「天ヶ瀬皐月は築かない」-2.5

 ◇◇◇

 「…ごめんなさい」

 私はそう謝罪の言葉を告げる。びっくりした。本当に告白されるかと思った。けれど出てきた言葉は違うものだった。

 さっきの会話で、何で友達になろうと思ったのかは分からない。特段盛り上がった訳でもないし、同じクラスなら私の事はある程度知っているだろうに。というか、私と友達にならなくても愛染さんならたくさん友達がいると思う。もしかして人類皆友達と思っているのだろうか。

 「……そ、そっか…うん。その、いきなりでごめんね…?」

 愛染さんは最初ショックを受けたような表情を浮かべた後、申し訳なさそうに頭を下げる。

 謝る必要はない。何故なら、悪いのは私だからだ。人間関係を築かない、それは私が決めたことであって、事情を知らない愛染さんが悪い訳ではないのだから。

 「…その、私は友達は作らないって決めてるから」

 「…そう、なんだ…事情があるんだよね…?」

 そんなもの特にないよ、と嘘をつくこともできる。けれど、こうやって面と向かって友達になってほしいと言う愛染さんにその返答は流石に失礼だろうなぁ。そんな事を心の中で考える。

 別に突っぱねたい訳ではない。愛染さんの誘いは十分に嬉しいことだ。けれど、例外を作ってしまってはそのまま曖昧に他の人との人間関係を築いてしまう可能性がある。それは、怖いことだ。今の私には、そんな勇気なんてない。

 「……まぁ、ね」

 「だから、申し出は嬉しいんだけど…友達になるのは難しい」

 そう、難しい。あの頃は自然にできていたはずなのに、今ではどうやって友達を作ったのかも思い出せない。

 私は、この真っ暗闇の中を、一人で生きていくしかないのだ。

 「…じゃあ…せめて誰も周りにいないときにお話、できないかな」

 「……」

 それもよくない。きっと。そうやってなあなあで付き合っていたら、いずれ私はまた間違いを起こしてしまう。一度積み上げたものが崩れ去っていくのは、もう嫌だから。

 だというのに、私はその答えを告げることを躊躇ってしまっている。

 両親から好きなことを奪われて泣いていた愛染さんの表情が頭から離れない。あの表情は、そう。かつての私のようだった。

 つまり、放っておけないのだ。ならば傷の舐めあいくらいならしてしまってもいいのかもしれない。それで愛染さんの心が落ち着いたら、私たちは今まで通りのただクラスで顔を合わせるだけの存在に戻る。それでいい。

 「…分かった。それくらいなら。でも、他に誰もいない場所にしてほしい。さっきの所

とか」

 その言葉に、愛染さんは胸をなでおろすかのように安堵し、嬉しそうに微笑んだ。

 ちょっとだけ、ドキッとした。

 「あのね、明日とか予定あるかな?」

 愛染さんはグイっと一歩私に近づき、覗き込むように前かがみになった。ちょっと近い。

 「…まぁ、ないけど」

 もちろん予定なんてある訳がない。一応、土日は市街地への往復バスが出ている。日用品等の買い出しや、リフレッシュも兼ねてということらしい。だけど、利用する人はそこまで多くないとか。みんな自家用車でのお迎えがあるんだろうね。一度、寮の屋上にヘリコプターが来たことがあったけど、それは流石にびっくりした記憶がある。ヘリで移動す

る人なんてこの世に本当に存在するんだなぁと感心した事があった。

 でも私は入学以来、バスを使ったことは数回程度。理由は単純で、市街地に行けば多くの男性がいるから。多分発作のようなものが起きて周りの人に迷惑をかけてしまうことは簡単に予想できる。

 私がバスを使うのは、帰省する時だけだ。市街地の駅に停まるバスに乗り、駅ではお兄ちゃんが車で迎えに来てくれている。その時だけで、滞在時間は10分もない。一応、下着や衣類等はかなり余裕を持たせている。食事は寮の食堂があるし、間食はあ

まりしないからお菓子はいらない。必要なものはこの敷地内でカバーできる。

 やることと言っても、勉強するか図書館に行くかくらいのものだ。一応ジムもあって、自由に使えるらしいけど行った事はない。周囲の目が気になってしまうから。

 そんな訳で、私の土日は割と虚無だ。見栄を張ってやろうかとも思ったけど、張れる見栄なんてものは無かったのだ。

 「じゃあ、わたしの部屋で勉強会しない?英語の課題、結構多かったでしょ」

 事実だ。担当教師がテスト前だから気合入れて作ったとか言っていた。やめてほしい。

 私は英語があまり得意ではないので地獄の土日を迎える事は明白だった。

 そんな中で、学年トップクラスの成績を誇る愛染さんと一緒に課題をやるのは、確かに渡りに船だ。もちろん写すなどといったことをするつもりは毛頭ないけれど、教えてもらえるかもしれない。

 いい条件だ。なのだが。

 「…私は教えてもらえるなら助かるけど、それ愛染さんにメリット無いよね?」

 そう、愛染さんには何のメリットもないのだ。普通にやって一人で解けるだろう。何なら海外に行くことも多くて英語がペラペラかもしれない。ただ私に教えるだけになる。それはアンフェアだ。

 私はそういった、一方的な優しさを受け入れるのが苦手だ。罪悪感に苛まれる。私がもたらせるものが何もないのは困るのだ。

 「私は天ヶ瀬さんに教えることで再確認ができるし、何より」

 「天ヶ瀬さんとお話できるから、十分メリットだと思うの」

 成程、そうきたか。確かにそれなら対等…なのか?

 それでもやっぱり不釣り合いだと思う。私は英語の課題が進んで、教えてもらう事で成績も上がるかもしれない。でもその対価が私と話すだけなのは流石にどうなんだろう。

 愛染さんを見てみる。愛染さんは笑顔だ。そこには何か知略を巡らせているという風には見えない。本当に私と話すことがメリットだと思っているんだろうなと感じる。そこまで私との会話に価値があるなんて思えないけど。

 でも、土日に何もないのは事実だし、愛染さんと話すのは疲れはするけど嫌ではない。

 なら、この無価値の休みに価値を与えてみるのもいいのかもしれない。そんな気の迷いが生じた。

 「…分かった。いいよ」

 「本当?やったぁ」

 愛染さんは心から嬉しそうに笑った。その笑顔を私は初めて見た。クラスメイトと話す時の笑顔とは違う。そんな気がした。

 「じゃあ明日、13時からとかどうかな?日曜日もわたしは予定ないから、夜までやってもいいし、課題終わらなさそうなら日曜日もやれるよ」

 「ん、分かった」

 私はスマホを取り出し、スケジュール帖に予定を記入する。私が実家に帰省する以外でスケジュール帖を使うのは、入学してから初めてかもしれない。

 「……あ、あの」

 スマホを操作する私を見て、愛染さんは私の様子を伺うように尋ねる。

 「ん?どうしたの」

 「…れ、連絡先、交換しない?」

 結構愛染さんの押しが強い。何というか、距離感をつかむのが上手じゃない人のように感じてしまう。そんな事はないとは思うけど。

 連絡先を好感して、めちゃくちゃメッセージを送られるのはちょっと困る。既読無視しったら罪悪感を抱きそうだし。でも、たまに会って話すのであれば、確かに連絡先がないと不便なのは間違いない。

 「いいよ。でも私、そんなに返信早かったりこまめじゃないけど」

 「大丈夫だよ。じゃあ、連絡が必要な時にするね」

 やっぱり距離感はちゃんと測れるみたいだ。こういう空気を読むというか、そういうスキルは社交界的なやつには必要なんだろうな。

 私と愛染さんはお互いの連絡先を交換した。家族以外の連絡先が連絡先に入ったのは、入学してから初めてだった。

 「じゃあ、また明日ね」

 「うん。また明日」

寮へと続く通りに近づき、私は愛染さんに先に行ってと促す。少し私の顔を見た愛染さんは、その後軽く手を振って寮へと戻っていった。

 私は数分後に通りに出て、寮へと歩く。

 今日は疲れた。入学してからこんなに話したのは久しぶりだった。ゆっくりお風呂に入って早めに寝よう。

 でも、私は今日という日を嫌にはならなかった。

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