「天ヶ瀬皐月は馴染まない」-②

 ◇◇◇



 ピンポーン、とチャイムの音が鳴る。

 (……来た…!)

 私は勢いよく立ち上がり、緊張したように心臓の鼓動が早くなっていることを感じる。

 一旦落ち着こうかと思ったけど、愛染さんを待たせてしまうのも良くないので、足早に玄関まで向かう。

 「い、いらっしゃい」

 ドアを開けると、目の前には愛染さんがいた。

 白のニットにチェック柄のミニスカート。そしてタイツではなくストッキング。結構シンプルめではあるんだけれど、チェック柄のスカートが可愛らしさを出しつつ、全体的には大人っぽいというか、綺麗というか。

 一言でいえば可愛くて綺麗。正直、これ以上の感想を付け足すのは蛇足だと思う。

 「昨日急にお願いしてごめんね。お邪魔します」

 「だ、大丈夫。どうぞ」

 そう言って私は自分の部屋に案内する。

 私の部屋は…というか、B棟の間取りは基本的に同じだ。備え付けのベッドと勉強机。カーペットに正方形のテーブルと座椅子が一つとクッションが一つ。基本的にベッドと勉強机は配置が固定となっており、移動する事は禁止されている。

 まぁ、当たり障りのない部屋だ。

 「…ここが、皐月ちゃんの暮らしてるお部屋なんだ。綺麗だね」

 「まぁ、掃除してるからね」

 一応普段からしてはいるけど、今日は普段以上に掃除をしたので自分でも綺麗な部屋だと思う。

 「そういえば、愛染さん」

 「ん?どうしたの?」

 「…その。服装、似合ってるね。可愛い」

 玄関ではあのまま立ち話をするのも良くないと思ってすぐ部屋に入ってもらったので言えなかった事を今、私は伝える。多分、オシャレをしてきてくれたんだろうなと思う。メイクもしっかり決まっているし、普段から綺麗な髪もツヤツヤ。制服以外で膝上丈のスカートを履いている所も初めて見た。今日も結構寒い中でタイツではなくストッキングを選んでいるようだった。タイツは防寒用に使う事も多いけれど、ストッキングは冠婚葬祭とかでも着用する。簡単に言ってしまえば、脚を綺麗に見せるためのものでもある。つまり、愛染さんは寒さ対策ではなく、オシャレのために履いている。私に会いに行くためにオシャレをしてくれたという事だ。

 なんというか、私の部屋に来るためにここまで頑張ってくる愛染さんの事を考えると友達冥利に尽きるというか。

 「…! うん、ありがとう。ふふっ、皐月ちゃんに褒められるとすごく嬉しい」

 そう言って微笑む愛染さんは、初めて友達になったあの時みたいな素敵な笑顔だった。

 「そんなに喜んで貰えるなんて思わなかった…でも本当に服装似合ってるし、髪も綺麗だよね。普段からケアしてるの?」

 「うん。シャンプーとコンディショナー、トリートメントとヘアマスクでしょ。お風呂あがったらミストをして、最後はヘアオイル」

 思ったよりガチだった。愛染さんの髪は艶もあるしなめらかだ。凝視したわけではないので細部まではどうなのかは分からないけれど、少なくともぱっと見た感じでは枝毛もない。容姿はすごくいいのに髪の毛がダメージだらけで勿体ないなと思う人はたまにいるけど、愛染さんは完璧だ。きっと、触っても気持ちいんだろうなと思う。

 「す、すご。フルコースじゃん」

 「わたし、髪が細めだから。お手入れしっかりしないと日に焼けたり冬は乾燥したりしちゃうの」

 「そうなんだ」

 「皐月ちゃんも髪の毛綺麗だよね。結構しっかりやってるの?」

 私のお母さんは理髪師ということもあり、結構髪の毛にはうるさい。ヘアケアにはインバスとアウトバス…すごく大雑把に言えばお風呂でするケアと、お風呂上りにするケアがある。さっきの愛染さんで言えばヘアマスクまでがインバスで、ミストとヘアオイルはアウトバスのケアだ。

 ちなみに私の部屋の浴室には、お母さんのお気に入りのシャンプー等、洗面台にはヘアオイルがある。値段は聞いたことないけど、割といいやつ…らしい。

 お母さんからは髪の洗い方もかなり細かく教えてもらった事がある。最初はぬるま湯で1、2分の余洗いをして、髪の汚れを落として、その後にシャンプーをする。力をあまり入れずに指先ではなく指の第一関節や第二関節付近で頭皮をマッサージするように洗うといいとか何とか。

 シャンプーにはシリコンが入っているものと入っていないものがある。どっちが悪いとかはないらしいけれど、どちらにも特徴があって、髪質や仕上がりの好みで選ぶべきだとお母さんは言っていた。ちなみに私の部屋にあるのはノンシリコンシャンプーらしい。

 女性は髪が命なんだからしっかりケアしなさいとはお母さんの談だ。お父さん曰く、昔そんなCMがあったらしい。

 「まぁ、一応ね。お母さんがそこらへん詳しくて」

 「へぇー、皐月ちゃんのお母様…もしかしてヘアケア関係のメーカー勤務とか?」

 「ううん。理髪師だよ。まぁしばらく専業主婦だったから、あくまで今はパートとして働いてるって感じだけど」

 愛染さんは感心したように相槌を打つ。愛染さんも結構詳しそうだし、お母さんと話が合うのかもしれない。

 「じゃあ、皐月ちゃんの髪が綺麗なのはお母様のおかげなんだね」

 「き、綺麗かな…」

 「うん、すごく。ちゃんとお手入れしてるんだぁって分かるもん」

 そう言うと愛染さんは私に近づき、私の首元に手を伸ばして髪を撫でる。普段髪を触られるなんて事はないし、こんな近い距離にいられると結構…というかかなり緊張する。

 「あ、あああ愛染さん…!?」

 髪を撫でると同時に、愛染さんの指が私の地肌に当たる。温かくて、くすぐったい感じ。全然嫌ではないけれど、私は緊張で首元に熱を帯びているのを実感する。

あと、私は結構耳が弱い。触られると、嫌悪感とは違うんだけれどぞわっとしてしまう。

 「あ…ご、ごめんね!いきなり触っちゃって…」

 私の変化に愛染さんも気づいたのか、ハッとして手を放す。慌てたように私に謝罪してきた。

 「い、いや別に。愛染さんなら気にしないから」

 気にしていないなら動揺しないだろ、と私は自分の発言に心の中でツッコミを入れる。いや、本当に嫌ではないのだ。これが他の人だったら私は一歩離れたりして距離を取るし、男性にやられたら多分取り乱す。というか倒れる。

 私にとって愛染さんは、こういう事をされても怒らないし、嫌では無い。触っていいかと素直に言われたらいいよと言う。多分、それくらい私は愛染さんにだけは心を許している気がする。耳を触られると変になりそうなのでそこは死守しないと私の沽券にかかわりそうだけど。

 「本当にごめんね…距離感おかしくなってて」

 「ううん、本当に大丈夫。その、先に言ってくれれば別に触ってもいいから」

 「…………ほんと?」

 「え? うん」

 愛染さん、普段は他人の顔色を窺ったり、距離感を掴むのは上手いはずなんだけど、どうも私への距離感はバグっているみたいだ。多分、ちゃんとした…というか、打算や駆け引きのない本当の意味での友達は私が初めてだから、そういった人との距離感が分からないのだろう。

 あぁ、私って愛染さんにとってはトクベツな存在なのかな、と思うとちょっと嬉しい。

 「じゃあ、その…ま、また今度触らせてほしい…な」

 「う、うん。いいけど」

 にへらー、みたいな擬音が似合うように愛染さんは頬を緩ませる。こんな表情初めて見たなぁと思う。そんなに嬉しかったのか。

 「と、とりあえず勉強しようか。あ、座椅子使っていいよ」

 私はテーブルの傍にある座椅子に愛染さんを案内する。

 「うん、ありがとう」

 失礼します、と言って愛染さんは座椅子に腰かける。私は対面のクッションに座り、勉強道具を広げる。

 「週明けの試験、皐月ちゃんは気になる科目ある?」

 「んー、全部…なんだけど、英語と古文かな」

 生物は先日の小テスト前に教わったり、その後もちょくちょく教えてもらったりしたことで結構理解は広まったと思う。

 愛染さんの教え方はどれも上手で、私は今までの遅れをそれなりに取り戻せたと思う。まぁ点数そのものは全部平均点に届くかどうかくらいまで伸びるという感じではあるけど。それでも、赤点ギリギリだった時代と比べたら天地の差がある。少なくとも、点数が悪すぎて留年が視野に入るなんて事にはならないようにはなったと思う。

 愛染さんの教え方はただやり方を教えるのではなくて、どうしてそうなるのか等の意味合いも含めて段階的に教えるという手順を踏んでいる。そのため、一つの項目で教える時間だけで言えば確かにやり方を教えるだけよりもかかるけれど、その分私も理解しやすい。すごく丁寧だし、私が理解できない部分はより詳しく、そして丁寧だ。

 正直、週明けの期末試験に関して、私は謎の自身があった。もちろん、高得点が出せるわけではないけれど、一人で苦悶しながら勉強していた時の辛さはない。一人でやってどうしようもなかったあの苦痛は今はなくて、愛染さんとする勉強がこんなに楽しいものだとは思っていなかった。

 それと、私と愛染さんは結構相性がいいというか、沈黙が苦にならない。中学時代とかは友達といて沈黙が続くとちょっと背中がむずむずしていた。まぁ私は当時からそんなに口数が多い訳ではなかったから、気の利いた話も振れなくてむずむずした状態を続ける事になっていたんだけど。でも愛染さんと一緒にいる時はあまりそんな事は無い。それこそ勉強中は30分とか、長いと1時間近く無言の時間が続くこともある。でも、むずむずはしないし、しっかり集中して勉強ができる。そういう意味でも、一緒にいて嫌にならない関係だなと思う。

 「じゃあ古文からやろうか。今回の範囲、ちょっと難しいもんね」

 「ありがとう。ご指導お願いします」

 「ふふふ、美乃梨先生にお任せ、だよ」

 愛染さんはシャープペンシルをチョークに見立てて縦に持つと、ちょっとドヤ顔で私にそう言う。愛染さんが教師か。絶対人気出るだろうなぁ。こんな美人な人が教壇に立って優しく勉強を教えてくれたらきっと成績が爆上がりすると思う。

 そんな感じで始まった私たちの勉強会。シャープペンシルが紙をなぞる音、愛染さんが私に教えてくれる声、それに私が相槌を打つ。私たちが友達になってから続く、いつもの流れ。それが心地よく、そして私の集中力を高めてくれる。

 とはいえ、今回は結構苦戦している。私は現代文はまだ苦手ではない方だったし、中学時代の古文は普通に出来ていたはずだった。ただ、高校になって、それも麗女という進学校のレベルにもなると難しさが跳ね上がる。

 何というか、文章を読むのに時間がかかる。それでいて、意味を理解しづらいのだ。

 「うぅー…古文って何でこんなに大変なんだろ…」

 呻くように私は声を漏らす。内容がイマイチ入ってこないというか、先に進むとさっきまでやっていたことの内容が歯抜けになってそこを再び思い出すみたいなことをやっている。

 「古文って、短期間で一気に点数を上げるのは難しいんだよね」

 「え、そうなの?」

 「うん。そこは英語に近いかもね。単語や文法を覚えて、それを文章問題に活かしていく感じかな」

 そりゃ苦手になってしまう訳だ。

 「今回は試験がもう数日だから、ちょっと詰め込み式に教えてるけど、本当はまずしっかり単語と文法を覚えて、それから簡単な文章問題をたくさん解いた方がいいんだよ」

 「なるほど…でも麗女って簡単な問題が試験に出るなんてあまり無いよね?」

 「そうなんだけどね。でも、いきなりハイレベルな問題を今解いてくださいって言われても、ちゃんと理解できていない人には無理でしょ? だからこそ、古文って普段の勉強が物を言うんだよ」

 うん、全く否定できない。最近英語をちゃんと頑張ろうって思ってやっているから何となくわかる気がする。最近英語が少しずつ分かってきたのは、当然愛染さんの教え方が上手なこともあるんだけど、単語を覚えてきたからという事も大きい。

 「古文もちゃんと頑張ろう…」

 「うんうん。平日とかは単語とか文法中心にやって、土日にこうやって会う時に文章問題やるのがいいかも。わたしが教えてあげるから」

 「至れり尽くせりだ…」

 なんかもう、愛染さんに依存しちゃいそう。いや、それは良くないんだけど。とはいえ、教えてもらわないと分からない所も多いからその方法で行こう。そのお礼はちゃんとしないとなと思う。

 「わたしも皐月ちゃんに教えて自分がちゃんと理解できているか把握もできるから、ウィンウィンの関係ってやつだよ」

 「それならいいんだけど」

 「それに、皐月ちゃんとこうやって一緒にお勉強するの、楽しいから」

 愛染さんは、この一ヶ月で結構言いたいことをしっかり言うようになってきた。あまりにも素直に自分の思っている事をストレートにぶつけてくる。このあたり、私のお兄ちゃんみたいだ。

 いや、すっごく嬉しいんだけどね。嬉しいんだけど、照れるものは照れるんだよね。

 「あ、ありがとう。その、私も楽しい」

 「…ふふっ、照れてる」

 もー、そういう所だよ愛染さん。

 「べ、べつに」

 私は真っ赤になった顔を見せないように顔を逸らす。多分耳も真っ赤なので普通にバレてそう。

 最近の私はそんな感じで愛染さんに振り回されている。でもそれが楽しい。恥ずかしいけど。



 ◇◇◇


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