第3章

第17話 模擬戦

 壮太と美琴がこの異世界に転生してから一年が過ぎた。

 壮太が転生したジャポニは、実家を改装し『金木犀』という名の診療所を開業する。

 当初は『医者』『診療所』という言葉が理解されず、誰も来ない日が続いたが、フレアの病気を治療したことが口コミで広がり始め、今では日々多くの人が訪れるようになっていた。

 そのため、実家横の三階建ての空き家を購入して病室を増やし、また母アメリとクックにも手伝ってもらいながら、なんとか診療を続けていく。

 結果、キトの町では『ジャポニ』『金木犀』『医者』という言葉を知らない者などいない、そんな状況となっていた。


 その一方、美琴が転生したケンセイは……なにもしていなかった。というよりは、なにもさせてもらえなかった、という言い方が正しい。なぜならカトレア殿下がケンセイを手放したくないと、あの手この手を使い王宮に足止めし、自由に行動することができなかったためだ。

 そのケンセイは三度脱走を試みたことがある。しかしいずれも探索魔法ですぐにみつかり王宮に連れ戻された。その後は、なにも起こらない日々が過ぎていくだけ。

 自身が男に転生したことで壮太を探す気力もなくなっていたケンセイは、半ばあきらめムード。三食昼寝付きが保証された、このだらけた生活に慣れ始めているところであった――。



 そこは王宮内の広い中庭。数十名の若い騎士たちがカンカンと音を鳴らし木剣で訓練をしている。そこへ暇そうなケンセイがふらっと現れたのを見て、指導している騎士が声をかけた。


「お久しぶりです」

「ああ、シャロンか」

 それは、転生直後に戦場で助けてくれた騎士、シャロン・ミリタイド大佐であった。

 彼女は名前で呼ばれることがあまりないのか、恥ずかしそうに言葉を返す。

「ゆ、勇者様……。お一人でこんなところにどうされました?」

「その『勇者様』はやめて『ケンセイ』にしてくれないか。それに、お互い固い話し方も止めよう。歳も私の方が下なのだろうし」

「あはは。そうだな。私もその方がありがたい。それでは、お言葉に甘えて、ケンセイと呼ばせてもらおうかな」

「それで……。ここは訓練場か?」

 そう言いながら中庭を見渡すケンセイは、少し嬉しくなっていた。なぜなら、若い騎士が汗を流して必死に訓練する姿を見て、自身が警察学校で指導していた頃を思い出したからだ。


「騎士のランクによって訓練場は変えているんだ。ここは入団して一年以内の新米騎士が訓練するところで……。それより、ここ最近君の姿を見かけなかったが、なにをしていたんだ?」

「いや、それが……。最初は連日部屋に監禁されて王家や貴族に関する勉強会の日々でな。やっと解放されたかと思ったら、部屋を自由に出ていい代わりに『主従契約魔法』というのをかけられてしまったよ。それがどういう魔法なのか、怖くて聞けなかったが」

「そ、そうなのか……。それでは、殿下とご婚約されたという噂も本当みたいだな」

「いやいや、それははっきりとお断りした! 婚約はしていない……はずだ!」

「断っただと?! 殿下はとてもお綺麗だし、お人柄も素晴らしいお方だ。逆になにが問題だというんだ」

「問題だらけだ! 婚約を申し込まれたのは出会ってすぐだ。お互いことはよく知らないし、若すぎるし、愛してもいない相手に簡単に婚約を申し込めるのも信じられない」

「我々からすると、ケンセイの考え方が信じられんよ。王族や貴族では会ったことも無い相手と婚約、婚礼するのはよくあることだ。その後で互いを知って好きになるのが普通だから、なにも不思議なことではないのだがな」

「わ、私のことより、シャロンはどうなのだ? 女性でまだ若いのに、あんな最前線で戦っているのが驚きだ。恋人に止められたりしないのか?」

「い、いや! 私に恋人など……」

「いないのか? しかし、それだけ美しいのだから、周りの男たちは黙っていない――」

 ケンセイはそう言いながら、ミリタイド大佐が顔を赤くして固まっているのを見て、大きな失態に気づく。自身は楽しいガールズトークをしているつもりであったが、今は男であることを忘れて話していたのだ。

「す、すまない! 女性にこんな話をするなんて失礼だった! 今の話は忘れてくれ!」

「い、いや、問題ない。わ、私は女性扱いされることがあまりないのでな。免疫がないから、どう反応すればよいのか困っただけだ。あははは……」

 完全にセクハラオヤジと化していたケンセイは、慌てて話を変える。

「そ、それにしてもなんだなぁ。皆、新米騎士というだけあって剣の腕はまだまだヒヨッコだな。若い、若い」

 それは軽い気持ちで発した言葉であったが、訓練中の騎士たちにも聞こえてしまったようで、彼らの囁く声が漏れ聞こえてくる。


『なんだよ、あいつ! えらそうに!』

『殿下に気に入られてるやつだろ?』

『ああ、愛しの勇者様か! あいつは毎日王宮でなにやってるんだ?』

『たしかに魔王は倒したらしいが、それ後なにもやってないだろ』


 えらい言われようである。いつの間にかケンセイは、騎士や王宮で暮らす者たちに反感をかっていたようだ。しかし、騎士たちの言葉に間違いはなく、彼には返す言葉もない。

 すると、ミリタイド大佐もケンセイの発した言葉には少しカチンときていたのか、彼にからむように質問を返してくるのだった。

「彼らがまだまだ? しかし新米とはいいながら、厳しい訓練と試験を突破して入団した者ばかりだ。そんな彼らを『ヒヨッコ』呼ばわりか……。そういうケンセイは当然、剣の心得もあるのだろうな?」

「ああ。私は二天桂木流の継承者で、師範代をして――いたような記憶が薄っすらあるような無いような……」

「は? ニ、ニテンカツラ……なんだって? そ、それは魔法か?」

「い、いや、まあ、少し剣術をかじっていたことがあるということだ。記憶はなくとも身体は覚えているものだなぁ。いやぁ、すごいなぁ、剣術!」

「おお! それでは是非、是非、私とともにご指導を!」

「指導? い、いや、しかし……」

「まあ、まあ、まあ、まあ、そう言わずに! さあ、さあ、こちらへ来てくれ!」

 ミリタイド大佐に手を引かれ、半ば強引に訓練場まで連れて行かれるケンセイ。

 そして抵抗空しく、彼は騎士たちに紹介されるのだった。


「全員、集合!」

 その掛け声で騎士たちは訓練を一斉に止め、ミリタイド大佐の前に綺麗に整列にする。

 そしてほぼ全員がケンセイにガンを飛ばしているようだが、ケンセイは余裕の表情でそれを受け流しているように見えた。

「皆も聞いているとは思うが、こちらが勇者ケンセイ殿だ。ケンセイ殿は剣技にも心得があるとのことで、今日は特別にご指導していただけるとのことだ! ご配慮に感謝し、胸を借りるつもりで積極的に指導していただくように!」

「はっ!」


 すると列の先頭に立つ鼻息荒い騎士が、大佐に声をかける。

「発言してよろしいでしょうか!」

「許可する」

「私はリカンテ・ゾロ少尉であります! 是非、勇者様と模擬戦形式でご指導いただけないでしょうか!」

「許可しない!」


 嫌な予感がしたミリタイド大佐は反射的にそう答えてしまった。

 というのも、彼女はケンセイを少し困らせてやろうと皆に紹介したかっただけなのだ。勇者と紹介され、そして指導するようお願いされて困る彼を見たいと思っただけなのである。

 それであるのに、まさか若い騎士が積極的に模擬戦を志願するとは。もしケンセイが若い騎士に敗れ、恥をかかすような事態になってしまったら――それだけは避けなければと悩むミリタイド大佐。

 そのとき、ケンセイが平気な顔で若い騎士に木剣を貸してもらっている姿が目に入った。

 そして、ケンセイに耳打ちする。

「ケ、ケンセイ……。模擬戦ということだが、大丈夫なのか……」

「ん? 構わんよ。こんな機会、この先もあるかどうかわからんことだしな。私も身体がなまっていたから、訓練したいとうずうずしていたところだ」

 その言葉と同時に、ミリタイト大佐にはケンセイの目つきが鋭く変わったように見えた。

 すると、模擬戦を拒否されたゾロ少尉が困惑しながら再確認してくる。


「た、大佐? あの……。模擬戦は、駄目でありますか?」

「い、いや、違った。許可……する」

 大佐がコホンと咳払いをしながらそう返答すると、同時に他に数名が手を上げる。

 次々と上がる手に、ミリタイド大佐は内心『しまった』という気持ちになるが、後戻りはできない状況となり模擬戦を進行することにした。


「そ、それでは、ケンセイ殿とゾロ少尉のみ中央に!」

 その声に全員が円形状に広がり、そしてそこは模擬戦の試合場となった。

 ケンセイは木剣を手に持ちブンブンと振り回したり、パンパンと手の平に打ち付けたりして感触を確かめている。

「これがこの世界の剣か。重心も木刀とはかなり違うな。速さで切るというより、全身を使って剣の重みで強く振って叩くというイメージか……。これはパワーがいるな」

「あの、ケンセイ……。もう始めても構わんか?」

「ああ、すまない。お待たせした。とりあえずやってみようか」


 ミリタイド大佐が審判となり中央で手を上げる。そして模擬線が開始された。

「はじめ!」

 ケンセイはゾロ少尉に対して軽く頭を下げて礼をすると、左足を前に出して半身に構え、剣を上段に構えた。

 剣先を天に向けたその構え――見たことが無い構えにゾロ少尉だけでなく全員が驚いている。


「どうした? ゾロ少尉。来ないのか?」

「くっ! な、なんだ、その構えは……」

 ケンセイの構えを見て混乱している様子の少尉。

 どう打ち込んでも、その剣に切られるイメージが頭をよぎる。そしてそれ以上に、対眼した者がわかる威圧感――ケンセイの全身から放たれる目に見えないオーラが、ゾロ少尉を恐怖させるのだった。


「これは一刀両断、天の構えだ。一太刀にすべてを乗せ、命をかける覚悟の構え。君も死ぬ気でかかってこい」

「く、くそ!」

 ゾロ少尉はその威圧感に耐えらなかったのか、ついに剣を振り上げ前に出た。


 ――このときゾロ少尉は、自身が一番得意とする攻撃の型で勝負に出る。最初に上から振り下ろす剣はフェイントであり、相手の剣を誘うものだ。そして誘われ振られた剣を間合いギリギリ交わしたところで、下から振り上げる剣で仕留める、というものだった――。


 ゾロ少尉がその型をイメージしながら攻撃を開始した、その突如――ケンセイの剣先が彼の左肩に突き刺さった。結果少尉は、なにもできないまま一瞬で後方に吹っ飛ばされたのだった。


「は、速い……!」

 ミリタイド大佐は試合を止めるのも忘れ、その結果に茫然としている。

 彼女が速いと言ったのは、剣だけのことではない。確かに剣の速さもかなりのものであったが、それ以上に、ゾロ少尉との間合いを詰めるスピードに驚いていた。

 ケンセイが始動したのは、ゾロ少尉が剣を振り始めた後。だが、そのフェイトに釣られることは一切なく、一気に間合いを詰めて突きを放ったのだ。

 長い黒髪を風になびかせながら、優しい表情で手を差し出すケンセイ――大佐は、その姿にみとれてしまうのだった。


「大丈夫かい? 立てるかな?」

「は、はい! まいりました、勇者様! ご指導ありがとうございます!」

「最初の一振りに気持ちが入ってなかったな」

「気持ち……ですか?」

「そうだ。おそらく一の太刀は相手の様子をうかがうためか、もしくは相手を誘うためのフェイントだったのではないか?」

「そ、その通りです!」

「そうか。しかしフェイントというのは、自分も騙すくらいに本気で打たないと相手も騙されてはくれないぞ。本気で打っていない分、剣も遅くなるし相手にも悟られる」

「な、なるほど! わかるような気がします。ありがとうございます!」

 ゾロ少尉は輝いた目でケンセイを見つめている。

 そしてそれは、ケンセイを取り囲む他の騎士たちも同じであった。


「い、いや、そんなに見つめられると困るよ……」

 その照れた仕草に、ケンセイが男とわかっていながらも、なぜか顔が赤くなる騎士たち。

 ミリタイド大佐も思わずにやけてしまうが、自身が審判であったことを思い出し、慌てて声を出した。


「よ、よしそこまで! 次に胸を借りるのは誰だ!」

 その後も志願した騎士たちとの模擬戦は続き、ケンセイは三十戦全勝であった。

 そして、その噂が王宮内であっという間に広がったことで、ケンセイは騎士たちの訓練教官に任命されるのだった。

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