第13話 エルフと神秘殺し①

 200年生きたエルフにとって、私の人生が始まった日はもう記憶にありません。

 けれど、終わった日だけは、鮮明に覚えています。


 きっかけは、何も特別なことはない夜のこと。

 元只人の母が作ってくれた、美味しいシチューを食べ終えて、私は父と母のいるリビングで何百回と読み返した魔法書を読んでいた時……。


 耳に強く響くような破裂音がしました。


「何かあったのかな。面白そうだ、見に行こう」


 父がそう言って、好奇心半分に外に出ようとしました。


「貴方。最近は只人によるエルフ狩りが流行っているようです。お気をつけて……」


「なに、ここは神聖なリューチの森。古くから精霊と共にエルフが神秘を共にした土地だよ。只人がそうそうに踏み込めない場所さ。

 おおよそ鶴瓶落としの悪戯か、命知らずな天狗の仕業さ」


 父が冗談を言うので、本を読んでいた私も釣られて笑いました。

 母も「貴方ったら」と、仕方なさそうに微笑んでいました。


 けれど、それが冗談で済めば、どれほど良かったでしょうか。


 父がドアを開けた瞬間……家の外に充満していた神秘殺しの毒が、私たちに襲い掛かりました。


「!?」


「嫌ッ!」


「うッ……!?」


 その瞬間の衝撃は、忘れることができるはずもありません。

 全身に、小さな棘が刺さったような痛みが襲い掛かってきました。


 苦しい……と思い、私は空気を大きく吸い込むと、口の中に鋭利なトゲが入っていくような激痛が走り、つい、意識を失いかけました。


「神秘殺しが……来てしまった……!」


 神秘殺し。

 その名前を、私は少しくらいは聞いていました。


 近くにあるエルフ集落で、神秘殺しという武器を持った只人たちが、集落を滅ぼしてしまったと。

 でも、そんなものが、なんで私たちの所にまで……?


 全身を針で刺され、息をするたびに体を蝕まれているような苦痛に耐えながら、私は状況を飲み込めないままでいると……。


「おい! エルフがいたぞ!」


 野蛮な男の声と共に、男2人が私たちの家の前に集まってきます。


「なんだお前たちは……下等民族の癖して!」


 父が息を荒げながら、彼らに言います。


「おいおい! やっぱ神秘殺しはスゲェな!」


「小さな塊一つ爆発させただけで死にかけじゃねえか!」


 男たちは、下卑た笑いをしていました。

 なんて無礼な……。私たち、神聖なエルフが苦しんでいるのにも拘らず、只人ごときが愉快に笑っているなんて……。

 そう思っていたのは、父も同じでした。


「“爆ぜバ…”……」


 父が爆破魔法を放とうとすると……。


「ガハッ……!」


 父は、滝のような血を口から吐き出し、倒れました。


「う、そ……」


 父はこの村でも一番神秘に愛されたエルフでした。

 かつては、怪火をもたらす天狗を追い出し、見上げるほど大きな入道坊主を吹き飛ばしたほどの神秘のモノです。

 あと300年もしたら、森の長になるつもりだと、意気揚々と話していたこともありました。


「お、お父様……?」


 それほどの父が、簡単な爆破魔法すら放てず、倒れてしまう現実が……あまりにも受け入れ切れず、私はその場で動けなくなってしまいました。


「やっぱこいつら、馬鹿すぎて捕まえるの楽だな。神秘殺しの特性すらまだ知らねーのかよ」


「そりゃ、2年前の戦いで分かりきったことだろ。こいつら、長生きしすぎて自分らの天敵が出てきたっつーのに、危機感が全くねーんだ。普通は対策するなりなんなりするもんだがな」


 男たちが何を言っているのか、私にはわかりませんでした。


「お、まだ2人もいるじゃん。この家は9億ゼニーか」


 男の一人が、私たちの家を覗き込み、汚らしい声で言いました。


「しかも美形の女だ」


「良いな、どうせこいつらは貴族に殺されて食われちまうんだ、俺たちは俺たちで楽しみがないとな」


 男二人が、妙な形をした鉄の塊を持ちながら、私と母に近寄ってきました。


「やめなさい……!」


 母が木の椅子を両手で掴み、男たちに飛び掛かりましたが、男たちはそれを簡単に避けて母の鳩尾に蹴りを入れました。


「うッ!」


 あの時の母の表情は、生涯、忘れることはできないでしょう。

 目を飛び出しそうな表情で、苦痛に耐えかね、胃の中のモノをすべて吐き出してしまうほど動けなくなってしまいました。


 半エルフの母にとって、只人に暴行を加えられただけでは、これほど蹲ることはあり得ません。

 

「ったく、面倒だな。念のため、一発撃っとくか」


 パンッ! 

 

 男の一人が、手に持っている鉄の何かを上に向けると、耳を割くような音を放ちました。


「あッ……! ああああッ!」


 その破裂音がした瞬間、神秘殺しと呼ばれたものが、より一層、私たちの家に充満しました。

 血が出ていないのにも拘らず、全身を切り刻まれるような痛みが走ります。

 

「本当に便利だな、神秘殺し」


「神秘を秘めてる奴なら、ジュウのタマを撒いて空気を汚すだけで苦痛を感じるくらいだもんな。クンシィ・ワンクル様様だぜ」


 そう言いながら、男たちは苦痛で視界がぼやける私の所へと歩いてきます。

 怖くて、恐ろしくて、逃げたいと思っても、息を吸うだけでも苦しい私には、動くこともできませんでした。


「キレーな顔してんなー。こんな女も食っちまうのか? 貴族様は」


 男が、私の腕を掴みます。

 肌に触れられただけで、焼けるような痛みが走りました。


「不老長寿が得られるみたいだからな。勿体ねー」


 痛い、逃げなきゃ、

 苦しい、抵抗しないと、魔ほ、ダメ、詠唱どころか、エルフ語も浮かんでこない、

 怖い、苦しい、怖い、逃げたい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、辛い苦しい。


 誰か、助けて……。


「俺、の、娘に手を出すな!」


「あッ?」


 苦しくて何も考えられなかった時。

 お父さんの声がしました。


「ンだぁ? コイツ」


「少し黙らせて来るわ」


 止めて……。

 お父さんが、悪い奴に殺されちゃう。


 私はどうにかして止めたかったけれど、抵抗もできず、魔法も撃てず、涙を流しながらそれを見ていることしかできませんでした。

 

「面倒だ、殺しとくか」


 男が父の前に立ち、鉄の塊を向けました。


 お父様が、殺される。

 

 地獄のような状況にも拘わらず、それ以上に恐ろしい悲劇に心を締め付けられていると……。


「“爆、ぜろB,an”」


 倒れている父は、咄嗟に近づいてきた男の足を掴み、魔法を放ちました。

 すると、その男の頭が破裂しました。

 

 やった、お父様が、悪い奴を殺してくれた……。

 と、私が安堵する間もなく、


「ガッ、グァ!」


 父は、目と耳から血を流し、苦悶の表情を浮かべました。


「お、とう、様?」


 それは、いつも悠々としている父からは想像もできない表情でした。

 これ以上なく惨めで、みっともなく、虫の死骸みたいな表情をしていたのです。


「に、げろ……」


 父はそう言って、生気を失いました。


「逃げなさい、アイビー!」


 母が般若のような表情で叫んで、私はようやく気付きました。


 父は、最後の力を振り絞り、魔法を放ったということを。


 そして、私に「逃げろ」と告げたことを。


「ッ!」


 私は全身に切り裂かれるような苦痛が疼くのを、必死に我慢しながら走りました。


「コイツッ! よくも!」


 駆けだした私の後ろから、もう一人の男が私を止めようとしました。

 怖い、何をされるの? 嫌、もう何もしないで、誰か助けて……!


「“風、刀ウィン、ド・カった”」


 母が風の魔法を放った音がしました。


 けれど、それでどうなったのかは、私は見ていませんでした。

 そして、母がどうなったのかも、私は見れませんでした。


 とにかく、私は走りました。

 走ることが、辛いと思ったのは初めてでした。

 神秘殺しに汚染された空気が肌に触れるたび、茨の道を愚直に走り抜けるような痛みが襲ってくるからです。


 走って、走って、走って、走って。

 暗闇の中、前は見えないし、エルフの超感覚も衰えていて、ほとんど何も分からず、木にぶつかって、石に躓き、坂を転がって、泥だらけになりました。

 私たちが住んでいた場所、父が、母が、仲間たちが住んでいた場所から、爆音と破裂音と悲鳴と男たちが激高している声も、私には無我夢中で気にすることもできませんでした。。


 それでも走って、苦しくて、走って、走って苦しくて走ったけど苦しくて……。


 いつしか倒れて、何も見えないはずの暗闇の中に、長老様が現れて……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る