ダンジョンマスターⅡ

 突然この場に現れた、ダンジョンマスターを名乗る少年。彼の登場によって、この場は大混乱に陥っていた。


「ダンジョンマスターやて!?」


「そんな馬鹿な……ダンジョンマスターが正体を明かせるのは『協力者』だけじゃないのか!?」


 特に動揺が激しかったのは、栗下さんとワルドナさんの二人だった。彼らは幽霊でも見るような目で目の前の少年を見つめている。


「あはは、そんなのダンジョンによって違うに決まってるじゃん。それよりさ、面白そうな話をしてたね」


 そんな視線を気にした様子もなく、少年は顔を引きつらせている栗下さんに話しかける。


「栗下さんだっけ? 天原ダンジョンが目標達成まであと一年を切ってるって本当?」


「……ああ。ほぼ間違いない」


 今も呆気にとられた様子の栗下さんだったが、しっかり言葉は返してくる。その答えを聞いて、少年は何事かを考えているようだった。


「ねえ、一つ相談したいことがあるんだ。天原ダンジョン融合の『時間稼ぎ』に役立つ話だよ」


 作り物めいた微笑みを浮かべて、そう提案する少年はあまりに怪しげだった。だが、それがかえって『ダンジョンマスターらしさ』を感じさせるのも事実だ。


「何かな?」


 栗下さんの表情が引き締まった。本当に彼がダンジョンマスターであれば、無碍にするわけにはいかないからだろう。


「自衛隊や警察の人たちの訓練場に、この三影ダンジョンを使ってもらいたいんだ」


「その理由は教えてもらえるのかい?」


「独立型ダンジョンの主な糧は人間の感情エネルギーだからね。たくさんの人が毎日訓練場を利用したら、それだけでかなりのエネルギー供給が見込める」


 彼の鋭い視線を受け流して、少年はあっさり答える。その説明で栗下さんの顔色が変わった。


「……このダンジョンの目標達成に加担しろというのか」


「うん。悪い話じゃないでしょ? その代わり、天原ダンジョンの融合を遅らせることはできる」


「それはどういう意味で――まさか」


 思索に沈んでいた栗下さんは、何かに気付いたようだった。その反応に少年はにんまり笑う。


「そう。『ダンジョンの一番乗り』ってやつさ」


「あの情報は本物だったのか……!?」


 心当たることがあったようで、彼は呻くように呟く。


「うん。『最初に目標を達成したダンジョンだけは、少ない目標エネルギーで世界を創造できる』というやつさ」


「なんやて――」


 その言葉に、今まで黙っていたワルドナさんが驚きを見せる。だが、その事実は俺も知っていた。

 かつてエグゼさんが告げた『このダンジョンは邪魔になると思った』という発言が引っ掛かって、藤野さんに確認したからだ。三影ダンジョンの存在が、なぜ天原ダンジョンの邪魔になるのか。その答えがこれだった。


 正確には『その世界で初めて目標を達成したダンジョンは、これまで世界が溜めていたエネルギーを利用できるため、必要エネルギーが小さくて済む』というものらしいが……正直、完全には理解できていない。


「つまり……逆に言えば、この三影ダンジョンが目標を達成してしまえば、その時点で天原ダンジョンの必要エネルギーは跳ね上がるし融合度も下がる。結果として時間も稼げる。そういう理解でいいかい?」


 栗下さんがそうまとめると、少年は満足そうに頷いた。


「うん。そうだよ」


「なるほど……たしかに一理あるねえ。独立型なら目的を達成しても現実に影響はないか」


 栗下さんは納得した様子だった。そして、わざとらしい猫なで声を出す。


「ところでキミ……このまま事務所に同行願って、ダンジョンやダンジョンマスターについての情報を教えてもらえないかな?」


「やだよ。どうせ捕まえる気なんでしょ」


「いやいや、そんなことはしないよ。ほら、お菓子だって用意するからさ」


「おじさん……いまどき、小学生だってお菓子で釣られたりしないよ?」


「そ、そうか……」


 栗下さんはがっくりと項垂れる。ちょっと本気でしょんぼりしている気もするな。


「ところで、さっきの自衛隊とかの話だけどさ。できそう? 要望に応じてフロアの法則や探索者のステータス変更もできるから、他ダンジョンへ潜る練習にも使えるよ?」


 少年が話を本題に戻すと、栗下さんは渋い表情を浮かべる。


「それは興味深いが……防衛省や警察本部と渡りをつけるのはちょっと厳しいかもねえ」


「それは残念だな。このダンジョンが目標を達成すれば僕は嬉しいし、天原ダンジョンの融合度が下がって君も嬉しい。そう思ったんだけど」


 それじゃ、と少年は自分の真横に転移用の空間を生み出す。その様子を見て慌てたのは栗下さんだ。


「――ちょいと待ってくれ! 頑張る! 頑張ってみるからさ!」


 ダンジョンマスターと交渉する機会を逃したくなかったのだろう。彼は気の毒なほど必死な形相を浮かべていた。


「要は一定の人数を毎日動員すればいいんだろう? たとえば事務仕事をダンジョンに持ち込むのはアリか?」


「感情の振れ幅が小さい作業は歓迎できないよ。喧々諤々の会議やクレーマーとの戦いならアリだけど」


「小さいワリによう分かっとんな……」


 少年の言葉にワルドナさんが感心した声を上げる。もともと中立サイドに近いからか、彼は栗下さんより落ち着いているようだった。


「近々、そのためにC層を造る予定なんだ。訓練場になるだだっ広い草原フロアを考えていたけど、事務に仕える現代的な建物がいいなら用意するよ」


「え? それは助かるが……」


 栗下さんは狐につままれたような顔で答えるが、少年はそれだけでは終わらなかった。


「あと、僕のことを疑ってる気がするから、ダンジョンマスターとしての証拠を見せておくね」


「証拠?」


「うん。今からダンジョンの入口を広くするよ。前にも広げたんだけど、それでも手狭になったから」


「な――」


 栗下さんはびっくりした顔のまま、スマホを操作して耳に当てる。どうやら部下か誰かに連絡を取っているようだった。


「俺だ。今どこにいる? よし、すぐ入口まで来てくれ。今から三影ダンジョンの入口が拡張されるらしいから、それを見届けてくれ。……え? 説明は後だ」


 そんなやり取りを聞いてから5分後。栗下さんの部下らしき人が入口に到着したところで、検証は開始された。


「いいんだね? それじゃ、やるよ」


 少年は目を閉じて何かに意識を集中しているようだった。その直後、栗下さんのスマホから電話の着信音が鳴り響く。


「俺だ。どうだった? ……そうか。マジかぁ」


 彼は通話を終えると、神妙な面持ちで少年を見つめる。その結果は聞くまでもなく明らかだった。


「たった今、入口が拡張されたことを確認した。君がダンジョンマスターだと認めるよ」


「それはよかった」


 そんな言葉に対して、少年は悠然と答える。何も言わないものの、当たり前だと言わんばかりの風情で微笑む様子はダンジョンマスターに相応しいものだった。


「ところで……せっかくだし、ダンジョンの仕組みを色々教えてもらえないかなぁ? あ、もちろんこの場所でいいからさ」


 そして、栗下さんもただでは転ばないようだった。まるで食いつかんばかりの様子に、少年はぷっと噴き出した。


「うん。いいよ」


「本当かい!? 助かるよ」


 そこからは、栗下さんによるダンジョンマスターへの質問会のようだった。たまにワルドナさんも混ざりつつ、ダンジョンの情報が無数に飛び交う。俺と藤野さんはそれをぼーっと眺めているだけだ。


「――ふう。僕が話せるのはこんなものかな」


 そうしてどれほど経っただろうか。ようやく質問や交渉を終えたようで、少年は意味ありげな笑顔を俺たちに向けた。


「それじゃ、期待してるよ。お互いのためにね」


 そう言い残すと、少年は再びぐにゃりとした空間に飲み込まれて姿を消す。そんな様子を、俺たちは呆気に取られて見送るのだった。




 ◆◆◆




「今日はありがとうねえ。なんというか……ハハ、とんでもない経験だった」


「ほんまに。まあ、さっきの話をどこまで鵜吞みにしてええか微妙やけど」


「鵜呑みにはしないが、余所のダンジョンの情報と突合すればウラは取れるさ。当てもなく推理するよりずっと建設的だ。……突合だけでどれだけかかるかねぇ」


 ダンジョンマスターを名乗る少年と邂逅した二人は、情報量の多さにクラクラしているようだった。


「あの……さっきのダンジョンマスターの話って、人に話してもいいんでしょうか?」


 栗下さんにそう問いかけると、彼は困ったように頭を掻いた。


「うーん……黙っててもらいたいなぁ。さっきの、このダンジョンに人を派遣するって話なんだけどね。ダンジョンマスターとの取引だというと、根回しに支障が出かねない」


「それに、ダンジョンマスターと会ったなんて知られたら、二人とも何が起きるか分からへんで。気い付けたほうがええわ」


 栗下さんに続いてワルドナさんが口を開く。だが、その忠告とは裏腹に、彼はとても上機嫌に見えた。


「けど、今日は大収穫やったで。迂闊に口外できへんのは残念やけど、ダンジョンに対する解像度が跳ね上がったわ」


「素直に喜べるワルドナさんが羨ましいねえ……こっちは宿題が山積みだ。君たちのことだって、存在を伏せて、直接ダンジョンマスターと会ったことにするよう求められているし辻褄合わせが大変だ」


 その一方で、栗下さんの顔は引き攣ったままだった。得られた情報は多いはずだが、同時に困難な課題を出されたのだ。それも当然だろう。


「それは……頑張ってください、としか」


「けど、どっちも得する話でしょ? なんとかする方法が見つかっただけよくない?」


 藤野さんがそう言うと、栗下さんはぶはっと笑い出した。


「ま、その通りだな。ここへ来るまでの手詰まり感に比べりゃ、やることが見えてる分ずっとマシか」


 そう告げる彼は、少しさっぱりした顔をしていた。何かしらの踏ん切りがついたのだろう。


「そんじゃま、お暇するとしますか」


 そう挨拶をして、彼はこの場から去っていく。その姿にこっそりエールを送っていると、今度はワルドナさんが口を開いた。


「同じく、今日のところは退散しますわ。なんかあったら、いつでも連絡ちょうだいや」


 ヒラヒラと手を振って、ワルドナさんもまた背中を向ける。二人が会議室から出て行ったことを確認すると、俺と藤野さんはぐったりと椅子に座り込んだ。


「つっかれたー……」


「お疲れさま。名演技だった」


「あはは、練習はしてたけど難しいもんだねー。のって」


 彼女は机に身を投げ出したまま、大きく伸びをした。……そう。あの少年はダンジョンマスターでもなんでもない。本物のダンジョンマスターである藤野さんが操るNPCのようなものだった。


 今回のような踏み込んだ話をすればダンジョンマスターと疑われるのは間違いなかったため、こうして一芝居を打った格好だ。危ない橋を渡った自覚はあるが、今のダンジョンの成長ペースでは、どのみち藤野さんの余命には間に合わない。


「さすがに、操作中はあたし自身の口数が減っちゃった。怪しまれてないかな」


「それは大丈夫だろう。そのために俺がメインで喋ったわけだしさ。それより、だいぶ色んな情報を明かしてたけどよかったのか?」


「うん。基本的な内容ばっかだし、言いたくないことは話さなかったから」


「それならよかった」


 そう答えてから、俺は今後の展開を頭に描く。


「あの感じだと、C層は政府関係者が埋めてくれそうだな。駄目だった時のプランは一応考えてるが、ちょっと動きが読めないから」


「カジノやキャバクラ、ホストクラブなんかを作るやつ? まあ、毛色は違うよね」


「NPCや人型モンスターがどの程度接客できるか未知数だからなぁ。どちらに転んでも入口は従来の分と別の場所に作るべきだろうけど」


 俺は頭を悩ませる。これまでとは異なる客層を狙ったのだが、俺はただの高校生でしかない。どうにも具体的なイメージを持つことができていなかったのだ。


「でもさ、ジュンがそーゆーのを言い出すのは意外だった」


「え?」


 聞き返すと、藤野さんは言いにくいのか視線を逸らす。


「だからさ、ほら……キャバクラとか。やっぱサキュバスのお店とか男の子は嬉しいの?」


「そのあたりは……人によるとしか言えないな」


 俺も視線を逸らして答える。だが、一度口に出したことで慣れたのか、彼女はからかうような笑顔を見せた。


「それじゃジュンは? もしお店ができたら行きたい?」


「ダンジョン内だとしても、そんな所に行く度胸はない。陰キャを舐めるなよ」


「えー、本当にぃ? 最近のジュンってあんまり陰キャっぽくないじゃん。普通に初対面の人とも話すし」


「それは『うぃずダンジョン』が有名になって、そういう機会に慣れただけだ。本質は相変わらずだからな」


「とか言って、あたしに隠れてお店に通ってたりして」


 そう言いながらも、彼女はどこかほっとした様子だった。さすがに相棒がサキュバスの店の常連だと嫌だろうからな。


「藤野さんこそ、美形のNPCに囲まれるのはどうなんだ? 楽しい?」


 そう尋ねると、彼女はしばらく中空を見つめて考え込んだ。


「そもそも、あたしが設定したNPCやモンスターが相手なんでしょ? なんだか動作チェックをしてる気分になりそう」


「たしかにな」


 彼女の回答に思わず笑い声がもれる。


「でもまあ、そっち系はリアルの警察や怖い人たちが動き出しそうだからなぁ。リスクが大きいとは思う」


 それが俺の結論だった。そういう意味でも、栗下さんが平和裏に人を集めてくれることを期待したいところだ。今日は色々と疲れたが、それに見合った成果を得られた気がする。


「藤野さん。そろそろ戻ろうか」


 俺は椅子から立ち上がって彼女を促す。俺が先に動かなければ、藤野さんはずっとごろごろしているかもしれない。そんな失礼なことを考えながら、また机に突っ伏している藤野さんの後頭部を眺めて――。


「……藤野さん?」


 だが、俺は気付いた。彼女は机に突っ伏しているのではない。両手で頭を抱えて荒い息を吐く姿は、苦痛に耐えているようにしか見えなかった。




 ――あたしさ、あと一年くらいで死んじゃうんだよね。




「まさか……!?」


 いつかの言葉がフラッシュバックする。心臓がドクリと跳ねて、早鐘のような鼓動を打ち始めた。


「ジュン、ごめ――」


 なんとか姿勢を起こした藤野さんが口を開く。だが、その表情は傍から見ても分かるほど悪いものだった。


「今は話さなくていいから。それより、これ飲めるか?」


 俺が差し出したのは、いざという時に取っておいた最上級のポーション【エリクサー】だった。気付いた藤野さんが何かを言いかけたが、俺は勝手に瓶の蓋を開ける。


「もう開けちゃったからさ。飲んでくれないと俺が困る」


 そう言って瓶を彼女の口に押し当てる。さすがに断れなかったのか、藤野さんは少しずつエリクサーを飲み始めた。


「……よかった」


 彼女の表情が少しマシになったことで、俺はほっと一息ついた。まだふらついているようだが、さっきのようにうずくまって歩けないということはないだろう。


「今のうちにダンジョンを出よう。ソウさんに頼んで救急車も呼んでもらっておく」


 そう提案したのは、エリクサーの効果がダンジョン内限定だからだ。ダンジョンを出た瞬間、彼女がまた苦痛に苛まれるのは明らかだった。


「さ、行こう。歩けないようなら肩を貸す」


「じゃあ……甘えちゃおうかな」


 まだフラフラとしている藤野さんは、俺の腕を掴んでようやく立ち上がった。その腕からは彼女の震えが伝わってきて、やるせない気持ちが湧き上がってくる。


「こんなとこ見られたら……またカップル疑惑が出ちゃうね」


 それでも言葉を絞り出すのは、彼女なりに意識を保とうとしているのだろうか。どう見ても介助しているようにしか見えないはずだが、俺はあえて軽口に付き合う。


「その時は釈明動画をアップするさ」


「えー……余計に炎上させたりしない?」


「これまでに何度釈明してきたと思うんだ。まだまだ釈明ネタはあるぞ」


「釈明ネタって……ふふっ、変なの」


 意識が朦朧としている藤野さんを連れて、俺はなんとかダンジョンの入口へ向かった。集まる視線なんてどうでもいい。ただ彼女を安静に移動させることに意識を集中させる。




 彼女が救急車で運ばれていったのは、その15分後のことだった。


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