崩壊
薄れゆく意識の中。
「ねえ、なんで、
「
その声は。
※※※
流行の最先端、若者の街、S区。
ここは、魂を盗られた者たちが己の崩壊に抗い、戦う
ここに、駅へと向かう2人の人影があった。
1人は高校の制服を纏い、折り畳み傘を片手に堂々と歩く少女。
1人は、紅と藍にひと房ずつ染め抜いた純黒の長髪を風に躍らせる、シャベルを担いだ少女。
手を繋ぎ静かに歩く2人が眼差す先、S駅。
まるで、2人を通すまいとしているかのように。
「夜、いける?」
「もちろん。和も、準備はいい?」
「うん。じゃあ、プラン通りに行こう」
背中からシャベルを引き抜き、くるくると回転させながら構えた和の不敵な笑みに、夜も微笑んで答える。その指さばきは、あれから何度も聞かせてもらったドラムの演奏を彷彿とさせた。
1か月前、圧倒的相性の不利から重症を負わされた相手の、数十倍巨大な相手が、しかも3体目の前にいるというのに落ち着き払った和の最初の一歩が、今――
「しっ――!」
あの時と違うのは、和の身体、そしてシャベルが蒼い光を纏っているという点。それはカフェで2人を泥の塊の攻撃から守った光と同じ色をしていた。
自分には折り畳み傘を開いて「護り」の能力を発動させながら、夜は泥の怪物へ疾駆する和を見守った。
「行くよ、夜」
和はまず、正面の一体に向かって軽くステップを踏みながらその足元に小さな、小さな一撃を叩きこんだ。紅と相対した泥の怪物は、そのあまりにもちっぽけな2人を見て取るに足らない相手だと判断したのだろうか、静観を保っている。
だが。
――ごぉん!!
蒼い光を纏ったシャベルは、あの時無力だった泥の怪物に対して、紅が放った小さいほうのコンクリートの塊と同等かそれ以上のダメージを与える。奇怪な悲鳴を上げる中央の1体。今や、夜にもそれが自分の声だと分かる、その悲鳴。
(やっぱり、上手く行った……!)
夜は和の一撃を見て、有利を確信した。
だって私たちは、2人だから、と。
夜の「護る」能力は、相手の攻撃を弾く蒼い光を何かに纏わせるものだ。折り畳み傘や、夜自身、そして和やそのシャベルにも。泥の塊の槍を防いだ時、夜は槍が次々と破裂するのを見た。
それは和の攻撃をいなした「トカゲのしっぽ」ではなく、確実なダメージだった、と。ならば。
「シャベルに光を纏わせれば、泥に対して有効な武器の完成だよ」
そう、和が振るうあのシャベルに、弾く性質を持つ光を纏わせれば、たとえるなら振動する剣のように泥の肉をはじきながらシャベルで断つことが出来る。加えて、和の能力――
「いち、に、さんっ!」
和は振りぬいたシャベルの遠心力を使って、くるくると舞を舞うような具合で返す刀、蹴りとシャベルでの殴打を叩きこむ。見た目には紅の投擲には及ばないその攻撃だが、実際には、
「――!!!」
正面の泥の怪物は街全体をつんざく咆哮を轟かせた。その身体に、深い深い穴をあけたまま。
初撃の威力を大幅に上回る一連の攻撃は、もはや紅の投擲すら超えていた。そう、和の能力は一定のリズムに乗って攻撃をし続けることで、威力が格段に上昇するというものだ。
カフェでの戦いの時、流れるような一連の動作が主体だったのも、それが理由。
人によっては使いこなすのが難しい能力だが、和は違った。
「あのドラムさばきが出来る和の跳ねあがった一撃と、私の弾く光のサポート……!効いてる……!」
和は器用にもリズム感覚を崩すことなく一撃、また一撃と泥の怪物へと攻撃を放ち続ける。ここでようやく和を脅威と判断したか、泥の怪物たちは一斉に槍を放って来たが、
「効かないんだよ……!」
夜は泥の怪物たちが動きを見せる前に既に光の出力をぐん、と上げていた。
鍛錬を始めたばかりのころはこれだけで失神してしまうほどだったが、今では十分に継戦できるだけの技量を身に着けている。直感で2本の槍を回避した和も、3本目の槍にはギリギリ間に合わなかった。それも、ぎゃりぃん、と和が咄嗟に構えた蒼い光を纏うシャベルに弾かれ、直撃することはなかった。
その後もまさに攻防一体の連携で、和は瞬く間に1体目、中央の泥の怪物を倒すことに成功する。
「この調子なら、いける……ッ!!」
勝利の階に足をかけたと確信した夜の世界は、一瞬後に反転した。
※※※
夜はカフェで泥の塊の一撃から和が守ってくれた時のことを思い出していた。
「い、いったい何が……」
朧げな意識は揺れを感じ、息遣いを感じ、背後の暴音を感じ。
そして、最後に和を感じた。
「夜!?気づいた……?」
「な、ごみ――?な、なにが」
「空から攻撃してきたんだ!S区を食ったデカブツが、泥の怪物を生み落とすみたいにして、空から泥のレーザーを撃ってきたんだ」
どうやら夜は和に抱きかかえられているようで、いつの間にか折り畳み傘すら失くしてしまっていた。背後の音の正体は、今しがたまた槍を放った5体の泥の怪物によるものらしい。
5体――
「……負けた、の。私たち」
「っ!まだだよ、2人いる。だって、残ってる」
不可視の攻撃の衝撃で、夜は意識を失っていたらしい。幸い直撃はしなかったものの、回復まで時間がかかるだろうことは明らかだった。
負傷した夜では、和に光のサポートをし続けるのは難しいだろう。
「――わた、私っ、一緒に戦うって」
言ったのに、と顔を歪める夜の頭上を何かが飛来したのは、その時だった。
衝撃、次いで、轟音。
「全く。この前あんなふうに啖呵切っといてもう弱音か、夜?」
「――紅さん!?」
それはS区崩壊境界線の名付け親、紅その人だった。
「あたしがあの泥のデカブツを前あっさりと倒しちまったからね。相手もいよいよ本気を出してくるんじゃないかと思ってさ。2人の戦いに水を差すつもりはないよ。だから――あの雑魚どもはあたしが相手する」
言うと、紅はS区のそこかしこに落ちている瓦礫の山を指さして、笑った。
「だからあんたたちは、さっさと本命を倒してこい」
いつもの豪快な表情で、そう背中を押してくれた紅は言うが早いか、次々と投擲を開始した。いささか芸がないが――と紅は独語する――泥の怪物に対しては有効打になる。
和と夜は紅にそれ以上を聞かずに、ただ一言、
「いってきます!」
そう告げて、紅の横を通り過ぎたのだった。
※※※
紅は「そうだろうな」と考え、そして実際その通りで、夜と和はS区で最も高いビルを目指していた。S駅から徒歩数分の距離にある、地上200メートルあまりの複合施設。
その屋上の、展望エリア。そこが、天蓋に、つまり、S区を飲み込んでいる異界の者の腹の壁にもっとも近い場所だ。
当初はS駅の前に陣取る泥の怪物を一掃し、S駅の中の紅が直接見たあの壁を狙うつもりだった。しかし、紅が撃破しても次々とS駅を守るように泥の怪物が現れている今、S駅に向かうのは難しい。
S駅の外の壁も肉眼で確認できるが、地上のほとんどはS区を飲み込んだ異界の者の射程範囲だ。外の壁を狙うのは容易ではない。
「エスカレーターも止まってると、階段だよねっ」
紅が注目を引く間に屋内に入ってしまえば、再び狙われるのは展望エリアに出たその時だ。だから、勝負は展望エリアに出るのと同時に決める。
方法は、S駅内の壁にしようと思っていたものと同じ。
できるかできないか、は――
「やる、だよね」
「うん。2人で」
問題では、なかった。
ビルに入ってしばらく、夜もダメージから回復し1人で動けるようになっていた。1か月の過酷な鍛錬の成果か、能力も問題なく使えるようになっている。
そして、展望エリアにつながる最後のフロアにやって来た所で、先を行く和の脚が止まった。怪訝に思う夜は「和――?」と隣に並んで、肩に触れる。
「なご――んぅ」
「……ぅ」
重なったシルエット。
「……和?」
「夜、わたしは夜が一緒に戦うって、そう言ってくれて本当に嬉しかったんだよ」
「うん。知ってる」
「夜が、わたしを覚えて居てくれるって――わたしが忘れたわたしを、覚えてると言ってくれて、救われたんだよ」
「私も、和のおかげで恋を知れたんだよ」
「――だから、今のは、最後のお礼」
「……最後じゃないよ。ここから出たら、また出来る。それに」
再び重なった影、交わされた熱。
「ね、また出来た」
「……ふふ。そうだね。よし、じゃあ――」
見つめ合って、笑って、空を指さして、中指の代わりに人差し指を立てた。奪われたものを取り戻しに行こう。
2人の思い出を忘れないために。
「行こう、和」
最後の一幕が、上がる。
※※※
それが意識を持った時、既に己がS区を飲み込むことを知っていた。同時に、1人の人間の魂を食らったことも。
だから飲み込んだ後、その人間が来ることも知っていた。知っていたし、どれだけの策を弄そうとも己が果てることなどないとも、知っていた。
――知っていたからこそ。
千々に意識を掻き乱されるその激痛と異常な熱に、それは異界に現れた時以来はじめて、目を見開いた。
※※※
展望エリアに上がった2人は、ここまでの道中で備えていた一撃を、天蓋へと向けて放とうとしていた。
「私の光と」
「わたしの一撃で」
展望エリアに入る寸前、和は何度もステップを踏み、能力の発動条件を整えていた。攻撃しなければいけない都合があったが、夜の護りで受けきれる限界まで、既に攻撃を受けて強化を終えて。
今の和の投擲ならば、紅のそれにも匹敵するだろう。
シャベルでの全力の打撃ならば、紅の投擲を上回るのは容易だったが、和は投擲に慣れていない。
「でも、私の光がある。護り、弾く光で」
「うん。風穴、開けよう」
一回きりの攻撃になってしまうが、他に適当なものがなかったから、和はシャベルを獲物に選んだ。夜の光と和の能力、2つの相乗効果があれば、風穴を開けるどころか、倒しきることだって出来る――根拠のない自信が、2人にはあった。
そして、その時は来る。
「――行くよ」
「うん」
和は、大きく振りかぶって、蒼く輝くそのシャベルを――放つ。
「いけええええっ……!!!」
瞬間、空気を裂く轟音と共に、シャベルは展望エリアの床とガラスを削って、強烈な速度で空をめがけて一直線に飛んで行った。和の咆哮と、夜の叫びにさらに背中を押されたシャベルは、みるみるうちに天へと接近し、そして。
着弾。
「……うっ!」
「――あっ!!」
刹那、世界が割れるほどの音が、大瀑布となって異界S区に振りそそいだ。初めて聞く異界の者の凄絶な悲鳴の中に混じる、悲痛な夜の魂の声。
シャベルの着弾地点を中心に瞬く間に亀裂の入る天蓋、蒼い光が文字通り、異界の夜に風穴を開け――
なかった。
「う、嘘」
「そんな……」
確かに、シャベルの一撃は致命的なほどのダメージを異界の者に与えた。だが、天蓋に穴が開くことはなく、その代わりに刻まれたひびの隙間からごうごうと、例の泥が大量に降り注いだ。
空中で固まり、ぶつかり、形を成す泥もあれば、そのまま海をひっくり返したかのように街へと落ちていく泥もあって。
「あれが、全部――敵、だっていうの」
空が、世界が、全てが街に落ちて、敵対していくかのような、絶望を見ている。和は、その届かない巨大に、成すすべがないことを悟――「まだだよ、和」
「今が最初で最後のチャンスなんだ。あれを見れば、弱ってるって分かる。だから――」
「……!夜っ、うん、そうだ、今だ……!何か、何か決め手は――」
そう、今。
夜の言う通り今、異界の者は生まれてはじめて訪れる恐慌に呆然自失していた。2人は知る由もないが、あの落ちて来る泥が完全に敵として襲ってくるまでには、まだ数分を必要とする。
つまり、最後のタイムリミットは、その数分。
「ねえ、夜」
「どうしたの?和、何か手が見つかった?」
ごうごうと世界が割れるほどの音を立てながら、S区に、街に泥を落とし続ける空を睨みながら、和は夜の手を強く、強く握った。
その熱は、夜にいつだって力を与えてくれて。
「わたし、夜の光を貰って戦っているからさ、分かるんだ。夜は『弾く』って言うけど、この光の本質はさ――払うこと、なんじゃないかなって」
「払う?」
「そう。能力はその人の魂の根本に強く結びつているものなの。夜の、困難に向かってもなお膝をつかずに進む在り方はさ、護るとか弾くっていうよりも、払うっていうイメージ、だから」
困難を、理不尽を振り払って進む。
その表現は、夜はなんだか腑に落ちてしまって。
「――ああ、そうか。私」
きっ、と見上げるS区の天蓋――異界の者の、腹の中。
あの暗がりが、自分から大切なものを奪っていったのだ。いつか
現実でも夜は、ままならない理不尽に痛み、立ち止まることはあっても、膝をつき、倒れることはしなかった。振り払って、必死に進んできた。
「払う光」
意識してみると、今まで捉えていた能力の形が異なるものに見え始めた。防御、支援が花と決めつけていたこの力の、本当の姿。
あの空の闇を払う、これがその――
「和、キスして」
「夜?」
「いいから」
「……分かった」
たっぷりと口づけを交わして、熱を貰って、想いが届いて、夜は満たされる。
「今の私、最強だから……ありがとう、和。気づかせてくれて」
「――夜!何か、掴んだの?」
「うん。私、倒す、倒せるよ。ううん、払うよ、あの闇をさ」
夜は和の手をぎゅっ、と握って、それから、もう片方の手でまっすぐ、シャベルが突き刺さった異界の者の腹の壁を――天蓋を、指さした。
大きく息を吸って、和と視線を交わして、指先に意識を集中する。
――そして、
「光よ……ッ!!!!!」
闇を払う、蒼い光が夜の指先から煌々と放たれ、天蓋を、世界を震わせた。
※※※
その瞬間、異界のS区に居た者は、常に夜闇が覆うこの世界ではじめて、青空を見た。
※※※
きらきらと光の粒を雪のように降らせながら、暗い空は束の間の表情を覗かせた。異界に初めての、青空。
夜が放った光が払ったのは異界の者だけではなかった。
異界を覆う夜を一時的にであれ、払ったのだ。それは異界の夜の、初めての崩壊だった。
「――和。胸が」
「えっ」
「ある、ここに――重く、なった」
「――!夜、それって」
夜が口にした、胸の喪失感。それは、魂の重さ。模倣品には決してない、その21グラム。
それが、今、あると。
「うん。倒せたんだと思う……私、戻ってきたんだ、本物の魂が!」
「夜!」
「和!」
お互いを掻き抱き、勝利の余韻に酔いしれる。だが。
和は知っていた。それが、長くは続かないと。
「和っ、和!!やったよ、私、ちゃんと能力の本質も掴んだ!異界の者も倒した!だから、和の魂を取り戻す時も、もっと役に立てるよ」
「――夜」
「……和?どうしたの」
未だきらきらと蒼い欠片を落す異界の空の下、最強の2人は対照的な表情を浮かべていた。夜の晴れやかさと、和の悲痛。
その所以を、夜だけが知らない。
「言ってなかったことがあるんだ、夜」
「え……」
和が夜の腕の中で、告げる。
夜が和の腕の中で、揺れる。
「魂を取り戻した者はね、夜。異界から――消える。現実世界へと、戻っていくんだ」
和の腕の中の夜の輪郭が、和のそれよりも少しだけ、薄い。
「どういう、こと?」
「……はじめから、2人で一緒に戦いきることは、出来なかったんだ」
「――なんで」
「だから!だからさ、夜!夜は先に帰ってよ。そしたら、わたしも後から――」
和の耳元で、夜の声が割れた。
「なんで教えてくれなかったの……!?だって、だって私」
がりがりと、和を離すまいとその背中を掻きむしるように強く、強く抱きしめる夜の頬から、つう、と雫が伝う。既に半透明になって、空から降る蒼い光が身体を通り過ぎ始めている。
異界から消えていく、己の姿が、そこにはあって。
「最後まで、和と――」
「いいんだよ、夜」
「えっ」
「わたしは、諦めてない。1人で勝って、絶対に……夜の元に、帰るから」
固く、強い決心がそこにはあった。ずっと前から決めていて、言おうとしていた言葉があった。
あった、あったのに。
薄れゆく意識の中。
「ねえ、なんで、
夜は腕の中の和に向かって、懸命に叫んだ。
「
その声は。
「……
和の中に既にないはずの記憶を呼び起こして。
「……ああ」
最後まで、共に戦いたいと泣いていた夜が――千葉夜が、ついに腕の中から消え、ああきっと現実に戻れたんだろうな、と頭で理解した和は、和沙は。膝をつき、胸を掻きむしって、床を叩いて。
喜びと、怒りと、愛しさと、懐かしさと、その全てとに。
「あああああああああああ――ッ!!!!!!!」
ただ、叫んだ。
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