訪問
放課後。だいぶ人が減った教室で、俺はぼんやりと呆けていた。その視線の先にあるのは藤野さんの机だ。
「今日も休みだったな……」
『摩天楼のリーダー』エグゼさんと遭遇した日を境に、藤野さんと連絡が取れなくなった。
あの日、藤野さんは俺の前から逃げるように走り去り……それ以来、一度も会えないまま一週間が過ぎていた。
高校にも来ていないし、既読もつかなければ電話も出ない。ソウさんやマナさんも心配していたが、やはり連絡が取れないらしい。教師に聞くと「体調不良だ」という答えが返ってきたが、どうにもピンと来なかった。
「
一人で首を傾げる。あの日にあった出来事と言えば、『摩天楼』のエグゼさんと知り合ったことぐらいだが……それも
「――橋江」
そんなことを考えていると、誰かに呼びかけられる。声のしたほうに顔を向けると、そこには藤野さんの友達である菱田さんと上野さんが立っていた。
「あんたさ、詩季と喧嘩した?」
そして、突然二人に詰問される。彼女たちも藤野さんの欠席を不審に思っているようだった。喧嘩腰ではないが、どことなく圧を感じる。
「それはないはずだが、まったく連絡が取れない。知らない間に怒らせた……のか?」
「いや、ウチらに聞かれても困るんだけど」
「それはそうだ」
菱田さんの言葉に納得する。知らないからこそ聞いてきたのだろうし。
「でもさ。詩季とやり取りしてたら、橋江の話題だけ反応がビミョーなんだよね」
「そうそう。これまでも橋江の話題はよく出てたけど、最近はリプが遅かったり、逆に早すぎたり不自然なんだよね。あと、すぐに話題を変えようとするし」
「そ、そうか……」
心にズシンと重みがかかる。本当に怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。だが、いくら記憶を検索しても思い浮かばない。ただ……何かがずっとモヤモヤしている。そんな感覚はあった。
「昨日も『うぃずダン』の話をふったら静かになっちゃった」
「あんなに楽しそうだったのに、何があったんだろうね?」
お前には心当たりがあるだろう。そう言わんばかりの視線が俺を射抜く。だが、俺は別のことに意識が向いていた。
「昨日って……最近も藤野さんと連絡が取れてるのか?」
「は? そこから?」
菱田さんは呆れたような目でこっちを見るが、俺はほっと胸をなでおろした。
「そうか……無事でよかった」
誰にも連絡が取れないほど重い病気なのか。そんな不安が解消されたことは嬉しい話だった。藤野さんが重病で寝込んでいるところなんて考えたくもない。
「……理華、どう思う?」
「大丈夫じゃね? 痴話喧嘩なんて犬も食わないし」
と、そんな俺を見つめていた二人は、よく分からない会話を交わしていた。その反応に戸惑っていると、菱田さんは俺の肩をバンと叩く。
「橋江、詩季の家知ってるんでしょ?」
「え? そうだな……家の前までは行ったことがある」
質問に戸惑いながら答える。藤野さんが配信に使う道具を忘れた時に、一緒に取りに戻ったことがあるからだ。
「よし。じゃあ、仕方ないから一肌脱いであげる」
「どういうことだ?」
言葉の意味が分からず問いかけると、答えは上野さんから返ってきた。
「詩季に会わせたげるよ。――ストーカーとして通報される覚悟はできた?」
◆◆◆
藤野さんの家は、最初に俺が想像していたよりも普通の住宅だ。二階建ての一軒家はちょっと広めだが、別に豪邸というわけでもない。そんな家の近くで、俺はじっと彼女を待っていた。
――いい? 詩季を近くのコンビニに呼び出すからさ。その帰りを捕まえて、ちゃんと話をすること。分かった?
菱田さんの声が頭に蘇る。俺が正面から訪ねても藤野さんは顔を出さないだろう。そう考えた彼女の作戦だ。二人が藤野さんを裏切ることにならないかと尋ねたのだが、彼女たちは肩をすくめるばかりだった。
「なんにせよ、助かったことは事実だしな」
もし俺がダメな奴なら、こじれて傷害沙汰を起こすかもしれない。そんな可能性もあるだろうに、俺に協力してくれた彼女たちには感謝しているし、それだけの信頼をしてくれていることも嬉しかった。……まあ、物陰から様子を窺っていそうな気もするけど。
と、そんなことを考えていた時だった。
「あれ? ジュ……ン?」
「藤野さん?」
一週間ぶりに会った藤野さんは、信じられないものを見たように固まって――。
その時だった。パキリ、という不思議な音とともに、頭の中で何かが噛み合う。
そして同時に、あの日の記憶が閃光のように蘇った。そうだ。どうしてこんなに重要なことを忘れていたのか。
藤野さんは、ダンジョンマスターとしての使命を果たすと――この世界から消える。
「そうか……藤野さんが傍にいるから思い出せたのか」
仕方のないこととはいえ、のんきに忘れていた自分に怒りすら覚える。彼女が連絡を取らなくなった理由なんて、悩むまでもないことだったのだ。
「どうして……?」
その一方で、藤野さんの顔面は蒼白だった。彼女はぽつりと呟くと――走って家へ逃げ込もうとする。
「待ってくれ!」
俺はとっさに藤野さんの腕を掴んだ。彼女は俺の手を振りほどこうとするが、今回ばかりは譲るわけにはいかなかった。
「離して!」
「ちゃんと話をしてくれるなら、すぐに手を離す」
「……っ」
そうして、しばらく揉めていた時だった。ふと俺の背後から声が聞こえた。
「詩季ちゃん、大丈夫!? 警察呼ぼうか?」
ちらりと視線を向ければ、そこには40歳前後の女性が立っていた。その表情は強張っていて、俺をなんらかの犯罪者だと思っていることは明らかだった。
「あ、池田のおばちゃん……」
藤野さんの口から言葉がもれる。ひょっとして母親かと思ったが、近所の顔見知りのようだ。
「大丈夫。日本の警察はすぐ来てくれるから」
まるで俺に聞かせるように、彼女は大きな声で説明しながらスマホを取り出す。ブラフで撃退できれば儲けものだと考えたのだろう。だが、俺が引き下がらなければ、本当に通報されるのは間違いない。
「――ううん、大丈夫。ちょっと配信のことで揉めただけだから」
と。俺の窮地を救ってくれたのは藤野さんだった。その説明を聞いて、『池田のおばちゃん』はきょとんとした様子で俺を見つめる。
「あ、たしかに顔に見覚えがあるわ。詩季ちゃんと配信してる男の子じゃない」
すると、彼女は納得したように口を開いた。どうやら『うぃずダンジョン』の配信を見たことがあるらしい。
「うん。だから大丈夫だって」
「本当に? 無理やり何かされそうな感じだったけど」
彼女は疑わしげな視線を俺に向けた。睨み返すわけにもいかず、俺は軽く会釈を返すのが精一杯だ。
「あたしがちょっと意地張っただけ。でも、心配してくれてありがとう。あたしを助けようとしてくれたの、格好よかったよ」
「そう言われると、これ以上何も言えないわねぇ」
そんなやり取りを経て、彼女はスマホから手を離した。とりあえずすぐに通報されることはなさそうだ。そう安心していたら、おばさんは俺をまっすぐ見つめてくる。
「いい? 詩季ちゃんが嫌がることは絶対にしちゃ駄目よ?」
そして、真剣な顔で忠告してくる。どうやら本当に藤野さんのことを心配しているようだった。いい人だな。
「分かりました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
敬意を込めて丁寧に頭を下げると、彼女はニコリと微笑んだ。
「分かってくれればいいのよ。私も早とちりしちゃったわ。ごめんなさいね」
そう言ってから、おばさんはさっきとは違う眼差しで俺を眺めていた。どちらかと言えば、それは楽しそうな顔で――。
「詩季ちゃんの配信を見て気になっていたんだけど、二人はお付き合いしてるの?」
「え?」
突然の質問に面食らっていると、隣の藤野さんが上ずった声を上げた。
「ちょっと、変なこと言わないでよ。――ほら、行くよ!」
そして、俺を半ば引きずるように家に入っていく。そうして、俺たちは彼女の家の玄関に立っていた。
「え? あれ?」
バタン、と音を立てて閉まった扉の音で、俺は我に返った。
「……通報から庇ってくれてありがとう」
「別に。ジュンは悪くないから」
ぼそりと答えて、藤野さんは靴を脱いだ。彼女は玄関に続く廊下を数歩歩いてから、不思議そうにこっちを振り返る。
「来ないの?」
「家に上がっていいのか?」
「ここまで来て追い出したりしないって。あたし病気ってことになってるから、外で話すわけにもいかないし」
そう告げる彼女を信じて、俺は藤野さんの家に上がった。彼女に先導されるまま階段を上がると、二つある部屋のうちの一つに案内される。
「ええと……お邪魔します」
「あはは、緊張しすぎ。何も取って食われるワケじゃないんだからさ」
藤野さんはおかしそうに笑う。人生で初めて女の子の部屋に入った身としては、緊張しないはずがない。あと、取って食われるのは――いや、なんでもない。
「……はい。ジュンはこれ」
いつの間に準備したのか、藤野さんは小さな丸椅子を勧めてくれる。その言葉に甘えて腰を下ろすと、彼女はベッドにポスンと座り込んだ。
「ところで、話をしてもいいかな。エグゼさんが言ったことについて」
焦りに急かされるように、俺は早々に本題を切り出した。今回、藤野さんの信頼を得ることに失敗したら、もう彼女とは会えなくなる。そんな気がした。
「……うん」
対して、答える藤野さんの声は静かで沈んだものだった。いつも明るい彼女とのギャップに胸が痛むが、だからこそ俺が黙っているわけにはいかない。
「ダンジョンマスターは、目標を達成するとこの世界から消える。それは本当なのか?」
俺はいきなり確信を突いた。藤野さんが姿を消そうとした理由がそこにあることは間違いない。
「……うん。独立型ダンジョンは、ダンジョンマスターを創造神として新しい世界を生み出す。そういうものだから」
「そうか」
俺は感情を出さないように努める。気を抜けば負の感情が吹き荒れそうになるが、それをしても大切なものを失うだけだ。その代わりに、できるだけ落ち着いた声を出す。
「俺を避けるようになった理由を教えてほしい」
感情を揺らさないように最後まで言い切る。だが、藤野さんから返事はない。沈んだ表情で俺を見つめるばかりだった。
「前にも言ったとおり、俺は怒ったり失望したりしない。それは約束する」
だから、前にも約束した言葉を繰り返す。すると、彼女の唇が小さく動いた。
「だって騙してたんだよ? ジュンに手伝わせておいて、用が済んだらあたしだけ姿を消しちゃうとか、けっこうひどい裏切りじゃん」
やっぱり、藤野さんは自分がこの世界から『消える』ことを気にしているようだった。ただ、それはもともと分かっていたはずだ。
「たしかに、藤野さんがこの世界から消えるのは予想外だったけど……もともと、そのつもりでダンジョンマスターをしてたんだろ? それなら俺は最後まで手伝うよ」
「……でもさ」
しばらくの沈黙の後で、藤野さんはポツリと呟く。
「さっき、ジュンは怒ったり失望したりしないって言ってくれたけど」
「ああ。約束する」
俺は即答するが、彼女は小さく首を横に振った。
「でも……悲しむでしょ?」
その声は小さかったが、俺の耳にはっきり届いた。
「……最初はさ。あたしが消えたらジュンは驚くだろうな、くらいしか思ってなかったんだよね」
そして彼女は困ったように微笑む。
「でも、違った。ジュンが仲間を大切にする人だって知っちゃったし、それに――」
そこで藤野さんは口ごもる。だが、俺には言いたいことが分かった。天原ダンジョンで友人を亡くしたことを知って、また仲間を失わせるわけにはいかないと、そう思ったのだろう。
「それでもいいんだ。だから、これからも協力させてほしい」
それが俺の結論だった。ショックなことに変わりはないが、ここで手を引けば一生後悔するだろう。その反応に驚いたのか、藤野さんは呆気にとられたように俺を見つめる。
「どっちにしろ、あたしはいなくなるんだよ? もうすぐ消える相手と仲良くするなんて、その……きつくない?」
「俺は、藤野さんとダンジョンに潜ったり、話をしたりするのが楽しいんだ。だから、今ここで縁が切れるより、最後まで付き合うほうが総量としてお得だと思うんだよな」
「ふふっ……何それ」
藤野さんは軽く噴き出した。そして、彼女は表情を柔らかく緩める。
「でも、ありがとう。本当は一人でダンジョンを運営するの不安だったんだ」
「そうだな。藤野さんだけに任せる訳にはいかない。俺にとっても、三影ダンジョンは我が子?のようなものだしな」
「我が子……?」
その例えが大袈裟だったのか、藤野さんは今度こそ盛大に噴き出した。
「ダンジョンマスターにとって、ダンジョンは自分の分身みたいなものだよね。つまり……ジュンはあたしのパパってこと?」
「なんでだよ! 父親と娘が同い年とか、複雑な家庭にも程がある」
「でもドラマみたいじゃない?」
「絶対に人間関係がドロドロしたやつだ……」
ツッコミを入れながら、俺も笑ってしまう。明るい会話が久しぶりだったから、余計に楽しく感じるのかもしれない。できればいい感じのまま解散したいところだが……俺はもう一つ、この場で確認したいことがあった。
「藤野さん。最後に一つ教えてほしいんだけどさ」
「え? なに?」
「もしダンジョンが目標を達成できなかったらどうなるんだ? 期限は?」
そう。藤野さんに協力することを改めて決意した俺だったが、それは重要な事柄だった。まさかとは思うが、達成できなければ命を落とすとか、そんなことは――。
「特にないよ」
「そうなのか?」
俺は間の抜けた声を返した。未達成のデメリットもなければ、時間制限もない。つまり、永久に失敗することはないわけだ。
「それを聞いてほっとした。それなら長期的な計画も立てられる」
ついでに言えば、ダンジョンの目標を達成しない限り、藤野さんはこの世界から消えることはない。協力者としては最低な話だが、その理屈は俺を安堵させてくれた。
……だが。俺の言葉を聞いた藤野さんは、困ったように視線を逸らした。
「それが、そういうワケにもいかないんだよね」
そう告げる彼女の表情は曇っていた。ひょっとして俺の心を読まれたのだろうか。そう心配していた俺の目の前で、彼女はパン、と自分の両頬を叩く。それはまるで気合を入れるような行動だった。
「あたしさ……」
そして。戸惑っている俺に、藤野さんは衝撃的な事実を告げた。
「――あと1年くらいで死んじゃうんだよね」
「……え?」
あと1年で藤野さんは死ぬ。衝撃の告白を受けた俺は、頭が真っ白になっていた。
「やっぱ引くよね。いきなり面倒な話しちゃってごめん」
「いや、そんなことはないが……」
それは本当なのか。そう問い返したい気持ちを抑えて答える。今の話が冗談でないことは、藤野さんの顔を見れば分かった。
「でも、ダンジョンにデメリットはないんだよな? どうして――」
「ダンジョンは関係ないよ。ここに腫瘍があってさ」
言って、彼女は自分の頭を指差す。
「脳に……?」
「うん。中枢に食い込んでるから、摘出できないんだって」
俺の顔から血の気が引いていく。自分では見えないが、俺の顔色は真っ青になっていることだろう。
「あたし、お兄ちゃんがいたんだ。でも……同じ病気で死んじゃった」
「そん……な……」
俺は喉から声を絞り出す。だが、カラカラになった喉から出てきた声は、驚くほどかすれていた。
「それで、お兄ちゃんと同じ経過を辿ってるんだよね。だから、たぶんあと1年で……」
「分かった。もう分かったから」
つらい言葉を何度も言わせたくなくて、俺は彼女の言葉を制した。それを察したのか、藤野さんは弱々しく微笑む。
「あたしがダンジョンマスターになったのは、病気が分かった後でさ。ダンジョンマスターに選ばれても、ダンジョンを作らなきゃ普通の人と変わらないんだけど――」
彼女は座ったベッドを踵で軽く蹴って、さらに言葉を続ける。
「新しい世界の創造者は別世界の存在になるから、病気や怪我はなかったことになるんだよね」
「それでダンジョンを作ったのか」
俺はようやく納得した。世界の創造に興味があるようには見えなかったが、やはり目的は別のところにあったのか。
「……見損なった? 世界を創造するなんて偉業はどうでもよくて、ただ自分が助かりたかった。それだけ」
「生きるために選択したんだろ? 見損なうはずがない。それに、人の生命を奪う融合型ダンジョンを選ばなかったのも立派だと思う」
「立派っていうか、人を殺すとか無理だし。……正直、この世界から消えるって実感は、あのエグゼって人に言われるまでピンと来てなかったけど」
藤野さんは寂しそうに告げる。友人が少ない俺でさえ「知り合いが皆いなくなる」なんて状況はつらいのだ。まして、いろんな人々と関係を築いている彼女は失うものが多いはずだった。
「それでさ。あと1年くらいになっちゃうかもだけど……」
そう前置いて、彼女は俺の目をまっすぐ見つめた。不安そうな瞳を見返して、俺もまっすぐ彼女に向き合う。
「最後まで付き合ってくれる……んだよね?」
「もちろん。目標を達成するまでずっと付き合うよ」
「そっか。本当に……ありがとう」
藤野さんはほっとしたように笑う。藤野さんが胸に抱えて苦しんでいたのは、ダンジョンマスターであることよりも、むしろ病気の話だったのかもしれない。
彼女の濡れた瞳には気付かないフリをして、俺は静かに頷いた。
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