「あはは、まぁ確かに温泉って結構熱い所多いもんね」

 私はあまり温泉に行った事はないけど、割と好きで長時間入るのも平気だ。家族旅行で温泉に行ったときは、私はずっと温泉に入っていて、お母さんはサウナにいることが多かった。逆に私はサウナがあまり得意ではない。蒸し暑い中でただ無の時間を過ごしている感じが苦手な所がある。あと呼吸をすると熱風が口の中に入る感じも苦手だ。

 「修学旅行、秋田だと温泉に入れるみたいだよ」

 「おー、いいなぁ。どんな感じなんだろ」

 「場所は…乳頭温泉郷だって」

 「へぇ、乳頭温泉卿って行った事ないなぁ。ミルクみたいな温泉?」

 思いっきり乳という単語から釣られている気がする。

 「そういう所もあるみたいだよ。乳頭温泉卿って7つの温泉宿があって、そのうちの4つが乳白色のお湯なんだって」

 本当だった。ネタで言ったつもりだったんだけど、当たるとは思わなかった。

 「え、全部じゃないんだ?」

 「うん。他3つは色とかも違うんだって。近くにあるみたいなのに泉質もお湯の色も違うなんて不思議だよね」

 「凄いなぁ。そんなところに行くんだ」

 「泊まる場所はその中でも一番大きい宿なんだって。あ、他は結構小規模みたい。とは言っても、修学旅行で泊まるような規模とは思えないけどね」

 気になって私も検索をしてみた。乳頭温泉卿には7ヵ所の温泉があって、数十人が止まれそうな宿は一つだけだった。

「っていうか、混浴ばっかりじゃん…あと歴史あるからなのかもだけど、女の子が行く場所でもなくない…?」

「そ、そうなんだよね。宿泊予定の所はちゃんと男女別だし、施設自体は立派みたいだけれど」

「なんでそんなところに…」

「なんでも理事長が秋田生まれの宮城育ちで、故郷が震災にあったことで震災について学んでほしくて宮城、あとは生まれ故郷の秋田の温泉を体感してほしいって考えみたいだよ」

 理事長、そんな生まれと育ちだったのか。学生受けはあまりよくなさそうなルートではあるけれど、修学旅行という意味合いで言えば一番正しいのかもしれない。

私はにぎやかなものより、そういった静かに学んだりする方が好きだったりするので、意外と合っているのかも。

 「にしても修学旅行の行先が4つあるなんて珍しいよね」

 「確かに。わたし、てっきり全員同じだと思ってた」

 「普通そうじゃない?私、中学時代は京都だったよ。麗女の中等部はどこ行ったの?」

 私は京都・奈良の寺巡りみたいな感じだった。まぁ、中学生の修学旅行は大体そんな感じだと思う。逆に関東意外だと東京とかディズニーランドに行くところもあるみたいだ。

 「中等部は福岡・長崎だったよ。太宰府天満宮と長崎の原爆資料館、あとハウステンボス」

 「おぉ、何か思ったより普通に修学旅行してる」

 てっきり中等部もなんかすごい所行って美味しいご飯食べて良い宿に泊まる物だと思っていたのでちょっと予想外だった。

 「ふふっ、確かに。すごく普通な感じだけど楽しかったよ。ハウステンボスも綺麗でね」

 「ハウステンボスかー、私行った事ないや。というか九州行った事ない」

 家族旅行で行った事があるのは海外がハワイとグアム、国内だと小樽・札幌と熱海、箱根、青森あたりだ。実は西側にはあまり行った事がない。

 「そうなんだ。福岡のご飯もおいしかったし、ハウステンボスは綺麗で、外国に行った気分になれるんだよ」

 ハウステンボスはお兄ちゃんが高校時代に行った事があると言っていた。謎解きがしたくて行ってきたとか。

 「へぇー、何か気になってきちゃった」

 実際に行けるかと言われると、私の体質の問題があるので無理ではあるけれど、いつかこの体質が治ったら旅行に行きたいなとは思う。

 「…その、皐月ちゃんがね、外出できるようになったらね」

 「一緒に、行きたいなぁ」

 いつ治るのかは分からない。そもそも治らないかもしれない。それでも、いつか愛染さんと二人で旅行に行けたらどれだけ楽しいんだろうか。

 「…そうだね。私も愛染さんと旅行に行ってみたい」

 「ほ、ほんと?」

 「うん。もちろん、すぐに私の体質が治る訳じゃないからいつまでに、とかは言えないんだけど…」

 「大丈夫だよ。じゃあ、約束。いつか、二人で旅行しようね」

 「うん、約束」

 治るかは分からないけど、頑張ってみよう。素直にそう思う。

 「…えへへ、また皐月ちゃんとトクベツな約束ができたね」

 「そ、そうだね」

 愛染さんは私の心を打ち抜くのが上手い。いや、その、あれだよ。声だけの会話だから表情は分からないんだけど、でも絶対嬉しそうにしてくれてるんだろうなぁって想像すると、私まで嬉しくなる。

 そんな事を考えていると、全身が熱くなってくる。流石にこれ以上湯船に浸かり続けるとのぼせそうだ。

 「そろそろお風呂上がるね」

 そう言って私は立ち上がる。ざばぁっとお湯が波打つ音が浴室内に響く。

 「ひゃ…っ、け、けっこうお話してたもん…ね」

 「あはは、確かに。通話時間45分だって。普段より長風呂だったかも」

 扉を開け、洗面所のマットの上に立つ。バスタオルを手に取り身体を拭きながら私は普通に話し続けている。お風呂で通話したのは初めてだったけど、案外悪くないかもしれないなぁと思う。

 「わ、わたしもそろそろお風呂入ろうかな…!」

 急に愛染さんは普段よりも大きな、そしてちょっと裏返った声で言う。

 「ん、そっか。え、っていうか何でそんな声裏返ってるの」

 「な、なんでもないよ。皐月ちゃんがお風呂気持ちよさそうだったから釣られただけ、だよ?」

 「そっか。じゃあしっかり疲れ取ってね。通話どうする?続ける?」

 寝巻を着ながら私は尋ねる。通話が終わったら、多分私は歯磨きをして就寝だ。

 「わたし長風呂できないし、髪洗ったりで時間かかっちゃうから、今日はここまでにしよっか」

 「分かった。じゃあ、また明日だね」

 「うん。皐月ちゃんもゆっくり休んでね。おやすみなさい」

 「うん、おやすみ」

 通話しながらお風呂、個人的には結構気に入った所がある。普段は音楽を聴きながらだけど、私は好きなアーティストの幅が狭い。中学3年以前は男性ボーカルの曲も結構聴いていたんだけれど、中学3年夏を境に聴くのが怖くなった。一応、男性の声だけで発作が起きることはない。授業も普通に聞けるし。けれど、今までのように音楽を楽しめなくて聴かなくなってしまった。

 そうなると、女性ボーカルで好きなアーティストだけをヘビロテする訳になるんだけど、流石に同じ曲やアーティストばかりでちょっと飽きがきてしまう。

 けれど、愛染さんと話すのはいつだって新鮮で、楽しい。またできたらいいなぁ、なんて思ったり。

 愛染さんと通話を終わらせた私は、髪のケアとスキンケアをして、その後歯磨きをしてベッドに横になる。

 精神的、そして肉体的にも疲れ果てていた私は、寝転がった瞬間に瞼が重くなっていくのを感じる。こんなにすぐ眠くなったのは久しぶりだ。

 でもこの疲労があと1週間以上続くと思うとちょっとげんなりする。それでも、明日も私はサボることなく春期講習に参加するだろう。頑張ろうと決めたから。




 ◇◇◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る