氷龍Ⅱ
「グォォォォ!」
倒れ伏したパーティーに、さらに氷龍の追撃が襲い掛かる。かなりのダメージを受けた彼ら目がけて、再び雨のような氷塊が降り注いだ。
「っ……!?」
その瞬間、俺は見た。放たれた氷のつぶてが、炎の防壁を完全にすり抜けたことを。
「火属性への絶対耐性!?」
思わず叫ぶ。氷龍の氷つぶては、まったく威力が減衰したようには見えなかった。だが、氷龍本体ならともかく、ただの攻撃である氷つぶてにまで耐性がつくものだろうか。
「【火竜一条】!」
そう悩んでいると、マナさんが強烈な炎の矢を放つ。だが、狙った先は氷龍ではない。仲間パーティーを援護するために、氷つぶてのほうを狙ったのだ。上手くいけば蒸発させられるはずだが……。
「効かない!?」
マナさんは目を見開いた。氷龍本体にすらダメージを与えた強烈なスキルが、ただの氷つぶてに弾かれたのだ。どう考えても尋常ではない。
そして、その横やりが気に入らなかったのか、氷龍はこちらへ視線を向けた。
「来るぞ! 俺の後ろへ!」
ソウさんの大声が大気を震わせる。俺たちがその後ろへ集まると、彼が掲げた大盾が輝き、防御スキル【守護方陣】を発動させる。
「リリック、物理障壁だ! 火炎防壁はたぶん意味がない!」
「分かった!」
即座に藤野さんが反応し、魔力による防壁を展開する。だが、これだけで防げるだろうか。
「――【風精霊の守護】」
さらに、マナさんが使った精霊術によって空気の流れが変わる。一般的な弓矢なら弾いてしまう気流が、白く輝く物理障壁の前に展開されたのだ。火属性の防壁は意味がないと、藤野さんに言った言葉を反映してくれたのだろう。
「来た!」
耳が聞こえなくなるほどの衝突音。それが最初に意識した事柄だった。豪雨のように打ち付ける氷つぶては、藤野さんの物理障壁を破壊してソウさんの【守護方陣】をも突破しようとしていた。
「っ……」
と、俺の頬を氷つぶてがかすめる。最後の結界である守護方陣も限界を迎えており、俺もすでに数発の攻撃を受けていた。
「ジュン、大丈夫!?」
「大丈夫だ。それより俺の後ろから出ないでくれ。魔法職の防御力じゃ致命傷になりかねない」
さらに追加の一発を腹に受けつつ、歯を食いしばって告げる。HPが危険域まで減るたびに回復魔法を使ってくれるのだが、MPがいつまで保つかも分からない。
「……止まった?」
と、どれだけ耐え続けたのだろうか。ついに敵の攻撃がやむ時がきた。『暁光』のパーティーが、氷龍に攻撃して注意を引いてくれたからだ。
「今のうちだ!」
その隙にと、藤野さんとソウさんは回復魔法を使ってHPを回復していく。俺のHPは四分の一を割り込んでおり、ソウさんも似たようなものだ。後衛二人のダメージが小さいことがせめてもの救いだった。
「これが……?」
そんな疲弊した状況の中、俺は足下に転がっている氷つぶてを観察していた。氷塊の直径は2、3センチといったところだろうか。特に尖っているわけではないが、速度が乗れば鎧など簡単に破壊してしまうだろう。
「……」
俺は黙って剣を抜くと、全力で振り下ろした。その先にあるものは、今さっきまで観察していた氷つぶてだ。だが――。
「砕けない……!?」
一ミリも欠けていない氷塊を見て、ソウさんの顔色が変わった。俺と同じことを考えたのだろう。
「くそ、
俺は引き攣った顔で呟く。周りに落ちている氷つぶてが、どれも綺麗な形で残っているからまさかと思ったが……つまり、相手は決して破壊されない無敵の散弾をぶっ放していたわけだ。
「気を付けろ! 氷つぶては非破壊オブジェクトだ!」
直後、俺は大声で叫んでいた。氷つぶてを完全な物理攻撃と考えて対処すれば、被害を多少は減らすことができるだろう。
ただ、最初に被害を受けたパーティーは今も立て直せていないし、現在進行形で攻撃を受けている『暁光』のパーティーもかなりの被害を受けている。これ以上の戦闘は困難かもしれない。
「皆、撤退だ! 祭壇防衛班は祭壇を破壊してくれ!」
どうやら『暁光』のリーダーも同じことを考えたらしい。ドームを維持し戦況を有利にするために守っていた祭壇だが、逆に言うとこれを壊せばドームは消える。そして、ドームが消えれば撤退にこぎつけることができるはずだ。
「どうしたんだ……?」
だが、いつまで経ってもドームは解除されない。一体どうしたのか。そう問おうとした俺の耳に聞こえてきたのは、絶望的な報告だった。
「駄目だ!
◆◆◆
「なんだって!?」
祭壇が非破壊オブジェクトになっている。その報告を受けて、すべてのパーティーが動揺を見せた。それは撤退できないということであり……そして、俺たちが全滅する可能性が飛躍的に高まったということだ。
『脱出不能ギミック?』
『ちょっと意外だな。このダンジョン、殺意に満ち溢れたギミックは少ないイメージだった』
リスナーも予想していなかったようで、コメントがかなりの勢いで流れる。俺も同意見だったのだが……ちらりと藤野さんの様子を窺うと、彼女もまた青ざめた表情を浮かべていた。
「どうして……!?」
そして、その唇からポツリと言葉がもれる。もし、それがダンジョンマスターとしての言葉だとすれば、脱出不能に陥ったことは想定外ということだろうか。
思考を進めながら、遠くにある祭壇を見つめる。今も担当パーティーが祭壇を破壊しようとしているが、まったく効く気配はない。これまでの挑戦で、俺たちでもあの祭壇を破壊できることは実証されている。となれば……。
「リリック。あの氷つぶてに向けて【氷弾】を使ってほしい」
「え? なんで?」
幾つ目かの思い付きを試すために、藤野さんにそんなリクエストをする。彼女は不思議な顔をしながらも、近くに転がっていた氷つぶてに【氷弾】を撃ち込む。
「……やっぱり壊れないね」
今もなお健在な氷つぶてを見て、リリックが困ったように告げる。だが、俺の本命はそちらではなかった。彼女が射出した氷弾に剣を向けて、そのまま振り下ろす。
「――そういうことか」
そして、傷一つ付かない氷弾を見て納得する。氷に非破壊オブジェクトの特性が付加されるのは、何も敵の攻撃だけではない。俺たちの攻撃も、そして氷で造られた祭壇も。氷でできたものすべてが非破壊オブジェクトとして扱われるのだ。
「伝達! 非破壊オブジェクトになるのは敵の攻撃だけじゃない! このフィールドにあるすべての氷が非破壊オブジェクトになるんだ! あれば【結氷防壁】を使ってくれ!」
俺は大きく息を吸い込むと、できる限りの大声で情報を共有する。予想通りなら、氷魔法である【結氷防壁】は、非破壊オブジェクトと化せば無敵の盾になるはずだった。
ただ、残念だが俺たちの中に使い手はいない。防壁系の魔法が取得できるようになったのは最近の話であり、かつボス戦に必要な炎系の防御魔法や攻撃魔法を優先していたからだ。
そして、氷壁を展開したパーティーがいないところを見ると、それは他のパーティーにも共通して言える話だったのだろう。
「次のボス戦には役立つ情報だが……」
「ああ。この場を切り抜ける役には立たない」
ソウさんの呟きに頷くと、俺は周囲を見回した。最初に被害を受けたパーティーはほぼ壊滅状態だし、『暁光』もかなりの被害を受けている。雪男たちを担当するパーティーも、雪女の氷魔法が非破壊オブジェクトになったことで苦戦を強いられていた。
「雪男がこっちに流れてくるのも時間の問題か……!」
撤退できないという事実が心を追い詰める。どう考えてもこの状況は詰みだ。氷龍を倒せるだけの火力はすでになく、雪男たちの殲滅も間に合わなくなってきている。
「……」
俺はちらりと藤野さんへ視線を向ける。彼女はまだ『死んだ』ことがない。俺が安全マージンを多めに確保していたからだ。それは彼女のトラウマになることを懸念したためでもあるが……最大の理由は別のところにあった。
――ダンジョンマスターがダンジョン内で『死ぬ』とどうなるのか。
それこそが、俺の最大の懸念だった。ダンジョンマスターはダンジョンとの繋がりが深い。となれば、ダンジョン内で起きた『自らの死』は現実のものになるのではないか。
ダンジョンマスターに関する知見の中には「ダンジョンマスターを殺すことでダンジョンがクリアされ、消滅する」という説も多いからだ。
だが……真相がなんであれ、全滅必至のこの状況下では、もはや彼女の『死』は避けられない。
「ジュン、大丈夫? すごい顔してるけど」
と、思考に沈む俺を藤野さんの声が現実へ引き戻した。
「……考え事をしてただけだよ。ごめん、心配をかけた」
そう答えるが、藤野さんの表情は気遣わしげなままだ。そんなにひどい顔をしているのだろうか。彼女は黙って俺の顔を見つめていた。
「……大丈夫、死ぬわけじゃない。入口に戻されるだけだから」
そんな彼女の顔を見ていると、ふと口から言葉がこぼれた。藤野さんに向けた言葉というよりは、自分自身に言い聞かせるための言葉。そう信じなければ、俺は平静ではいられない自覚があった。
その言葉に何を思ったのか、藤野さんは俺に向かって手を伸ばす。
「あのさ――」
彼女が何かを言いかけた時だった。ソウさんが鋭い声で警告を発する。
「氷龍が来るぞ! 防御を重ねてくれ!」
その警告に、俺たちは即座に反応した。【守護方陣】と【物理障壁】、そして【風精霊の守護】が三重に俺たちを取り巻く。今の俺たちにできる最高の布陣だが、それでも俺とソウさんは死にかけたのだ。ただの時間稼ぎにしかならないだろう。
「いっそ祭壇に氷つぶてを撃ってもらいたいもんだ」
「さっき誘導してたけど、効果はなかったみたいだ」
ソウさんのぼやきに答えて、俺は彼の斜め後ろに位置取る。ソウさんが1人分、俺が0.5人分の横幅を占める形だ。そして、1.5人分の横幅の後ろにマナさんと藤野さんが隠れる。
その直後、氷龍の周囲に氷つぶてが浮かび、俺たちへと――。
「ちょっと待て! さっきと形が違うぞ!」
「あれは……槍か!?」
俺たちは険しい顔で氷龍を見上げる。氷つぶてではあまり効果がないと思ったのか、氷龍の周囲に浮かんでいるものは、明らかに刺突を意識した氷槍だった。
「数が減ったのはありがたいが……」
「直撃したら即死だな」
答えてから、自分で口にした言葉にゾワリとする。その感覚を振り払うように、俺は剣を握り直した。
「受けても貫かれそうだし、当たりそうなやつを弾いて軌道を逸らすしかないな」
「同感だ。パリィ大会といくか」
ソウさんは得物をウォーハンマーから剣へ持ち替えて、わざとらしい口調で軽口を叩く。そして――。
「来た!」
そう声を上げたのは藤野さんだったか。そこからは、ひたすら剣と槍の応酬だった。スキルで剣の射程を伸ばし、当たりそうな氷槍の軌道を逸らし続ける。まともに正面から受けると押し負けるため、余計に神経を使う作業だった。
「ちっ……」
また弾き切れなかった槍が俺の腕をかすめる。直撃こそしていないものの、すでに負傷した箇所は20か所近い。時おり藤野さんが回復してくれるが、間断なく襲い来る氷槍の雨は、確実に俺たちの集中力を削いでいた。
「っ! マズい!」
そして。ついにその時は訪れた。ソウさんが弾いた氷槍が、俺が弾こうとした氷槍にぶつかったのだ。進路が逸れた槍は、剣の防御をすり抜けて俺の太腿に突き刺さる。
「――ッ!」
痛みに顔を顰めるが、ここで動きを乱すわけにはいかない。貫通して後ろの藤野さんに当たらなかっただけマシというものだ。受けたダメージに応じてステータスが上がるスキル【肉斬骨断】にものを言わせて、俺は槍が刺さったまま剣を振り続ける。
「ジュン、槍を抜かないと回復魔法が……」
「大丈夫。スキルのおかげで動けなくはない」
気遣ってくれる藤野さんに言葉を返す。実際、刺さった槍を抜いている余裕はなかった。隣のソウさんを見れば、盾は半壊し、頑丈な鎧も無残な状態になっている。いつまでこの状態が続くのか――そんな思考が頭をよぎっては消える。
……その時だった。かすかな、だがはっきりとした声が俺の耳に届いた。
「お願い、
「リリック?」
俺はその言葉に戸惑った。「あと少し」とはどういう意味なのか。飛来する氷槍を捌きながら、俺はその言葉の意味を考え続けて――。
「っ!?」
パキリ、と世界にヒビが入ったような感覚を察知する。それは、このフィールド内の氷が非破壊オブジェクトになった時とよく似ていた。そして、その直後。
【奇跡】が起きた。
「っ! 氷龍が!」
「墜落した!?」
そう。これまで悠然と空に浮いていた氷龍が、突然地面に叩き落とされたのだ。突然の事態に集中力が切れたのか、俺たちを襲っていた氷槍の雨が止む。
「これは……」
呆然として、俺は隣のソウさんと顔を見合わせた。他パーティーもそれは同じようで、あちこちから動揺の声が上がっている。それはそうだろう。あまりに唐突で理解できない展開だ。だが……。
「――みんな! 今がチャンスだから! 集中攻撃して!」
そんな中で、藤野さんだけは迷わなかった。凛とした彼女の声がドームに響くと、場の雰囲気が明らかに変わった。
「その通りだ! これが最後のチャンスであることは間違いない! 俺に続けええええ!」
「氷龍を直接どつき倒せる貴重な機会だ! 絶対に逃すなよ!」
「氷龍に取り付けば範囲攻撃の氷つぶては来ない! 急げ!」
そして、動けるパーティーが地に落ちた氷龍に猛攻を仕掛け始める。特に祭壇を守っていた『テンプル騎士団』は余力が残っていたようで、我先にと攻撃を浴びせていた。
「リリック。これは一体……」
唐突な展開に呆然としていた俺は、事情を知っているであろう藤野さんに説明を求める。だが、彼女はそれには答えず俺の右足を指差した。
「いいから! ジュン、回復!」
戸惑っている俺の足から無理やり氷槍を引き抜くと、彼女は回復魔法を唱える。
「さ、行こっ! 氷龍担当パーティーとして、ちゃんと活躍しないとだし」
「あ、ああ……」
誤魔化されている感もあるが、今が好機なのは間違いない。俺は彼女への詰問を後回しにすると、目の前の氷龍に集中することにした。
「……どうせなら、一方的にボコボコにされた恨みを晴らしてやる」
「あはは、暗黒騎士が言うと怖いねー」
「実際、【肉斬骨断】のおかげでステータスが跳ね上がってるからな。まさに暗黒騎士の出番だ」
そんな会話を交わしながら、俺たちは飛べない氷龍に苛烈な攻撃を加えていく。氷龍も反撃をしようとしているが、地上での動きはぎこちなく、氷魔法も単発的にしか使えないおかげで、さっきまでの脅威度はどこにもない。
そして、氷龍が墜落してから15分後。俺たちはついに、14層のフロアボスを討伐したのだった。
……そう。様々な問題と引き換えに。
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