「天ヶ瀬皐月は築かない」-⑤
◇◇◇
翌日。昨日と同じように起き、同じように準備をする。
今日のお昼はパンケーキ。これも800円。最安ではあるけど、パンケーキに800円か…という気持ちになったりならなかったり。
今日の服装はだいぶ悩んだ。二日続けて同じ服っていうのはなぁと思い、昨日寝る前に30分くらいああでもないこうでもないと考え続けていた。
いや、女同士だし休みに勉強会するだけならラフでいいじゃんと思わなくもないんだけど、昨日の愛染さんがめちゃくちゃオシャレだったのでちょっとだけ気合入れてみるかと思っただけ。
結局、黒のタートルネックニットにブラックデニムミニスカート、80デニールのタイツ。全体的に黒で統一してみた。多分本当にオシャレな人から見たら黒だらけじゃんとか思われそうだけど。私の顔と体型はあまり可愛い系とはマッチしない。なのでちょっと大人というかクール系というか、そんな感じの方が合っている。多分だけど。
正直に言えば、私はあまりスカートは好まないんだけど、たまには良いかなと思ったので着てみた。案外悪くないんじゃないかなと思う。
鏡を見て、にやりとどや顔している自分に少しだけ腹が立った。
二日目ともなると、私もA棟に行くのは慣れたもの。には流石にならない。昨日来たはずなのに、今日初めて来たんじゃないかと思うような緊張感がある。フロントにいたり部屋まで送り迎えするSPみたいな女性は、それはそれでやや圧を感じるのだ。もちろん、それが仕事だし、入居している生徒に何かあったら首が飛ぶのかもしれない。そう考えれば、彼女らは真面目に仕事をしているだけなのだろう。
A等のロビーに入る。本来ならここでフロントの人に声を掛けられるはずなのだが今日は違った。
「あ。天ヶ瀬さん、いらっしゃい」
愛染さんが既にロビーにいて出迎えてくれた。
今日の愛染さんは白のロング丈のシャツワンピースにミントグリーンのカーディガン。上品な感じが一目で分かる。昨日のかわいい感じもよかったけど、綺麗で上品なコーデも似合うなぁと思う。
「どうも。二日続けて誘ってくれてありがとう」
「どういたしまして…その服装、似合ってるね」
愛染さんは私の全身を一度見てから、笑顔で私のコーデを褒めてくれる。
「なんか、クールというか、大人!って感じで綺麗。スカートも似合ってるね」
「そ、そうかな。えっと、ありがとう」
愛染さん、めっちゃ手放しで褒める。調子に乗ってしまいそうだ。
「愛染さんも綺麗だよ」
なんかちょっとキザな言い方になってしまった。
「え……っ!?」
私も愛染さんのコーデを褒める。そうすると、愛染さんは顔を真っ赤にさせて一歩後退する。
「あ、あの…えっと…その、ありがとう…すごく、うれしい」
あれ、私は普通に褒めただけなんだけど。
綺麗だねとか普通に言うとは思うんだけど、もしかしてそうでもないのかな。いや、流石にキザな言い方になっていたかも。え、もしかして私ちょっと口説くみたいな言い方だったのか。うわ、恥ずかしすぎる。
しばらく、お互い赤面しながら見つめあう。いやいや、なんだこれ。付き合いたてのカップルみたいな感じになってないか。
私は顔をぶんぶんと一度振る。
「と、とりあえず部屋に行かない?」
「そ、そうだよね!行こっか」
お互いにあははー…と苦笑いしながら、愛染さんの部屋へと向かった。
部屋は昨日と変わらず異世界だ。とは言っても、こっちは流石に初見の驚きが無い分ちょっと慣れたのかもしれない。あの人類を睡魔に誘うソファも健在だ。
私たちは椅子に座り、テーブルに課題を並べる。どうやら愛染さんは課題を昨日で終わらせたようだ。
私も昨日、お風呂に入った後に少しばかり課題を進めたので、たぶんあと4時間くらいで終わるんじゃないかなと思っている。むしろ愛染さんに教えてもらいながらだともう少し早く終わるかもしれない。
「そういえば、天ヶ瀬さんって苦手な教科はある?」
「んー…一応英語と理科かな。まぁ、全体的に平均いってないし、平均ギリギリのラインが数学だけなんだけどね…」
自分で言ってて悲しくなってきた。一番得意科目が数学で、それですら平均行くかどうかなので、愛染さんからしてみたら全部ダメと思うかもしれない。
「そっか、じゃあ課題終わったら理科の復習しない?週末に小テストもあるし」
そうだっけ。え、やばい。小テストあるの聞き漏らしていたかもしれない。
「じゃあ…お願いしてもいいかな」
「うん。分からない所があったら教えるからね」
愛染さん、優しい。まるで天使みたいだ。また借りを作る感じになってしまうけど、何故か愛染さんを頼りたいなと思ってしまった。
「ありがとう」
今日の課題は論文。何がきついって、パッと見た感じ、化学系の内容なので普段の授業で使う単語だけじゃなくて専門的なワードも出てくることだ。見慣れない単語があるので、電子辞書がお供になっている。
愛染さんは生物のノートを開いている。理科は1年生は生物で、2年では化学をやるらしい。生物の教科書のうち、次の小テストの範囲と思わしき部分をまとめているようだ。
愛染さんは生物の復習をしつつ、小まめに私の方を見て色々教えてくれる。教え方が本当に上手で、死ぬほど苦手なはずの英語の課題がこんなに早くできるものなのか、とお思わずにはいられなかった。
あと、愛染さんは字がものすごく綺麗だ。字はその人の性格を表すなんて言う人もいるけど、そうなんだろうなぁ。愛染さんの字は綺麗で、読みやすい。隣に書かれた私の字と比べたら月とスッポンくらいの差がある気がする。
一つ気になる事と言えば、愛染さんの距離が近い事くらい。教えてもらうときにかなり密着するので正直照れる。照れるって意味分からないけど、こんな綺麗な人が目と鼻の先にいたら多分全人類そうなると思うので仕方ない。嫌では無いから特に言いはしないけれど。
そんな雑念をたまに感じつつも、私は愛染さんの力添えもあって、何とか課題を終わらせることができた。きっと一人だったら夜までかかっていたと思う。
「お、終わった…」
「おめでとう、天ヶ瀬さん」
「ありがとう。愛染さんのおかげだよ。すごく分かりやすかった。本当にありがとう」
「わたしが力になれたなら嬉しい。それに、天ヶ瀬さんが頑張ったからだよ」
愛染さんは無条件で褒めてくれる。やめて、私が堕落しそうだから。すごく嬉しいけど。
「ちょうどいい時間だし、休憩する?」
「ん、そうだね。流石に疲れた」
ぐぐっと腕を伸ばす。勉強に集中して凝り固まった筋肉がほぐれていくかのような感覚が心地いい。
愛染さんはキッチンへ向かった。私も何か手伝おうかと言っても、大丈夫だからソファで座って待っててと言われ、素直に人を睡魔へ誘うソファに腰掛ける。これが本当に気持ちいい。私の部屋にも欲しいと思いつつ、これがずっとあったら私は堕落まっしぐらだろう。
今日もコーヒーの香りが漂ってくる。紅茶も嫌いではないけど、やっぱり私はコーヒー派だ。
「あ、そうだ。愛染さん、今日は砂糖とミルクももらっていいかな?」
キッチンにいる愛染さんに声をかける。いつの間にかエプロンをつけていたのか、エプロン姿の愛染さんがこっちに近づく。
「分かった。飲み比べってやつかな?天ヶ瀬さんって通な人なんだね」
ふふっと微笑んで、キッチンに戻る。
なんだそれ。いや、エプロン姿の愛染さん流石に可愛すぎるでしょ。というか、何しても可愛いし綺麗なんだよなぁと思う。なんかここ数日こんな事ばかり考えている気がするけど、事実なので仕方ないのだ。
それから、愛染さんはコーヒーとクッキー、シュークリームを持ってきてくれた。コーヒーはミルクと砂糖を入れることで昨日のブラックとはまた違う舌ざわりになる。まろやかさが増して、コーヒーのコクが際立つ感じ。シュークリームは小さめで、かなり甘い。甘さを強くした分、量を少なくしてちょうどいい満足感になるようにしているのかもしれない。とんでもなく美味しい。クッキーは逆に甘さ控えめで、シナモンの味がメインなのかな?という感じ。
いや、私の食レポ能力流石に低すぎるなと思う。
「そういえば、天ヶ瀬さんって運動とかしてたの?」
「ん、まぁ。一応中学まではバスケやってたよ」
「そっか。だから体育ですごく動けてたんだね」
実際、私は体育の成績だけは良い。昔取った杵柄というやつだと思うけど。
「麗女って運動系には力入れてないから、あまり運動できる人って多くないんだよね。わたしもそうだけど」
あはは、と苦笑する愛染さん。
「授業でバスケやったとき、愛染さんあまりやる気なさそうだったけど、いざボールを受け取るとすごく綺麗な動きしてたから、運動できるんだなぁって思ってたの」
本当によく見てるなぁと思う。まぁ、体を動かすのは嫌いじゃない。バスケ部は当時の友人に誘われて入っただけではあるんだけど、意外と楽しんでいた記憶がある。
とはいえ、中学時代の事を根掘り葉掘り聞かれるのはちょっと困るというか、思い出したくはないというか。
「愛染さんは中学でも美術部だったの?」
あまり聞かれたくないので愛染さんに話を振ることにした。愛染さんの事も知れるかもしれないし。
「うん。中等部から美術部。運動はからっきしで…特にラケットを使うのが本当に苦手なんだ」
「ってことは、テニスとかバドミントンとか?」
「そう、バドミントンなんてシャトルを打ち返せる気がしないもの」
そう言って、愛染さんは素振りをするような動作を見せる。うん、あんまり上手じゃなさそうだ。運動が得意じゃない人特有の、あの体をうまく動かせないようなぎこちない感じ。
「まぁ、慣れとかもあるからね。あと、言われてみたら確かに体育の授業だけ、やたら皆真面目じゃないというか」
「そ、そう…かも。わたし含めて運動があまり好きじゃない子が多いから」
「そんなものなんだ…」
てっきり、運動も勉強も出来て容姿もいい完璧令嬢しかいないと思っていた。
「それに…体育の時の天ヶ瀬さん、かっこよかった」
「え」
「すごく綺麗で、かっこいいと思う」
ストレートに褒められて、正直ドキッとする。麗女に入学してから褒められた事なんてほとんどなかったから、ここまで純粋に褒められるとむずむずしてしまう。私のお兄ちゃんくらい褒めてくるじゃん。
「あ、ありがとう…」
「…もしかして天ヶ瀬さん、照れてるの?」
図星を突かれた。中学時代なら違うってーとか言いながら誤魔化していたんだろうけど、相手は愛染さんだ。人生で知り合う事も無いと思っていたような美人にそんな事を言われてしまうとどうしても冷静ではいられなくなる。
「い、いや…こんな可愛い人に褒められたら誰でも照れるって」
「……っ…!?」
愛染さんがビクッと体を跳ねさせて私から少し距離を取った。もしかして、愛染さんの気を悪くしてしまったのだろうか。恐る恐る愛染さんを見てみると、顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。
「……」
これは、愛染さんも照れているな。お互いの心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかというくらい、私の心臓はバクバクいっている。
しばらく、顔を真っ赤にしながら私たちは見つめあった。
いや、なんだこれ。
「あ、あはは…」
「えへへ…」
いやえへへって何だ。何から何まで可愛いなこの人。
いやいや、これは愛染さんが求めている友達とは絶対違うと思う。私も友達すっ飛ばしてそれ以上っぽい雰囲気になりそうで流石に理性が働いた。
「と、とりあえず!私は褒められるの慣れてないので!」
正確に言うと、家族以外に褒められるのに慣れていないが正しいけど。
「そ、そうなんだね!」
背筋をピンとさせながら、普段以上のボリュームでそう言う私に、愛染さんも普段以上のボリュームで返す。
それでどこかおかしくなったのか、二人して笑いあった。さんざん笑って、私は段々落ち着きを取り戻した。愛染さんも顔色が元に戻ったので、落ち着いたのかもしれない。
「で、何話してたんだっけ」
「なんだっけ、体育の話だったと思う」
「そうだった」
人間、予想外の事が起きたり冷静さを失うと記憶が吹っ飛んでいくらしい。人間の脳っていうのは不思議なものだ。
「天ヶ瀬さん、ここでも普段から運動してたりするの?ジムに行ったりとか」
「いや、全然。知らない人多そうだし、話しかけられたりしないかなとか考えると行く気にならなくて」
「…そっか」
実際に行ってみたら、多分話しかけられることは無いと思う。普通のジムだと男性がナンパしてくるとかはあるらしいけれど、女子校ではそんな事は無いだろう、多分。
いや、同性愛者の人もいるならありえるのか…?
どちらにしても、他人からの目線がある可能性が拭えない以上、行こうかなぁという気にはなれなかった。
「…その、嫌なら答えなくてもいいんだけど」
「お友達を作らない理由って、この学校と関係あるの?」
愛染さんは、私の様子を伺うように切り込んでくる。もちろん、この学校は関係ない。きっかけは中学時代だから。
けれど、愛染さんはわざわざ麗女に入ってからなのかと聞いてきた。入学した段階で私は周囲との交流を避けていたので、愛染さんもそのことは知っているはず。であれば、麗女に入る前からなんだろうと予想する事はできるだろう。でもそういう切り口で来なかったということは、愛染さんはそれなりに気を使いつつ、でも私の事を知ろうとしているのだと思う。
「……」
しばしの沈黙。私はどう答えたものかと考えていた。愛染さんと出会った初日にこの話をされていたら、私は適当に理由をつけて誤魔化して、距離を取っていたと思う。
けれど、私と愛染さんの距離は、それが出来るほど遠くなくなってしまっている。
何より、何らかの事情があるであろう私に対して、一度断られても友達になりたいと言ってくれた愛染さんに、不誠実な態度は取りたくないなぁなんて考えてしまっている私がいる。
「……中学時代にちょっとトラブルがあってね」
全てを告げたとして、きっと愛染さんは聞いてしまったことを後悔する事になるだろう。私の中学3年生夏の出来事は、それだけトラウマになっているし、聞いていて気分がいい話ではない。特に女の子は。
だから私は、嘘ではない事実を、必要最低限の内容で伝える。
「それで人間不信というか、それに近い感じになっちゃったんだ」
「…そう、なんだ。その…嫌な事言わせちゃってごめんなさい」
「いや、気にしないでいいよ。友達を作らないっていうのはそれが理由。だから、愛染さんが嫌って訳じゃないから」
「…うん」
愛染さんは少し落ち込んだように、か細い声で言う。
私は確信とまではいかないけど、気づいた事がある。愛染さんは本当に心から友達と呼べる人がいなくて、厳しい家庭環境で生きて他人の顔色を窺って生きてきた。こういう打算や駆け引きといったものがない関係を築くのが苦手なんだろう。友達になりたいと思った相手への距離の詰め方がわからないのかもしれない。だから、こうやって後になって後悔したりしてしまうのかもしれない。
「その。愛染さんは本当に悪くないから。それに、その…」
ここでストレートに言えないあたり、私も似たようなものかもしれない。
「愛染さんと話すのは、楽しいから。そ…それは本当だから」
下を向いていた愛染さんはゆっくりと顔を上げる。そして私と目が合った。吸い込まれそうな綺麗な瞳だ。
「ほ、ほんと…?」
「…うん。その、友達っていうのはまだアレだけど、愛染さんと話すのは楽しいし…」
「誘ってくれるのは、嬉しいから」
私は人間関係を築かない。そう決めたはずだけど、私の心は揺らいでいる。それが何故かは分からない。けれど、愛染さんと話すことが嬉しいというのは事実だ。
だから私は、今現在の精一杯でその気持ちを愛染さんに伝える。
「…うん。ありがとう。えっとね、わたしもね、楽しいよ」
「天ヶ瀬さんと、こうしてお話するのが楽しいの。こんなに誰かと話すのが楽しいって思えたのは初めてかも」
「…そっか。その、私は基本的に暇だからさ。ほんとにいつでも連絡していいから」
「…うん!」
愛染さんの笑顔は、私の心を温かくしてくれる。この無意味で、無色な世界に色が灯るかのようだ。
それでも私は、最後の一歩を踏み出せない。どうしようもできないトラウマが、私を闇の中から離さない。
いつか、愛染さんが手を引いてくれるのだろうか。私の世界に、光は灯るのだろうか。
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