【 おれは知ってる 】
「突然ですが、魔王様はこの魔界についてお詳しいですか?」
はじめて乗る船に興奮していたアモルに、セリュールが訊ねる。
本当に突然だな、てかもう魔王様呼びなのね、と思いながらも、素直に魔界についての知識を引っ張り出そうとしてみる─────が、そもそも引き出せるほど知識がなかったアモルは、肩を竦める。
なにしろ生まれてこのかた、イナガから出たことがない田舎者だ。
「いんや、まったくお詳しくないっスね」
「ですよね、いちおう確認しただけです」
「さらっと毒吐くなー、この執事」
「実はですね、空路から航路に変えたのには理由があるんです」
「それくらいは想像できたけどね、普通に!」
目が据わるアモルに構わず、セリュールは説明をはじめた。
存外、マイペースなようだ。
「ここは西の大国、ガドロンギア王国。西側の小国を束ねる王がいて、その序列は魔王に次ぐ魔界第二位。ですが、軍事力では魔界随一ですので、いつ下剋上を仕掛けてくるかはわかりません。聡明な方ではありますので、権力のために戦争を仕掛ける真似はなさらないでしょうが、あまり刺激しないほうがいい国ですので、いくら魔王の紋章付き馬車といえど、領空を無断で通過することは避けました」
それで、急に馬車を降りたのか。
それにしても、魔界の力関係は想像以上に複雑そうだ。
(なんか、めんどくさいな)
気疲れして、アモルは背後の手摺りに背中を預けた。
大型帆船はすでに出港し、少しべたつく潮風が、アモルとセリュールの髪を指先で絡めるように弄んでいく。
不意に、わっと歓声が響いた。
海の魔獣の群れが、目視できる距離で泳いでいる。ぎらついた濃紺の鱗で表皮を覆われたそれらは、船を威嚇するように、ときどき海面を叩くように飛び跳ね、高く水飛沫を上げている。そのたびに、乗客は手を叩いて喜んでいた。
絵に描いたような、のんびりした船旅。しかし、よく見れば、乗客に混じって兵士らしき装いの魔族がいる。急に難癖をつけられるような事態にはならないだろうが、彼らの不評を買う真似は避けたい。
ガドロンギア王国を抜けるまでは、気を緩めないほうがいいだろう。
やれやれ、とアモルは手摺りに頬杖をつく。
「意外と、魔王ってのは窮屈なんだな。なあ、じいさんはどうしてたんだ? ガドロンギアの王と、顔を合わせることはあったのか?」
質問すると、セリュールは髪が舞い踊るの押さえながら頷いた。彼の白銀の髪は一つに結われているものの、その毛先は先程から悪戯な風に右往左往させられていた。
まるで女神と風の戯れだな、と意味のわからないことをアモルは真顔で思う。
「魔王とは、各地の王をまとめ上げる存在ですので、ガドロンギア王と顔を合わせることも、当然ありました」
「どんなやつなの? やっぱ怖いのか?」
「そうですね、眼光鋭い、厳しそうな方だったと記憶しています」
そこで、ふとセリュールは声を潜めた。
「けれど、数年前からご病気を患ったとかで、報告などはすべて文で済ませ、魔王城に来ることはなくなっておりました。噂では、ご子息に王位を譲るつもりでいるらしく、二人いる王子同士の対立は激化しているとか」
「まじか……。おれら、そんな面倒なことになってる国にいて大丈夫なのか?」
「気付かれたら間違いなく、王位継承戦に巻き込まれます。なので絶対、目立たぬよう気を付けて……」
「いたぞ、第一王子だ!」
セリュールの忠告を遮るように、野太い声が響いた。
アモルとセリュールを庇うように、先程から後方で控えていた使用人が数名、さっと彼らの前に立つ。(もっといた他の使用人たちは、迂回して空飛ぶ馬車で魔王城に向かっているらしい)
「魔王様、ここを離れましょう」
「あ、ああ……」
急かすセリュールに頷きつつ、ちらりと喧騒の中心に目をやると、数名の兵士が、地味なローブの二人組を取り囲んでいた。その手には槍が握られている。
なんとなく、アモルは二人組が気になった。
目深にフードを被っているため表情はわからないが、一人はかなりの長身で、槍を向けられているにも関わらず堂々と佇んでいる。第一王子と呼ばれたのは、彼のことだろう。その隣にいるもう一人もローブを着込んでいるが、こちらはかなり小柄だ。ぴったりと、第一王子にくっついている。
恋人、だろうか。
(見たい……あのふたりを見ていたい……!)
ごくりと、アモルは唾を飲み込む。
船旅、第一王子、恋人、兵士、危機的状況。
こんな萌えるシチュエーション、滅多にない。
「魔王様、はやく!」
「待ってくれ、セリュール……、この場が収束するまで……」
「………魔王、様……?」
怪訝そうなセリュールの声すら、あっさりと意識の外に飛び立つ。
呼吸が荒くなる。本能が告げている。
あの二人は、今後、生涯、
「第一王子、呪われし雷狼め。ガドロンギア王国の民のひとりとして、貴様を王にするわけにはいかぬ!」
槍を握る兵士の手に力が籠もったのが、遠目からもはっきりわかった。
(おいおい、ちょっと待てちょっと待て。まさかあいつら、このままあの子ごと刺し殺す気じゃないだろうな)
小柄な魔族の存在に、アモルよりも近くにいる兵士たちが気付いていないはずがない。なのに、彼らはその存在を無視しているようだった。
まるで、第一王子の動きを鈍らせる足枷になればいいと、そう考えているようだ。
(ふざけんな……!)
そんなことはさせるかと、アモルは駆け出す。
正義感などといった人間くさい感情のためではなく、ただ只管に、推しカプになるであろうふたりを、こんなところで失いたくなかったからだ。
「おい! おれの推しに一つでも傷つけやがったら許さねえぞ!」
緊迫した空気を引き裂く間抜けな言葉に、兵士は呆気にとられたようにアモルを振り返った。その隙に、邪魔な兵士を押し退けて推しの前に立つ。
「なんだ貴様は……!」
「おれはイナガ村出身のアモルだ! おまえらなあ、白昼堂々こんなところで槍なんて振り回して、いいと思ってんのか!」
「黙れ、田舎者が! 我々の邪魔をするということは、王家を敵に回すということだぞ!」
「はっ、そっちこそ、(正式になったわけじゃないけど)魔王を敵に回していいのかコラ!」
「意味のわからぬことを……。ええいっ、構わん、こいつごと第一王子を殺せ!」
怒りで顔を赤くさせたオーク顔のリーダー格の兵士は、部下に命令する。
(あ、これはやべえやつだ)
火に油を注いでしまったようだ。アモルの背中を冷たい汗が流れていく。
門番とは名ばかりの、毎日ぼんやり空を眺めたり昼寝をしたり本を読んだりという、いたって平和な職に就いていたアモルに、戦闘経験などあるはずもない。
磨き抜かれた槍の切っ先は、どう見たって刺さったら痛そうだ。
「やれ!」
隊長っぽい兵士の号令に、いっせいに部下は槍を突き出す。その動きがやけにゆっくりに見えるのに、アモルは黙って突っ立っていることしかできずにいた。
もしかしたら、ただの脅しだったりしないだろうか。
(そうだ、そうだよ、まさか本当に無関係なおれまで刺すなんてこと、あるはずない……よな?)
銀に煌めく切っ先が、近付く。
「屈め!」
「ぐえっ!」
踏み潰される。あまりの衝撃に前のめりに倒れる。
頭上で、槍が風を切り裂く音がした。
「なっ、どこだ!」
「ここだ、よ!」
「ぐがっ!」
鈍い音と、兵士の悲鳴。慌てて顔を上げれば、小柄なほうを横抱きにして、空から降ってきたように見えるローブの男に、隊長兵士が顔面を踏み潰されていた。
ぱさりと落ちたフードから、黄金色の髪が広がっている。
(─────あ)
アモルは目を見開いた。
(知ってる)
あの不敵に嗤う彼を。
(おれは………知ってる)
猛禽類に似た鋭い金の眼光が、愉快そうに彼を取り巻く兵士を見渡す。
「雑魚が群れやがって。テピ、下がってろ」
「はーい」
低いが聞き取りやすい声と、鈴を転がしたような愛らしい声がアモルの鼓膜を揺らす。
(テピ……テピ!)
やはりそうか。そうだったんだ。
『この双子は、あらゆる世界線に転生しては出逢い、たくさんの物語を創り出しておるのじゃよ』
じいさんの言ったとおりだった。
(
そして、今、目の前にいるのだ。
「散れ、腐れガキの下僕共」
稲妻が走った。
瞬間─────、アモルの視界はまばゆい光に包まれた。
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