01-05 アキト転生

 王都アルヴリアが魔王軍によって蹂躙されている時、アルヴリア城の地下室に1人の少年が現れる。狭霧アキト……彼が異世界に転生した瞬間だった。


(ここが異世界? だとしたら神様の言う通り、元の世界で僕は死んだのか?)


 気が付くとアキトは誰もいない石畳の部屋の中にいた。ここは明かりこそ灯っているが、時折微かな揺れが伝わってくるだけの静寂な空間だった。


(確か、家に帰る途中で雨が降り出して……ダメだ、そこから先の記憶がない)


 アキトは自分がなぜ死んでしまったのか思い出そうとするが、漠然とした記憶しか残っていなかった。諦めて周囲を見渡してみるが、何もない場所と机などが並べられている区画に分かれているのが見えるだけだった。


(それにしても、寒いな)


 風はないが部屋の中は冷えており、アキトは思わず両手で腕をさする。そしてこの時初めて、自分が知らない服を着ていることに気付く。


(こんな服、持ってなかったはずだけど……)


 見た目は普通の長袖長ズボンではあるのだが、転生直前の最後の記憶で着ていた私服とも、自分が所持しているどの服とも違っていた。


(あ、眼鏡もない。転生で視力が戻ったのかも)

「……ちょっと物足りない気がする」


 そして視界がクリアだったため気付かなかったが、いつもかけているはずの眼鏡もなかった。転生により視力が回復したとアキトは推測したが、長年眼鏡をしていたためかどうも落ち着かなかった。


(それにしても、ここは何の部屋なんだろう?)


 仕切りの先には実験室のような机が規則正しく並べられており、備え付けの棚に実験用と思われる器具や薬品が整頓されて置いてある。しかし人がいるような気配は無く、それがアキトの不安を駆り立てる。


(黒い白衣? ここって実験室か何かなのかな?)


 不安を紛らわそうと部屋の中を見て回っていると、一角に黒いラボコートが並べられたハンガーラックを見つけた。その横には机が置いてあり、引き出しの中にはたくさんの眼鏡と手袋が入っていた。


(誰かに会ったら、ここから借りたことを伝えよう)


 アキトは見つけたラボコートに袖を通し、一緒にあった手袋と眼鏡も着用する。手袋は指先の感覚を損なわないほど薄手でありながらも丈夫にできており、眼鏡は金属フレームに薄いガラスレンズと、度が入っていないこと以外は普通の眼鏡と変わらなかった。


(せっかく視力が戻ったのに、眼鏡をかけていたほうが落ち着くなんて……)


 アキトが1人悲しくなっていると、奥にある扉から誰かが階段を駆け下りてくる音が聞こえてくる。ようやく人と会えると喜んだのも束の間、怒号と共に1人の男が入ってきた。


「ここに部屋があるぞ!」

「な……」

「おうおう、こんなところに逃げ込んでたのか!」


 アキトは部屋に入ってきた男の姿に言葉を失う。悪魔を連想する黒い角に黒い羽、さらに血の付いた斧を肩に担いでいる。そんな悪魔が今まさに目の前に迫って来ていた。


(これが、異世界の人間? それとも悪魔なのか?)

「待ってください! 僕は――」

「反抗するなら殺すだけだ」


 目の前の人物が喋っている言葉は自身の知るどの言語でもなかったが、その内容を当たり前のように理解することはできた。だが、そのことについて考える余裕などなく、敵意をむき出しにする悪魔に対してアキトは部屋の奥へと逃げるしかなかった。


「助けて……誰か……」


 悪魔は斧に手をかけながら、一歩一歩、ゆっくりとそして確実に距離を詰めてくる。その恐ろしさのあまりアキトは転倒してしまう。


「そう言って時間を稼ぐつもりか? 宮廷魔道士さんよぉ」

「ち、違う。僕は、ここの上着を……」


 アキトの声に耳を貸さず、悪魔は斧を振り下ろそうとする。その瞬間、突然に強烈な電撃が発生して、目の前を明るく照らす。


「ガアア――ッ!」

(何だ、何が起きているんだ?)


 アキトはこの状況を理解できなかったが、自分がまだ死んでいないことは分かった。目の前の悪魔は痛みを感じているようだが意識はあり、攻撃してきた相手を確認しようと怒りの形相で扉の方を振り返る。


「ううっ、テメぇ――」


 だが、振り返ると同時に放たれた青色に光る矢が悪魔の眉間に突き刺さる。そして先ほどと同様に電撃が発生し、今度は声も上げる間もなく悪魔の顔が真っ黒に焼けただれる。

 アキトはその光景を唖然と眺めることしかできなかった。


(殺したのか? この悪魔を……なら、僕を助けるために?)

「地下に逃げたのは、王女様だと思ったんだけどな」


 悪魔を殺した長身の男がクロスボウを肩にかけながら近づいてくる。身の丈ほどある槍も持っており、顔や服のあちこちに返り血が着いていた。さらには彼の赤い眼が鋭いことも合わさり、アキトは助けてもらったのに少し恐怖を感じてしまう。


「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます」


 それでもアキトにとっては命の恩人には変わりなく、差し伸べられた彼の手と言葉はとても暖かく感じた。


「俺はシン・アマガツだ。お前は?」

「狭霧アキトです」

「アキト、すまないがここで何があったか教えてくれ」

「えっと、その……実は僕、気が付いたらここに居て……その前の事とか何も覚えてないんです」


 転生直後で何も知らないアキトは、この状況をどう伝えればいいか分からなかった。とはいえ理由は分からないけど転生したなどとは言えず、小さな声で何も知らないことを伝える。


「そうか、災難だったな。まず今の状況だが――」


 シンはアキトの境遇を気の毒に思いつつも、今の王都アルヴリアの状況を簡単に伝える。魔王軍とやらが突然王都を襲いだしたこと、ここはアルヴリア城の地下室であること、そして上階は完全に占拠されており生存者がいても救出は望めないこと……。




……




…………




(もし、何も知らずに階段を上っていたら今頃……)


 シンの説明を聞いたことで、アキトは自分が危険な状況に巻き込まれたことを知る。ここから生きて出られるのか不安になる中、不意に天井から小石のような物が落ちてくる音が聞こえてくる。


「あれ? 上から何か――」

「伏せろ! 天井が崩れる」


 上を見た瞬間、突如真上の天井が砕けて破片が降ってくる。気付いたシンはシールドで2人を囲むように四方の壁と天井を作りだし、アキトはその光景に驚きながらも上から降ってくる岩の塊が怖くて頭を守るように抱えて伏せる。


(岩に紛れて何が……?)


 大小さまざまな岩の破片がシールドに当たり、そのたびに内部に鈍い音が響く。その音は数秒間続いたが、1つだけ岩ではない何かが当たる音が聞こえた。それに気づいたアキトは顔を上げてシールドの天井を見る。


「ひっ」


 上の階から落ちて来たのか、そこには鎧を着た人が仰向けに倒れていた。アキトが目を凝らしてその人を見ると、あまりの有様に悲鳴がこぼれる。鎧を着た背面を見ているはずなのに、背中からシールドの隙間にどんどんと血が流れだしている。


「あ、あのシンさん……人が血まみれで――」


 岩の雨がやみ、アキトは恐怖を押し殺しながら声をかける。しかしシンは振り返る事も返事をすることもせず、正面のシールドを解除して槍を構えている。その視線の先には、さっきまではいなかった人物が立っていた。


(なんだ、この人は……本当に人間なのか……)


 それは筋肉隆々の大男であり、背中から青色に淡く光る竜の首を何本も生やしていた。その体には青色の禍々しい靄を纏っており、それがアキトにとっては何よりも恐ろしく、脳の奥底から強烈な恐怖感が沸き上がってくる。


「何だ!? いったい何が……って、魔王様どうしてこちらに!?」


 この騒ぎで地下に武装した人たちが降りて来ると、目の前に対峙している人物を魔王と呼んだ。魔王とシンはお互いに目を合わせて様子を窺っており、動く気配は無い。


(そんな、魔王がなんで……)


 魔王という存在と遭遇してしまったアキトは、ただ自らの不運を嘆くことしかできなかった。

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