パールベルの乙女
@turezurenaru
第1話 プロローグ
その日、3人は図書館の裏庭にいた。
穏やかな春の日差しの中、小高い丘一面を覆うように、パールベルの花が咲いていて、雪が降ったかのようだ。揺れる花の香りは甘い。
だが、ロザリンド、ニムエ、シーリアの3人は無言で歩いていた。
3人ともいでたちは男装である。上着はダブレット、膝のあたりまで膨らませたホウズというズボン。そして汗ばむような天気なのに頭からマントを被っている。
ここベリアル王国では女は図書館に入ってはいけないことになっている。図書館の神ダンタリオンが男だから、というよくわからない理由だ。もちろん首都ナーダにある、この王立図書館でもそう言う決まりになっている。
だが、十日に一度だけ、女も入ることが許される。
これは、ダンタリオンの10の頭のうち、一番年老いた頭の日だ。よぼよぼで目も悪いため、男装して、髪を見せないようにマントを被り、裏口から入ってくる場合にのみ、お目こぼしいただけることになっている。
このことは、本好きの女たちの間で口伝えに伝えられていて、ロザリンドは当時来ていた家庭教師に教わった。
本好きの女の子は、その入り口の近くに咲く花にちなんで「パールベルの乙女」と呼ばれているのだそうだ。
そんな話を聞いて胸をときめかせ、しきりにせっついて、いざ連れてきてもらったときは、天にも昇る心持だった。
お母様は大層お怒りになって、その人はすぐに辞めさせられてしまったけれど、ロザリンドは一人で図書館通いをするようになった。
図書館には、たくさんの本がある。何十年何百年も昔に死んでしまった人や外国の人の考えたことなども分かる。冒険の物語や恋物語、いろいろな人生を体験できる。
同じ年ごろの友達もできて、本について語り合ったり、お勧め本の情報交換したりしていたが「本を読むと嫁ぎ遅れる」という言い伝えがあるせいだろうか。
適齢期と言われる13歳くらいから、どんどん人数は減り続け、16歳の今、同じ年ごろの友達で残っているのはニムエとシーリアだけだ。
大人になるにしたがって、読める本も読みたい本も増えていくのに、嫌なことも増えた。
男の人の中には、わざわざこの日にやってきて、若い女とみると、からかったり付きまとったりする人もいるのだ。
その日の付きまとい男は特にしつこかった。脂ぎった広いおでこをてからせながら
「若い女が本を読むなんて、はしたないことだよ。まったくけしからん」
「足の形が見える服ということは、男を誘っているってことだよね」
などと意味不明なことをいいながら、どんなに席を変えてもついてきた。
美人のシーリアは特に目をつけられてしまっており、本を返しに行って一人になった隙に、とうとうマントの中に手を突っ込まれて、髪の毛をわしづかみにされた。
「やめてください」
「手を放しなさいよ」
悲鳴に気が付いて、ロザリンドはニムエと二人がかりで文句を言って引き放した。
周りにいた人達も一緒に怒ってくれたのだが、男は自分の手に残ったシーリアの髪の毛の匂いを嗅ぎながら「うへへ。いい香り」とニヤニヤするばかりだった。
本を読み続ける気になれず、3人は外に出てきてしまった。
しばらく、パールベルの花畑の中を歩き回ったのち、ニムエがぼそっと言った。
「せっかく図書館に来れましたのに、気分台無しですわ。最低。なんで、あんな男がいるのかしら。静かに本が読みたいだけですのに」
ロザリンドもいらいらしながら答えた。
「どうして、はしたないと言われたり、嫁ぎ遅れると言われたり、挙句の果てに、あんな男に付きまとわれたりしなくてはならないのかしら。嫌になる。本当に嫌になるわ。いまいましい」
あまり、こういう言葉を使うのは貴婦人らしくないことはわかっているが、頭にきてしまうのだから仕方がない。今まで黙っていたシーリアが、小さな涙声で言った。
「ごめんなさい。せっかくの図書館なのに」
「まあ、なぜあなたが謝るの?悪いのはあの男よ」
「そうよ。あんな男と同じ部屋にいたくないもの。馬車の準備ができ次第帰るわ。ああ、こういう日に限って爺やの動きが悪いの。まだ、呼びに来ないのかしら」
ニムエがいらだったように言った。
本当は、この人たちとは住む世界が違うんだわ。ロザリンドは思った。
ニムエの本名はニムエ・フルーレティ女伯爵。先々代ミダス6世陛下の外孫にあたられるという王族のお姫様だ。ご自分の伯爵領をお持ちの大金持ち。ここに来るときにも、自分の紋章入りの馬車で乗り付けている。シーリアさんもその親戚というのだから名家の令嬢に違いない。
「ロザリンドさんはどうなさる?途中までお送りしましょうか?」
「いいえ。歩いて帰りますわ。兄とここで待ち合わせしているので」
「まあ。お兄様がおみえになるの?」
シーリアの頬が見る見るうちに上気して紅に染まった。
「ギャニミードさんとおっしゃるのよね。まあ、うらやましいわ。図書館に送り迎えをしてくださるお兄様がおられるなんて」
「それほどでも」
ロザリンドは謙遜して見せた。
兄、ギャニミードはアスターテ法学院で法律を学ぶ傍ら、司法修練生として働いている。
ロザリンドが唯一二人に自慢できることといえば、素敵な兄がいるということだろうか。
そのときロザリンドは、シーリアの髪とマントの間に、折りたたんだ紙が引っ掛かっているのを見つけた。
「何かしら、これ」
ロザリンドは手を伸ばし、その紙をつまみ上げた。ご丁寧にも封蝋で閉じてあり、表には『パールベルズに与える書 読まずに捨てるものに禍あれ』とおどろおどろしい筆跡で書かれている。
「嫌だ、さっきの人だわ。そんなもの読みたくない」
シーリアは大きな羽根虫に止まられてしまったかのように、ぎゅっと目を閉じ耳をふさいでしまった。
「大丈夫。読んでから捨てればいいのよ」
ロザリンドが開いてみると、中には詩のようなものが書いてあった。
『ああ、汝パールベル、本を読む女よ
本は汝らの美を曇らせ、時を費やし、
汝を不幸のどん底に突き落とすことであろう』
「本当に、虫唾が走る」
覗き込んできたニムエが言った。
これだけ、他人をバカにした文章なのに、最後にはとんでもないことが書いてあった。
『パールベルは麗しき薄紅のピンクベルに座を譲るもの
我のために薄紅のピンクベルになるなら、
呪いを解いてやってもいい』
「何様のつもり」
「気持ち悪いっ最低っ」
「いやらしい」
パールベルとピンクベル。どちらも「ベル」と名のつくことからわかる通り、釣り鐘のような花の形をしている。裾がかすかに内側に入っていて、良い香りがするのがパールベル。裾がひらひらしていて、香りがないのがピンクベルだ。
そして、不思議なことだがパールベルはピンクベルのそばにいると、色も形もピンクベルのように変化していってしまう。そのためパールベルは「乙女」ピンクベルは「恋をした乙女」に例えられたりもするのだ。
ニムエは、ロザリンドの手から手紙を取り上げると、地面にたたきつけ、ガシガシ踏みつけた。
「ピンクベルですって?何様のつもりかしら。
「まったくだわ。許せない」
本を読むことについて、母から頻繁にお小言を言われるロザリンドも思わず加勢し、しばらく一緒に踏みつけた。ニムエは息をついた後、言った。
「みんなそういうのよ。パールベルなんかやめてピンクベルになりなさいって。冗談じゃないわ。香りもないぴらぴらの花みたいになるってことは、知的なものが何もない、見てくれだけの女になりなさいってことじゃない。そして、皆周りに流されて、美しい形と香りを失ったことに気付きもしない。こういう嫌な男がいるせいなんだわ。ああ、嫌だ」
「そうよね」
ロザリンドはうなずいた。
「その辺に埋めておきましょう」
「そうね」
3人は花のないところをさがし、石で地面を掘ると、くしゃくしゃに丸めたその手紙をうめ、念入りに踏みつけた。
ニムエが厳かに言った。
「私たち、ずっとパールベルでいましょうね。こんなの気にしてはダメ。幸せになればいいのよ」
「そうよ。幸せになりましょう。あんな男の呪いなんかに負けるもんですか」
幸せ、というものが具体的に何かはわからないながら、ロザリンドは言った。
シーリアは無言のまま泣きそうな顔で、気味悪げに手紙を埋めた場所を見ていた。
そのとき、ギャニミードが裏口にあらわれた。だれより先に気が付いたのはシーリアだった。
「あら。ロザリンド。お兄様が迎えに見えたわ」
急にはしゃいだ声を上げると、シーリアは、こちらへ向けて片手を上げるギャニミードに向かって、丘を駆け下りて行った。
ニムエはロザリンドの袖を引っ張ると、耳元でささやいた。
「あなたのお兄様はすごいわね。シーリアを一瞬で元気にしてしまうのだもの」
ロザリンドはこそばゆい思いでうなづいた。
16歳の春だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます