第15話「食卓を囲むので手を合わせてください」

 今日は何だか父の様子がおかしいよね、ということで子ども達は俺をちょっと遠巻きにしてひそひそ話していたが、クナが晩ごはんの開始を告げるとそそくさと着席した。

 クナが視線で促してくるのを感じて、俺は家族全員の顔を見回してから、アキルの記憶に従い両手を合わせた。それではご唱和ください。


「いただきます」

「「いただきます!」」


 驚くほど日本と同じだ。もちろん言葉だけは違うが、合掌してみんなで「いただきます」が全く違和感なく通ってしまった。この世界は不思議だ。いわゆる異世界としての体裁をこれでもかと持ちながら、俺の知っている日本ないし地球と不自然なほど共通点がある。歴史的な背景や自然科学を踏まえてきちんと考察すれば、自分の身に降りかかった事象について何か分かるだろうか。そして、この世界を正しく把握することが、元の世界に帰るための足がかりになるだろうか。

 漠然とした希望は同時に不安を掻き立てる。俺は帰れるのか。今、海地陽の身体と家族はどうしているのだろうか。


「アキル?」


 不意に名前を呼ばれ、意識を現実に引き戻された。俺が料理に手を付けないので、隣りに座ったクナは心配そうにこちらを見つめている。テーブルの向かいには、三人の子どもが右から大きい順に座って、やはり俺に視線を注いでいた。


「ごめん、考え事をしてた」


 これは、駄目だ。父親がこんなに情緒不安定では、家庭に悪影響が出るかもしれない。アキルの大事な家族だ。しかも、俺の家族と瓜二つの家族だ。まずはきちんと話そう。

 俺は意を決して姿勢を正すと、はっきりと声を出した。


「みんな、今日は何ていうか、お父さん変な絡み方してごめんな」

「……ほんとそれ」

「変だよね、パパ」

「ちょっと怖い」


 口々に違和感を指摘され、少し凹むと同時に不思議と暖かい気持ちになった。この遠慮のない空気感、いつもの家族と同じだ。


「みんな何となく知ってるかもしれないけど、今日、学校のPTA会長を正式に引き受けてきた。この指輪が証拠だ」


 俺は左手を掲げ、親指を垂直に立てるようにした。「いいね!」と俺の中のパーリーピーポーが声を上げたような気がしたが、別に「いいね」サインをしたわけではない。

 子ども達は「会長の指輪」をじっと見つめていた。隣からクナの視線も感じる。

 ちなみに、子ども達がアキルのPTA会長就任を認識しているかどうか、それをどう感じているかについて、なぜかアキルの記憶は曖昧だ。はっきりと正面から伝えたことはないらしいが、クナとの会話などから何となく察しているのではないかと考えていたようだ。

 ちなみに日本では、俺こと海地陽は子ども達がもっと幼い頃に初めて会長を引き受けた。当時の彼らはその意味をよく分かっておらず、何となく父親が偉い人になったのかな、といった程度の認識でいたように思う。

 こちらの彼らはどうだろうか。まだその表情からは何も読み取れない。


「それで、ここからが大事なことなんだけど」


 俺は意を決して告げた。


「実は、PTA会長は命を狙われることがあるらしい。つまり、お父さんは――死んでしまうかもしれない」


 しん、と室内を静寂が満たした。何の音もしない時間が数秒流れ、しかしすぐにその無音は破られる。それは明らかに、人体の局部から気体が漏れ出す際の甲高い音だった。


「――アルタがおならした!!」

「してない!!」

「嘘つくな!絶対アルタ!」


 ぷぅ、という気の抜けたような可愛らしい音は、完全に或斗、いやアルタの方から聴こえた。アルタはなぜか真剣な表情で否定しているが、疑うべくもない。

 なおも言い争う子ども達の様子に、俺は今日初めて頬が緩むのを感じた。思えば目が覚めてから丸一日、ずっと張りつめていた。この世界を認識すること、アキルとして振る舞うこと、会長を引き継ぐこと、仕事の責任を果たすこと、命を守ること。常に頭をフル回転させ、すべて全力でやり通したと思う。

 だからこそ、ここは安らぐことのできる場だ、と感じる。世界が違い、名前が違っても、その本質は自分の家族だ。そんなもの、本当は間違っているのかもしれない。単に自分の寂しさを紛らわせるための代償行為に過ぎないのかもしれない。でももう、そんなことはいい。


「せっかくパパが真面目に話してたのに」


 俺は食卓に肘をついて、微笑んだ。自然に笑みがこぼれた。心地よい、と思った。


「パパは大丈夫だろ」


 必死で自己弁護していたはずのアルタが、不意にポツリと言った。ちらりと姉を見る。姉、星羅にそっくりな長女はセーラという。発音が全く同じなので違和感がない。セーラはこともなげに頷いた。


「お父さんは大丈夫」


 さらに、昴と同じ顔をした長男はスープを口に運びながら、目を伏せて当たり前のように呟いた。


「何を心配してるんだか知らないけど、誰が殺せるんだよ……」


 だから、どういうことなんだよ……。何だか既視感があるのは、課長のサドゥさんの反応かと似ているためか。


 ちなみに、彼の名前はスバールバルライチ。

 なぜコイツだけこんな名前なんだ。オチ担当なのか。アキルの記憶からこの名前が出てきたときには思わず吹き出しそうになったぞ。昴が「なんで俺だけ!」と叫んでいる様子が目に浮かんでしまい、腹筋に力を入れて口角が上がるのを堪えた。

 念のため、日本の家族と対応する名前をまとめるとこんな感じになる。

 妻、海地月音(かいち・つくね)=カイ・クナ。

 長女、海地星羅(かいち・せいら)=カイ・セーラ。

 長男、海地昴(かいち・すばる)=カイ・スバールバルライチ。

 次男、海地或斗(かいち・あると)=カイ・アルタ。

 容姿や性質だけでなく、名前まで酷似しているのにはどんな意味があるんだろうか。昴だけはちょっとおかしなことになっているが。


 俺が命を狙われている話をしていたのに、当たり前のように流されてみんな食事を続けている。何なの? 父親への信頼感? それとも興味ないの?

 救いを求めてクナに視線を移す。彼女は苦笑していた。苦笑してても可愛い。


「アキルも、冷めないうちに食べちゃって」


 それはその通りだ。俺は既に想像より少しだけ温度が下がってしまったスープを口に運んだ。

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