敢行

『ごめん。今日も無理っぽい』


 とある放課後。スマホでそんなメッセージを確認した俺は、深呼吸をするように静かに息を吐き出した。


「発作の間隔が狭まってないか……?」


 藤野さんがダンジョンで倒れてから3か月。彼女の体調は明らかに悪くなっていた。学校の早退や欠席が増えたし、ダンジョン配信も不参加になることが多かった。


 彼女の症状は極端なもので、発作がなければ普段とまったく変わらないが、ひとたび発作が始まれば身動きが取れなくなるらしい。発作が起きたところを目の当たりにした俺としては、彼女が少しでも快復することを祈るばかりだ。


「あ、橋江」


 そんなことを考えていると、ふと呼びかけてくる声があった。菱田さんだ。


「ねえ、詩季から連絡あった? 3日くらい連絡がないんだけど」


「さっきあったよ。今日のダンジョン配信は無理だって」


「そっか……まだスマホを触れるならよかった」


 彼女は強張った表情を少しだけ弛める。菱田さんも詳しい病状を知っているため、俺たちはちょくちょく情報交換をするようになっていた。


「橋江さあ、ダンジョン産のポーションとか持ってないの? なんか最近有名じゃん」


「俺が潜ってるダンジョンはアイテムを持ち出せないタイプだからな。ダンジョン内なら使えるし効果もあるんだが……」


「『うぃずダン』のツテでも手に入らないの? 二人ともトップクラスのダンジョン配信者でしょ?」


「もっとガチの、大企業や政治家のほうに全部流れてる」


 そんな会話を交わしては、二人で溜息をつく。俺も藤野さんも、その道ではトップクラスの配信者として知られるようになったし、かなりの収入も得られている。だが、蓄えがあったとしても、治療法が見つかっていない病気では使いようがない。


「詩季のとこさ、お兄ちゃんの件があったじゃん?」


「うん。同じ症状だったんだろ?」


「だから詩季の親もかなりナーバスになってるっぽい。いろんな民間療法に手を出してるし、対処法がないのに入院させる話も出てるって」


「気持ちは分かるだけに、なんともやるせないな」


「ね。……橋江。詩季に優しくしてあげてよ?」


 そう言ってくる菱田さんの顔は真剣で、最悪の場合を想定していることが伝わってくる。


「なんだ突然。俺はいつも紳士的に接してるぞ」


 それを軽く茶化したのは、まだ最悪の事態を想定したくないからだ。だが、それを見越したかのように彼女は言葉を重ねる。


「紳士的、じゃ足りないから。アンタは詩季の相棒なんでしょ? しっかりしてよ……本当に」


 そう告げる声はかすれていて、彼女の心情を表していた。涙を流していないのは彼女のせめてもの意地なのだろう。


「ああ……そうだな。そうするよ」


 だから、俺も真面目に答える。だが……本心から答えたはずの自分の声は、どこか空虚なものに聞こえた。




 ◆◆◆




『会いたい』


 そんな簡潔なメッセージが届いたのは、彼女が初めて倒れてから半年後のことだった。


『今すぐ出る。どこで待ち合わせる?』


 ちょうど高校から帰ってきていた俺は、即座にメッセージを返す。ずっと握りしめていたスマホは、1分ほどでリアクションを返してくれた。


『あたしの家でいい? 今誰もいないから』


 そのメッセージを見た瞬間に俺は立ち上がっていた。かつて彼女の家を訪問した記憶はしっかり残っている。迷うことなく辿り着ける自信はあった。


「急ごう」


 少しでも辿り着く時間を早めるために、自転車を使って最寄りの駅へ向かい、彼女の自宅がある駅に辿り着く。そこからの道順は少し怪しかったが、無事見覚えのある住宅に辿り着くことができた。


『着いた』


 メッセージを送って、じっと家の前で待つ。今になって『誰も家族がいない時』に『女の子の部屋に上がる』というシチュエーションだと気付くが、邪念すら湧いてこない。ひたすら彼女が心配だった。


「……お待たせ」


 やがて、藤野さんが玄関のドアを開けてくれる。半月ぶりに見た顔は思ったほどやつれていなかったが、ぱっと見でも分かるほどに生気がない。……いや、よく見るとお化粧で顔色をごまかしているように――。


「ちょっと、こんなやつれた顔をガン見しないでよ。恥ずかしいじゃん」


 そんな思考がバレたのか、藤野さんから抗議の声が上がる。バレないように見ていたつもりだったが、お見通しということか。


「ごめん。心配でつい」


「もー、そう言われたら怒れないじゃん」


 そんなやり取りをしながら、案内されるまま彼女の部屋に上がる。そしてその間に、俺は彼女がダンジョンマスターで間違いないこと、それに関する様々な取り組みをしていたことを思い出していた。


「藤野さん、具合はどう?」


 だが、その話は後だ。とにかく彼女の病状が一番気にかかる。


「大丈夫。今日はマシなほうだから」


 問いかけに彼女は弱々しく微笑みを返してくる。マシな日ですらこんなに辛そうなら、ひどい日はどれほど苦しいのか。


「ホントだよ? ほら、ずっと頭痛がひどかったじゃん? ちょっと前からアレがなくなったんだよね」


「そうなのか。よかったじゃないか」


 予想外の朗報に喜ぶ。だが、それは悲報の前段階に過ぎなかった。


「ただ、これ末期症状でさ……あとと思う」


「え――」


 心臓を鷲掴みにされたような衝撃に襲われ、頭の中が真っ白になる。――あと一週間は生きられない。その言葉だけがグルグルと脳内を回り続ける。


「ごめんね、いきなり。ホントはもっと前に伝えたかったんだけど、何かと親が厳しくて」


 そんな俺に、藤野さんは静かな声で告げる。


「あたしを一歩も家から出さない気迫でさ。ダンジョンへ行きたいって言ったら猛反対された」


「まあ、その気持ちも分かる気はする」


 俺が藤野さんの親なら、間違いなく同じことを言っただろう。


「だから、今日が最後のチャンスなんだよね。うちの親は、あたしがまだ末期症状まで進行してると思ってないから」


「それって――」


 言いかけた俺の言葉を遮って、彼女は言葉を続ける。


「どうしても、ジュンとあのダンジョンに行きたかったから。目標は達成できてないかもだけど、ここまでやったんだ、って見届けたい」


 そう告げる彼女の瞳には決意が宿っていた。それなら、俺が迷う必要なんてない。


「分かった。今からダンジョンへ行こう。ソウさんたちにも連絡しておく」


「うん……ありがとう」


 すでにダンジョンへ行く準備をしていたようで、藤野さんの身支度は早かった。俺は家の前にタクシーを呼ぶと、彼女を連れて座席へ乗り込む。


「――三影駅までお願いします」


「あいよ」


 俺たちを乗せたタクシーが動き出す。やはり身体が辛いのだろう。藤野さんは俺にぴったりくっつくように座ると、頭を俺の肩にもたれかけさせていた。


「いつも電車なのに贅沢しちゃったね」


「健康第一だ。お金は必要な時に使わなきゃな」


「ふふ、なんかオジさんみたい」


「おじさんは酷くないか!?」


 彼女の頭の重みを感じながら、いつもの会話を演じる。心の中がどれだけ焦燥感に駆られていようと、それを表に出すわけにはいかなかった。


「――あ、この辺りで停めてください」


 懐かしさすら感じるやり取りをしているうちに、タクシーは三影ダンジョンの近くまで来ていた。車ではこれ以上先に進めないため、俺はタクシーを停めてもらう。


「藤野さん、大丈夫? 歩けそう?」


 タクシーから降りた藤野さんは、電柱に手をかけてうずくまっていた。頭痛は治まったと言っていたが、彼女の身体は余命いくばくもない状態だ。衰弱しきっているはずだった。


「おんぶとお姫様抱っこ、どっちがいい?」


「え? い、いいよ。その……あたし意外と重いかもだし」


 俺が選択を迫ると、彼女は慌てたように首を横に振った。


「おんぶとお姫様抱っこ、どっちがいい?」


「……おんぶ」


 一言一句同じ言葉を繰り返したことで、俺が譲らないと悟ったのだろう。藤野さんは照れながらもおんぶを選択する。そうして背負った彼女の身体は、驚くほど軽く、そして細かった。


「動いても大丈夫か?」


「うん。本当はお姫様抱っこも興味あるけど……これならあたしが足をくじいたと思われるだけでしょ」


「お姫様抱っこに変えようか?」


「いいって! 恥ずかしすぎて死にそう」


 道行く人々に奇異な視線を向けられながら、歩き慣れたダンジョンへの道を歩く。彼女とこの道を通るのはこれが最後かもしれない。そんな考えが脳裏をよぎるたびに、俺は必死で思考を散らしていた。


「そう言えばさ。後であたしの親に怒られるかもだけど、ごめんね」


「重病の娘をよくもダンジョンに連れていったなって? ま、事実だしな。その時は潔く怒られるさ」


「あはは、頼りになるぅ。……ジュン、ありがとね」


 そう言って、藤野さんは顔を俺の背中に埋める。その仕草はまるで甘えるようだった。


「あ、見えてきたぞ」


「うん。あたしたちのマイダンジョンだね」


「マイホームかよ」


 虹色に輝く入口を見つけて、俺は少しほっとした。ダンジョンに入ってしまえば俺たちにはエリクサーがある。今より悪くなることはないはずだ。


 平日の夕方だというのに、人の出はかなりのものだった。俺たちと同じように放課後帰りに立ち寄った高校生も多いのだろう。それが俺たちの活動の成果だと思えば、悪くない眺めだった。


「それじゃ、入ろうか」


 しばらくして。ダンジョンの入口の前に立った俺は、背中の藤野さんに声をかける。やがて返ってきた声は、懐かしそうな響きを帯びていた。


「うん。――ただいま」




 ◆◆◆




「エリクサーが効いてよかったな……」


「ほんとほんと。ダンジョン内はあたしを知ってる人も多いし、さすがにおんぶは恥ずかしいよね」


「まあ、今も大差はないけどな……」


 そう言いながら、俺は左腕にしがみついている藤野さんに視線を向ける。エリクサーのおかげでなんとか歩けるようになったものの、支えなしで歩くことは難しい。それが今の彼女の状態だった。


「ちょっと、なによー。三影ダンジョンのアイドル、リリックちゃんと腕を組むのが恥ずかしいってこと?」


「まさか。光栄です」


 わざとらしく頬を膨らませる彼女に、わざとらしく軽口を返す。そんなこんなを繰り返すうちに、俺たちは第1層から第11層へと転移していた。


「コアルームは11層の奥でいいんだな?」


「うん。1層の奥からでも行けるけど、あそこは人が多すぎるから」


 俺の確認に彼女は軽く頷く。現時点でダンジョンにどれだけのエネルギーが溜まっているのか。その詳細はコアルームでしか把握できないらしい。


「ダンジョンマスターなんだからさ、ワープとかできないのか?」


 藤野さんの体力消耗を少しでも減らしたい一心で尋ねるが、返ってきたのは否定の言葉だった。


「できるけど……ごめん。あたし一人じゃ耐えられない」


「謝ることじゃないさ。……俺も見届けたいしな」


 その言葉で、彼女がかなりの無理をしていることを悟る。追加のエリクサーを取り出しながら、俺は何度目かの提案を口にした。


「やっぱり、もう一度背負うよ。人目も少なくなってきたし」


「うーん……」


 と、藤野さんがなんらかの葛藤をしている時だった。さぁっ、と俺たちの視界が開ける。


「……ああ。そう言えばここって」


「うん。一番のお気に入りスポット。……やっぱ綺麗だね」


 満開の桜並木を前にして、彼女は穏やかに微笑む。


「実は6層とか16層でもコアルームに行けたんだけど、どうせならここを通りたかったんだよね」


「そっか。たしかに綺麗だよな」


「……あたしさ。どうせなら、この桜を思い出しながらがいいな」


 彼女は桜を見上げてぽつりと告げる。なんの時に、とは言わなかったが、その意味は嫌でも伝わってきた。


「もう一回くらい、みんなで花見をしておけばよかったな」


「あはは、そうだね。……でも、こういうのもアリかな」


 寄りかかる藤野さんを支えて、桜並木をゆっくり通り抜けていく。ここはモンスターが出現しない仕様のため、必要以上に気を張らずに進むことができた。


 そうして桜並木を抜けると、そこは一般的なフィールドだった。モンスターが寄ってこないように【魔物避けの香】を使うと、再び彼女の案内に従って道を進む。


「――あ。ほら、あそこに高い木があるでしょ? あの木の洞がゴールだよ」


 言われるままに前を見れば、たしかに目立つ大樹が生えていた。距離にして数百メートルといったところか。俺は彼女を支え直すと、最後の道程を進もうとして――。


「っ!?」


 飛来した何かを、反射的に弾く。一撃で籠手が破損したところを見るとかなりの威力だったのだろう。だが、一番の問題はそこではない。

 


「これは――」


 叩き落としたものに目を向けると、そこにあったものは質の高そうな短剣だった。少なくとも、この第11層に存在するモンスターのものではない。


「何のつもりだ!」


 だから、俺は短剣が飛来した方向に向けて怒鳴る。こんなことをするのは同じ探索者しかいない。


「――いい反応速度です」


 やがて。身を潜めても無駄だと考えたのか、木の陰から一人の男が姿を見せた。腰に2本の剣を提げた細身のシルエットは、それだけで男の正体に思い至らせる。


「エグゼ……お前か」


『摩天楼』のリーダーにして、天原ダンジョンの『協力者』。トップクラスの実力を持つダンジョン配信者が俺の前に立ちはだかっていた。


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