兆し
藤野さんとダンジョンに潜り、第1層をクリアしてから2日後の朝。俺は眠い目をこすって真面目に登校していた。
なぜ眠いのかと言えば、一昨日のダンジョン配信の記録を、アーカイブ配信用に編集していたからだ。そのまま配信することもできるが、面白くて分かりやすい内容にするためには編集が不可欠だ。そして、この編集という作業はいくら時間があっても足りない。
「おはよー」
「うぃっす」
仲のいい数人に挨拶をしつつ、自分の席へ向かう。前から二番目の席というあまり嬉しくないロケーションだが、窓際という利点は気に入っている。
そんな座席に座って、始業時間が来るのをボーっとしながら待つ。始業前は友達と話して時間を潰すことも多いが、今の俺は三影ダンジョンのことで頭がいっぱいだ。わざわざ話しにいこうとは思わなかった。
「――おい、橋江」
だから、その言葉が自分に向けられたものだと気付くには、少し時間が必要だった。
「……俺?」
一拍遅れて反応する。俺の前に立っていたのは、あまり絡みのないクラスメイトだった。
「
返事をしつつ、内心で首を傾げる。相手はバスケ部で活躍しているエースで、けっこう見た目もいい男だ。なんかキラキラしてるやつ。それが俺の人物評価だった。
「……これ」
彼は険しい顔で自分のスマホを俺に見せる。そのディスプレイに映っていたのは『うぃずダンジョン』という配信動画のサムネだ。そして……それこそは俺が昨日アップしたばかりの動画だった。
「これ、お前だろ」
「昨日配信したばかりなのに、よく見つけたな」
その問いかけに平然と答える。クラスメイトの配信を見つけて、「弱みを握った」ように言ってくる奴がたまにいるが、今やダンジョン配信してるやつなんて一クラスに数人はいるし、顔出し配信のほうが多いのも事実だ。広く全世界に発信している以上、クラスメイトに見つかる可能性は考慮していた。
「それでこっちは――」
「ああ。藤野さんだよ。顔を隠してるわけじゃないから分かるだろ?」
そんな俺の答えを聞いて、入田の眉間の皺がさらに深まった。
「お前、藤野さんに何やらせてんだよ」
「……はい?」
思わぬ展開に目を瞬かせる。すると、入田はドスの効いた声を上げた。
「お前だけじゃ再生数が伸びないからって、藤野さんを巻き込んだんだろ。そういうのやめろよ」
「巻き込む……?」
どちらかと言えば、巻き込まれたのは俺のほうではないだろうか。
「あんな動画見られたら藤野さんに悪い噂が立つだろ。消せって言ってるんだよ」
「そう言われても、藤野さんもOK出したやつだしなぁ」
俺は困ったように告げる。それは本当のことなのだが、入田はまったく信じていないようで、苛立っている様子が全身から伝わってくる。
「……もう一度言うぞ。消せ」
まるで最後通牒のように、入田は冷たい声で言い放った。そこまで言われては、俺も事情を説明しないわけにはいかない。彼と藤野さんの関係は知らないが、わざわざ嘘をつくこともないだろう。
「そもそも、そのダンジョン配信は藤野さんに誘われたやつだ。だから勝手に消すわけには――」
「あァ!? ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」
だが、俺の対応は悪手だったらしい。剣呑ながらも普通の語調を保っていた彼は、ついに怒声を撒き散らした。入田の変貌ぶりに驚いたのだろう、クラス中の視線が集まる。
「お前みたいな陰キャを藤野さんが頼るか! 鏡見てモノを言え!」
「俺はダンジョン配信に慣れてるからさ。それで仕方なく頼んできたんじゃない?」
激昂した入田に対して、俺は平和裏に話が終わるよう下手に出た。変に動画に粘着されては面倒だからだ。だが、相手はそう簡単には引き下がらなかった。
「んなワケあるか! お前が藤野さんを騙して撮ったんだ! このクズが!」
普段の爽やかさをかなぐり捨てて、入田は罵倒を続ける。
「なにが『逃げろぉぉぉ!』だ。たかだか遊びの世界でマジになって……ハッ、みっともない」
「……へえ?」
さすがにカチンときた俺は、静かに席から立ち上がった。その反応は予想していなかったのか、入田は一歩後ずさる。
陰キャとして認知されている俺だが、ダンジョンに入り浸っているせいで、その体格は運動部の連中に負けてはいない。ダンジョンでレベルアップしても現実に影響はないが、身体を動かした分の筋肉はつくし、体力も同じことだ。
それどころか、戦いに特化した筋肉の付き方や動体視力を養っているため、本気で殴り合えば俺が勝つ可能性が高かった。
「ダンジョンで死ぬと、トラウマなんかの後遺症が残ることがある。必死にもなるさ」
とは言え、殴り合いで解決する話でもない。今後の諸々を考えると、理屈を通したほうがいいだろう。
「だからって――」
入田がなおも言い募ろうとした時だった。ガラリと教室の扉が開く。
「おはよー!」
そこに登場したのは、話題の主である藤野さんだった。彼女は無差別に挨拶を振り撒きながら教室に入ってくる。そして――。
「橋江くん。入田くん。おっはよー!」
彼女は俺の席までやってくると、俺たちに明るい笑顔を向けた。
「お、おはよう……」
その眩しさに照れたのか、入田は控えめな挨拶を返す。さっきまで怒鳴っていたとは思えない変わりようだ。……って、おや? こいつの反応は、もしかしてそういうことなのか?
「ねえ見た!? 登録者数、もう100人超えてたね! 凄くない?」
俺の思考をよそに、藤野さんはテンション高く話しかけてくる。その内容に俺は笑顔で頷いた。
「凄いと思う。長年やってる俺のチャンネル登録者数を、たった一日で超えられるとは思わなかった」
「まあまあ、いいじゃん。逆に橋江くんのチャンネルに人が流れるかもだし」
「ああ。すでに不自然に数字が上がってた」
俺たちは明るくそんな会話を交わす。グループSNS等で情報が出回ることを考えると、ダンジョン配信の話は変に伏せないほうがいい。むしろ明るい感じで。それが俺たちの結論だった。
「ふ、藤野さん……まさか本当に」
そんな中、入田は呻くように声を上げた。その顔は気の毒なほどに青ざめていて、彼の胸中を示していた。同情の余地がないでもないが……怒声を浴びた直後ということもあり、正直に言って胸は痛まない。
「え? なんのこと?」
「入田があの配信を見たんだって」
端的にそう答えると、彼女は勢いよく入田のほうへ向き直った。
「そうなんだ! 入田くんもチャンネル登録よろしくねー!」
そして、満面の笑みとともに告げる。その表情こそが、あの配信が藤野さんの意志によるものだという証明だった。それが分かったようで、入田は目に見えてしょんぼりしていた。
「そん……な……」
「あれ? 入田くんどうしたの?」
「ちょっと調子が悪いみたいだ。そっとしておこう」
それは武士の情けか、それとも追い打ちか。よろよろと自席へ戻る入田を見て、俺は複雑な気分に陥るのだった。
◆◆◆
「あ! 登録者数が132人に増えてる!」
「伸びるモンだなー……」
「このままバズって人気になったら、お金入ったりする?」
「トップクラスの配信者なら、けっこうな金額になるはずだよ」
「そうなんだ? そしたら橋江くんにお礼できるね」
ダンジョンから100メートルも離れていない、お洒落な雰囲気が漂うカフェ。その一席で、俺と藤野さんはスマホを見ては一喜一憂していた。
「この伸びっぷり、生配信を見ていた人に影響力のある人がいたのかもな」
「だったら感謝しなきゃ」
そんな会話をしながらコーヒーを啜って、その苦さをやり過ごす。洒落たカフェで何を注文していいか分からず、見栄を張ろうとして失敗した形だ。
藤野さんは慣れているのだろうが、女の子と二人でカフェに入るなんてテンパるに決まっている。
「――そうだ。理華に聞いたんだけど、入田くんと喧嘩してたの?」
「え? ああ、喧嘩ってほどじゃないけどな」
聞かれた俺は、簡単に当時のやり取りを説明する。すると、藤野さんは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめん。迷惑かけちゃった」
「俺は気にしてないけど、藤野さんこそ大丈夫? 入田と仲良かったりする?」
それは密かに気にしていることだった。あの反応からして付き合ってはいないだろうが、よく遊びに行くメンバーとかだと気まずい。
「んー、別に? たまに話しかけてくる程度、かな」
と思ったら違ったらしい。俺はその言葉にほっとする。
「でも、橋江くんが絡まれたのはあたしのせいだと思う」
そう言って、藤野さんはもう一度謝罪した。……これは入田の気持ちはバレてるな。もしくは既に告って玉砕した後か。彼女の様子から、俺は二人の事情を確信する。
「あ、そうそう。
「変な動き?」
「うん。『うぃずダンジョン』の配信動画とか、橋江くんへのネガキャン?」
あっさり頷く藤野さんに、彼女の強さを思い知る。ダンジョンに潜るばかりで、リアル人間関係に疎い身としては眩しいくらいだ。
「なんか、橋江くんがキレかけて、入田くんがビビってたんでしょ? それもあって話題を潰すのは簡単だったよ。って理華が言ってた」
彼女は何でもないように語る。『理華』は彼女と仲がいい女子の一人だが、俺と入田のやり取りを見ていたのだろう。
「――ま、そんな腹の立つ話題は置いとこっか」
パン、と手を叩いて、藤野さんは卓上のチョコレートパフェに匙を伸ばした。それですっかり気分を切り替えたようで、楽しそうにこっちを見る。
「ところでさ。橋江くんっていろんなダンジョンに潜ってるんでしょ? あのダンジョンはどうだった?」
「そうだな……予想以上のアタリだった。あそこまで整っているダンジョンはけっこう珍しいから」
俺は素直な感想を口にする。だが、彼女は本気にしていないようだった。
「それ、本気で言ってる? あたしに遠慮しないでほしいんだけど」
「本気だって。ダンジョン配信動画は無数にあるけど、配信に使えるダンジョンは意外と少ないからな」
「え? そうなの?」
予想外の答えだったようで、彼女はきょとんとした目で俺を見つめる。
「ダンジョンって意外とクソゲー……面白くない仕様が多いんだ。特別感が何もない現実そっくりのフィールドとか、まったく同じ形の部屋が延々と続く地下迷宮とか……」
俺はこれまでの記憶を掘り返して例を挙げる。特に配信をする場合には、ほどよく現実離れしているほうが好まれる傾向にあった。
「戦闘が多いのに成長要素がないとか、アイテムが存在しないとかも盛り上がりにくいな。たまに謎解き要素が強いダンジョンとかもあって、そういうとこなら別だけど」
「じゃあ、あのダンジョンってけっこうアリってこと?」
「ああ。人気のあるファンタジー系統だし、スキルや
藤野さんに頷きを返すと、彼女はほっとしたように息を吐いた。
「よかったぁ。ホントはあの日聞きたかったんだけど、ヘトヘトだったから」
そう言って笑う藤野さんは本当に嬉しそうで、協力してよかったと心から思わせる。ただ……これだけは言っておく必要があった。
「一つだけ気になるのは、バランス調整がおか――甘いところかな。ほら、あのベヒモスとか、明らかに強すぎただろう?」
「え? ボスってそういうものじゃないの?」
藤野さんは驚いた様子だった。ダンジョンにあまり詳しくないようだから、ボスの強さに違和感を覚えなかったのだろう。
「レベルの上がり方から考えて、普通、あのフロアのボス戦適正レベルは5~7くらいのはずなんだ」
だが、レベル7の俺は、相手の攻撃がかすっただけで死にかけた。逆にこっちの攻撃はまったく効いていなかったし、ギミックがあったとも思えない。
殺意に満ち溢れた、最初からラスボス戦みたいなダンジョンも多く存在するが、ごく一部のジャンルを除けば誰も入りたがらないのが現実だ。
「そうなんだ……」
俺がそんな現状を説明すると、藤野さんは引きつった顔で相槌を打つ。
「最初のゴブリンもマイナス要因かな。ダンジョンに入ったばかりで、戦闘能力が皆無の状況でモンスターに襲われるのは辛い」
あの時は藤野さんが抜け道を教えてくれたから助かったが、そうでなければいきなり全滅していた可能性が高い。
「そっか……いろいろ考えなきゃダメなんだね」
まるでダメ出しをされているように、藤野さんはしょんぼりと呟く。それだけ三影ダンジョンが気に入っているのだろう。そうして俯きがちだった彼女は、なぜかパフェをわっしわっしと口に運んだ。
「よーし、復活! それはそれとして!」
どうやら、パフェを高速で食べていたのはメンタルケアの一環だったらしい。再起動したらしい藤野さんは、ずいっと机から身を乗り出した。
「橋江くんならさ、ダンジョンにどういう要素があると嬉しい?」
「うーん……
しばらく考え込んでから答える。これは好みの問題だし、俺がここでぼやいても仕方ないのだが……もし俺がダンジョンマスターなら、絶対にその要素は入れることだろう。
そんな物思いを経て、俺はぽつりと呟く。
「……ダンジョンマスターって、何を考えてるんだろうな」
「――げほっ」
その途端、藤野さんが盛大に咳き込んだ。どうやらパフェでむせたらしい。器用だな。
「と、突然どうしたの?」
「いや、ダンジョンマスターってどんな奴だろうと思ってさ。ダンジョンによってテイストがまったく違うし、何を考えて造ってるんだろうな、って」
なおも咳き込む藤野さんに言葉を返す。
「ていうか、ダンジョンマスターって実在するの? 配信とかで見たことないけど」
「そう言われてる。特に仕様が少しずつ変わっていくダンジョンなんかは、管理者たるダンジョンマスターがいるというのが通説だな」
「それって、ダンジョンが自分で進化してるんじゃない?」
「さあ……あくまで通説だからなぁ。ただ、ダンジョンがあまりにも人間に都合よく作られてるからさ。どこかで人の手が入っているとは思う」
「へえ……その、詳しいね」
そう告げると、藤野さんはすっかり大人しくなってしまった。ダンジョンを裏で操っている人間がいるかもしれない。その可能性に気付いて恐ろしくなったのだろうか。
「……あ。けっこう話し込んじゃったね。そろそろ出よっか」
やがて。なんだか焦った様子の藤野さんは、そう告げて伝票を手に持った。
「入田くんのこともあるし、今日はあたしが奢るよ」
「いや、そういうわけには――」
「橋江くんには、配信でさんざんお世話になってるもん。これくらいさせてよ」
そう言って、俺の返事を待たずにレジへ向かう。そんな男前な藤野さんに物申すこともできず、俺はコーヒーを奢ってもらうことになった。そして……。
「――あ。さっきのは『次は俺が奢るよ』とか言えばよかったのか……? いや、でも本当にお詫びのつもりなら受けるべきだろうし……」
藤野さんと別れた後で、コミュ力の控えめな俺はいつまでも考え込むのだった。
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