ボス戦
今回の配信をどこで切り上げるか。それはダンジョンに入る前から相談していたことだ。そして、俺たちの結論は「初期エリア、もしくは第1階層のクリア」だった。
大抵のダンジョンにはボスが存在していて、そいつを倒せば次のステージなり次の階層なりに進むことができるため、区切りがいいだろうとの判断だ。だが――。
「ねえ。アレ……だよね」
「ああ。後ろにそれっぽい門もあるしな」
小さな声で囁き合う。俺たちの視線の先にあるのは、強烈な存在感を放つモンスターの姿だった。まだ100メートル以上離れているにもかかわらず、その巨大さと威容が俺たちにプレッシャーを与えてくる。
『お? フロアボスか?』
『見た目ヤバいな』
『見た感じベヒモスっぽい?』
初めてのボスにリスナーも盛り上がっているようで、あれこれと正体を探り始める。全長は20メートルくらいだろうか。闘牛と狼を混ぜて禍々しくしたような巨体には隆々たる筋肉が盛り上がっており、初ボスとは思えない貫禄を見せている。
「レベルいくつなんだ……?」
思わず呟く。このフロアの敵のレベルは1から5だ。となれば、ダンジョンの総合的な傾向として、俺たちのレベルが5あればなんとかなる可能性が高い。俺たちのレベルは7まで上がっているから、人数補正が働くダンジョンならクリアできる可能性が高い。
「あんなの、見た目だけのハリボテだって。……大きいっていいよね」
そんな俺の不安をよそに、藤野さんは嬉しそうに瞳を輝かせている。その理由は聞かずとも分かった。
『あの巨体はさすがにノーカンだろ』
『むしろ当たらない選択肢がない』
俺より早くリスナーのツッコミが入る。……そう。レベル7に至った今ですら、藤野さんの魔法はほとんど当たっていない。運よく当たったことが二度あるが、まるで宝くじが当たったような大騒ぎだった。
「ま、とりあえず戦ってみよ? 難しそうなら逃げればいいじゃん」
「ボス戦の場合、逃げられないこともあるが……いや、大丈夫か」
よく見れば、ボスを中心とした半径100メートルの円周上に、意味ありげな模様が描かれている。これまでの経験からすると、ボスはこれを超えられないはずだ。
そう説明すると、藤野さんは任せて、とばかりに頷く。
「おっけー。ヤバくなったらあの線の外に逃げる」
続けてボス戦での注意事項をいくつかすると、俺たちはボスフィールドと思わしき円周を踏み越えた。そして――ベヒモス(仮)がゆっくりこちらへ近付いてくる。
「来た! バフ頼む」
「うん。防護付与!」
藤野さんのバフをもらうと、俺もベヒモスへ向かって駆け出す。彼女の魔法が届きつつ相手の攻撃が届きにくい場所で戦うためだ。
「っ――!」
近距離で目にしたベヒモスは想像を超える迫力だった。すべてを押し潰すような巨体を前にして、本能的な恐怖が身をすくませる。
『でかっ』
『これマジで初ボス?』
そんな俺を救ったのは、意外なことにリスナーのコメントだった。コンピューターが読み上げた音声はどこか間延びしていて、俺の恐怖を少しだけ弛めてくれた。
「【双破斬】!」
間合いに入るギリギリのところで、レベルアップで身に着けたスキルを発動する。今の俺が使える最高の攻撃手段だ。だが――ベヒモスの身体には傷一つ付かない。
「無傷かよ!」
何かギミックがあるのだろうか。そう考えた俺は、何かヒントが転がっていないかと周囲に視線を走らせる。
その、わずかな隙だった。ベヒモスの頭部から生えた長大な角が、俺を目がけて振るわれた。
「――っ!」
想像を遥かに超える素早い動き。巨体に見合わない奇襲は、ほんのわずかに俺の身体をかすめる。そして……たったそれだけの接触で、俺は10メートル以上も吹き飛ばされていた。
何度も地面をバウンドし、ごろごろと転がってようやく勢いがなくなる。その直後、全身を傷みが駆け巡った。
「ぐっ……!」
身体を苛む痛みに呻き声がもれる。まるで交通事故にでも遭ったようだった。特に酷いのは右足で、まったく動く様子がない。地面に激突した時にひどく傷めたのだろう。
中空に浮かぶ自分のステータスを見ると、HPバーが赤字――瀕死の域でギリギリ踏み止まっていた。
「あれ……だけ……で?」
そんな馬鹿な。いくらなんでも強すぎる。そんな思いが頭を駆け巡る。このエリアのボスである以上、ここまで強いはずがない。戦士職ですらこのザマなのだから、魔法職があんな攻撃を食らったら――。
「逃げろぉぉぉ! 境界の外まで走れ!」
その思考に至った瞬間、俺は大声を張り上げていた。満身創痍の身体が傷み、意識が遠のきそうになる。それでも、俺は藤野さんに向けて叫んでいた。
『これヤバくね?』
『強すぎワロタ。ギミック系か?』
そんなコメントがうっすら聞こえてくるが、リアクションを返す余裕もない。
「……」
肝心の藤野さんはと言えば、迫りくるベヒモスに圧倒されているようだった。彼女は呆然と立ち尽くしていて、動き出す気配もない。
「く……」
彼女の下へ走ろうと身体を起こすが、やはり右足が動かない。完全に骨が折れているようだった。そうしているうちにも、ベヒモスは藤野さんに迫り――。
『リリックちゃん逃げろぉぉぉ!』
『急げマジで!』
「……っ!」
そんなコメントで我に返ったのか、藤野さんがはっと息を呑む。その瞬間を逃さず、俺はもう一度叫んだ。
「境界の外へ走れぇぇぇ!」
必死の叫びが効いたのだろう。彼女は逃走しようとする様子を見せた。だが――俺と目が合った瞬間、藤野さんの動きが止まる。仲間を見捨てていいのか。そう逡巡していることは間違いなかった。
「誰か一人が外に出れば! ボスは動かなくなる!」
だから。俺は残る全力を振り絞って声を張り上げた。その内容は完全な嘘だったが、あまりダンジョンに詳しくない藤野さんは信じたようだった。
「分かった!」
そう返事をして、今度こそ藤野さんは逃げ出した。万が一を考えて、彼女は境界線の近くで待機していた。距離にして10メートルもないだろう。
『急げーーー!!!』
『あのボス、ガチになったらめちゃ速いぞ!』
そんなコメントにも励まされて、藤野さんは必死で境界の外へと走る。だが、そのすぐ後ろにはベヒモスが迫っていて――。
『越えた!』
『おおおおおお』
『間に合った!!』
俺からはよく見えないが、そのコメントで彼女が死地から逃れたことを知る。そのことにほっとしたのも束の間、俺は絶望的な窮地を迎えていた。
「グルルルル……」
地の底から響くような重低音は、獲物に逃げられたベヒモスの罵声か。だが、もう一人獲物が残っていたことを思い出したようで、ヤツはその獰猛な顔を俺へと向けた。
「これは……キツいな」
なんとか逃げ出したいところだが、片足でまともに逃げられるはずもない。そんな俺の状態を把握したのか、ベヒモスは最初と同じくゆったりとした足取りでこちらへ向かってきた。
「うそ!? なんでまだ動いてるの!?」
俺の耳に、悲鳴のような叫びが聞こえてくる。藤野さんだ。自分が境界の外に出れば、本当にボスの動きが止まると思ったのだろう。
『馬っ鹿。あれはジュンの気遣いだろ』
『一人抜けたところでボスは止まらないし』
『最期に漢を見せたな。ジュン……お前のこと忘れないぜ』
「そんな……っ!」
リスナーの種明かしに、藤野さんは呆然と立ち尽くす。そんな彼女を見るのが申し訳なくて、俺は迫るベヒモスへ視線を切り替えた。
「……」
勝利を確信したのだろう。ベヒモスの獰猛な顔面が、ニヤリと笑った気がした。
――あいつもこんな気持ちだったのかな。
恐怖と絶望を前にして、ふと昔のことを思い出す。だが、そんな感傷などお構いなしにベヒモスは逞しい前脚を振り上げる。
「っ!?」
……その時だった。大地が震動してゴゴゴ、と重い音を立てる。大地震を思わせるその揺れに戸惑ったのか、ベヒモスもまたその動きを止めた。その直後。
「グモォ……!?」
ベヒモスが消えた。いや、違う。消えたのではない。
「地割れ……なのか?」
俺は見た。ベヒモスの真下の地面が、一気に沈降したことを。その様子はまるで地割れに飲み込まれたようだった。
「巻き込まれなくてよかったな……」
俺は目の前にできた亀裂に視線を落とした。いったいどれだけの深さがあるのか、底は完全な暗闇に覆われて見通せない。いくらあのベヒモスでも、上ってこられるとは思えなかった。
「助かった、のか?」
そう口にしてみるが、唐突な展開すぎて実感が伴わない。呆気に取られていた俺は、近付く人影に気付いてようやく意識を覚醒させた。
「ちょっとジュン! 大丈夫!?」
駆けてきた人影は、返事も待たずに治癒魔法を使ってくれる。下級魔法ではあるが、何度も繰り返すうちに身体の調子が戻ってくる。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
「……今度は嘘じゃないよね?」
治してくれたお礼を言うと、返ってきたのはそんな言葉だった。その表情が気になって、俺は窺うように口を開く。
「リリックさん、ひょっとして怒ってる?」
「別に違うし」
ぷいっと視線を外す藤野さんだが、その反応は怒っているようにしか見えない。
『リリックちゃん怒るなって。あの状況じゃ最善の判断だろ』
『むしろ二人とも生き残ったことが奇跡』
『自分を助けるためだとしても、ジュンが犠牲になろうとしたことを怒るリリックちゃん。推せる』
そこへリスナーのコメントが続く。とっさの行動だったが、俺の判断を支持するコメントが相次いだおかげもあって、藤野さんも怒りを収めざるを得ないようだった。
「……ごめん。助けてくれたのに」
やがて、藤野さんは素直に謝る。謙遜するのもおかしな気がして、俺はただ受け入れることにした。
「うん。ところでさ、アレなんだけど」
話題を変えたかった俺は、とある方角を指し示した。ベヒモスが最初にいた場所だ。そこには巨大な門があって……その内側は虹色に光り輝いていた。やっぱり次フロアへのゲートだったのだ。
『ちょw 天変地異でボスが死んだだけでもアレなのに、ゲートまで開くのかww』
『ひどいバグだなw』
どうやら、俺たちはフロアボスを倒したことになったらしい。むちゃくちゃな展開だが、あんなにレベルの高そうな強敵をまっとうに倒せるとは思えなかった。
「……あ、そうだ」
そこまで考えた俺は、ふと気付いてステータス画面を開いた。そして――。
「あーーーー!」
悲痛な声を上げる。悲しいことが判明したからだ。
「ちょっと、大丈夫!?」
「いや……ある意味では致命的な事件だ。これを見てくれ」
言って、俺はステータスのとある部分を指し示した。そこにはこれまでに取得した経験値が記載されていて――。
「あー! 経験値増えてないじゃん!」
「ついでに言えば、アイテムやお金も落ちなかったな」
藤野さんの悲鳴に合わせて、さらなる悲劇を報告する。実力で倒したわけではないのだから、文句を言える筋合いじゃないが……高レベルボスを偶然倒したことで一気にレベルが上がるかも、などと一瞬浮かれたのは事実だ。
『オチついたなww』
『命があっただけ儲けものだ』
『ゲートは開いたのに、EXPとアイテムドロップは駄目なのかw』
予想を裏切る展開に、リスナーたちはまたも賑わいを見せていた。
「しっかし、あの地割れってなんだったんだろうな。ギミックかとも思ったけど、その割に今も地形が変わったままだし」
そんなリスナーに適度に返事をしつつ、藤野さんに話しかける。すると、彼女は困ったように視線を逸らした。
「あたしもよく分かんないんだよね。いきなり地割れが起きて……」
『やっぱギミックか?』
『ギミックなら、そろそろ地割れが直ってもよさそうだけどな』
「まあ、なんでもいいよ。そのおかげで助かったんだし」
コメントの議論をそう締めくくると、藤野さんは俺に向き直った。
「あのさ……ありがとう」
そして、目を逸らしつつ告げる。その様子はどこか照れているように思えた。
「?」
「だからさ。助けてくれてありがとう、ってこと」
俺がピンと来ていないことに気付いたようで、藤野さんは言い聞かせるように理由を説明する。
「お礼ならさっき言ってもらったぞ?」
重ねてそう告げると、彼女は微笑んで首を横に振る。
「あれは、あたしが拗ねちゃったことの謝罪。今のが助けてくれたことのお礼」
「ええと……どういたしまして?」
「なんで疑問形なのよ」
そんな他愛ないやり取りがなぜか楽しくて、二人で笑い声を上げる。修羅場を切り抜けたことでテンションが上がっているのだろう。
『おうおう、見せつけてくれるな』
『リア充かよ。爆ぜろ』
『独り身にはこたえるぜ……』
『それなら最初からカップル配信見るなよw』
そして、リスナーのコメントも賑わって――って、おい。
「誤解してる人がいるみたいだが、俺たちはカップルじゃないぞ」
そのコメントを認識した俺は慌てて誤解を解く。クラスで広めるつもりはないが、誰がこの動画を見るか分からないのだ。俺と藤野さんが付き合っているなどという誤解は、彼女の名誉のために解く必要があった。
「え? どうしたの?」
なんとも微妙な顔をしていた藤野さんを手招きすると、俺は二人で並んで浮遊カメラに映った。高校生モデルをしていてもおかしくないほど整った外見の藤野さんと、至って普通の男子高校生が並んだ映像は、まるで出来の悪いコラ画像のようだった。
「見ろよこの顔面格差。お前らならよく分かるだろ」
『納得しかないww』
『
『よかった、リリックちゃんはフリーか』
『ジュンが相手じゃないだけで、普通にいるだろ』
コメントが勢いよく流れ始める。どうやら身体を張った誤解防止計画は上手くいったようだった。……一人くらいは「それは嘘だろ」と言い出してもいいと思うんだけどな。
「お前ら、納得するのが早すぎるだろ……!」
そんな俺の叫びは、さらなるコメントに迎え討たれたのだった。
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