「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-③
古文の後は英語をやることにした。これは結果としては大失敗だった。いや、愛染さんの教え方はとても上手で、私も結構理解が深まった。そういう意味ではやって正解ではあったのだ。ただ、違う国の言葉の文法と単語が機銃掃射のごとく押し寄せてきて、今日は英語やらなければよかったと少し後悔した。今日は単語の津波が押し寄せてくる夢を見そうだ。
17時半。勉強もひと段落ついて、時間も時間なのであとは少しおしゃべりをしようとなった。おしゃべりをして愛染さんが帰ったら、ご飯と入浴を済ませてまた少し勉強だ。
「そういえば、明日はどうする?」
普段の私たちは土日は基本的に愛染さんの部屋で勉強会とおしゃべりをしている。その中で月に何度か愛染さんは用事で麗女の外に行く事がある。その時は私は一人で勉強をして、夜に愛染さんが帰ってきて余裕があったら通話をしていたりする。
「明日は外に出る予定無いから、わたしのお部屋で最後の詰めでもやらない?」
「うん、わかった」
土曜日は大体こんな感じのやりとりを最後にしている。基本的に愛染さんが予定のある日は土曜日単日か、土日両方埋まるかという感じらしい。2週間前が土日両方予定でいなかった時は、かなり虚無な二日間を過ごしていた。愛染さんと友達になる前の日常に戻った気がしたから。つまりは、寂しかった。
「皐月ちゃん、修学旅行って行先決めた?」
麗女の修学旅行はやや特殊だ。2年生の11月1週目に行われる。国内と国外があり、国外は追加料金が必要となる。それと同時に国外は約1週間の日程らしい。場所はオーストラリアだとか。
国内は3泊4日の日程は変わらないが、行先が沖縄、大阪・京都、宮城・秋田の3ルートある。2年スタート時にアンケートが配られ、それぞれが行きたい場所を選択する。これは多数決ではなくて、選んだ先に行くことになる。
私はてっきり、沖縄でリゾート気分が人気なのかなと思ったら、大阪・京都が人気らしい。大阪はUSJに行くらしいけど、麗女の生徒にはUSJが人気だとか。お嬢様なんだしUSJ行くお金くらいありそうなものだけど、逆に行く機会が無いのかもしれない。あと、令嬢と言えど何だかんだで年頃の女の子だし、そういったものが好きなのだろう。私はUSJに行ったことは無いけど、ジェットコースターとか、VRの乗り物があるとかは聞いた事があった。まぁ今の私が行く事は叶わない事ではあるんだけれど。
私は正直、修学旅行に参加できるかは怪しい。それは私の男性恐怖症があるから。どうしてもこの麗女の外に出ると、女性しかいない空間というものが常にある訳ではない。そういった点でもう大阪は論外だった。一応仮で選びはするけれど、行けないんじゃないかなとは思う。
「ん…一応、宮城・秋田にしようと思ってはいるけど」
3ルートの中では、一番人の少なさそうな場所。そう考えると宮城・秋田だろう。宮城県や秋田県に住んでいる人には失礼なことかもしれないなこの考え方。消極的すぎる理由ではあるけれど、一応個人的にも行くならここがいいかなとは思っている。
というのも、個人的に角館に行ってみたいのだ。武家屋敷等の見学ができて、時期的に紅葉も見れるかもしれない。それと、ご飯が美味しいらしい。ちなみに大阪はUSJの関連ホテルだとか。流石は麗女。
これは私個人の感想だけど、北国はご飯が美味しいと思う。北海道旅行は小学6年生の時に家族旅行で行ったけど、美味しいものばかりだったと記憶している。いや、南が不味いとは思わないけどね。ただ、私は西側にはあまり行った経験が無いので分からないだけだ。
「宮城と秋田、いいね。落ち着いて観光もできそうだし」
「うん。それに…ほら、前にちょっと言ったでしょ。私、人間不信気味みたいな感じの事」
「あ…うん」
「人混みとかいると気分悪くなっちゃうから、大阪とかはまず無理なんだよね」
「…そっか」
愛染さんが少し寂しそうというか、悲しそうな表情を見せる。
「あ、いや、愛染さんが気にする必要はないっていうか。そういう体質だからさ。それに、消去法で選んだわけでもないし。角館、行ってみたかったんだよね」
「うん…ありがとう。角館かぁ、わたしも写真で見たことはあるけど、実際に行った事はないなぁ」
愛染さん、どちらかというと実家の関係で海外に行ってたりしそう。あとは軽井沢とかに別荘持ってるとか。
「愛染さんはどこにするか決めたの?」
「うーん、とね…まだ。でも、その、皐月ちゃんと同じ場所に行きたいなぁ…って」
つまり、愛染さんも宮城・秋田を選ぶという事。個人的には嬉しい。愛染さんと一緒に行けるというのであれば、私も頑張って外出できるようにしたい。
「その、USJとかは行きたいとか無かったの?」
「あんまり…かなぁ。わたしはそんなに活発じゃないから、むしろ落ち着いて観光したり、ゆっくり温泉入る方が好きだし。皐月ちゃんと一緒の所が良いって言ったけど、わたしも選ぶなら宮城・秋田だよ」
確かに、愛染さんはあまりアグレッシブに動く人ではない。何となくだけど美術館とか水族館とか好きそう。多分東京の上野にある美術館とか科学博物館で1日過ごせるタイプだと思う。私もそんな感じだけど。
「そっか、じゃあ一緒に行けるといいな」
「うん、わたしも。夜ご飯は宮城だと牛タン、秋田だときりたんぽ鍋も出るみたいだよ」
きりたんぽ鍋、聞いたことはあるけど実は食べたことがない。お父さんが美味しいぞと言っていたから味は間違いなく良さそう。牛タンは焼肉とかで食べたことがあるけど、宮城の牛タンは厚めになっていると聞いたことがある。
「へぇー、食べたことないや。温泉もあるみたいだし、楽しみ」
行けるかどうかはまだ分からない。でも、愛染さんと一緒に行けるなら頑張りたい。病院とかで治療と言うか、カウンセリングとかも受けた方がいいのかもしれない。
修学旅行の行先のうち、宮城・秋田はあまり人気がない…らしい。調べた感じ良い所だと思うんだけど。秋田に行くのは学年の生徒全体の2割以下だとか。おおよそ4割が大阪、3割が沖縄、2割が秋田、1割が海外だとか。思ったよりオーストラリアが少なくて私は意外だなとは思うけど、案外皆国内が好きなのかもしれない。私は小さい頃にハワイとグアムには行った事があるけれど、正直小さいころなのであまり覚えていない。それに、海外って当然の話ではあるけれど日本の常識が通用しない。なので私はあまり海外に行きたいとは思っていなかったりする。
あ、でもサグラダファミリアが完成したらちょっと見てみたかったり、パリのルーブル美術館に行ってみたいとは思う事もある。
「だね。皐月ちゃんと一緒のお部屋だといいなぁ」
「修学旅行はクラスあまり関係ないみたいだし、なれるかもね」
そう、クラス分け。2年になると同時にクラスが再編成される。こればかりは運だ。
3年生でもクラス分けがある。3年生のクラス分けは進路と学力による。その中でも特に学力の高い成績上位者かつ最難関大学への進学希望者は特別進学クラスになるらしい。
「クラス分け…一緒のクラスになれるかな」
「んー…どうしたって運次第だからね。私としては愛染さんと一緒がいいけど」
「うん、わたしも。毎日祈り続けないとだね」
「だね。でも私は神様に祈るなんて普段してないから、都合のいいやつって思われちゃうかも」
私のお父さんは実家が浄土真宗らしいけれど、お父さんはあまりそのあたりを気にしたことは無かった。何なら神様やら仏様に頼るなら自分で頑張った方が達成感があるとか言っていた。おじいちゃんが聞いたらひっくり返りそうだ。
「日本には神様がたくさんいるから、一人くらいは聞いてくれるよ」
「愛染さんって意外と神様信じてないんだね」
「ふふっ…神様に信じるくらいなら、わたしは自力で頑張るから」
どやぁーん、みたいな効果音がぴったりな感じで得意げに胸を張る愛染さん。かわいい。でも流石にドヤ顔でそれを言われてしまうと。
「…あは、あはははは!」
お父さんと同じような事を愛染さんも言うものだから、つい笑ってしまった。ちょっと失礼かもしれない。
「え? そ、そこ笑う所だった?」
愛染さんは照れたように、あわあわしている。
「いやー、私のお父さんとおなじような事言ってたからつい」
「そ、そうなんだ。皐月ちゃんのお父さんって面白い人なんだね」
「普段は朗らかーな感じだけどね。のほほんとちょっと吹っ飛んだ事言ってきたりはする」
「そうなんだ。皐月ちゃんのご家族の方、結構個性的なんだね」
確かに、うちは個性的かもしれない。お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも。私はあの人たちと比べると没個性かもしれない。
「確かにそうかも」
「じゃあ、今度遊びに来なよ。みんな歓迎すると思うし」
「え…ほ、ほんと?」
愛染さんがちょっと身を乗り出すように寄ってくる。
「う、うん。まぁ行けるとしても長期休みで私が帰省してる時とかになると思うけど」
「じゃあ、行きたいな。皐月ちゃんのご実家、楽しみにしてるね」
嬉しそうに愛染さんは笑う。そこまで喜んでくれるとは思ってなかったのでちょっとびくりはしたけれど、愛染さんはきっと家族の皆も大歓迎だろう。
むしろお兄ちゃんなんかは皐月に友達ができるなんてと泣いて喜びそうだ。
「…っと、もういい時間だね。わたし、そろそろ帰らないと」
時間を見ればいつの間にか18時を過ぎていた。確かにちょうどいい時間だ。
「もうそんな時間か。じゃあ、気を付けてね。また明日」
「うん、また明日ね」
愛染さんを玄関まで見送る。楽しかったこの一日が終わってしまう事に少しばかりの寂しさを覚える。明日も会うけれど、私の部屋に初めて愛染さんを呼んだこのトクベツな一日はここでおしまいだ。
「…ちょっと、寂しいね」
「え?」
「あ、いや。何でもない」
うっかり私は口に出してしまっていたようだ。いや、死ぬほど恥ずかしい。事実ではあるんだけれど、愛染さん本人に聞かれてしまったというのは中々にやらかした感がある。
「…わたしも、だよ」
愛染さんは少し視線を泳がせた後、頬を染めながら、そして綺麗な栗色の髪を指先で弄りながら答える。
「…でも、明日も会えるから。皐月ちゃんの事、待ってるね」
そう言うと愛染さんは私の手を取り、両手で握る。愛染さんの温かい手が、私の心まで温めてくれているかのようだ。
「うん。ありがとう。じゃあ明日、行くね」
「うん、ばいばい。お邪魔しました」
そう言って、愛染さんは私に手を振って帰っていった。
「あーーーーー、うーーーーー」
お風呂の中。湯船に浸かりながら私は悶えていた。
さっきのアレは何だ。私、めちゃくちゃ寂しがりみたいになっていたじゃないか。恥ずかしすぎる。
本音を言えば、寂しいのは本当だった。この期末試験直前という状況でなかったら、もう少し話したいところだったのは間違いない。ほんの一ヶ月ほど前まででは考えられない変化に、私自身が驚いている。
でも、それだけ私にとっての愛染さんは大きい存在になっているという事。そして、自惚れでなければ、愛染さんも私と会う事を喜んでくれている。
湯船から手を出す。別れ際に握ってくれたあの温もりは、たとえ入浴という行為であっても上書きされることなく残っている。
「早く、試験終わらないかな」
ぼそりとつぶやくその声は、浴室内で反響して私の耳を震わせるのだった。
◇◇◇
今日はとても楽しかった。幸せだった。
皐月ちゃんが、わたしの服装を可愛いって言ってくれた。
それだけでも満足だったのに、帰り際に寂しいって言ってくれた。
皐月ちゃんはと過ごしたこの時間はあっという間で、もっと続いてほしいといつも思ってしまう。だからわたしは、皐月ちゃんとお別れ前に次の約束をする。
わたしの毎日は、皐月ちゃんのおかげで色鮮やかになっていく。
でも、この胸の高鳴りは何だろう。皐月ちゃんの事を考えるたびに高鳴るわたしの心臓の鼓動は。
今まで感じたことのない感情にわたしは少しばかりの戸惑いを覚えながら、けれど明日また皐月ちゃんと会える事の嬉しさを噛み締める。
明日も、明後日も。わたしはきっと幸せなんだと思う。
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