「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-④

◇◇◇




 時の流れというものはあっという間だ。

 3月も中旬。期末試験も無事に終了し、クラス内の雰囲気も試験期間前の穏やかさを取り戻していた。

 試験の結果は、個人的にかなり良かった。高得点が取れたわけではない。けれども今回は全教科が平均点前後取れていた。赤点スレスレだった英語も平均点より4点低いだけ。今までの私では考えられない程の成績だ。

 その最たる要因は愛染さんとの勉強会。愛染さん無しではこの成績は不可能だった。それに、愛染さんと一緒に勉強しているというのもあってか、ここ最近は勉強が苦にならない。

 成績的に真ん中よりわずかに下といったところまで上がった。このまま春期講習も頑張ろう、というやる気も出てきた。愛染さんとの出会いは、間違いなく私を進化させているんだなと思う。

 ちなみに愛染さんは、私に教えたりの時間を取っているはずなのに学年1位の成績だった。本当にすごい。私に勉強を教えるために日々の勉強を頑張ったと言っていたけれど、本当に成績を落とさないあたり、私の見えないところですごく努力をしているんだなと思う。

 今日は終業式で、明日からは春休み兼春期講習期間となる。麗女の春期講習は自主参加だ。新年度を迎えるにあたり、それぞれが実家関係で帰省する必要がある人もそれなりにいるというのが理由らしい。

 また、どの科目を受けるかも自由。60分1コマで、午前2コマ、午後3コマ。各時間で3科目ずつ実施される。

 私は今までの遅れを取り戻すためにも、1日5コマの参加をする予定だ。もう春休みなんてあって無いようなものだけれども、帰省しない以上は参加した方が身のためになる。

 まずは1コマ目。最初は数学だ。比較的得意な科目ではあるけれど、それでも平均点くらいだったので、しっかり底上げをしたい。

 今までの私であれば、きっと途中で音を上げているだろう。でも今回は、そんな心配は無いなと思う。

 「おはよ」

 「おはよう、皐月ちゃん」

 1コマ目の開始は9時30分。現時刻は8時55分。30分以上前に教室に入ると、そこにいたのは愛染さんのみだった。

 春期講習はクラスでの授業とは違い、入室順に最前列から詰めて座るルールになっている。つまり、このように早く来たり、一緒に行けば隣に座れるという事だ。

 愛染さんから先日の試験終わりに提案されたことがある。それは、この春期講習で私と愛染さんはたまたま隣同士になり、そこで話すようになったという事にするというもの。もちろん対外的にはという形ではあるけど。

 正直な所、私はちょっと難色を示していたところはある。ここで知り合った体にするのはいい。けれど、私たちが友人関係にあることを他の生徒に見せることが、愛染さんの評価を下げるかもしれないという事実は変わらないのだ。

 愛染さんはそうなってもいいと言っていた。私としてはそれは嫌だと思っていたのだけど、私と学校でも話したいという事や、そのくらいで評価が下がったりの文句は言わせない為に1位をキープしたんだと力説してきた。

 まぁ簡単に言えば、その熱意と言うか、私ともっと話したい、一緒にいたいという思いに絆されてしまったのだ。

 結局のところ、私としてもこうして校舎内で愛染さんと話ができる事は嬉しいのだ。平日の夜の通話と土日の勉強会。結構会ったり話したりはしているとは思うんだけど、私ももっと一緒にいたいなぁという気持ちはある。だから私は不安はありつつもその提案を受け入れることにした。どんな困難があったとしても、愛染さんが隣にいてくれるのなら乗り越えていけると思うから。

 私が春期講習を頑張ろうと思ったのも、もっと勉強を頑張って成績を伸ばして、愛染さんの隣にいても問題ないくらいになりたいという思いもあったりする。愛染さんに言うのは恥ずかしいから内緒にしているけど。

 「ちゃんと隣になれたね」

 「うん。早起きして良かった。」

 まぁ早起きとは言っても、普段登校するよりも1時間近く遅いんだけどね。

 「皐月ちゃんと一緒に受けられて嬉しいな」

 「わ、私も…だよ」

 愛染さんは椅子を近づけ私の手を取ってぎゅっと握りながら言う。もうすぐ4月で少しずつ暖かくなってきているとはいえ、まだ午前中は寒さも残る。そんな冷えた手が、愛染さんの体温で温まっていく。

 嬉しいんだけど、これ見られるとマズいんじゃないだろうか。

 「あ、あの、他の人来たらマズいんじゃ…」

 「そ、そうだよね。でも…もう少しだけ、だめかな?」

 私の手を握りながら、寂しそうに言う愛染さんを見て、否定できる気がしなかった。何というか、愛染さんは犬だな。ぶんぶん尻尾を振ったり、耳を動かしているような感じ。つまり何が言いたいかと言うと、可愛いのだ。

 「べ、別にいいけど…」

 「やったぁ」

 私たちは向かい合うように座り、しばらくの間手を握り合っていた。

 うん、やっぱり嫌じゃない。むしろ、その、あれだ。愛染さんの柔らかい手が私に重なっていくのは、良いなと思うし。

 数分後、愛染さんは満足したのかゆっくりと手を離す。手が離れてかすかに感じる空気の冷えが、少しばかりの寂しさを私に与えた。

 「ふふっ、皐月ちゃん成分チャージ完了だよ」

 何というか、発言のことごとくが可愛いんだよね愛染さんは。

 「ま、満足してもらえたなら何より…」

 私は全身が沸騰するんじゃないかというくらい熱くなっている気がする。最近はこんな感じで振り回されてばかりだ。でも、こういうのも良いなと思ってしまう自分もいて、本当に私は変わったんだなぁと実感する。


 それから少しして、少しずつ生徒が入室してくる。同じクラスの人もいれば、違うクラスの人もいる。それぞれが挨拶を交わしたりしつつ、普段のクラスとは違う環境もあってか比較的静かだ。

 私と愛染さんは先ほどまでの感じではないにしても、多少会話を交わしてはいた。それを見た周囲の生徒たちは私が会話をしていることに驚いている人もいた。それはそうだろうね。クラスではほとんど話さなかったし、1年生中盤からはほとんど話しかけられることも無かったから。

 1コマ目の数学は、1年前半の総復習だった。比較的数学は得意な方とは言え麗女では平均点前後。睡眠時間もしっかり確保してきた事もあり集中できた気がする。

そして休み時間。次は英語。午前の鬼門となる教科だ。

 この休憩時間は愛染さんからおおよその範囲についての説明を聞いていた。他の生徒たちは教室を移動する人もいたりで入れ替わりが発生していた。隣の教室では2コマ目が現代文、更に隣は生物だ。そっちが苦手だったりする人はそっちの方に行っているみたいだった。

 比較的入れ替わりが激しいおかげか、私と愛染さんに話しかけてくる人はいなかった。まぁいても私は下を向いてあんまり話せない気もするけど。


 英語。これを午前中に持ってきてよかった。まだ集中力が続くうちにこの科目を受けたのは正解だったが、2コマ目の終わりには私はぐったりしていた。

 「皐月ちゃん、大丈夫…?」

 「う、うん。何とか…」

 愛染さんとの勉強会のおかげで何とかなったものの、それでも苦手なものは苦手だ。その苦手意識が今の疲労困憊の原因な気もする。

 「お昼どうする?」

 「ん、実は朝のうちに購買で買ってきてる」

 「ふふっ、だと思った」

 愛染さんはまるで私の行動を予想していたように、カバンからサンドイッチを取り出す。購買で売っているものだ。

 「…愛染さん、エスパー?」

 「え?いや、皐月ちゃんお昼のカフェテリア行くの嫌がりそうだなって思って」

 本当にその通りだ。私はお昼のカフェテリアに入る事はない。人が多いし。購買もお昼は人が多いので、基本的には朝に買っている。

 「まぁ、その通りだね」

 「それに、こうやって先に買っておけば、お昼にたくさん皐月ちゃんとお話できるもんね」

 「う、うん」

 愛染さん、これを男性にやっていたら絶対勘違いされそう。でも話を聞いている感じ、時渡さんにはやってないようだった。正直、やってたらちょっと、何というかもやっとしちゃうかもしれない。

 私たちは中庭のベンチに移動した後、お昼を食べながら、午後の講習の事だったり、他愛のない世間話をして過ごしていた。

 私はきっと、こうやって友達と何気ない会話をしながら過ごす学生生活を求めていたのだろう。愛染さんと過ごすこの日々は、私にとってかけがえのないものだ。中学時代に失って、もう二度と手が届かないと思っていた時間。

 教室でただ一人周囲から取り残されて、それが辛くて死のうと思ってしまった事もあった。それでも私は今、生きている。そうしてくれたのは愛染さんだ。

 いつか終わってしまう友人関係だったとしても、私はこの関係を大切にしていきたい。でも、終わりを迎える時は私はどうなってしまうのだろうか。

 進級してクラスが別になってしまうかもしれない。同じになったとしても、果たして私は愛染さん以外の人と人間関係を築く事ができるのだろうか。

 2年が始まったら、私たちが友人関係になったことは知れ渡るだろう。私に近づいてくる人もいるかもしれない。そんな時に私は、ちゃんと会話ができるのだろうか。

 ふとした拍子に、私はこんな事を考えてしまう。

 「皐月ちゃん、大丈夫?」

 「え?」

 「…凄く、不安そうな顔してる」

 つい表情に出してしまっていたようだった。

 「ご、ごめん。何でもない」

 「…あのね、皐月ちゃんに不安な事があっても、わたしは皐月ちゃんの味方だから」

 「……」

 「困ったことがあったらわたしに言ってね。わたしに出来る事なら何でも協力するから。辛いときは傍にいるから」

 私の考えている事に気付いたのかどうかは分からない。それでも、愛染さんは私を心配してくれている。

 今までには無かったもの。ここでは一人で生きていくしかないと思っていた私に、手を差し伸べてくれた人。

 私の手を握り、優しく語りかけてくれる。不思議な事だけど、それが私の不安を和らげてくれた。

 「…ごめん。2年生になった後の事を考えてたら色々不安になってた」

 こうやって正直に話すのはきっと愛染さんだけだ。家族にだってこういう話はしない。それは別に家族を信用していないという訳ではなくて、端的に言えば愛染さんだからなんんだろう。

 「きっと大丈夫。それに、わたしは皐月ちゃんとその他の人どちらかを選べって言われたら、迷わずに皐月ちゃんを選ぶよ」

 「…それは」

 嬉しい。私を一番に選んでくれることは嬉しい。でも、愛染さんは立場的にそれが許される訳ではない。だから私は言葉に詰まってしまう。私は愛染さんと対等でありたいけれど、外的要因がそれを許してくれない。それが歯がゆいし、悔しい。

 「皐月ちゃんは優しいね」

 「…え?」

 「だって、わたしの事を本当に考えてくれているんだもん」

 最近の私は、愛染さんの事ばかり考えているというのは否定ができない。この学園において、私を構成する大半が愛染さんと過ごす日々だから。

 「だからきっと、皐月ちゃんは私の立場とか、そういう事も考えて不安になったりしてるんでしょ?」

 「…そ、それは…その」

 「だったらわたしも同じだよ」

 「…?」

 「皐月ちゃんがわたしの事を考えて不安になっているように、わたしも皐月ちゃんがわたしの事で不安を覚えている事が心配だもん」

 「ね、わたしたち、同じこと考えてるでしょ」

 愛染さんに心配をかけさせている。私はかなり分かりやすいというか、表情に出やすい人間だったのかもしれない。

 「だからね、わたしたちは確かに立場的には違うかもしれないけれど」

 重なり合っている私たちの手が、愛染さんの胸元に向かっていく。そして、その手をぎゅっと抱きしめるようにして、私の目を見つめる。

 「わたしたちは、対等だよ」

 「……っ」

 周囲から見れば、対等じゃない事は明らかだ。たとえ愛染さんがどう言おうと、外部入学生の私と、世界を担うほどの大企業の娘、同じ立場でないことは明白だ。

 それでも。それでも私は、愛染さんが対等だと言ってくれたことが嬉しかった。私がずっと欲しかったもの。欲しかった言葉。

 「さ、皐月ちゃん…?ど、どうしたの?何で泣いてるの?」

 視界がぼやけていく。世界が揺れているかのように、私の視界に波が立つ。体の内側から、ずっと抱え込んで、でも吐き出すこともできずにいた感情。

 私は今、泣いている。これまでも泣くことはあった。でもそれは恐怖や不安から来るもの。男性が近くに来たりしたことで起こる発作のようなもの。

 でも今は違う。わたしは初めて、嬉しくて泣いたのだ。

 「ご、ごめ…っ…何で…」

 ポケットからハンカチを取り出して目を拭う。それでも、今まで抑え込んでいた感情が一気に噴出するように、私の涙は止まらなかった。


 数分の後、私の涙はやっと落ち着き、私も冷静さを少しずつ取り戻した。愛染さんにかっこ悪いというか、変な所を見せてしまった事に申し訳なさや恥ずかしさがこみ上げてくる。

 「…その、ごめん。急に泣いたりして」

 「ううん、わたしは大丈夫。皐月ちゃん、もう大丈夫…?」

 愛染さんは私の背中に腕を回し、そっと背中をさすってくれている。その手が温かくて、安心する。

 「うん。その…嫌とか、悲しくなった訳じゃないから」

 「…そうなの?」

 「…嬉しかったんだ。愛染さんが、私たちが対等だって言ってくれて」

 私の一方通行じゃなくて、愛染さんも私の事を考えてくれている。お互いが、お互いの事を考えている。

 「うん、わたしたちは対等だよ。だから、お友達…というよりは親友、なのかな」

 「し、しんゆう…」

 この一ヶ月で私たちは友達から親友へランクアップしたようだ。何というか、愛染さんからそう言われるととんでもなく嬉しいし、照れる。

 「…その、嫌?」

 「全然。むしろ…嬉しいというか。愛染さんの中で、私ってすごい大きな存在なんだなぁって」

 「ふふっ、当然だよ。わたしにとって皐月ちゃんは、トクベツ」

 ぶわっと、全身の血の巡りが法定速度をぶっとばしていくかのように速まっている気がする。自分でも分かるくらい全身が熱い。つまりは、私はもう隠せない程に赤くなっている。

 「あ、皐月ちゃん照れてる」

 「そ、そんな事ない…訳じゃないけど!もー!」

 私の反応に愛染さんはちょっと吹き出してしまうかのように笑った。その初めて見る反応に、私も釣られて笑ってしまう。

 こうして笑いあえる日々が私の救いであり、愛おしいとさえ思える。

 きっと大丈夫。クラス替えの後に他のクラスメイトと上手く話せるかは分からない。でも、私には大きな味方がいる。まだ怖いというか、不安な所はあるけれど、これからも私は前に進んでみようと思う。

 そう思える一日だった。



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