祠とわたしと女装男子
焼おにぎり
第1話 祠を壊したのってあんただよね
この音はどこから近付いてくるのだろう。
ごうごうと、大量の水が流れるような重たい音がする。お腹の中に反響する不気味な低音に、脚がガクガクと震えた。
やっぱりわたし、まずいことしちゃったんじゃ……。
心のざわつきを抑えられず、わたしはしきりに周囲を見回していた。
なんだかおかしい。いくら雑木林の中だとは言っても、もう少し明るくなかったっけ。まだ朝なのに、辺りが薄暗くなっている気がする。
でも、と思い直す。
これで本当におばあちゃんが元気になるのなら。
わたしが思い出すおばあちゃんの顔は、いつだって笑顔だった。
おばあちゃんにいつも通りの笑顔が戻ってくれれば、それで……。
わたしは足元に散らばる石片──祠の残骸に視線を止めて、しばらくぼうっと眺めていた。
その時、パァン! と破裂音がして、どこかから水が勢い良く噴き上がった。
水は見上げるほどの高さにまで瞬時に上がり、辺り一面に雨を降らせる。
遅れて、天高く、薄い正方形のシルエットが浮いているのが見えた。
「え?」
あれはなんだろう。黒い……鉄板?
凝視していて気が付いた。あれは決して滞空してなんかいない。
落ちてきてる。
「危ない!」
誰かの声が聞こえると同時に、わたしは突き飛ばされていた。
カァン! と甲高い轟音を背中で聞きながら、雑草の上を転がる。その勢いのままうつ伏せに投げ出され、ズザッと数十センチを滑った。擦れた膝がずきっと痛んで、思わずうめき声が出る。
何が起きたのか、すぐには理解が追い付かなかった。四つんばいを経て、なんとか立ち上がり、先程までの状況を思い返す。
ついさっき黒い鉄板が降ってきて……でも、誰かに突き飛ばされて助かったんだ。
その人は、今どうなって──
はっとして、自分が立っていた方向に顔を向ける。
そこには、薄暗い中に浮かび上がるように見える、小柄な人の姿があった。
良かった、あの人も無事だったんだと、ひとまず肩を下ろす。
しかし、安心したのも束の間、そこにある強烈な違和感に気が付いてしまって、わたしの全身はまたしても緊張に強ばった。
その人は、周囲にぼんやりと青白い光を放っていた。浮かび上がるように見えたのはそのせいだ。
人間じゃない。
ゆうれい、という単語が頭をよぎって、ますます背中がぞっとする。怖いのに視線を逸らすことができない。
ぼんやり光るゆうれいが、こちらに体を向けるような動きをした。
思わず後ずさると、ゆうれいも前進した。
もはや、恐怖心はピークだった。
「ちょっと、そこの人」
「きゃあーーー!」
その場で力いっぱい叫んだ。直後、わたしは首をひねる。
今のはいったい、誰の声だった?
困惑していると、「……そこのあんた」同じ声から不満をこめて呼び直される。
「仮にも命の恩人に対して失礼じゃない? あんた死ぬとこだったんだけど」
声は、ゆうれいが歩み寄ってくるのといっしょにだんだん大きくなった。
女性の声っぽくもあり、少年の声っぽくもある、中性的な声。
え、え? とわたしは困惑するばかりだった。
及び腰でゆうれいを見ながら、お伺いを立てる。
「あ、あなたが助けてくれたんですか」
「だからそう言ってんじゃん。……まあ、あんたには訊きたいこともあるしね」
今度は確信した。やっぱり、このゆうれいがしゃべっている。
近付いて鮮明に見えるようになった表情は、思っていたよりもずっと生きた人間らしかった。
まるい輪郭のショートヘアで、同年代の女の子みたいな顔立ち。着てる服も、よく見たら明るい色のTシャツにカーゴパンツとものすごくラフだ。
このヒトはゆうれいなのではなく、発光する人間なのかも……と頭の中で唱えてみたら、妙にそんな気もしてくる。
「で、あそこの祠を壊したのってあんただよね?」
石の残骸がある方を指して、青白く光る人が言った。
もしや、あの祠の関係者なのだろうか。
「動機は? 目的は何?」
考えている間に次の質問を重ねられ、わたしは口ごもった。
おばあちゃんのこと、話すべきだろうか。でも、信じてもらえないかも。
とりあえずなにか答えなきゃ、と口を開きかけたとき、ズン、と真下から大きな音がした。
地面が衝撃を伴って縦に揺れる。わたしはあっけなくバランスを崩して、そのへんにあった木の幹に慌ててしがみついた。
光る人は思い切り顔をしかめ、わたしに背中を向けた。
「話はまたあとで聞く!」
いったい、何が起きてるの……身を乗り出そうとして、気が付いた。
さっき抱きついた木の幹に、全身がべったりと貼り付いている。
──動けない!
「な、なんで?!」
混乱する頭で目線を上げる。
光る人はわたしに背中を向けたまま、背丈ほどもある長い武器を構えていた。
先端の金属部分は、槍みたいな尖った形状とは違った。ネコの爪のようなカーブのある6本の細長い刃が、おうぎ状に広がっている。
あんなの、どこに隠し持っていたんだろう。
長柄の武器の先端は、持ち主よりもさらに青白く発光していた。
何か、音が聞こえる。
こぽこぽという音とともに、小さな黒い泡が飛び始めた。
疑問に思って足元を見ると、草だらけだったはずの地面に、墨汁みたいに真っ黒い液体が広がっている。
ひぃ、と喉の奥が鳴った。
泡はどんどんと数が増え、泡どうしがぶつかって大きくなってゆく。
「な、な、なにこれ……」
思わず出てしまったわたしの震え声に、光る人は短く返答した。
「淀み」
よどみ……
口の中だけで繰り返した言葉が、胸に溶けこむように沈殿する。
淀みから生まれた泡は、次第に人のようなかたちを形成していた。それも、かなり大きい。光る人の背丈の倍くらいはある。
人型は、着々と完成しはじめていた。
わたしは木に貼り付いて動かない体を無理やりよじりながら、「ねえ!」と叫んだ。
しかし、光る人は武器を構えたまま落ち着き払って、動こうともしない。
「攻撃しないんですかっ?!」
わたしの切羽詰まった問い掛けに、光る人は全く応じてくれなかった。
人型の淀みが、ついに動き出す。こちらに向けて、重そうな足を引きずった。まずい、襲われちゃう。
ぐっと身構えた、その時だった。
光る人が長柄の武器を天へと掲げ──そのままズン、と黒い液体の中に勢いよく突き立てた。
武器の先端から、強烈な光が広がる。
私はあまりのまぶしさに、死にものぐるいで顔を木の幹に
拒絶したいほど
このまま光に溶けて消えてしまいそう。
でも、それも仕方ないのかもしれないな、なんて。
目をぎゅっと強くつむりながら、わたしは思った。
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