第5話 最後の日まで

「うぅ……」

 美琴は重い瞼をゆっくりと開き、見知らぬ天井をじっと見つめながら茫然としている。

 少しして意識も鮮明となり、心拍を告げる機械音や点滴の管を見て、自身が病院のベッドで寝ていると理解した。


「おはよう。大丈夫かい?」

 突然横から声をかけられ、はっと驚く美琴。

 声の先に目をやると、それはベッド脇のパイプ椅子に腰かけている壮太だった。

 美琴の手を握り優しく笑いかけている姿を見て、彼女にも笑みがこぼれる。

「壮ちゃん……」

「おはよう。昨日のこと覚えてる?」

「えっと……。電話していて……倒れた?」

「そう。それで救急車を呼んで、うちの病院に運んでもらったんだ。でも無事でよかったよ。倒れたときに頭打ったりする場合もあるし」

「ありがとう。心配かけてごめん……」

「なにも謝ることないよ。あっ、どこか痛いところとか気になるところは無いかな? 看護師さん呼ばなくて平気かい?」

「うん。今は大丈夫……」

「そっか……」

 ここで美琴は、言葉に詰まる壮太に気づく。

 その表情を見て彼の想いを察した彼女は、先に口を開いた。


「……そうか。そうだな。病気のこと、ばれてしまったかな」

「美琴さん、知っていたのか……」

「実は他の病院で先に診察していたんだ。だから末期の癌であることは知っていた」

「……そうだったんだ」

「昨日の話というのは実はそのことでね。ごめん、先に言えなくて」

「謝るのは僕の方だ……。医者なのに一番大事な人の身体のこと全くわかってなかった! もっと早く気づいていれば……」

「いや、自分を責めないでくれ、壮ちゃん。私もほとんど自覚症状が無かったんだ。でも少し前の健康診断で引っかかってね。それで再検査してわかったことだ。だから仕方ない。そう、仕方なかったんだ……」

「美琴さん……」

「それで、話というのはもう一つあってね」

「うん。なんだい?」

「私と……」

「私と、なんだい?」

「……っ……わっ、私と……」

「どうしたんだい? なんでも言ってごらん」


「最後まで……。私と……最後の日まで一緒にいて欲しい……」


 美琴は言葉に詰まり、大粒の涙を流す。

 それは、いつも気丈に振舞う彼女が見せた初めての涙だった。

「壮ちゃん、ごめん……。ごめんよ」

「なんで、謝るんだ」

「この病気がわかったとき、最初は婚約破棄して別れてくれと頼むつもりだった……。でもやっぱり駄目だ。私はそんなに強くなかったよ。迷惑かけることになるけど、籍は入れなくてもいいから、最後の日まで一緒にいてくれないだろうか……」

 美琴はそう言った後、壮太が黙ったままうつむいていることに気づいた。

「やっぱり……駄目かな。ごめん、困らせてしまって――」

「なんで迷惑なんだ……」

「……え?」

「なんで、僕が迷惑だって思うんだ! 僕の気持ちを勝手に決めちゃ駄目だよ!」

「壮ちゃん……」


「結婚しよう。ずっと一緒にいるよ」


 美琴は両手で顔を覆い、声を出して大泣きするのだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 病室の外。その扉横には、泣きながら立つ恋花の姿があった。

 彼女は、突然病室から出てきた壮太に驚きながら声をかける。

「あ、天海先生!」

「あれ? 栗栖さん、こんなところでどうしたの?」

「あ、あの、ご挨拶で中に入ろうかと迷っていたら、お二人の話が聞こえてしまいまして……。立ち聞きするつもりはなかったんですが……」

「そうだったんだ。で……どうして君が泣いてるんだ?」

「す、すみません!」

 焦って服の袖でゴシゴシと涙を拭く恋花。


「ご結婚されるのですね……。なんと言えばよいのか」

「ははは。気にせず『おめでとう』でいいよ。気を使わせてすまないね」

「そんな……」

「でも、病院は今日で辞めようと思う」

「え?! 辞める?!」

「ああ、これからは一日でも多く彼女のそばにいたい。これから院長と話してくるよ」

「で、でもお辞めにならなくても!」

「いいんだ。この大学病院の勤務も、前からどうかと思っていたんだよ。毎日忙しくて多くの人を助けてはきたけど、結果大切な人を助けられなかった……。あ、ごめん。これからこの病院で頑張ろうとしている人に言うことじゃなかったね。あはは。今のは忘れて。それじゃあ、ちょっと行ってくるよ。今までありがとう」

「天海先生……。そんな……辞めないで……」


 恋花が絞り出すように口に出した思いは、壮太の耳には届かない。

 そして彼女は次の日、壮太と美琴が病院から姿を消したと知るのであった。

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