打ち合わせ
朝。次回の配信計画を練りながら、俺は始業前の教室へ向かっていた。
「うぃーっす」
「うっす」
「あ。おはよっ」
「おはよう」
道すがら、そんなやりとりを経て少しずつ教室が近付く。それはこの数カ月で起きた変化であり、自分のクラスはもちろん、他クラスのよく知らない学生に挨拶されることも増えていた。
そして、その理由はもちろんダンジョン配信にあった。最初は馬鹿にされることもあったダンジョン配信だが、『うぃずダンジョン』のチャンネル登録者数が1万を超えたあたりから皆が好意的になった気がする。
最初はキョドって挨拶を返すのに失敗したりもしたが、最近は陰キャなりに返事をすることができるようになってきた。ある意味では、俺が一番成長した部分かもしれない。
中には「配信で稼いでるんだろ? 奢れよ」と言ってくる奴もいるが、社会に対して発信力のある人間を脅すことにリスクを感じるのか、強く言ってくる輩は今のところいなかった。
まあ、配信やら何やらで、高校生らしからぬ収入が発生しているのは事実なのだが。
「あ、橋江だ。おはよー、最新の配信みたよー」
「そうか、ありがとう」
そんなやり取りを経て教室へ辿り着くと、自分の席に腰を下ろす。教室を出入りするたびに周りの視線が集まることには慣れないが、藤野さんに相談すると「人気者ってことじゃん」と一蹴されてしまった。前向きな彼女らしい。
配信をしている人間が何を今さら、と思われるかもしれないが、配信中は精神的なスイッチが入っているから別なのだ。
「あ。ジュン、おはよー」
と、どこかへ顔を出していた藤野さんが教室へ戻ってくる。当初は下の名前呼びに「まさか付き合ってるのか……!?」とざわついていたクラスメイトも、今ではただの日常として受け入れている。彼女が呼びかけているのは『ジュン』であって『潤』ではないのだ。
「おはよう、藤野さん」
対して、俺はもちろん苗字呼びだ。さすがに高校で『リリック』と呼ぶわけにはいかないからな。実を言えばちょくちょく間違えてしまうのだが、配信者として有名になったおかげで、みんな生温かい目で見逃してくれている。
「ねえねえ。今日の打ち合わせなんだけど、着替えてく? それとも制服で行っちゃう?」
「着替えるつもりだ。制服だと絡んでくる奴が多いし」
彼女が話題にしているのは、今日の放課後に入った予定のことだ。一緒にダンジョンを探索する……わけではなく、『うぃずダンジョン』として人と会う予定になっていたのだ。
「おっけー。それじゃ、こっちの駅で合流しよっか。向こうだとナンパとかうざいし」
「ああ、分かった」
了承した旨を伝えると、藤野さんは満足げに頷いて去っていった。そんな彼女の後ろ姿から視線を外すと、今度はジト目をした友人と視線が合う。
「ったく、藤野さんとデートとかリア充かよ。裏切り者め」
「そうじゃないのは分かってるだろ。藤野さんは『ジュン』に用事があるだけだ」
「お前……まったく女子と接点のない俺たちの怨念が、その程度の言い訳で鎮まると思うか? 理由がなんであれ、女子と待ち合わせる時点でお前は裏切り者なのだよ」
「んな無茶な」
大仰に告げる級友だが、そう言いたい気持ちは分かる。こう言ってはなんだが、彼女の魅力を一番よく知っているという自負はある。配信と関係なく藤野さんと出掛けることになれば嬉しいが、同時に全力でテンパることだろう。
「藤野さんのリアルの相棒は、俺じゃ役者不足だからな」
俺はわざとらしく肩をすくめてみせる。残念だが、それが現実だ。調子に乗って今の関係を壊すわけにはいかない。
「ほう。かの高名な【暗黒騎士】殿でも無理ですか」
「うるせえ。【黒十字】食らわせるぞ」
俺は現実から目を逸らすと、おどけてくる友人に言葉を返すのだった。
◆◆◆
着替えて待ち合わせている駅に到着すると、藤野さんはまだ来ていないようだった。到着した旨のメッセージを送って、手近な壁に軽く背中を預ける。
「お? 橋江、今からダンジョン行くのか?」
「いや、今日は別の用事でさ」
高校から最寄りの駅だけあって、ちょくちょく見知った顔が視界を横切っていく。配信する時は三影駅で待ち合わせるため、こっちの駅で人を待つのはなんだか新鮮だった。
「あ、橋江じゃん」
「ホントだー。ひょっとして詩季と待ち合わせ?」
そして今、俺に声を掛けてきたのも見知った顔だった。菱田さんと上野さん……だったか。二人とも藤野さんと同じグループの女子で、特に菱田さんは藤野さんが『理華』と呼んで話題にする子だ。
「ああ。配信絡みで予定が入ってるから」
俺はつい言い訳じみた答えを返してしまう。彼女たちからすれば、俺のせいで藤野さんの付き合いが悪くなったように思えるかもしれない。そう考えてしまうからだ。
そのことを藤野さんに確認したところ、考え過ぎだと笑われたのだが……俺はまだ懐疑的だった。
「そう言えばさ、『うぃずダン』のチャンネル登録27万いったって? おめでと」
「ありがとう。知ってたのか」
彼女たちと藤野さん抜きで話すのは初めてだが、思いのほか友好的な滑り出しであることにほっとする。
「詩季がめっちゃ喜んでたから。27万ってすごいよね」
「藤野さんのおかげかな。俺だけじゃ100分の1もいかない」
「でも、橋江自身もちょっと有名になったんでしょ? 詩季がそんなこと言ってた」
「ちょっとしたまとめサイトに載って、軽くバズったくらいだ」
自分でも驚いたことに、俺は彼女たちと意思疎通ができているようだった。藤野さんのおかげで少し慣れてきたのかもしれない。そして……それなら、直接気になっていることを聞いてみようと決心する。
「そう言えば気になってたんだけど、俺って恨まれてたりする?」
「は? いきなり何の話?」
だが、話題が唐突すぎたせいか、彼女たちは怪訝そうに首を傾げた。
「ほら、藤野さんが配信するようになって、付き合いが悪くなったり……」
「あー、そこを心配してたんだ? 大丈夫だって。こう言ったらアレだけど、あたし達、橋江より先にダンジョン配信に誘われてたし」
「ああ、それはそうだよな」
その言葉に納得する。友達に声を掛けたが駄目だったと、藤野さんが言っていたことを思い出したからだ。
「だから、引き受けてくれた橋江には感謝してるくらい」
「ホントそれ。……ま、あそこで話に乗ってたら、あたし達も有名配信者になれたかも、って思うと勿体なかったけど」
そう言って菱田さんたちは屈託なく笑う。その表情に嘘はないように思えた。
「そもそも、嫌ってたらこうやって話しかけたりしないから」
「そうか……」
その言葉にほっとする。俺への悪感情もそうだが、藤野さん自身が嫌われているようにも見えなかったからだ。
「実はさ、ちょっと前の詩季ってなんか暗かったんだよね」
「藤野さんが暗かった?」
それは意外な情報だった。いつも明るいイメージしかないからだ。
「そうそう。隠そうとしてたけど、さすがに分かるよ」
「でもダンジョン配信やり始めてから、また明るくなった気がするんだよね。だから、そういう意味でも橋江には感謝してる」
「お、おう……なんか照れるな」
まさかそんなに感謝されるとは思っていなくて、俺はそう返すのが精一杯だった。そんな俺をどう思ったのか、菱田さんは楽しそうな表情で俺の顔を覗き込んだ。
「……どうかしたか?」
そう問いかけると、彼女はわざとらしく首を横に振った。
「別に? こっちの駅で待ち合わせるようになったんだな、って」
「? まあ、最寄り駅だしな」
言葉の意味が分からず、俺は首を傾げる。それが何か問題なのだろうか。
「ま、うちの高校じゃ有名人だし? 悪い奴じゃないことも分かってるから――」
そして、彼女が意味ありげな表情を見せた時だった。馴染みのある声が後ろから聞こえてきた。藤野さんだ。
「あれ? 理華と紗耶香じゃん。ジュンと一緒にいるなんて珍しいね」
「さっき見かけたから、ちょっと声をかけただけ」
そうして二言三言交わすと、藤野さんはこちらへ顔を向ける。
「次の電車に乗りたいから、そろそろ行こ?」
「ああ。分かった」
その言葉に頷くと、俺は彼女を先導するように歩きはじめた。
◆◆◆
「――そしたら、『うぃずダンジョン』さんも『ダンとも』五周年イベントに協力いただけるっちゅうことで」
「はい。専用動画を撮るくらいなら可能です」
「あー、やっぱリアル出演は難しめですか?」
「そうですね。色々事情がありまして」
俺と藤野さん。そしてソウさんとマナさんの四人は、喫茶店で30歳くらいの男性と向かい合っていた。人好きのする笑顔を浮かべている彼は、ダンジョンの総合情報サイト『ダンとも』の管理人であるワルドナさんだ。
「いやぁ、それでも助かりますわ。固定ダンジョン配信の有名人を外すワケにはいきませんから。……ちなみに、リアル出演やと大阪までの交通費出ますけど、関西旅行のついでにどないです?」
ワルドナさんがわざとらしく耳打ちしたのは、ソウさんとマナさんに対してのものだ。もともとバカップル配信がメインの二人にとっては悪くない話だろう。
「魅力的な提案ですが、決定権はジュンにありますから」
「そうね。私たちは後で合流しただけだもの。……みんなで旅行も楽しそうだけど、二人きりになれないのは切ないわ」
だが、話を振られた【ソウ×マナ】は勧誘をあっさり断る。彼らのほうが年上だが、二人は一貫して俺たちを立ててくれていた。
「そら残念ですわ。OKやったら【ヴァルハラ】や【摩天楼】あたりとコラボいけそうやったけど」
「……!」
登録者数100万超えの大物配信者の名前を聞いて、思わず表情筋が動く。それをチャンスと捉えたのか、ワルドナさんは目を光らせた。
「『うぃずダン』はリリックちゃんが目立ちがちやけど、一部ではジュンさんも評判なんですわ。【ヴァルハラ】のレイアさんとか、『いい腕してる』ってごっつい興味持ってたし」
「……正直に言って、ちょっと心が揺れました」
冗談交じりに本音を口にするが、結論は変わらない。予想通り藤野さんがダンジョンマスターだとすれば、他のダンジョン配信者を迂闊に近付けないほうがいい。そう考えていたからだ。
建前としては、俺たち二人は未成年で親が許してくれないから、ということにしている。配信している時点で何を今さらという気もするが、他の配信者でもよくあることのようで、ワルドナさんもそこを疑っている様子はなかった。
「へー、心が揺れたんだ?」
と、藤野さんが幾分冷たい目で俺を見る。どうしたんだ。
「いや、だって【ヴァルハラ】だぞ? ダンジョン配信者としては気になるだろ」
「ふーん。本当にそれだけ?」
「あらあら。リリックちゃんが妬いてるわ」
「妬いてないし。でも、ジュンがいなくなったら困る」
むくれたように告げる藤野さんに、俺は思わず笑いをもらした。
「なんで俺が抜ける前提なんだよ。リリックが嫌がらない限り、俺は一緒にダンジョンに潜るから」
「……ならいいけど」
ようやく藤野さんの疑念は払拭されたらしい。そのことにほっとしていると、ワルドナさんが楽しそうに笑い声を上げた。
「今のやり取りだけで、『うぃずダン』の仲の良さが分かりますわ。……しもたな、録画しといたらよかった」
そして、俺たちはイベント用の動画のプランを詰めていく。そうしてあらかた話がついたところで、ワルドナさんは軽く身を乗り出した。
「そうそう、聞きました? 今度【摩天楼】が融合型ダンジョンに手ぇ出すらしいですわ」
「――っ!?」
その言葉に藤野さんを除く3人が反応する。一様に固まった3人の中で、最初に回復したのはソウさんだった。
「よく政府の許可が下りましたね。どの省庁の管轄にするかで、あと5年は揉めると思ってました」
「なっはは、ソウさんも辛辣なこと言いますなぁ。やっぱ『被災者』としては思うところがありますか」
「それもご存知ですか」
「それはもう。ダンジョンとは何か。それを知りたくて『ダンとも』サイトを立ち上げたようなもんですから」
そして、彼は俺とマナさんにも視線を向ける。
「4人のうち3人が『被災者』の配信グループとなれば、気になるかと思いまして。余計なことやったらすんません」
「いえ、貴重な情報をありがとうございます」
場の雰囲気がピリッとしたものに変わる。そんな中で、戸惑いの声を上げたのは藤野さんだった。
「えーと……なんのこと?」
「んん……? ひょっとして、リリックちゃんは知らんかった?」
彼女の反応に、ワルドナさんは焦った様子だった。当然知っているものと思っていたのだろう。別に隠していたわけではないが、こうなれば俺の口から説明したほうがいいな。
「俺がソウさんやマナさんと前から知り合いだったのは知ってるだろ? それで、知り合った場所というのが【天原ダンジョン】なんだ」
「天原ダンジョンって、どこかで聞いたような――あ」
言葉の途中で藤野さんは目を見開いた。どうやら心当たりがあったらしい。
「ああ。初めて発見された【現実融合型ダンジョン】で……多数の死傷者が出たダンジョンでもある。そのせいで、4年前からずっと閉鎖されてたんだけどな」
「そうだったんだ……」
いつも明るい藤野さんもさすがに神妙な……いや、青ざめた顔をしている。ダンジョンマスターとして思うところがあるのだろうか。
ちなみに、【現実融合型ダンジョン】は現実に影響を与える危険なダンジョンで、ダンジョン外にアイテムを持ち出せたり、外でもレベルアップするにつれて身体能力が上がったりと現代科学では理解できない事象が発生する。
ただし、その効力はダンジョン内に比べれば非常に小さく、あまり意味はないとされてきた。
さらに、あの事件で多数の死傷者が発生したことで、今では【現実融合型ダンジョン】は見つかり次第閉鎖されることになっていた。
「まあ、俺たちが潜ってるダンジョンは【独立型ダンジョン】だから気にすることはないさ」
落ち込んでいるかもしれない藤野さんのために、そんな補足をしておく。
「あー、秘密をバラした悪役みたいになってしもた……ホンマに申し訳ない」
ワルドナさんもしょげた様子で謝る。自然とみんなの視線が藤野さんに集まった。
「別に……びっくりしただけで、怒ってるわけじゃないからね。むしろ、誘って嫌な思いさせたかなって」
「嫌だったら事件の後もダンジョン配信を続けたりしないって。なんというか、逆に意地になって続けてたくらいだ」
「そうなの?」
「ああ。それに独立型ダンジョンでそんな事故は起こらないし、俺たちも気にしたりしない。そこに負い目を持つ必要はないさ」
「……そっか」
どうやら藤野さんの動揺も落ち着いたようで、ひとまずほっとする。ダンジョンに強い興味を持っているワルドナさんの前で、迂闊なことを喋るとまずいからな。
「しっかし、この二種類のダンジョンの違いはなんやろな。独立型がだんだん成長して現実融合型になる……? けど、それやったら冥界ダンジョンあたりは現実融合型になっててもおかしゅうないし」
当のワルドナさんはと言えば、自分の考えをまとめているようだった。その考察には俺も興味があるが、今は追及しないほうがいいだろう。ちらりと隣を見れば、藤野さんが神妙な顔でワルドナさんを眺めている。それを訳アリだと解釈するのは偏った見方だろうか。
もう用件は済んだはずだし、そろそろ退散したほうがよさそうだな。そう判断した俺はソウさんに目配せをした。
「ワルドナさん、すみません。そろそろジュンとリリックちゃんを帰宅させたいのですが、構いませんか? 彼らは高校生ですから、親御さんに睨まれると今後の活動に影響が出てしまいます」
「え? ああ、そらそうですな。気ぃ効かんで申し訳ない」
すっかり考え事に没頭していたワルドナさんは、はっとしたように顔を上げた。そうして、彼は視線を藤野さんへ向ける。
「今日は会えて良かった。実を言うと、リリックちゃんには期待してるんや」
「あたしに?」
「なんとなくやけど、リリックちゃんは三影ダンジョンに愛されてる気がする。ひょっとしたらダンジョンマスターに接触できるかもしれへん」
「えっ!? どうして――」
突然の言葉に、藤野さんの表情が固まった。これはまずいかもしれない。
「ワルドナさん。ふじ――リリックはダンジョンマスターの存在をあんまり信じてないんですよ」
「そう言えばそうだったわね。実在を前提にされて驚いちゃった?」
本名で呼びそうになったあたり、俺も焦っていたのだろう。そうしてなんとか取り繕うと、マナさんもそれに合わせてくれる。
「そうなんです。驚いてすみません……」
「いやいや、こちらこそ申し訳ない。探索者にはいろんな考えの人がおるから、できるだけ押し付けんようにせなあかんかった」
堪忍やで、と両手を合わせて拝むワルドナさんはちょっとコミカルで、場の空気が弛緩した。
「それじゃ、イベント用の動画が出来上がったら送りますね」
「よろしゅう頼みます。きちんとサイトの目立つとこに置かしてもらいます」
そんなやり取りを経て、俺たちはワルドナさんと別れた。すっかり夜になった町中を、藤野さんと並んで歩く。
ダンジョンマスターって何なんだろうな。ワルドナさんに影響されたのか、そんな思考が頭から離れない。
もし彼女がダンジョンマスターだとして、そう問いかける機会はあるのだろうか。その時が来てほしいような気もするし、来てほしくない気もする。
藤野さんの話題に相槌を打ちながら、俺はダンジョンの謎に思いを馳せるのだった。
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