第3話 壮太と美琴
話は一年前に遡る。
日本のとある場所にある天河大学病院。
その第一手術室に『神の手』と呼ばれた天才医師の姿があった。
「いつ見ても見事な腕だ……」
モニター画面で見守る医師たちから感嘆の声が上がるほどのオペを、その執刀医は完了させた。しかしその評価とは反対に、彼は手を止めて不安そうに確認する。
「なにか気になるところは無いでしょうか……」
その問いに、いつもと変わらない答えを返す第一助手。
「い、いえ、なにも問題ありません。いつもながら見事なオペでした、天海先生」
天海先生と呼ばれたその執刀医は、続けて他の医師や看護師たちを見る。
そして他に返答がないのを確認してから、ようやくメスを置くのだった。
「皆さんお疲れ様でした。それでは、後はお任せします」
彼はそう言い残し手術室を後にする。
そして扉が閉まった瞬間に、その手術室の中は残された医師たちのため息で埋め尽くされるのであった。
「はぁ。今日も凄かったな。あの腫瘍をあの速さで切除し縫合するとは」
「素晴らしかったです。神の手とはよく言ったもので」
「それで、いつも最後に同じ質問されるんだよ」
「あぁ、あの『なにか気になるところは無いか』ですよね」
「そう。でも完璧過ぎてなにも指摘することが無いんだよなぁ」
「あれだけ完璧なのに慎重な性格なのでしょうね。天海先生は」
「あれでまだ四十歳っていうのだから末恐ろしいよ。あの天才外科医さんは……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お疲れ様です! 天海先生!」
声をかけられたその医師は眠そうにしながら、元気よく部屋に入ってきた白衣の女性に目をやった。そして、読みかけ書類を机の上に置いて笑顔を見せるのだった。
――彼の名は天海壮太(あまみそうた)。
医者の家系に生まれ育ち、五歳から医学書を読み始め四十歳にして『神の手』『天才』と呼ばれるほどになった外科医である。
天河大学病院で十年ほど勤務しているが、地位や才能をひけらかして偉ぶるわけでもなく誰にでも優しく腰が低い性格。その上、悪くない容姿もプラスされ、女性医師や看護師たちの多くから憧れられる存在であった――。
「ああ、君か。お疲れ様。今日もありがとう」
「先生もお疲れ様でしたぁ! それより先生、先ほどのオペ素晴らしかったです!」
「い、いやそんな大袈裟な。いつも通りだよ」
「本当に、本当に、本当です! 他のどの病院も治療を固辞した患者さんだったと聞いていたのですが、見事に成功されて……。先生と同じ病院で働けることを誇りに思います! いい勉強をさせていただき、ありがとうございます! 先生最高です!」
「あはは。ちょっと落ち着いてね……。いっぱい誉めてくれてありがとう。でも、僕なんてまだまだですよ。いつも不安でいっぱいだしね」
「その謙遜されるところが、また素晴らしいです!」
「は、恥ずかしいから、それくらいで、ね」
「あ、すみません! 大きな声で私ったら……」
――彼女の名は栗栖恋花(くりすれんか)。
まだ二十二歳と若く、ショートカットが似合う幼い顔立ちの医学部学生である。この病院内でも医師や患者から人気がある彼女であるが、壮太の熱狂的なファンであり、一日に何度も彼の部屋へ訪れているようだった――。
「それで、先生。今日はもう……帰られますかぁ?」
「うん。今日はこの後オペも会議も無いことだし、二日寝てないからもう帰るよ」
「そ、それなら……」
「うん? どうしたの?」
「そ、それなら一緒にお食事でもどうでしゅか!」
恋花は勇気を出し、緊張マックスで噛みながらお願いした。
「わ、私も今日はこれで終わりでして、こんな偶然なかなかありませんし! 先生からもっといろいろ学びたいです! 是非、お願いします!」
「い、今、二日寝てないって言ったばかりなんだけど」
「うっ! そ、そうでした。すみません、私ったら……」
「でも……勉強したいっていう学生さんは大歓迎だよ。少しだけなら付き合うよ」
「せ、先生! ありがとうございます! すぐ着替えますので待っていてください!」
慌ただしく出ていく恋花を見送る壮太。
彼はドアが閉まるのを確認した後、携帯を取り出しすぐに電話をかけ始める。
その画面の発信先には、『美琴さん』と表示されていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『パンッ!』と乾いた大きな音が体育館に鳴り響く。
それは、剣道着を来た屈強な男たちが汗だくで打ち合う竹刀の音だった。
そしてその体育館の中央には、仁王立ちする一人の女性の姿が。
彼女は長い黒髪を風になびかせながら、とても女性とは思えない鬼のような形相で凄み、手に持つ竹刀を何度も床に叩きつける。
「おい、そこ! 手を抜くんじゃない! 剣に気持ちが入っていない!」
「押忍!」
「お前! 前に出るのが遅いんだ! さっきも言っただろう! いい加減、学習しろ!」
「お、押忍!」
彼女に指導されているその男たちは、恐怖しながら必死に竹刀を振り続ける。
すると、彼女の元へ一人の男性が携帯電話を持ちながら駆け寄ってきた。
「桂木教官! お電話です!」
「うむ。ご苦労」
――彼女の名は桂木美琴(かつらぎみこと)。三十五歳、独身。
先祖代々剣道場を営む家に生まれ育った彼女は、幼い頃から剣道は当然のこと、合気道、空手、柔道、弓道などのあらゆる武術に精通し総取得段数は十段を超えることから、影では『武術の鬼』か『鬼教官』または略して『鬼』と呼ばれている。
そしてその実力が認められ、今は若くして警察学校の教官を務めているのだった。
ただ、鬼とは言われながらも容姿端麗、かなりの美女であり、警視庁内で彼女のファンはとても多いようだった――。
美琴は携帯電話を受け取ると、画面に表示される名前を見て顔が赤くなる。
そして慌てて生徒たちに背中を向けた後、手で口元を抑えながら小声で話し始めた。
「も、もしもし。壮ちゃんか?」
『うん。壮太です。今、電話しても大丈夫だった?』
「あ、ああ、全く問題ない! いつでも電話したらいいぞ。話すのは三日と五時間ぶりだが、どうした? 今日は大変な手術があると聞いていたが……」
『うん。さっき無事に終わったよ』
「そうか! それはよかった……。うん、よかった。お疲れ様」
『心配してくれてありがとう。それでね。今日の夜、僕に話があるって言ってたよね』
「そうだが、仕事が忙しいのか? 今日でなくても問題はないが……」
『いや、今日の夜は大丈夫だけど、同僚から食事に誘われてね。晩ごはん食べて帰るから、その後でもよかったかな? 本当にごめん』
「し、しかし長時間の手術をした後だというのに、体は大丈夫なのか?」
『うん、大丈夫だよ。ちょっとの時間だけだから』
「そうか。仕事の付き合いも大事だからな。私は構わないが、それで、あの……」
『え? なに?』
「で、相手は、男……なのか?」
『いや、女性だよ』
「んなっ!」
思わず大きな声を出してしまい、生徒たちに注目されていることに気づいた美琴は慌てて声を小さくする。
「ど、同僚の女性……」
『うん。同僚っていっても医学部の学生さんだけど。医者の卵だね』
「そ、その相手は……一人か?」
『え? 一人だよ。若いのに珍しく真面目で努力家の学生さんでね。いろいろ勉強のために聞きたいことがあるみたいでさ』
「若い女……。私より若い……。女学生……。ピチピチな……」
『え? なにか言った?』
「い、いや。そ、そうか、そうか。勉強か。なるほど、なるほど」
『ごめん、ちょっと、声が遠くて……』
「いったい、なにを教えるのか」
『あれ? そのぉ……もしかして怒ってます? えっとぉ……』
「怒ってない! 楽しく食事してこい! 家で待っているぞ!」
美琴はそう怒鳴りつけて電話を切り、電源も切ってしまう。そして振り向くと、そのツンデレぶりにたまらずニヤけている生徒たちの顔が目に入った。
「お、お前ら集中しろぉ!」
その言葉を聞いた生徒たちに『そっちだろ!』と内心突っ込まれる美琴であった。
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