第2話 人違いだと思いますけど
「終わったんだけど」
どのくらいの時間、そうしていたんだろう。
声が聞こえて、意識が戻った。さっきの光る人の声か。
なんだか、周囲が明るくなったような気がする。わたしはこわごわと目を開けた。
──木?
至近距離に木がある。
そうだった。わたしはなぜか、木の幹にしがみついたまま動けなくなってたんだっけ。
腕に少し力を込めるも、やっぱりまだ木に全身が貼り付いていて離すことができない。ならばと、ぐぬぬ、と力いっぱい引っ張ると、ベリ、バキ、ミシ……といやな音が鳴った。
「ちょ、なにしてんのっ?!」
横から咎めるような声がかかる。
なにって、見てのとおり体が木から離れなくて困ってるんですが。
「あの、見てないで助けてくださ……」
横に立つ人に抗議の目を向けたのに、わたしはその顔を見た瞬間、びっくりして言葉が止まってしまった。「あれっ」と目がしばたく。
「な、なんなの急に」
怪訝な顔をするその人は、もう青白い光を放ってはいなかった。
ふつうの人間。
……それも、見覚えのある。
「
わたしがおそるおそる出した名前に、その人はぎょっとして目をまるくした。
「……えっ、あんたもしかして
そこまで口に出してから、青川先輩はハッとした顔になり、ピタリと静止してしまった。
その数秒後、なにごともなかったかのような涼しい表情で口を開く。
「いや、人違いだと思いますけど」
「人違い?」
「僕はアオカワなんて名字じゃないんで。あなたが言ってるのは別人なんじゃないですか? よく知らないけど」
「そうですか……?」
あまりにしれっと言うので面食らってしまった。でも、この人は同じ高校の2年生である
青白く光ってるときは、まさか知っている人だなんて考えもしなかった。でも、一度気付いてしまった途端、もうどう見ても青川先輩にしか見えてこない。
生徒会の青川さん。
入学してまだ2ヶ月ちょいの新入生の間にも、ちょっとした知名度があった。というのも、4月某日、新1年生に青川さんを印象付けるイベントがあったからだ。
──生徒主体による、新入生歓迎会。
他の生徒会メンバーが着ぐるみやらダンボールロボットやら謎のコスプレをして体育館のステージに登壇する中、一人だけ制服姿で悠然とステージに立った人こそ、青川先輩だった。
生徒会らしく、スカートの長さを守ってきっちりと着こなされた制服には清楚で凛とした印象があって、周りの男子たちから、「あの先輩美人じゃない?」みたいなひそひそ声が聞こえていた気がする。
「でもなんで一人だけ制服なんだろうね?」
「さあ。なんか、あの中だと逆に目立つよね」
みたいな話を、隣に座っていた
しかし、後日知ることになった。
あれは女装だったのだ。
1年生の誰かが「生徒会の制服着てた人、男子らしい」と言い出して、それがさざ波のように伝播した。
あの日の青川先輩の着こなしに全く違和感はなかったし、なにより本人が堂々としていたから疑いもしなかった。けれど、理解した。スカートとリボンを着用した姿は、本人なりのコスプレだったのだと。
……それを部活の時間に語ったところ、きゃほりん先輩は「アオカワマリンって男なの?!」と驚いていた。きゃほりん先輩、青川先輩と同学年なのに。
「なんだか知ってる人って分かったら安心しちゃいました」
「なにを呑気な」
青川先輩は呆れ顔で言ったあと、「いや、人違いだから」ときっぱり訂正した。
「ってかあんた、へらへら笑ってる場合じゃないと思うけど」
「え?」
言われて、わたしは何度かまばたきした。それからはっと気付く。
「あ、そうなんです! 木に体がくっついちゃって取れないんですよ」
困ったな〜、という顔を青川先輩に向けた。しかしながら、先輩の反応はまったくもって芳しくない。
「そうじゃないでしょ」
小さな子供に言い聞かせるような声音に、わたしはなにも言えずに目を泳がせてしまった。
先輩はため息をつき、一言だけを低くつぶやく。
「……祠」
それを耳に入れて、わたしの頭と体はみるみる冷えていった。
──そうだった、自分は祠を壊したことを問い詰められている最中だった。
それを安心しましただなんて、確かに呑気な発言にも程がある。わたしは肩を落として小さくなるしかなかった。
「あ、あの……祠を壊してしまって誠に申し訳ございませんでした」
頭を下げた拍子にゴツンと額をぶつけ、思わず「う」と声が漏れる。木の幹。
「木に頭突きしながら謝罪されてもねえ」
横で呆れ声がする。
そんなこと言われても……と思って目を伏せていると、先輩からこんな提案をされた。
「逃げないって約束できるなら、木から解放してあげてもいいよ」
え、と顔を上げる。
「で、できるんですか、そんなこと」
すると先輩はムッとした表情で、「できるに決まってるじゃん」と言った。
「誰がその術かけたと思ってるの?」
「な……」
なるほど……。
そういえばもう“淀み”はすっかり消え去っているし、考えてみればこんな芸当が可能なのも青川先輩しかいないのかも。
さんざん不思議な現象を目撃したこともあってか、自分でも驚くほどストンと腑に落ちる。
「……あの、逃げませんので、これを解いてもらえませんか」
そう言ってから、しばらくの沈黙があった。
黙ってうつむいていると、不意に全身の緊張がパッと解ける。よろけて、慌てて木の幹に手を付いた。
体は自由に動かせるようになっていた。肩がいつもより軽く感じて、自分の両手をしげしげと眺めてしまう。
「……で、とりあえずあんたの名前は?」
素っ気ない声で先輩が言った。わたしは両手を下ろして向き直る。
「六ツ池高校1年B組の
先輩は「神木さんね」とつぶやいてポケットからスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
しばらく無表情で耳にスマホを当てていた先輩は、やがてため息をついてスマホをポケットに突っ込む。「出ないか〜」
先輩はこちらをちらっと見て、「ちょっと事務所まで来てもらうけど、いいよね」
なんの事務所なんだろう。
しかし「は、はい」と頷かざるを得ない。
わたしは先輩に促されるまま、重たい足取りで雑木林の中を進んだ。
これからどうなるのかな、と不安に押し潰されそうだった。
わたしのしでかしたことは、本当におばあちゃんを助けるために役立ったのだろうか。
──おばあちゃん。
パキ、バキ、と小枝を踏む音を聞きながら、わたしはおばあちゃんのことを思い出していた。
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